怪我の功名

ギャグ漫画のオチみたいにすっころんだ。コンクリートの上でみっともない音を立てて地面にぶつかった。
あまりにも綺麗に膝を擦りむいたものだから、私は他人事のように傷口を眺めていた。けれど感心したのも束の間、痛みで生理的な涙が込み上げてきてしまう。
嬉しくも悲しくもないのに、ただ痛いなあと思いながら、私は一人で鼻を啜り上げて、そうしてすっかりしわくちゃになってしまったパンフレットを拾い上げるのだ。

「どうしたの、それ」
開口一番、不二は怪訝そうな顔で私の膝に目をやった。私の膝には昨日貼ったばかりの真っ新なガーゼが、ここぞとばかりに存在感を主張している。
クラスの違う不二と私が一日に何度も顔を合わせることはなくて、今日は話さないで終わるかなあ、なんて考えていたのだけど、放課後に教室を出たところを不二に呼び止められてしまったのだ。
「別に、ちょっと転んだだけ」
「それにしては派手にいったね。どうして転んだの?」
予想通りの質問に、やはりこの傷が治ってから彼と顔を合わせた方がよかった、と心の中で後悔する。躓いちゃってさ、なんて適当に不二の言葉を流しながら私は会話の逃げ道を探った。
「普通に転んでそんなに大きな傷が出来るかなあ」
出来ないよねとは言わず、たぶん私の嘘には気が付いているのに、不二はこういうとき白々しいから私は気まずそうに首を竦めるしかない。
本当は何があったのかと無言で聞いてくる不二に、それでも私は転んだ理由を話すわけにはいかなかった。
「打ち所が悪かったんじゃない?本当に転んだだけなんだって」
だからこの話はここで終わり。言い聞かせるように不二を見るけれど、不二は険しい顔で黙ったまま首を縦に振らなかった。
遠くの廊下を誰かが走っていく足音がやけにはっきりと聞こえる。
不二が少し怒っていることは、ちらりと顔を見ただけで分かってしまった。
「…僕には言えない理由?」
「そういうのじゃないけど…」
視線をうろうろ。なんて誤魔化そうか考えていれば、不二はわざとらしくため息を吐く。
「今日一日ずっと気になってたんだよ。そんなに大きなガーゼをして。僕には訳を教えてくれると思ったんだけどな」
言いながら不二の手がすっと伸びてきて、私の顔に影を落としていた髪の毛をそっと掬って耳にかけた。
「ねえ」
それはまるで駄々をこねる子供をなだめるように、不二は私の顔を覗き込んで言う。
最悪なことに私はその顔にとことん弱くて、口の中で何度か言葉を飲み込んでは、結局耐えられずに出してしまうのだ。
「…昨日友達と映画観に行った時にね」
「うん」
ぽつり、ぽつりと話し出す私に、不二は急かすことなくゆっくりと相槌を打った。転んだ理由はおそらく不二が心配するような大したものではないけれど、少しだけ眉を下げて私を見つめる不二の顔を実は好きなことはきっと言わないでおこう。
「前に不二が見たいって言ってた映画のパンフレットがあったんだけど、最後の一枚らしくて」
「うん」
「それを持って帰って、不二にあげようとしたんだけど途中で落とした、っていうか風に吹かれて飛ばされちゃったんだよね」
「それを追いかけて走って転んだの?」
「まあそんな感じ」
ね、大したことないでしょ。軽く言って笑う私の顔をじっと見つめると、不二はおもむろにしゃがみ込んで私の膝のガーゼを撫でた。
「痛かったでしょ」
「別に…」
「僕のために走ってくれたんだ」
「うん」
もうすっかり痛みも引いたガーゼの上を、不二は丁寧に撫でていく。こういう時、なんて言うんだっけ。いたいのいたいのとんでいけ。
「怒ってない?」
部活が始まる前の予鈴が聞こえてくる。あと少しで不二は私を置いてテニスコートへ行ってしまう。
「どうして怒るの?」
「さっきちょっと怒ってなかった?」
そう言ってやれば不二は小さく首を竦めた。全く悪びれていない顔である。
「よく分かったね。だって君が何も教えてくれないから」
「じゃあ今は?」
不二は私に優しい。返ってくる答えなんて分かりきっていたけれど、私は不二の口からそれを聞きたかった。
「怒ってないよ。僕のために走ったなんて言われたら、僕はもう君を怒れないよ」
「ほんとに?」
「それで君が転んだのは、ちっとも嬉しくないけどね」
ガーゼを軽く突きながら不二が冗談みたいに言う。傾く西日に、もう部活に行かなくちゃと不二は呟いて立ち上がった。
一日中ずっと彼の中で燻っていた疑問はこれで見事解決したようだ。

「それでそのパンフレットはどこにあるの?」
「ああ…拾った時にグシャってなっちゃったから家にあるけど」
何が一番はずかしいってこれである。頼まれてもいないのにわざわざ取って転んだ挙句に、結局台無しにしてしまったことだ。だからあまり不二には言いたくなかったのだ。
「僕それ欲しいな」
「ええ?探せばどっかにちゃんと綺麗なやつ置いてあるよ」
口を尖らせてみせれば不二は分かってないなあと笑った。
「君が取ってきてくれたのがいいんでしょ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
部活が終わったら取りに行くから待っててくれる、なんて不二が言うものだから現金な私は素直に頷いてしまう。
公開されたら一緒に観に行こうよと不二が話しているのを、これが怪我の功名ってやつなのかしらなんて思いながら、私はすました顔をして不二の隣に並んだのだ。