香水について

人が一番最後まで忘れられないものは何か。その人の声か香りか、はたまた聞き飽きるほど繰り返された口癖か。中にはほんの一握り、私は何も忘れない、なんて言える幸福な人間も恐らくは存在するだろう。しかしそんな議論はどうでもいい。本当にそれを忘れる時、私たちは自分がそうしたことにすら気が付けないし、そうしてしまったことを律義に思い返せるほど、私たちの時間は長くない。だからこそ、である。骨の髄まで染みこんだ香りには敵わない。たとえ全てを忘れたとしてもある日ふと、すれ違ったその香りに、私たちは忘却することを許されない。それは薬指に嵌められた銀色の輪っかより、首に繋いだ金色の鎖よりはるかに強烈で、熱烈な記憶の道標だ。その香りの前で抗う香りを持たない者は、惨めなほどに無力である。それゆえ、良い香りのする恋人には気を付けろ。