君は絶対、普通にはなれないんだよ

「あからさまに苦そうなものってあんまり好きじゃねえんだけど」
五条の声によって、瀬生の喉の奥へ消えていこうとする、真っ黒な液体の流れが止まる。数秒、五条の顔をまじまじと眺めて、瀬生は残りのコーヒーを流し込んだ。
「あっそう」
窓の外で鳴く蝉の音が、遥か遠い場所のような出来事に思える。閉め切った部屋の冷房は快適だが、そうであればあるほど、心のどこかが麻痺していくような錯覚にとらわれて仕方がない。
休憩室の二人掛けソファの上で伸びる一つ下の後輩にバレないよう、瀬生はめんどくさそうな顔をした。
「オマエなんで俺の前でブラックコーヒー飲むんだよ、当てつけか?せめて砂糖入れろや」
「ちょう言いがかりなんだけど」
言いながら、瀬生は五条に勘づかれないように、口の中で舌をもぞもぞと動かす。コーヒーのあの独特な酸味の後味が苦手だ。ずっと舌の上にこびり付いては、甘さのように脳を幸福にさせるわけでもない無意味さが。
香りだけは美味しそうなのに、と思いながら瀬生が立ち上がれば、五条は丸いサングラスの下でそれを追った。
「どこ行くんだよ」
「おかわり」
「ドエムか?」
本当は、コーヒーなど飲む柄ではないということを、もうとっくに見抜かれているんだろう。
甘くてしょっぱいお菓子やジュースを差し置いて、お酒も煙草も美味しいと思ったことはない。子供舌だと言われてしまえばそれまでではあるが、それにしたって五条悟という男は、身体だけが大人になってしまった子供のようだ。
特段美味しいとは感じないのに、無性にそういうものを身体に入れたいと思ってしまうのは、その苦さと、口に含んだ時のほんの少しの絶望感が思いの他、心地良いからなのもしれない。
おそらく、世界で最も孤独な存在とは子供である。誰しも大人になることは出来ても、誰も子供には戻れないからだ。
一度その苦さを知ってしまった大人は、きっともうそうだった前の自分を思い出せない。
「俺さあ、ブラックコーヒーって匂いもあんまり好きじゃねえんだわ」
「それは知らなかったわ」
ひとりごとのように五条がそうぼやくのを瀬生は背中で聞く。副流煙が第三者の肺を汚すと言うなら、コーヒーの香りが汚すのはさしずめ鼻孔か。あわよくば、この香りがお前の鼻の奥に染み込んで、一生取れなくなってしまえばいいと、当てつけのように思う。
けれどしかし、当てつけといたずら心は紙一重である。
五条がどこぞの土産で買ってきた真っ白なマグカップに、可愛くない液体が並々と注がれていくのを眺めながら、瀬生はふと思い立って、それをもう一つのコップに分けた。
「はい五条」
「なにこれ?」
「お前の分」
すまし顔で差し出された諸悪の根源と、瀬生の顔を五条は交互に見比べて、五条は思いっきり嫌な顔をする。その顔に、彼がこれから先もこの苦さを理解することがなければいいと、瀬生は一人で思った。
そうしていつか大人になってしまった仲間を指さして笑っていればいい。きっと誰もお前を咎めることは出来ないだろう。
しかし五条は差し出されたコップを一気に煽ったのだ。
「えっ本当に飲んだ」
「人に飲ます気ないもの渡すな」
その苦さが伝わったのか、夏の日の犬のように五条が舌を出す。空になかったコップの中からコーヒーの残り香がもう一度立ち込めて、今度は瀬生が顔を顰めた。
「苦いのは嫌いなんじゃなかったの?」
聞けば、今度は五条がわざとらしくげんなりとした顔を返した。そうして瀬生の手に残るもう一つのカップを取って、あまつさえそれすらも飲み干したのである。
「飲み干してやったらオマエが嫌そうな顔するかと思って」
どうもこの男は、手が焼ける。



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