日野さんは、わたしを愛したいと言った。わたしは嬉しかったので、ふたつ返事でそれを了承して、それからぎゅうっと抱きしめられた温度にすべてを任せたの。

「どこに行きたい?」
「んんー2人でならどこでもいいですよ」
「アバウトだなあ、」
「じゃあ、日野さんの部屋」

わたし達は少し似ているところがある。それに気づいたのは最近で、全てはぴたりと肌と肌が触れ合ったあの日から。わたしも彼も面倒くさがり屋だ。そしてわがままをあまり言わないくせに、たぶんわたし達は強欲なんだと思う。

「えーまじで?」
「いやですか、?」
「いや、全然いいけど」
「やったあ」

雨上がり。時おり強い風が吹く夜。能天気な春の匂いが雨雲に押し負けて、清々しい気分になる。甘ったるいのは嫌い。だからといって辛いものが好きな訳では無いけど、さっぱりした少しのスパイスが効いているのなら、やっぱりそれがわたしの好みかもしれない。

日野さんとの足取りは軽く、こつこつとなる足音がたまに水溜りに浸かって、ちゃぽんと間の抜けた音を出す。その度に大丈夫?と心配をする日野さんはありきたりなのに、自分だけに向けられているその特別感だけで、もうわたしはお腹がいっぱい。

「いつの間にか雨止みましたね」
「ね。いつ止んだんだろう」
「まだ道が濡れてるからすこし前って思ったけど、夜だから分かんないですね」
「まあ出る前に止んで良かったけど」
「そうですね。歩きやすい」
「それに手も繋げる、」
「、いやん突然」

つまらないことを言ってふふふと笑うその丸みを帯びた音は、なんだかとっても間抜けでさっきの水溜りみたいだと思った。浅くて邪魔にはならないけれど、嵌るたびに音を出してなにかの主張をしてるみたい、なあんて。

「名前の手、小さくない?」
「日野さんが大きすぎるんですよー」
「ええーそうか?」
「はい。ほら、隠れちゃう」
「ほんとだ」
「すっぽり、」
「なんか、ちっちゃいとさ、守りたくなるよね」
「お、男らしい発言」

手と手をわざわざ合わせて子供じみた行為を繰り返す。その手の中にあるのは確かな幸福感なので、日野さんの指先に付いた銀色には知らないふりができた。何度も握って握りしめて、その熱でいつかそれは剥がれちゃう、ただの虚像ですもの。

「男だからなあ」
「まあ、守ってくれなくてもいいですよ。日野さんが離さないでくれるなら」
「え、それって意味同じじゃない?」
「違いますよー失敬な、」

日野さんは無頓着でいい。やがてわたしが全部それさえ丸め込んで、温かく受け入れてあげるから。むむむとわざとらしく頬を膨らめたわたしに、日野さんはなんだよと笑いながら頬に手を伸ばしてそれを仕舞う。それでは足らず、ついでに頭に手を乗せてよしよしとあやす日野さんは可愛らしすぎて、幸せとかいう安っぽいもので表すのはとても勿体なかった。

「ほんと、可愛い」
「日野さんの方が可愛いですよ?」
「んなことはないわ」

日野さんはわたしみたいな愛人を作ったから強欲。愛人の分際で奥さんを出し抜こうとするわたしはもっと強欲。だからやっぱりそんなわたしには、腑抜けた春より星も月もない暗雲の夜のほうが居心地よい。

「・・ちょうだい」
「ん?」
「日野さん。」
「え、わ」

でもそれでいいの。本能がそれを呼び起こしたのなら、それに抗うのは面倒この上ないし、それに、あなたが差し出すんだったら甘々なケーキだってなんだって、ぺろりといただけますもの。

@@卑しい女の主張





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