月明07

 食事を終えればもう良い時間になっていた。きり丸くん達とは食堂で別れ、わたしと土井先生はそのまま出かけることになった。
 そう遠いというわけでも急いで行かなければならないというわけでもないけれど、悠長に歩いていける距離ではなく、ある程度の速度で先導するように前を行けば、彼は一定の距離を保ってついてきてくれた。

「ここです」

 木々の隙間から少し開けたその場所に出れば、彼は驚いたように辺りを見回した。

「こんなところが、この山にあったなんて…」
「先生もご存知ありませんでしたか?」
「ええ。この山には幾度となく足を踏み入れていますが、こんな場所に出るのは初めてです。…きれいな場所ですね」
「そうですね」

 忍術学園の先生とて知らないこの場所。やはり何かあるのかもしれない。

「少し、そこでお待ちいただけますか?」

 頷く土井先生を確認してから、ゆっくりとそこの真ん中に立ち、空を見上げれば、今日もそこには月が輝いていた。ただし、その月は昨日よりもさらに少し、欠けたようにわたしには見え、この場に注ぐ月の光も弱まっているように感じた。
 わたしの世界で最後に見た月は、満月だった。きっと、満月なんだ。満月でなければいけない。
 よくわかりはしないけど、きっと次の満月の日、それが勝負の日になるだろう。それには何の根拠もないけれど、何故か確信にも似た感覚だった。

「…何か、わかりましたか?」

 遠慮がちに静かにそう問う土井先生に、いいえと小さく返した。
 これはわたしがそう感じているだけで、根拠は何ない。そんなことを人に言うほど、わたしは楽観的にはなれなかった。

「そうですか…」

 そう言った土井先生を見れば、とても悲しそうな表情をしていて驚いた。
 彼にとってはわたしなど傍迷惑な居候以外の何者でもないはずなのに、まるで自分のことのように悲しんでくれている。

「ふふ」
「え?」
「いえ、申し訳ありません。嬉しくて、つい」
「?何が…」
「あなたがわたしなどのことで悲しんでくださった。それはわたしにとって、とても嬉しいことです。土井先生はとても、お優しい方だ」

 そう言って笑えば、土井先生も困ったような表情で笑い返してくれた。

 そのまま学園に戻っても良いはずだけど、やはりそこを離れるのはどこか不安で、月が見えなくなるまでということでしばらくその場にいることを許してもらった。
 お互い隣り合った木に登り、適度な場所で腰を落ち着けた。やはり彼も教師とはいえ忍、外では地面より、この方が落ち着くのかもしれない。

「ヨウさん、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、わたしに答えられることでしたら何でも」
「あ、その前にまずはお礼をさせてください。ありがとうございました」
「え?何がでしょう」
「ああ、実は私、きり丸の担任なんです。昨日はきり丸を助けていただき、誠にありがとうございました」
「そうでしたか。いえ、わたしが好きでしたことですから、どうぞお気になさらず。それで、聞きたいこととは?」

 先を促せば、では、と土井先生は軽く下げていた頭を上げ、わたしの顔を見た。

「きり丸から、山賊に襲われた時のことを聞きました。あなたは山賊達に手を出さなかったにもかかわらず、勝手に逃げて行ったと言っていました。一体、あなたは何を?」
「ああ、そのことですか…」

 きり丸くんに問われた時は、確かごまかしたんだった。でも、子供のきり丸くん相手ならまだしも、大人で、尚且つ忍の先生をしているような人相手にごまかすのも難しい。
 言うしかないか、と諦めて少し苦笑いをこぼした。

「一応山賊側から身を引かせられないかと思ったんですが難しいようだったので、彼らには殺気をあてました」

 何かの命を奪う時、それが動物だろうと、人であろうと、必ず発するエネルギー、それが殺気。殺気は相手との力の差によって効果は異なるけれど、その差が大きければ大きいほど相手へのダメージは大きくなる。
 威圧感にも似た力ではあるけれど、このままこの相手と戦えば殺される、そのイメージが頭にこびりついて離れなくなる。それが殺気の持つエネルギーだ。肉体的にはダメージを負わなくとも、戦意を削るには十分な効力がある。もちろん、そうさせるには、そうさせるだけの力をこちらも発さなければならないわけであるが。
 つまり殺気とは、経験に基づく殺意の力。それを使えるということには、それなりの意味がある。

「そんなことをきり丸くんに言うには、まだ及ばないかと判断して、あの場ではごまかしてしまいました。申し訳ありません」
「そうでしたか…。それなら言いづらいのも当たり前です」
「…いえ、それはただの言い訳ですね。きり丸くんにもわかるように話して怖がられたり幻滅されたりする、それが嫌で、自衛のために言わなかったと言った方がおそらく正しいでしょう。偽善です。…わたしは彼が思うほど、優しい人間なんかではない」

 そう薄く苦笑いを零せば、土井先生は少しの間を置いて、ゆっくりとした口調で話し出した。

「私は、まだあなたのことはあまり良く知りませんが、きり丸のことなら結構知っているつもりです。あいつは勉強の方は得意ではありませんが、あれで頭の回転は速い方なんです。何も考えていないように見えて、結構人のことをよく観察している。育った環境のためなのか、結構疑り深いというか…。いえ、とにかくあいつは、初対面に近いような人にあんな風に懐くような性格ではないんですよ」

 言われてみれば、確かにきり丸くんからは少し、大人びた印象を受けることがあったようにも思う。ただ、わたしに接してくれるきり丸くんの態度からはそういう面は見えてこなかったため少し驚いた。

「ね、気づかなかったでしょう?それはきり丸が、あなたには普通の子供のように接しているからなんです。それはきり丸が、あなたを本当に優しくて信頼のおける人なんだと、心から思っているからだということです。あいつにそんな風に思わせることができたあなたが、優しくないわけない。少なくとも私はそう思っています」

 そう言って笑った土井先生の表情はとても優しい。そしてきり丸くんのことを考えて話していたのだろう、話の最中も少しずつ変わった土井先生の表情は、どれもまたとても優しかった。
 こんな人がそばで支えてくれる生徒の皆さんは本当に幸せだと、そう思えばつられるようにわたしも口元を緩めた。

「ありがとうございます。…きっときり丸くんは、あなたの教え子だからこそ優しい子なんでしょうね」
「え?!いやいや、そんなことは…」

 少し動揺させてしまった土井先生に笑みを深めてから、わたしの方も気になっていたことを聞いてみることにした。

「あの、わたしからも一つお聞きしたいことがあるんですが」
「ええ、何です?」
「土井先生は土井半助さん、というお名前だとお聞きしましたが、"土井"が家族名で"半助"が本人名ということでよろしいですか?」
「?はい、そうですよ」
「実は、わたしの世界ではあまり家族名で呼びかける習慣ではなかったんですが、こちらでは土井先生や、先ほど食堂であった久々知兵助さんも、みんな家族名で呼ばれているように思いました。こちらでは、皆さん家族名でお呼びした方が都合が良いのでしょうか?」

 まだこちらでは人との付き合いはあまりなく、名前を呼ぶような機会もあまりなかったけれど、今後は学園内で声をかける機会もあるだろうし、早い段階で確認しておきたいと思っていたところだったのだ。もしこちらでは名前を呼ぶことが失礼に値するようなことがあれば大変だ。
 聞けば、わたしの質問の意図を理解してくれた土井先生は、なるほど、と呟いて少し考えたあとに口を開いた。

「そういうことは考えたことがありませんでしたが、そうですね…。名前で呼ぶことももちろんありますが、それは家族や親しい間柄でのこのことなので、学園では基本的には名字で呼ばれることが多いような気がします。ただ私は、きり丸達担任している生徒のことは名前で呼んでいますが」

 なるほど、公私を分けて呼び名が変わるということか。ならばわたしは、ファミリーネームで呼ぶべきだろう。
 しばらくの間生活を共にするとはいえ、そう長く、深く付き合うわけではないはずなんだ、この人達とは。…だって付き合いが深くなればなるほど……。
 そんな思いに気づかないふりをして、蓋をするように目を閉じた。

「そうなんですね。でしたらわたしも家族名で呼ぶようにしたいと思います。…きり丸くんも改めた方が良いのでしょうか?」
「いや、きり丸のことは名前で呼んでやってください。きっとその方が、あいつも喜ぶと思います」
「そうですか?わかりました。おかしな質問をしてしまって申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。ヨウさんが知らないことが多いのは当たり前のことです。これからも何かわからないことがあれば、遠慮せずに何でも聞いてください」

 この方は本当に優しい人だ。社交辞令ではなく、本心からそう言ってくれているのがにじみ出ている。
 彼も含め、不用意に名前で呼んで不快にさせてしまう前に聞いておいて良かった。
 あと食堂で、どう呼ぶべきか迷ってあまり名前は呼ばないようにしていたけど、次は久々知さんにも話しかけてみよう。

「ありがとうございます。ところで少し気になっていたんですが、わたしに敬語は使わないでください。それに敬称もいりません」
「いや、しかし…」
「わたしはただの居候ですし、年齢的にも大人の方に敬語を使っていただくような年ではありませんから」

 わたしのその言葉に、少し考えてから、遠慮がちに聞かれたこと。それはわたしがよくされてきた質問だった。

「……女性にこのようなことをお聞きするのは失礼だと思いますが、ヨウさん、お年は?」
「いえ、構いませんよ。年は、もうしばらくで十七になりますが、今はまだ十六です」
「……え?!いや、え?!まだ十六?!」

 悪魔の実の所為でいつも年は上に見られがちで、この質問にこういう反応もそう珍しくはない。
 ただ驚きすぎてショックを受けたように固まってしまった彼に、何だか悪いことでもしてしまった気持ちになった。

「なんか、すみません…」
「え?あ、いや、こちらこそ…。ヨウさんはとても落ち着いているというか。大人びているというより、本当の大人と話しているような感じがして」

 彼のその直感は、間違いではない。
 ただ、それをこの世界で説明する術をわたしは知らないし、必要もないのだと思う。
 何れにせよ、本当の話をすることはできず、よく言われますと苦笑いを浮かべた。

「…さあ、もう月もすっかり移動してしまいました。今日はもう戻りましょう」
「そうで、…だな」
「ふふ、早速ありがとうございます」

 一度、空を見上げた。もう月はないけれど、ずっと見上げていた夜空がそこにはある。
 また、明日。声を出さずにそう告げて、少し先でわたしのことを待ってくれている土井先生のところへと向かった。

「お待たせしました。行きましょう」
「ああ。ところで、もしさっき、名前で呼ぶのを訂正しなければ、私のことは何と呼んだんだい?」
「そうですねえ。おそらく半助先生か、半助さん、とか」
「……」
「あ、申し訳ありません。もう今後は言いませんので」
「いや、そうじゃないんだ。…少し照れてしまいそうだけど、名前で呼ばれるのも悪くはないなと思ったんだ」

 言葉の通り、少し照れた様子で頬を軽くかきながら笑う土井先生。
 優しさと愛を生徒に注ぐ、とても素敵な先生。それがわたしが抱く彼の印象だけど、こんな風に普通の男の人みたいに笑っている彼も素敵だなと思ったことは心の内に留めて、わたしも笑顔を返した。

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