| きり丸を山賊から助けたという身元不明の若い女性。自分はこことは異なる世界からやってきたと、まっすぐに学園長を見つめながら言い切った彼女に抱いた最初の感想は、欲のない人、だった。 案の定、彼女の身元を引き受けると言い出した学園長に、あの場で最も驚いていたのは彼女自身で、彼女は自分が許可して欲しいのは裏山に滞在することだけで良いと言った。ただ、それだけでいいんだと。 彼女の言う通り、彼女が違う世界の人間なのだとすれば、彼女はたった一人、この何もかもが違う世界に来てしまったということだ。普通なら狼狽え、助けを求めてもおかしくはない。でも彼女はそれをしようとはしなかった。それはおそらく、彼女自身が悲しいくらい冷静に、自分自身がおかれた状況が尋常ではなく、人から受け入れ難いことが起こっているということを理解しているからだろう。もし違う世界から来たから助けてくれなどど言ったところで、例えそれが本当のことであっても、到底信じてはもらえない。だから最初から望まない、信じて欲しいとは。 身元も確認はとれない。何故ならここに、彼女のことを知る人間は一人もいないんだから。だから望まない、助けなど。それはとても強く、しかし同時にとても悲しい決意。 彼女にとってこの世界では、信じられるのはたった一人、自分自身しかいないということだ。 そんな彼女が、学園長によって半ば無理矢理にではあるが、学園に留まることを決め、私は彼女の夜間外出の付添人をすることになった。他の先生方の中には、まだ一応彼女を警戒すべきと考えている方も少なからずおり、今夜の付き添いも気をつけるようにと矢羽が届いた。それには是と回答しつつ、私はそう彼女のことを信用ならないようには思えなかった。 彼女は自分に利がある訳ではないのにきり丸のことを助け、そのきり丸はあんなに彼女のことを慕っている。あのきり丸が、だ。彼女のことは知らずとも、きり丸のことはわかっているつもりだが、あいつはあんな風に、簡単に人の懐に飛び込むような性格ではない。そんなあいつが、会って間もない彼女にあれだけ心を開いている。それだけで私には、彼女がそう悪い者とは思えなかった。 今晩の付き添いについて、本当に申し訳なさそうに頭を下げた彼女に大丈夫だと伝え別れてから、委員会のことで伝えなければならなかったことを思い出して久々知のところへ赴いた。 そのまま久々知を伴って火薬庫に行けば時間はすぐに過ぎてしまい、夕飯がまだだった我々は食堂へと足を運んだ。 するとそこには、楽しげに食事をする彼女ときり丸がいた。久々知は最初、やはり彼女を警戒しているのか、少し強張った表情に見えたが、彼の大好物の話題になれば途端に表情が変わり、わかりやすいなと私も苦笑いを零した。その様子を見ていた彼女は、今度ゆっくり話を聞かせて欲しいと言葉をかけた。 彼女がもし、学園の敵から送り込まれた間者だとするならば、喜車の術を警戒すべきであろう。しかしその表情は決して貼り付けたものではなく、媚びを売るような様子でもない。まったくの本心で好きなものは好きで良い、そう笑っている。 敵と考える方が邪道、学園長の言葉を借りるわけではないが、これで彼女に騙されているなら仕方がないような気がした自分に、内心、少し苦笑いを浮かべた。 食後、良い時間となり、そのまま軽く身支度を整えての外出となった。 私は向かうべき場所への道を知らぬため、先導は彼女となり、私はその背を追う。やはり彼女はとても身が軽く、走るというよりは飛んでいると表現した方が適切かと思うほど、山道をまるで平地かのように、音もなくかけた。その様子を見ているだけでも、彼女の力が並みではないということはわかる。 この山に立ち入るのはもちろん初めてではないし、引率などもあってむしろよく立ち入っているけれど、彼女に導かれ、到着した目的の場所は、私の知らない場所だった。しかし、そこは神聖とも表現できるとても美しい場所で、そこで黙って月を見つめる彼女もまた、神聖で美しい存在に見えた。 結局彼女は、そこから何か情報を得られたわけではなく、それはとても残念なことだったけれど、その場で少しの間彼女と話をすることで、私は彼女へ疑念をほとんどなくすことになった。 彼女はとても繊細で、話す相手のことをよく考え行動できる、優しい人物だ。そして思っていたよりずっと……彼女は若かった。 学園を出た時よりも、少し近い距離で門をくぐり、緊張感で少し凝った身体を伸ばしていれば、その様子をじっと見られていることに気づいた。 「ん?何か付いてるか?」 「いえ…ええと、失礼ですが、…もしかして土井先生は胃の辺りが少し、弱っていらっしゃいますか?」 「…はは、よくわかったな。実は恥ずかしながら胃痛持ちなんだよ。は組の連中の勉強嫌いに悩まされてね」 「それはそれは…」 お互いに少し苦笑いでいれば、少し何かを考えるような仕草をしてから、彼女は私に近づいてきた。 「効果のほどはわかりませんが、少しだけ、じっとしていてくださいますか?決して、悪いことは致しませんので」 「?ああ、それは構わないが…」 「では少し、失礼します」 そう言ってから、彼女は何やら素早く手を動かし、そして私の胸より下、そう、件の胃の辺りにその手をかざし、目を閉じた。 一体彼女が何をしているのかはわからないけれど、そのかざされた手を中心に何やら少しずつ、じんわりと身体が温まっていくような気がした。それはとても心地良く、まるで布団に包まっている時のよう。 「はい、終わりです。いかがでしょう、少し痛みは引きましたか?」 「え?あ、本当だ、痛くない。でも、どうやって…」 「少し、乱れた気のようなものを整えました。ただ、これはおまじないのようなもので、その痛みの原因が解消されなければまた悪くなってしまうと思いますが…」 後半部分の言葉は少し困ったような顔をしていた彼女に、今彼女が何をしたのか、問い詰める必要性はないだろうと思ってしまった私は忍者失格だろうか。 「それは困った。きっとこの胃はしばらく弱ったままだろうから、またよろしく頼むよ、ヨウ」 「……仕方ないですね」 そう言って笑う彼女の顔は、今まで見た中では一番幼く感じた。 ……それから、彼女はおそらく敵ではないが、人誑しの気はあるように思う。 |