悪魔、養うことになりました



あー、ついてないついてないついてない!
目覚まし時計はなぜか1時間遅れて時を刻んでいたため寝坊したし、タッチの差でバスには乗り遅れるし、仕方ないから自転車かっとばしてバイトに向かったら今日はお客さん少ないからと出勤取り消されるし。バイト先から電話が入っていたようだが携帯は家に忘れてきたし。気分転換にスーパーに行ってアイスを買おうとしたら財布も家に忘れていたし。仕方ないから何も買わずに帰ろうとしたら自転車はパンクするし。やっと家に着いたぞよし鍵を開けよう、と思ったらバチッと静電気は走るし。今ここ。
今日は厄日だ、もう最悪だ。一体私が何をしたっていうんだ。神様はどうしてこんな仕打ちをするのだろうか。
今日はもう家から出まい。どうせバイト以外で予定もないし、ゆっくり休もうじゃないか。ああ、それにしてもこのやり場のないイライラはどうすればいいんだよ。

「わっかるなー、君の気持ち」
「え?っ近っ!!」

突然耳元で男性の声がした。咄嗟に声がしたほうを見ると真横に見知らぬお兄さんが立っている。
目の前のお兄さんは、鼻と鼻がぶつかりそうな距離でニヤニヤしながらこちらを見ている。近すぎるわ。こんなに近づかれていたのに気づかなかったって危険だよ、忍んで来たってことでしょ?不審者?
一歩後ずさってまじまじとその人を見る。頭には三角の触覚、そして後ろから覗いている黒の尻尾のようなもの。赤い瞳に口元に光る鋭い歯。まるで悪魔のような出で立ちだが、今日はそういうイベントがある日なのだろうか。思考を巡らせるが、悪魔が訪問するようなイベントは聞いていない。悪魔のコスプレをした人が家に来るってハロウィンくらいじゃないかな。今真夏ぞ。

「今日は本当についていなかった可哀想なお姉さん」
「初対面で失礼だな」
「でもそうでしょ?朝からずっと良くないことが続いていたんじゃないの?」
「……まぁ」
「俺がどうにかしてあげようか?今なら見返りも安くすむよ?」

ピンときた。きっとこれは詐欺か宗教かどちらか定かではないが、私を何かに勧誘するために来た人である。なんて厄介なものに出くわしてしまったのだろう。こういうのは関わらない方がいい。話を聞いて断りにくい雰囲気出されても困る。場合によっては本とかを渡されてまた後日回収しにくるので、って次回のアポまで取られるからな。さっさと家に入って無視するのがいい。
相変わらずニマニマとこちらを見つめる怪しいお兄さん。私がドアに手をかけても特に何かを仕掛けてくる様子もないので、そのまま扉を開き、素早く家に入り扉を閉めて鍵をかける。

「脱ぎ散らかした服を踏んで転び、おでこを机にぶつける」

扉を閉める間際、そんな嫌な言葉が聞こえたが意図はわからない。
変な宗教勧誘も待ち伏せしていたし、本当に今日はついていない。絶対全チャンネルで私の占い最下位だな。朝からこんな調子だと萎えるね。まだ今日は半日以上残ってるというのに。もう今日はお昼食べたら寝よう。こういう日は何もせず大人しく寝るに限る。
そうだ、どうせもう外出しないしお風呂も入っとこうか。炎天下で自転車こいだから雨に降られたのかってくらいビショビショだもの。
私はお風呂あがりに快適に過ごせるようクーラーをつけた。そして服を脱ぎ、下着姿で部屋着と新しい下着を準備し、風呂場へ向かう。
その途中、先程脱いだ服に足を引っ掛け私は前方へ飛び込む。風呂に入るのにもこんな仕打ちかよ!とっさに手を伸ばし受け身を取ろうとするが、運の悪いことに着地場所には机。私は華麗に身を翻す、ことなどできずそのまま机におでこを強打。いつ以来だろうか、こんなに強烈な痛みを感じたのは。打ったところを手で抑える。痛い痛い痛いよこれ!!おでこ削れたんじゃない?大丈夫?血出てない?骨飛び出してない?さすってみると血は出てないが、これはきっと赤くなっている。し、あとから腫れてくるだろう。いい歳しておでこにたんこぶとか恥ずかしい。私がいったい何をしたっていうんだよ、くそっ、くそっ!
涙で視界を曇らせながらも私はまたお風呂に向かう。どこにもぶつけられない苛立ちやおでこの痛みを発散するべく力を込めて一歩一歩踏み込むが、当然ながらズキズキとした痛みもイライラもおさまらない。仕方ないので脱衣場で下着を脱ぎ捨てたあと、ガラガラガラ!と戸にも乱暴に当たった。

「どう?俺の言った通りでしょ?」
「っぎゃあああああ、ってわっ!!」
「おっと」

風呂場に踏み出していた右足は、いるはずのない人物に驚いたことで床を滑り、支えられなくなった体はまたも宙を舞う。と思っていたが、とっさに支えられ先ほどのような事態にはならずにすむ。
転ばず済んだものの未だに鼓動は速い。そりゃそうだよ、ここは私が1人で住んでいるアパートで、この人はさっき玄関先で別れた怪しい人で、私は玄関の鍵をしめていて、私はいま裸ん坊である。そうだよ裸なのよこっち見んな!!
少しでも見られる範囲を少なくしようとしゃがみこみ、キッと怪しい人をにらみつける。

「あんた、どうやって、いやちょっとその前に出てって!出て行かないと叫ぶよ、警察呼ぶよ!!」
「まあまあ、そんなカッカしないでさあ、ちょっとゆっくり話し合おうぜ」
「はあ?私裸なんだけど!!」
「なんだ、そんなこと?それっ」
「は?」

怪しいやつが指をパチンとならしたとたん、私は先ほど脱いだはずの服を身にまとっていた。いやいや、おかしいでしょ。そんなことある?もしかするとそもそも私、服脱いでなかったのでは?なんだ私ってばうっかりさんだなあ。服着たままお風呂に入ろうとするなんて。

「そんなわけないじゃん、俺俺、俺がやったんだって。どう?すごいでしょ」

にししっと笑う怪しいやつ。俺がやったってどうやってやったのさ。あなたマジシャンだったの?あ、だからうちに侵入もできたのか。と、まって、こいつ、私が声に出してないことに対して返答した?それもマジシャンだから心読めちゃうってこと?超上級マジシャンじゃん。

「おっしぃー!たしかにマジシャンみたいにすごいんだけど、俺、悪魔なんだよねー」
「そういう設定なんだ」
「違う違う、本当!この格好見てわかんない?!」
「コスプレってことでしょ」
「いやいや、尻尾も自由に動かせるんだよ!それに君が転ぶの、俺予知してたでしょ?君今日ほんっとうについてないんだよね。このままだとさ、夜までに体ボロボロになっちゃうよ?もしかしたら打ち所悪くて病院行きかも」

情報処理が追いつかない。
1つずつ追っていこう。
まず、怪しい人物はマジシャンもとい悪魔である。根拠としては私の未来を予知していたこと、かな。確かに、転ぶよ、とかではなく、脱いだ服に躓いて転ぶ、と詳細に予知していた。こいつが何か物を置いてそれに躓いたとかではないため、的確に述べることは不可能。なるほど。悪魔であるかどうかはわからないが、コスプレでないとすれば出で立ちも所謂世間一般の悪魔像である。
そしてもう一つ、とんでもないことを言われたけれど、私の不運がこのまま夜まで続くってこと?既に酷い仕打ちを受けているというのに?しかも最悪病院行きだと?
先ほどの予知の話があるから、ちょっと鼻で笑い飛ばすことはできない。えぇ、ただ寝て過ごそうと思ってるだけの私に何が起きるの。強盗でも入って殴られるの?痛いのも怖いのも悲しいのも嫌だ。なんで私がこんな目に。

「わかるよわかる、理不尽さに嫌になっちゃうよね。でもさ、そんな君に救いの手があるんだ」
「救いって、天使でもくるの?」
「はあ?天使?そんなやつ呼んだらロクなことになんないから。そうじゃなくて、俺!俺が君を助けてあげるよ」

ニコッと笑顔で両手を広げている姿は、頭の触覚や尻尾を除けば、神々しい天使に見える。だが騙されてはいけない。目の前のこいつは悪魔だ。そう、あくまで執事、じゃない、そんなイケメンじゃないよこの人は。ただの悪魔。ちょっとかわいい顔はしてるけど悪魔。悪魔って人の弱みに付け込んで魂とか取るんでしょ。代償が大きすぎ。そもそも天使ならまだしも、悪魔なんて信じられないよ。

「あちゃー、それはさ、誤解だよ!確かに見返りは求めるけど、今時魂なんか取らないって!それに、天使の方が酷いからね?あいつら救いの手をって言って天界に連れてっちゃうよ?意にそぐわなかったら即地獄に落としてくるよ?そんな奴らの方が信じられないでしょ?見たことない?なろう小説。天使とか神って結局死んでからとか痛い目見てからじゃないと助けてくれないの。その点悪魔は良心的!」

天使がひどい言われようである。確かになろう小説って、大抵事故とかで亡くなってそのまま転生、けれど選りに選って悪役令嬢?!みたいなのが多い。これは多分私の見ているジャンルの偏りがひどいんだけど。けど、そう考えてみると存外天使って呼ばれるものも良い存在ではない?もしこの悪魔の言う通りであれば、私は来世へご招待、ということだ。勘弁してくれまだ今世を楽しみたい。来週に友達と予約しているスイーツブュッフェに行かずして死ねない。目標が小さいな。
だが、悪魔が見返りを求めるというのも事実ではあるらしい。見返りに魂はとらないけど多額の費用とか取られても割に合わないよ。それはただの闇金。

「そうそう、見返りね。これは悪魔や契約者によって変わるんだけど、俺の場合はもう超お手軽!同棲してニートでいさせて、ってだけ!」
「ニート?」

ニートってあの、別名自宅警備員のあれ?悪魔にニートっていう概念があるんだ、働いてないのに。私は今日の無事を得るために、ニートを飼わなきゃいけなくなるの?それって等しい対価なのか。そもそも私は人1人養えるほどの大金はない。ありがたいことに、家賃光熱費は父母が払ってくれているが、食費や大学で必要な教材、遊ぶお金は自分のバイト代から出している。貯金も少しずつできているしカツカツというわけではないが、だからといってプラス大人1人分の出費は無理だ。となるとその対価もちょっとわたしには無理難題な感じするなぁ。

「大丈夫大丈夫!俺、君らが食べるようなものは摂取しなくて平気だし、まあ代わりのものはたべるけど、それもただですぐ手に入るし、布団も一緒の布団でいいし!なーんも困ることないって!あと、君の今日のとんでもない不幸を助けられるのは俺だけだらね!病院行きをちょっと部屋シェアするだけで回避してもらえるなんて、こんなにいい条件ないと思うよ?」
「ふーん……。まあ、お金がかからないなら別に住んでてもいいけど。布団は狭いからソファで寝てね」

まあ、食費とかもかからず、家にいるだけなら別にいいか。それより自分の身の安全のほうが大切だ。悪魔に人間の住処がいるのは意味がわからないが、そういう気になるところもこれから聞いていこう。それより了承したのではやく私の安全を確保して。

「じゃあ契約成立ってことで!君の不幸を回避してあげる代わりに、俺をニートとして養うってことで!」
「養う?まあ、そうなる、のか?あ、因みにいつまで?」
「とりあえず俺が飽きるまでかなー。まあでも、今までの生活に話し相手ができたな、くらいの気持ちでいいから!あんま考えなくても大丈夫だぜ。じゃあ、この紙に名前書いて」

そう言うとこいつは懐から紙とペンを取り出し渡してきた。契約書と上部に大きく書かれ、下には次のように記されていた。

「さくら(以下「甲」という)と悪魔おそ松(以下「乙」という)は、以下の通り契約を締結する。

@乙は甲の危険を回避する。
A甲は乙を養う。」

あとは日付と名前を記入するところ。契約書とは言っても随分簡素なものらしい。一瞬、ん?と思ったが、あいつは心が読めるらしいので考えないことにした。
渡されたペンでさらさらと名前を書き終える。

「じゃ、契約成立!よかったねー、これで生き延びられるねー」
「一度でも危険回避できなかったら追い出すからね」
「おー、こわいこわい。まあ大丈夫だからさ、安心しなって!」


結果として同棲することになってしまったこの悪魔。摂取するものなどはっきりしていないことがいくらかあるのが気にかかるが、背に腹は変えられない。自分ファーストで生きていこうと思う。


ーーー
続くはず
2023.12.15




 

backtop