震える箒

 今年スリザリンに組み分けされたのは、男女4人ずつの計8名だった。シンシアはエリザベスと言わずもがな一番仲良くしているが、他2人の女子とも仲良くしている。
 ローズマリーは本が好きで図書館に早く行きたいと息巻いて、フレデリカは面倒見が良い上に貴族としての所作が洗練されている。自慢のルームメイトだ。

 スリザリンの寮は地下にある。湖に面しているため、水に反射した柔らかい光が、落ち着いた雰囲気の談話室を照らす。創始者であるサラザール・スリザリンのセンスか、かつての寮生が持ち込んだ物か分からないが、調度品も一級のものであり洗練されている。
 寮は4名で1つの部屋を用いる。シンシアたちの部屋は談話室と同様に一級の家具が持ち込まれていた。ベッドも美しいドレープのある天蓋がついていて、どれもスリザリンのグリーンがモチーフではあるが、色味やデザインが異なるためまずは自分のベッドを決めることになった。
 この部屋は全員が魔法族であるため、なんとなく貴族社会に即していた。最も家格の高いエリザベスが形式的に一度辞退したが、最初にベッドを選んだ。次にフレデリカが。次はローズマリーの番だったが、特にこだわりがないとのことでシンシアが選んだ。
 シンシアは残る二つのベッドを見比べる。一つは深い緑のベルベット生地の天蓋で、横にあるデスクには彫刻が施されており、セットの椅子はクッションがふかふかそうだ。
 もう一方は淡い緑の薄い生地と遮光性の生地が折り重なった、色々な草花が刺繍されている天蓋。デスクはシンプルだが足などに装飾のある物で、揃いの椅子がなんとも華奢な印象である。

「私はこっちにするわ。天蓋の刺繍が気に入ったの。ローズマリーは本が好きだから、こっちのデスクの方が長く読んでいられると思うんだけど、どうかな?」
「私はどちらでも良かったけど、確かにこっちの椅子はふかふかそうで気に入ったわ」

 その日は荷物の片付けに追われた。ドレッサーに身だしなみを整えるものを並べ、クローゼットに衣服を詰め、デスクに教科書や筆記用具などを仕舞った。ホグワーツ特急はお昼から日が暮れるまでの長旅であったし、その後も組み分けで緊張し、片づけを終える頃にはみんなくたくただった。
 シンシアたちは早々にベッドに入り、あっという間に眠りについた。


 シンシアたちがホグワーツに入学してしばらくが経った。一通りの授業を終えて、なんとなく先生と科目のクセを掴んできた。フレデリカはまじめな性格をしているし、エリザベスは主席を目指すと熱意に満ちている。ローズマリーは授業よりも物語が重要なのか、勉強は最低限するマイペースっぷりだ。シンシアはそんなに勉強が好きというわけではないが、一緒にいるエリザベスに触発されて真面目に取り組んでいる。
 存外熱心なシンシアたちを見て、一つ上のユーフェミアがよくノートを見せて予習に付き合ってくれる。ユーフェミアは女性的な柔らかく繊細な所作であり、去年は主席を修めただけあって、エリザベスの憧れだ。

「元気を出して、シンシア。ほら、とっておきのお茶を淹れたから」
「ありがとう、フレデリカ」

 フレデリカが淹れてくれた紅茶は美味しい。今日はシンシアが沈んでいるからか、とっておきの茶葉に、とっておきのウェッジウッドのカップを使ってくれている。口をつけると温かな美味しさにほっとするが、それでもシンシアの気分は上向かない。
 シンシアの気分をこんなにも沈ませるのは、今日ある授業の一つが憂鬱だからだ。シンシアは箒に乗るのが壊滅的に苦手なのだ。魔法族として幼い頃から遊びで箒に乗ることはあった。それでも足が地に着いていないと落ち着かないし、地上から離れれば離れる程不安定になるのだ。

「魔法族として箒にロクに乗れないなんて、私はスリザリンの恥さらしよ」
「そういう風に自分を下げるのはよくないわ。誰にでも苦手なことはあります」
「エリザベスの言う通りよ。シンシアは箒に乗れないわけではないわ。ゆっくりであればちゃんと浮いて移動できるじゃない」

 エリザベスとフレデリカに励まされ、ローズマリーに優しく背を押されながら、飛行訓練を行う会場に向かう。

「(ああ、なんだか嫌な予感がするわ)」

 シンシアの嫌な予感は的中することとなる。
 魔法の宿る道具には意思が宿ることがある。ホグワーツで用意される箒は随分古いもので、物によっては箒のくせに高い所が苦手で震える箒や、左に寄る癖のある箒だったり、色々な箒がある。
 シンシアが引いた箒は、よりによって高い所が苦手で震える箒だった。マダム・フーチの示す高さまで登れたのは良いが、箒が震えだし、シンシアもいっぱいいっぱいになって居た。そのまま周回するようマダム・フーチが指示を出し、みんなが思い思いのスピードを出して周回しだす。

「きゃあっ!」

 誰かが猛スピードでシンシアの横をすり抜けた。その風圧に驚いて、シンシアはバランスを崩した。緊張で手汗をかいていたこともあり、しがみついて耐えることも出来ずシンシアは転落した。
 身体が空中に投げ出され、ふわっと浮遊感が一瞬。その後は落下に伴う風が耳元でびゅうびゅうと五月蠅かった。恐怖のあまり悲鳴も出ず、身体をぎゅうっと硬くした。
 エリザベスの名前を呼ぶ声、フレデリカの悲鳴が遠くで聴こえた。みんなにはシンシアの周回スピードは遅すぎるから、先に行くように促したのがこんな風に裏目に出るなんて。

「シンシア!!!」

 知らない男の子がシンシアを呼んだ。誰、と考えるほどの余裕はシンシアにはなく、その後ドンという衝撃と落下が緩まったことに安堵して、ようやく考える余地が生まれた。
 シンシアは縮こまっていた身体の力を抜き、恐る恐る目を開ける。シンシアを見下ろす心配そうなグレーの瞳、白い肌、ほんの少し癖のある黒髪、深紅のネクタイ。合同授業で何度か見たことのあるグリフィンドールの男子生徒だ。優秀だった覚えはあるが、名前までは知らなかった。
 男子生徒はシンシアを抱えたまま、ゆっくりゆっくりと降下していき、そっと地面に降ろした。シンシアの身体はがくがくと震えており、地面に足がついても膝が笑ってしまい立っていられなかった。そんなシンシアをそっと支えて、何とか立たせてくれる。

「あぁ!シンシア!」

 真っ先にエリザベスが駆け寄ってくる。エリザベスは顔を青くさせながら、シンシアに怪我がないかを確認する。少し遅れてやってきたフレデリカとローズマリーは顔色が悪いし、余程怖かったのか目に涙を浮かべている。

「だ、だいじょうぶ…」

 シンシアはなんとか安心させようと声を出すが、それすらも震えてなんともか細い声だった。ぎゅ、と助けてくれた男子生徒が支える腕に力をこめた。温かで力強いこの腕に助けられたのだ、支えられているのだと実感でき、ほんの少し冷えた体に熱が戻る。

「Mr.ベネットでしたよね?本当に、本当に感謝します」

 エリザベスが彼の名前を呼んで、思い出した。彼の名はレギュラス・ベネットだ。

「そんなに畏まらないでください。僕が助けたのは当たり前のことをしただけですから」
「いいえ、それでもです。Mr.ベネットのおかげでシンシアが、私の大切な友人が、怪我をせずに済みましたもの…」

 そうだ、お礼を言わなくては。シンシアは後ろから支えてくれているレギュラスを省みる。シンシアより少し高い所にある顔は、優しい笑みを浮かべている。声を出そうとするが、上手く形にならない。
 そんなシンシアを見て、レギュラスは心配の色を濃くする。

「怖かったですね。まだ顔色が悪いですし、こんなに震えて…。マダム・ポンフリーの元へ行って、温かいココアでも飲んだ方が良い」
「そうですね、それがいいですわ。マダム・フーチ、このままシンシアを医務室にお連れしてもよろしいでしょうか」
「良いでしょう。ただし、Ms.ハワードはMs.カーライルを支えられないでしょう。そのままMr.ベネットにお願いします」
「畏まりました。Ms.ハワード、貴方の大切なご友人は僕がお連れします。よろしいですね?」
「エリザベスとお呼びください。どうか、お願いします。休み時間になったら、迎えに行きますから、待っていてね」

 レギュラスはとても丁寧で紳士的だ。そんな彼だからだろう、普段は絶対に自分からエリザベスと呼ばせないのに、許可を出した。最後にエリザベスはシンシアの手を取って、約束してくれた。
 レギュラスに促されて、シンシアはなんとか歩き出す。とんでもなくゆっくりして、ふらふらとした足取りだったが、レギュラスは急かすことなくそれに付き合ってくれた。

「あの、ありがとうございます」
「いえ、とんでもないです。当然のことをしただけですから」
「あの、私、シンシア・カーライルと言います」
「僕はレギュラス・ベネット。グリフィンドールとスリザリンだけど、仲良くしてくれると嬉しいです」
「寮は関係ないわ…。だってレギュラスは、スリザリンとか関係なく助けてくれたもの」

 医務室に着いてしまったので、レギュラスとのおしゃべりはここまでになってしまった。
 マダム・ポンフリーはシンシアの真っ青な顔に、まあまあ!と驚いたが、すぐに優しくベッドに座らせて温かいココアを渡してくれる。優しく訳を聴き出し、怖かったでしょうと背中をさすってくれる。
 その日はスリザリンの寮生みんながシンシアを心配して甘やかしてくれた。みんなの過保護っぷりがくすぐったくて、でも嬉しくてたまらなくて、ちょっぴり飛行訓練も良いものだなと思ってしまったシンシアだった。

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