■ ■ ■


「はい。これで授業は終わりでーす」
「ありがとうございましたー」

肌寒い春は、やがて穏和な春になり、やがて夏へと姿を変える。その度にわたしは新しい生徒の名前を必死に覚え、甘えたように近づいてくる顔見知りの生徒の話しに巻き込まれていた。

澤「お、なまえ先生」
「澤村先生。お疲れ様です」
澤「お疲れ。なんか顔窶れてないか?」
「そう、かな?別に普通だけど」

音楽室の廊下を出るとあちらも授業を終えたらしい大地にあった。担当は世界史で、握られている参考書の多さに頭が下がる。3年生の担当になっている彼は、受験対策に終われこの夏は休む暇がないという。

「澤村先生の方こそキツそうじゃん」
澤「そうか?俺は元気だぞ」
「3年生でしょう?お疲れ様」
「あーそれか。…ま、気入れないとな」

外からは窓を突き抜けて蝉の鳴き声が聞こえていた。外に出るときっと茹だるような暑さなのだろう。冷暖房完備なこの学校は廊下まで快適で、他の学校に配属になった友達からたいへん羨ましがられた。この学校は、有名進学校というネームバリューが効いているらしい。

黒「なーに話しちゃってんの?」
澤「お、黒尾。…お前スーツもっと正しく着れんのか」
「ほんとに。教師でしょうが。」
黒「だってさっきまで外回りしてたんだぜ?ネクタイしてられねーよ」
「あれ、数学は?」
黒「夜久に代任してもらってる。」
澤「夜久は公民だろ?」
黒「数学も一種を取ってるんだと。あいつ、自称二刀流だから」
「さすが夜久先生」

その時、ざわざわとする遠方の様子に気づく。そしてニヤリと笑った鉄朗に、なんだか蹴り飛ばしたい衝動に駆られる。それはわたしだけではなかったらしく、自然な感じで大地と目が合う。

「…黒尾先生がそんな格好してるから、」
黒「モテる男は辛いな、うん」
澤「…なまえ、いくか」
「学校ではなまえ先生。うん、行こう澤村先生」
澤「悪いそうだった。ん、行こう」
黒「ちょいちょい逃げるのナシな」

一部の生徒から絶大な人気があるらしい鉄朗は、こうやっていつも騒がれる度に調子に乗る。別にダメとは言ってないし、確かに顔が悪いわけでもないし、極めつけに高身長とくれば、今をときめく女子高生には十分な存在なのだろう。でも、わたしは。と思い横に並んだ大地の方を見る。わたしの歩幅に合わせてくれている彼は、不思議そうにどうした?とわたしに尋ねてくる。

「わたしは澤村先生がいいな」
澤「!突然だな」
「やっぱ年頃の気持ち理解出来ない。黒尾先生より澤村先生が何倍もいいのに。それか岩泉先生、」
澤「…なんか、なまえ先生に言われたら普通に嬉しいわ」
「本当?常常思ってるよ。黒尾先生や及川先生にファンクラブが出来ているようなこの世界って謎だな、て。」
澤「世界規模にまでいくのか!」
黒「お前ら、そろそろ俺に気づいて」

世界というのは、大きなようでちっぽけで、広いようでほんの少ししか存在しない気がする。わたしが生きている世界と知り得ない世界を天秤にかけて、わたしに軍配にあがる時なんて一生来ない。でもそんな小さなわたしの世界だけで、価値観を作ってしまうから怖いと思う。

黒「ま、澤村先生もこの前生徒からラブレターもらってるのみたけどなー?」
「ほ、ほんとに?ついに澤村先生にまで…」
澤「あ、見られちゃった?あーゆーの困るよな、対応しようがなくて」
黒「とりあえず受け取って、だな。極めつけに決めに入るんだよ」
澤「…ほう。なんて?」
黒「俺のタイプは、基本なまえ先生だから。ってな」
「なにそれ、すごい迷惑」

職員室が近づく。とりあえず鉄朗にネクタイをしめさせるよう促す。服装の乱れは心の乱れとよく云うが、できた言葉だと思う。そういう価値観を作ったのもそんな小さなわたしの世界、なのだが。

黒「…でさ、」
「ん?」
黒「いつになったらお返事くれるのかな、なまえ」
「…学校ではなまえ先生。返事は、ありません」
黒「なんでだよー。つれねえな」

でも、この世界が嫌いな訳では無いのです。だって、わたしの世界だし。




夢でいいなんて思ってことないよ




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