「夜更かししようか」夜の痺れるような空気を軽やかに舌の上で転がした五条の声が、いつまでも頭の奥に残っていた。深夜二時、蝉ですら寝静まっているようだ。汗が引くほど涼しくはないが、昼間より遥かに冷めた風が頬を撫でた。点滅する街灯が不二の真っ白なシャツをオレンジに染め上げている。見当たる車もないのに二人は律義に信号が変わるのを待った。いつも食べているフレーバーを齧りながら当てもなく歩く。知っている道の知らない時間は、まるで初めて訪れた全く別の世界のようだ。ここでは二人は新参者である。そっと脇道にそれれば街灯の明かりは届かなくなって、一切が夜の帳の向こうに消えていく。けれど少しして目が慣れてくれば案外、足元の小石すらはっきりと見えてしまうのはきっと今夜の月が明るいからだ。「なんだか世界に二人しかいないみたい」「案外ほんとうにそうかもよ」ふと落とした視界の端に長い五条の脚が見える。恋人に合わせたその歩幅は、随分と穏やかだった。アスファルトに落とされた影の境界線が次第に淡くなって、顔を上げれば瀬生は夜の終わりを知る。随分と永い散歩をしていたものだ。段々と青く染め上げられていく世界に、漸く知らない場所まで来てしまったのだと気が付いた。「僕もう眠いや」まるで社会の時間とは真っ向から反抗するみたいに、五条がふてぶてしく呟く。蝉の声より先に雀の鳴き声が聞こえてきた。もうすぐ人も世界も眠りから覚めて動き出す。その前に私たちは家に帰らなければいけないのだ。
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