触れたい、触れられたい、
大好きだった幼馴染の環くんが私の恋人になったのはつい最近のことだ。16年間胸に秘めていた想いを隠し切れずに打ち明けたとき、私の顔はりんごの様に赤かっただろう。そんな私の想いに彼の顔色は変わらずに「うん」と答えるだけだった。
寮制度に変わったことにより、付き合う前の様に一緒に家に帰ったりすることもないし、三年生の環くんは一年生の私より忙しいから、休日に出かけたりすることも躊躇われる。
寮の部屋でたまに2人で過ごしても恋人らしいこともせず、私は自分の部屋に帰る。
手も繋がなければ、ハグもキスも、私たちの間にはなくて。体の繋がりが全てだとは思わないけれど、少しは触れたい、触れてもらいたい。
もやもやとする心の内を響香ちゃんに相談した。
「まぁ、彼氏いないウチが言うのも何だけど確かに恋人っぽくないよね」
「う……だよね…」
ずばり、と言われた言葉に落ち込んで机に突っ伏す私の頭を響香ちゃんがイヤホンジャックでぺちぺちと叩いてくる。
「どうしたらいいんだろう…」
「うーん、天喰先輩の好きそうな格好してみるとか?」
「なるほど…」
響香ちゃんと答えの出なそうな問題にうんうん唸っていると、どこから聞いていたのか上鳴くんが響香ちゃんの横からひょっこり顔を出してきた。
「そういう場合はみょうじから迫っちゃえばいいんだよ!」
「ちょっ、と上鳴!入ってくんな!」
「まぁまぁ、男側の意見ってのも必要だろ?」
「上鳴のは信用ならない」
「なんでだよ!」
目の前で繰り広げられる夫婦漫才のような会話を聞きながら「私から……」と上鳴くんに言われたことを考えてみる。目の前の上鳴くんがにっと笑って身を乗り出してきた。
「好きなヤツから迫られたらどんな男でも絶対イチコロだって!」
「イチコロ……!」
「そうそう、ちょ〜〜っと胸元開いた服とか着て迫ってみろよ」
「なまえ、上鳴のことなんか無視しな」
「ううん、響香ちゃん…私、待ってばっかりじゃダメだよね…」
「は、」
「私、頑張るよ!上鳴くん!響香ちゃん!」
「お、いいぞ!その意気だ!みょうじ!」
早速、上鳴くんとワーワー言いながら作戦を立てる私に響香ちゃんの「大丈夫かな…」という呟きは届かなかった。
▽
環くんの今日の予定を聞く為にLINEを送ろうとしたら上鳴くんに「直接聞きに行け!そういうのにグッとくるんだ!」と言われた私は意気揚々と自分の教室を出て3年生の教室に向かった。
このドアを叩いて、天喰先輩いますかって言うだけ、それだけなのに妙に緊張してドアを叩こうと持ち上げた手が震えてる。あんなに浮かれてた気持ちも今では萎んでいっている。
帰ろうかな、そう考えて後ろを向くとどん、と誰かにぶつかってしまった。
「わ、す、すみません…!」
「俺は大丈夫なんだよね!君こそ大丈夫かい?」
ぶつかった鼻を抑えながら顔を上げたら、環くんと同じ雄英ビッグ3のミリオ先輩がいた。
「あぁ!なまえちゃんじゃないか!環に用?」
「え、あ、」
「待ってて、いま呼んでくるから!」
「あ、ちょ、ミリオ先輩……!」
環ー!と、さらっと私が開けられなかったドアを開けたミリオ先輩が教室にいた環くんを呼ぶ。
そっと中を覗くと、環くんは波動先輩と話していて、楽しそうな環くんに胸がきゅっとする。
環くんには環くんの世界があって、人間関係がある。それは私だって同じ。だからこんなことでヤキモチを妬くのはお門違いだ。頭ではわかっていても気持ちがついていかない。ヤキモチなんて妬きたくないのに。
ミリオ先輩が環くんのところへ行き、ドアの近くにいた私の方を指差した。目が合って、環くんの少し眉間にシワが寄ったように見えた。来ちゃ、ダメだったかな。浮かれていた数分前の自分を殴ってやりたい。
「なまえ、どうしたの?」
「あ、あの、今日暇だったら…その、環くんの部屋に行っても、いいかなって……」
「いいけど…LINEでもよかったのに」
「そ、そう、だよね、はは……」
なんだか居た堪れなくなって、環くんに部屋に向かう時にまた連絡するね、と言ってその場を離れる。
▽
環くんの部屋の前で私はまたドアをノックするのを躊躇っていた。
あの後、教室に戻ってきた私を見て響香ちゃんは頭をぽんぽんと優しく撫でて「どうせなら髪の毛もいじろうよ、めいっぱい可愛くして先輩驚かせよ」と笑ってくれた。少し泣きそうになるのを堪えて、頑張るね、と笑ってみせた。
「頑張るって言ったけどなぁ……」
少しの間、環くんの部屋の前でうんうん唸っているといきなりドアが開いて環くんが顔を出した。
「わっ、」
「…入らないの?」
「入る、ます」
なんで敬語なんだ、と少し笑った環くんにホッとする。ほら、入ってと私の背中を押して中に入れてくれた環くんに続いて部屋の奥へ進む。
「いきなりだったから何もないけど…」
「あ、ううん!お構いなく!」
「……この前テレビでなまえの好きそうな映画やってたけど見る?」
「う、うん!見る!」
再生された映画は何年か前に上映されていた恋愛映画だった。環くんと隣り合ってベッドにもたれるように床に座りテレビに視線を向けるけど、全く集中できない。
「なまえ?どうかした?」
「え?な、なにが?」
「ボーッとしてるけど体調悪い?」
覗き込んできた環くんに心臓がどきりとする。
環くんの唇に目をやって、ドキドキと心拍数を増していく心臓に手をやる。
「なまえ?」
「……あ、の」
「ん?」
大丈夫、自分が持っている中で一番大人っぽくて胸元が広めの服を着てきた、髪型だって響香ちゃんに可愛くしてもらった、お化粧も少しした。さっきグロスを塗ったばっかりなのに、唇が乾いてる気がする。
「キス、し、たい」
「は、」
環くんの目が少し見開かれた。環くんが床についていた手に、自分の手を重ねてみる。環くんの手は暖かくて、私の指先が冷え切っているのがわかった。
「な、どうしたんだ……いきなり…」
困惑の色を見せた環くんがそっと手を離そうとして、私は慌てて環くんの腕に抱きついた。環くんの慌てるような声が頭の上から聞こえて、肩が少し揺れた気がした。
「…い、いきなりじゃない!ずっと…ずっと環くんとこうしたいって思ってた!」
「ちょ、なまえ、離れてくれないと、困る」
「…なんで…、私だけ、私だけ好きみたい、私だけ環くんに触れたいって思ってる……イチコロにもなんないし…も、やだ…」
縋ることしかできない自分が情けなくなる。迫るってなんだっけ、上鳴くんのバカ、もう無理だ、環くん嫌がってる、涙がじわりじわりと滲んできて、噛み合わない思いにつらさが増して環くんからそっと腕を離そうとしたら、環くんに引っ張られてバランスを崩し、彼の胸元に飛び込む形になった。
「はぁ……」
「ご、ごめ、ごめんなさい……」
「俺だって…なまえのこと、すき、だよ」
環くんの小さな声が聞こえてきて、は、と私の口から声にもならない声がこぼれた。
「……ミリオや1年に対してくだらないヤキモチも妬くし、なまえに触れたいとも思ってる」
「う、うそだ…」
「…嘘じゃない」
「でも…でも、キスもハグもしないし、手も繋がないし……」
「…キスしちゃったら他にもいろいろしたくなる……」
「え、」
「我慢、してたのに」
我慢…と繰り返して呟く私を環くんが体を少し離して私の頬をそっと撫でた。さっき触れたときより、手が熱い。
「もう我慢しない…から……後悔、しないでね」
そう言った環くんがそっと私をベッドに押し倒してキスを落としてくる。口紅取れちゃうね…と呟いて目を細めて笑う環くんの顔は男の人のものだった。
次の日、上鳴くんに揶揄われたのは言うまでもない。