春が心を支配する。都合によって形を変える人という存在に、それでもいいよと手を差し出す余裕を消し去る。

「・・・あ、」
「まだいたんですか?」
「名前が残ってるかなって思ったから」
「、そうですか」

急に冷えた夜に肩を竦めて諏訪部さんが笑う。開いていた携帯をしまって、わたしに合わせて歩こうとした諏訪部さんに、特に理由も問わずそのまま足を進める。

「疲れてる?」
「そんなことないですよ」
「えー。顔ぐったりよ?」
「諏訪部さんには、そう見えるだけです」
「じゃあ、なんで目が赤いの?」
「・・・なんなんですか、諏訪部さん」
「、やっとこっち見た」
「・・・、」
「きついならきついって言えばいいのに」

歩むのにはいつも意味がある。わたしは何かを証明したくて必死に歩いている。実力とか人気とか志とか、わたしはこの進む道の先でそれを確かなものにしたい。だから振り払わないといけなかった。こうやって甘い手を差し出してくれる諏訪部さんだって、今はその歩みを阻むものだ。

「きつくないですよ、」
「・・・ふうん」
「さっきはちょっと堪えましたけど、もう何も無いですし」
「それで?」
「、嫌なこと言われるのは慣れてるんです。なので諏訪部さんの心配には及びません」

遠回しに、ほっといてほしいと言った。あの先輩は、直接的にわたしを煩わしいと言ったけど、それは深く気にしないことにした。良くしてもらっていたと思っていたのは、勘違いだった。少し出たらやっぱり打たれるしかないのだろうか。杭に例えられる人は、そうやって打たれて、いつか立派に折れないようになるのか、わたしにはまだよく分からない。

「それでー?」
「それで、って」
「悲しかったんでしょ結局」

歩んでいた足が止まる。諏訪部さんの顔はあまり見たくなかったので、ずっと俯いたまま。分かった口をきく諏訪部さんは苦手だ。それがあまりにもわたしの的を得た言葉なのも、わたしには全然面白くない。

「はい。とても」
「・・・」
「なので、帰らせてもらっていいですか」
「送ってく、」
「大丈夫です」
「だめ。送る」
「・・離して、くれませんか」

肘あたりが、妙に熱を持っていた。諏訪部さんの甘い香水の匂いがふわついて、ざらついた心臓のひだを平らにさせようとする。やめて。その熱は、本の中の蛇みたいな、どうしようもない誘惑だということくらいわかっている。

「そんな顔した子、1人にさせれない」

諏訪部さんの力は、思ったより強かった。強く引かれた身体が行き着く先は諏訪部さんの胸の中で、そこは思ったより温かかった。背中に巻きついた腕はあまりにも、楯突くわたしを受け入れてしまおうと1歩もひかない。

「・・わたし、煩わしいんです、」
「へえー。そうなの?」
「、離してくれないんですか」
「俺はそう思ったことないからなあ、」

諏訪部さんが差し出す手は、わたしが受け取れるほど汚くない。甘やかそうとする厄介な手にこの身を預けたところで、残るのは諏訪部さんの優しさで、その優しさはやがてわたしの睫毛を濡らすのに。

@@春に代わる、居場所をあげる





ALICE+