時代劇で死にかけの武将が、最後の力を振り絞って念仏を叫んでいた。あのおじさんは多分、人生最後の言葉はどうしても念仏が良かったんだろう。でも私なら、最後に口にするのは好きな人の名前がいい。
「不二はどうなの?」
難しい、分厚い本から顔をあげて不二は不思議そうな顔で私を見た。
不二がいつも読んでいる本はこげ茶の表紙に、金色で英語が箔押しされている。『星の王子さま』って読むらしい。このまえ、不二に教えてもらった。
「ごめん、何の話?」
「だから、人生最後に不二ならなんて言うかな、って話」
「わあ物騒」
全然そうは思ってない、明るくおどけた声だ。教室の窓から土の匂いが香ってきて、夏がすぐそこまで来ていたのだと私は思う。そのくせ、カーテンを揺らす風はちっともぬるくないから、先生が扇風機の電源を入れてくれるのはもう少し先のことになるだろう。
「そういう君は?人生最後になんて言うの?」
読んでいた本を閉じて不二が聞く。これはつまり読書よりも私が勝ったということだ。
「私は人生最後に口にするなら、好きな人の名前がいいな」
「それは確かに君らしくていいんじゃない」
まるで自分とは関係がないように不二が言うものだから、私は本来の話を思い出した。
「私じゃなくて不二の話をしてるの」
「そんな急に言われてもなあ…、その時になってみないと分からないんじゃないかな」
「じゃあ今!あと三十秒で世界が終わるってことにしよ!」
驚く不二に私はじれったくなって無理矢理はなしを進める。あと三十秒で世界は終わる。それを前に好きな人がなんて言うか、私に知る権利があったっていいじゃないか。
「あと三十秒で本当に終わったら面白いね」
世界の終わりとはかけ離れた声で不二が笑う。あと二十秒しかないから私は結構本気で聞いているのに、こういうとき不二はまるで私のことを小さな子供だと思っているみたいだ。
「でももしかしたら、いざって時ほど何も言えなくて死んじゃうのかも」
残り十秒で不二が正論を言う。きっと不二はこうして騒いでいる私とは違って、最後の瞬間までずっと冷静なんだろう。
「もし今世界が終わるなら、そうだな、僕は」
始業のチャイムが鳴ったのは、世界が終わるまさにその瞬間だった。
あとコンマ一秒で私たちの頭上に墜落していたであろう隕石は瞬く間に消え失せて、代わりに見慣れた数学の先生がプリントの束を持って教室へ入ってくる。
窓の外では、三十秒前と同じ声で鳥が鳴いていた。
不二を見れば既に机の中から教科書を出していて、もう話の続きの相手をしてくれそうな雰囲気じゃない。
あと少しだったのに!誰にも見られないように私は顔を顰めて悔しがる。不二が私の名前を呼んだのはその時だった。
「なあに?」
教科書を片手に持ったまま、不二は振り向いた私の顔をまじまじと眺めて、そうして何事もなかったように言う。
「なんでも。呼んでみただけ」
早く座ったほうがいいよ、と自分から私を呼び止めたくせに不二はそんなことを言うから、私はなんだか釈然としない顔で首を傾げながら自分の席に戻るしかないのだ。
「へんな不二!」