まことの友

 シンシア・カーライルはハッと目を覚ました。太陽は随分と高く上っており、自分が寝坊してしまったことを確信する。
 ガバリと飛び起きて、慌てて顔を洗いに行く。今日は9月1日、新学期である。11歳になったシンシアにとって、ホグワーツに入学する記念すべき日である。楽しみに心躍らせて、昨夜は中々眠れなかったのだが、まさかうっかり寝坊してしまうとは想定外である。
 わずかに癖のある髪にブラシを入れ、シンシアは身支度を大急ぎで進める。シンシアの両親は魔法使いである。父はダームストラング、母はホグワーツ出身で、シンシアの11歳の誕生日には二通の入校許可証が届いた。ダームストラングはより実践的で厳格な校風であり、かなり北端の寒い地域にあると父から聞いていた。自分で言うのもなんだが、シンシアはおっとりとした性格であるし、寒い冬より温かで芽吹きの季節である春や夏が好きだった。ダームストラングは合わない気がして(しかも入校する生徒のほとんどが男子なのだ)、ホグワーツに入学を決めたのだ。
 昨夜は4つあるホグワーツの寮でどの寮に組み分けされるのか、素敵な友達ができるか、と楽しみと不安が混ざりあい、そわそわと落ち着かなかった。何度もこの話を弟のレイヴィスにしたせいで、彼には鬱陶しい!と怒られてしまった。けれど、合わない寮に組み分けられても困るし、仲良くなれない子ばかりでは7年もある寮生活が悲惨だ。レイヴィスにも入校許可証が届けば、今の私の気持ちが分かるだろう、とシンシアは思う。レイヴィスも魔法の力を開花させているので、2年後の彼の誕生日にはきっと入校許可証が届くだろう。その時は彼の不安に寄り添ってあげよう、とシンシアはお姉さん風を吹かせる。
 とっておきのワンピースとローブに袖を通し、シンシアは一階に降りる。秋バラがつぼみを付ける庭が見えるダイニングには、既に朝食を済ませた家族が揃っていた。

「こんな日に寝坊かよ」
「もうっ!昨日は寝つきが悪かったの!意地悪言わないで!」
「はやく食べなさい。11時には汽車が出てしまうんだから」

 父に促されて、シンシアはささっと席に着いて、モーニングティーに口をつける。レイヴィスは男の子らしく少しやんちゃで意地悪だ。この一年はシンシアが入学することを自慢するつもりはなかったのだが、そのように彼には聞こえてしまったようで意地悪が加速している。父はクールであまり表情を変えないが、シンシアがホグワーツに入学を決めると、応援してくれたが母校に入学しないことを少し残念そうにしていた。実はとてもやさしくて繊細な人なのだ。一番読めないのは母だ。母は弟のレイヴィスには優しい母なのに、シンシアに対しては当たりがきつく、甘やかしてくれない。今も我関せずといった態度だ。
 シンシアが朝食を食べ終え、食後のティータイムもそこそこに出発の時間となった。ホグワーツ行きの汽車が出るキングス・クロス駅には姿現しで向かう。免許を持たないシンシアとレイヴィスは付き添いをするため、それぞれ父と母の手を取った。
 バーンと音がして、お腹がふわっとするような変な感覚がする。その後は周囲のガヤガヤとした雑踏の音と、地に足がつく安心感を噛みしめる。シンシアは魔法族の子として、付き添い姿くらましに慣れてはいるが、あまりこの感覚が好きではなかった。
 重いトランクを父が引き、母がレイヴィスと離れないように手をつないでいた。シンシアはわくわくと胸を躍らせて、真っ赤な汽車の傍を早歩きで進む。

「私、ホグワーツに入学するんだ…」
「それ何回目だよ」
「ホグワーツはこうやって向かうんだな。レイチェルもこの汽車に乗っていたんだね」
「……懐かしい、ですね。私が入学する時はシンシアと違って、少しナーバスになって居た気がします」

 ダームストラング出身の父はホグワーツについてあまり知らない。魔法学校の授業内容や所在地は秘匿されていることが多い。母の青春時代に触れられたことが少し嬉しそうだ。母も思い出の地に、いつもより饒舌だ。

「シンシア」
「なぁに?お母さん」
「貴方は心配しなくても大丈夫です。安心してお行きなさい」

 母が自分からシンシアに話しかけるのは、とても稀なことである。思わずシンシアは、少し戸惑って返事をした。ちろり、と横を見るとレイヴィスや父も目を丸くさせていた。

「はい、お母さん」

 珍しく気にかけてくれる母に、シンシアは胸が温かくなる。いつもはドライな母だが、少し不器用なだけなのかもしれない。きちんと自分を思ってくれていることを実感できて、何だか満たされるような心地だ。
 最高の気分でシンシアは家族とハグをして、汽車に乗り込んだ。汽車には、左右にコンパートメントと呼ばれる小部屋があって、早くしなければ誰かに相席を頼まなくてはならなくなりそうだった。


「ここも…。ああもう、どうしよう」

 シンシアは途方に暮れていた。汽車は先程出発した。けれどシンシアは空いているコンパートメントを見付けられず、廊下を重たいトランクを引きずりながら進んでいた。仲良さそうに話す先輩たちに水を差すのは忍びないし、男の子たちばかりのところに割り込む勇気もない。空いている席があって、新入生の女の子がいるコンパートメントを探す。
 シンシアは、息をのむほど綺麗な少女がひとりで独占するコンパートメントを見付けた。綺麗な少女は、気品を漂わせて本を読んでいる。仕草が洗練されていて、大人びて見える。先輩だろうか…。でも、他に空きがあるか分からない。早く重い荷物を降ろして、腰を落ち着かせたかった。その一心でシンシアは勇気を振り絞ってコンパートメントのガラス戸をノックした。

「あの…ここ、空いてますか?」
「ええ」
「その、ご一緒しても…」
「もちろんです」

 本を閉じ、自分の対面を勧めてくれた。少女の言葉遣いや所作は洗練されていて、育ちの良さが滲み出ていた。

「わたくしはエリザベス・ハワードと申します。1年生です。貴方も1年生ですか?」
「あ、うん、そう。私はシンシア・カーライル。よろしく…」

 ハワード、聞いたことがある。魔法族の中でも特に影響力の強い、貴族の家系だ。思わずシンシアの背に緊張が走り、ピンと伸びる。
 エリザベスは癖の強い艶やかな黒髪に、神秘的な紫の瞳を持っていた。アメジストのようでとても綺麗だ。肌も白くてそばかす一つない。よく見れば着ている服も上等な物で、貴族の風格に相応しい。
 シンシアは緊張で借りてきた猫のように縮こまっているが、エリザベスはとても気遣ってくれて沈黙が続かないように配慮してくれた。二人の話は自然とホグワーツの、特にこれから行われる組み分けの話になった。

「わたくしは家のこともありますから、スリザリンに組み分けされるでしょう。スリザリンの崇高さは誇るべきところですが、歴史的にあまり良い顔もされませんので、その点だけが心配です」
「私は…正直どの寮に組み分けされるのか見当もつかなくて。母はホグワーツ出身で、レイブンクローだったと聞いてるんですけど、母と同じが良いとかも特に思っていなくて。どちらかと言うと、その寮にいる人の方が大事というか…。7年も一緒に過ごすから、仲良くなれると良いなって思ってて…」
「ええ、そうですね。7年も一緒に過ごすのに水が合わないのはとてもつらいですから。シンシアのイメージとは少し違いますが、スリザリンは仲間意識がとても強くて、優しい側面もあるんです。選択肢の一つとして、考えておいても良いのでは?」

 スリザリンは狡猾、ずるがしこくて純血思想や貴族など古くからある魔法使いが多い。そして闇の魔法使いを多く輩出しているため、世間的なイメージはあまり良くない。確かにおっとりとマイペースなシンシアらしくはない。しかし、エリザベスの示した側面は、シンシアにとって心惹かれるものがあった。

「その、気を悪くしたら申し訳ないのだけど、スリザリンというと、旧家とか純血主義の家柄が多いと思うの。それについて、エリザベスはどう思っているの?」
「…わたくしは、家門を絶やすわけにはいきませんから、結婚相手には家格の釣り合う純血の旧家を望みます。けれど、血筋も大切ですが、尊ばれるべきは志しや誇りだと考えています。ですのでわたくしは、誇りを損なわない魔女でありたいと思います。そう言う意味では純血主義でもあり、実力主義でもあります」

 エリザベスの考えは、とても11歳の少女が持つものではない。ドイツには“高貴さは血筋にあらず、心にあり”という言葉があるそうだ。エリザベスの所作は貴族としての誇りを汚さないよう、エリザベスが努力して身につけたものだ。エリザベスが高貴に見えるのは生まれではない、この努力にあるのだとシンシアは気付き感動した。

「私も、私はスリザリンらしくないと思うの。だけど、エリザベスがいるなら、スリザリンで過ごす7年間はとても素敵だと思うわ」
「それは…嬉しいですね」

 エリザベスが年相応らしい、少し照れくさそうな優しい笑みを浮かべた。


 大広間の天井は星がきらめく夜空で壮大だった。ずらりと並ぶ四つのテーブルは寮ごとで、赤黄青緑のネクタイをした上級生たちがこちらを見ていた。

「同じ寮でも、違う寮でもこれからよろしくね」
「ええ、もちろんです」

 エリザベスが返すと同時に、副校長のマクゴナガル先生が一年生の名前を呼んだ。名前順に呼ばれていく。シンシアは自分の順番が近づいて、隣にいるエリザベスに心臓の音が聞こえてしまいそうなほど、緊張していた。

「シンシア・カーライル!」

 シンシアは、思わずビクッと肩を揺らす。そろそろと他の一年生の隙間を縫って前に躍り出た。マクゴナガル先生がきゅっと唇を引き結び、スツールを示す。シンシアが座ると、すぐにそっと組み分け帽子が頭にのせられた。

「優しい君はハッフルパフでもやっていけるだろう。だが、私は今度こそグリフィンドールを勧めよう」

 組み分け帽子の意味深な言葉にシンシアは戸惑う。横目に見えるマクゴナガル先生の手に力が入って、一年生の名簿である羊皮紙がくしゃりと音を立てていた。わずかに震えているようにも見える。マクゴナガル先生がグリフィンドールの寮監であることが関係しているのだろうか。
 シンシアは混乱した頭でぐるぐると思考を巡らせる。一年生たちの中に、どこか悲し気な瞳をしたエリザベスが見えた。その瞬間、ハッとする。スリザリンとグリフィンドールの仲は、ホグワーツが創設された時から最悪なことで有名だ。今も軋轢が続いている。シンシアがグリフィンドールに組み分けされれば、スリザリンに組み分けされるであろうエリザベスとおおっぴらに仲良くするのは、エリザベスの立場を悪くしかねないため難しいだろう。そう思うとグリフィンドールが途端に嫌になった。

「私、スリザリンが良いです」
「ふぅむ。今度も君はそうなのか」

 え?と聞き返す前に、組み分け帽子がスリザリンと叫んだ。スリザリンのテーブルがわっと沸いた。

「また真の友を得られるだろう」

 組み分け帽子がマクゴナガル先生に取られ、スリザリンのテーブルに向かおうとした時、その言葉がシンシアの背に投げかけられた。組み分け帽子のしわがれ声は、何とも言えない含みを帯びていた。
 気を取り直して、スリザリンのテーブルに進む中、エリザベスに向けて満面の笑みを贈る。待ってるね、という気持ちは伝わったのだろう。エリザベスがアメジストの目をきらりとさせた。

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