浅沼さんに渡したグラスは、温めたワインにシナモンとリンゴの良い香りがする。それを受け取った浅沼さんの横にピタリとついて、わたしはより甘いお酒を手にしている。

「寒くないですか?」
「いや、大丈夫」
「そ、ですか」
「・・・もしかして寒いの?」
「少し」
「ブランケット掛ければ?」
「そうします」

疲れを癒すのは甘味と心地よい静かな音。無理をすると身体にガタがくるほどには若くなくなった。分かっているのに情けない。月のいない夜空を見ながら、雨音が聴こえる過程を静かだと感じながら、甘ったるい酒をゆっくりと身体に流し込む。

「べつに部屋に戻ってもいいのよ?」
「んんー、いや、凍てつくほど寒いわけじゃないから大丈夫です。だって、2月にしては暖かいですよね?」
「まあいつもに比べたら、そうだなあ」
「だから平気です。たまにはベランダで酔いたい、」

2月のくせに、どことなく漂う春の気配がわたしの何かを刺激していた。なんとなく丸みを帯びたそれは、ふらりとわたしの鼻腔を通って肺あたりで変に重くなる。もう少し冴えた空気を味わっていたかった。無慈悲な冬の痛みの方が、はっきりしていてわたしは好きだったのに。

「たまにはこういうのもありだね」
「でしょう?雨っていうのも一興」
「まあ濡れるのは嫌だけど」
「そうなったらさすがに戻りましょう。風邪をひく」

浅沼さんとひじをくっ付けながら、ベランダで静まる夜を眺めている。見下ろす都会の夜はきっと空虚。そこにたくさんの輝きや交じり合いがあったとしてもそれは所詮お飾りで、いずれ来る朝焼けがすべてかき消していく。息を吐いてグラスに口を付ける間に、かちかちと放たれていた光がひとつが消えた。流れ星よりも確かなものが、またひとつ消えたのだ。

「わたしね、夜の雨好きなんです」
「ふうん」
「浅沼さんは?」
「俺も嫌いじゃない」
「なんだか落ち着きますよね」
「うん。分かる」

後ろから聞こえるテレビの音だって、今はこの静けさの象徴だった。だんだんと支えるのが面倒になった頭を浅沼さんに傾けて、そのままちょうど良い高さの肩に預けた。浅沼さんはなにを言うわけでもなく、分かったような素振りでこちらに顔を寄せる。ワインの香りが少し強くなる。

「めちゃめちゃ甘い匂いするわその酒」
「だって甘いですもん、飲みます?」
「いや、いい」
「えー?」
「そのかわり口貸して、」
「な・・・、ん」

交わした唇が生温かくて、グラスを持つ力が緩む。浅沼さんのキスは柔らかくてていねいで、少しずるい。ゆっくりと深くなる中で浅沼さんの柔らかい髪の毛が頬に触れる。毛先が丸いせいで全くわたしに刺さることのないそれは、いつもわたしの心を穏やかにしてくれるから好き。愛おしくて、もっと身を寄せたくなる。

「・・・あまい、」
「、浅沼さんも」

食べたくなった、と浅沼さんが言う。食べられそうだ、とわたしが思う。そうやってふたりで目を細めて笑って、もうこの晩酌はお開きにすることにした。残りの酒を飲み干して部屋に戻った。冷えていた足先に感覚が戻っていく。それからまもなく浅沼さんにグラスを奪われて、都会を彩っていた明かりがまたひとつ消えた。

@@何よりも温い唇





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