妄語

安室への恋心を自覚したからといって行動に移すつもりはない。好きになってしまったからなんだというのだ。無駄に騒ぎ立てる心臓を落ち着かせるようと卵をフライパンへ割り入れていた時、ふと梓からもらったチラシのことを思い出した。

「安室さんって愛知の出身ですか?」
「いえ、違いますが?」
「じゃあ育ったとか?」
「?特にそれもないですけど……」

あのチラシには夏祭りで出すメニューが載っていた。手伝うと決めたからには作り方を予め調べてきたのだが、レシピの他にも豆知識として愛知県のお祭りでよく売られていたと書いてあった。だから安室がそこの出身かと思ったのだが。

「──ああ、たませんのことですね?」

数秒考える素振りを見せた後、安室はすぐに答えにたどり着いたようだった。
たませんは愛知のお祭りでよく売られている料理。売上のことを考えればかき氷とかもっと人気メニューにすると思ったのだが、わざわざこれを選んだのなら思い入れがあったり──なんて考えてみたものの、その推理はかすりもしなかったようだ。

「最近愛知出身の方とお話しする機会があって、その後に思いついたんですよ」
「なんだ、違うんですか」

思えば私は安室のことをよく知らない。いや、勿論知っていることはあるのだが、それは彼の性格とか頭の良さだけであって、彼の個人的な部分は何一つ知らない。だからもしこの推理が当たっていれば彼の出身地というプロフィールを知ることができたのに。二つのフライパンに一つずつ卵を落とし終え、軽く息を吐いた。

「……残念そうですね?」

はた、と手が止まる。安室のことは知りたいが、本人にそれがバレてしまうのは避けたい。好意を持っているとは知られたくない。本人にも、それ以外にも。

「私には推理力が足りてないみたいで」
「現役の作家先生が何を言ってるんですか」

はは、と笑ってみせれば安室も納得したようでそれ以上の追撃はなかった。危なかった。僅かにはねた脈拍も数回の深い呼吸で穏やかな数値に戻っていったのを感じる。
卵を焼き始める安室の横顔をなんとなしに見るとまた少し胸が騒がしくなってフライパンに目を落とした。人を好きになるなんて思いもしなかった。ましてや私を散々疑っていたこの人を。

「えびせん割って、ソース塗って、目玉焼きを挟む」
「基本はそれで終わりですね」
「……これ一人で作って売るの難しいんじゃないですか?作り置きできないし」

焼き立ての目玉焼きとお好み焼きソースが食欲をそそる香りを立てている。安室が入れてくれたお茶と共にテーブルへつき、二人してたませんを試食した。パリ、とえびせんが口の中で音を立てる。

「できないことはないですが……難しかったでしょうね。衣理さんに来ていただけて良かったです」

あの時一人でやると言い切った安室はきっと梓を気遣ったのだろう。いくら洞察力の足りない私でもそれくらいはわかるし、梓はとても良い人で、度々当日欠勤をするらしい安室が梓の負担を軽くしようとするのもわかる。わかるけど、胸がしくりと痛む。

「安室さんっていつもこんな感じなんですか?」
「こんな感じ?」
「一人でやろうとするっていうか……あ、悪い意味じゃなくて」

無理をしているとまでは言わない。きっと私が手伝いに来なくとも安室はうまくこなしていた気がするからだ。でも、もう一人いたなら格段に楽になるだろうに彼はあくまで自分の力だけでやろうとした。それが少しだけ、寂しかった。
「困っている人がいたら衣理さんにできることをしてあげてください」安室は私にそう言ったけれど、彼自身は一回だってそんな素振りを見せたことがないのだ。

「大変なら大変って言っていいんですよ?いつも人のこと助けてるんだからたまには頼ったって」

今回に限らず私が頼りないから何も言わないのかもしれない。私の秘密を彼に喋ってしまったから変人だと思われ、私に言わないだけなのかもしれない。それならそれでいい。他に頼る人がいるのなら。しかしながらこれまでの言動から彼にそんな人がいるようには終ぞ思えなかった。
だからもう少し周りを頼ってくれればいいのにと。私でも、私じゃない人でも。だが、安室は大きな瞳で私を見つめるだけで何も言わない。

「──……」
「私相手じゃなくても、いいんですけど……」

安室の沈黙が続く程に羞恥心がこみ上げてくる。自意識過剰と思われただろうか。何も知らない癖に的外れなことを、と思われたかもしれない。焼き立てのたませんの熱が指先から私に入り込んだかのように身体が熱くなると同時に、語尾が小さくなる。少しばかり、いやかなり、私は思い上がっていた。私なんかが彼の力になろうとするのはエゴでしかない。

「……ありがとうございます」
「いえ、あの、何というか押し付けがましくてすみません……」
「なんで衣理さんが謝るんですか、嬉しかったですよ?」
「それは……よかったです」

穴があったら入りたい程度には恥ずかしかった。安室も何を思ったのか小さく声を出しながら笑っている。完全無欠な人に上から目線で何を語っているのだ、私は。

「次はベーコンとチーズ入れてみましょうか」
「二種類出すんですか?」
「衣理さんが手伝ってくれますからね、少し余裕ができました」

にこやかに、しかしどことなく悪戯に笑いながら言う安室を整った顔だなと思う一方でそのからかい方が憎らしいとも感じてしまう。この人に私が頼られる日などそう簡単にはやってこないのだろう。

「からかってます?」
「僕は常に本音を正直に話してるんですが、どうも衣理さんには信じてもらえませんね」

冷蔵庫からベーコンとチーズをそれぞれ取り出しながら安室が首を傾げた。本音だけで生きているとは到底思えない。絵に描いたような好青年の容姿を盾に散々からかわれたのだから。
そんな彼を睨んでみたものの、そういう一面も含めて好きになったのかもしれないと考えてしまった瞬間、何ともむず痒い気持ちが生じた。

「普段の行いのせいだと思いますよ」
「では、今度困ったことがあれば衣理さんに相談します」
「……」

そういう意味ではなかったのだが。しかし否定するのもなんだかしゃくだ。

「ダメでした?」
「どうぞ、お待ちしてます」




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