ふと、思い出したのは、付き合う前に何度か行った喫茶店のこと。


「うわあ、美味しそう…」
「だろ?ここのサンドイッチ食わせたかったんだよー」


初めて行った時は、その落ち着いた雰囲気に少し緊張していた。たつは知り合いのオーナーと談笑をしていて、こういう人と行くから入れるところだと思ったのを覚えている。カウンターで腰掛ける姿だけでカッコ良くて、出されたお冷を何度握ったことだろう。


「…!ふわふわ!」
「美味しい?」
「とっても!」
「あーよかったあ」


大きな手がわたしの頭をぽんぽんと撫でた。サンドイッチを頬張る姿を愛おしそうに見つめるその目に、わたしは随分とドキドキして、一瞬で顔が熱くなっていた。そんなわたしに油を注ぐように、可愛い、と付け足したその声がたまらなくストライク過ぎて、もうこれ以上一緒に居ると死んでしまうんじゃないのかと思ったのを、今でも懐かしく感じる。


「可愛い人ですね」
「でしょ?もうやばいんだよー」
「ちょっ、と、恥ずかしいから」
「なに、照れてんの?」
「…うるさい」
「口の端に、ソースついてる」
「え?、…っ!」
「…はいとれたー」
「たつ、なにして、!」
「いいじゃんキスくらい、」


あの頃から彼は、わたしから何かを奪うのが上手だった。わたしが指摘された所に手をやるより早く、顔を寄せて、ちゅっとそれを舐め取ってしまう。急に近づいたのにびっくりして、硬直したわたしを見て笑っていたたつは、とても楽しそうで、その笑顔に一瞬でわたしの心は虜になっていた。好きになっても不毛な恋にしかならないだろうに、愚かなわたしは王子様みたいなたつを好きになってしまったんだ。


「幸せにする、」
「…はい」
「付き合ってください」


だから、その言葉はとっても衝撃的で、そして返事なんて要らないと思えるほどの幸せが、わたしを襲った。やっとのことで絞り出した"はい"の二文字を伝えると、今までで1番嬉しそうに笑ったたつのせいで、わたしまでとっても笑っていた。その後に、オーナーの粋な計らいで出されたコーヒーがとても美味しくて、わたしにとって、そこは一生忘れられない喫茶店になった。


***


「入って、」
「…うん」

カラン、とレトロな音と一緒に扉が開いた。相変わらず木目だらけのシックな室内からはコーヒーのいい匂いがする。出来れば、幸せな思い出が詰まったここにはこういう形で足を運びたくなかったけれど。

「お久しぶりですね」
「あ、…そう、ですね」

オーナーは、髪の毛が長くなっていた。それ程の歳月、私たちは付き合っていたのだ。明らかに怒っているたつを前にして、あなたが怒るなんてフェアじゃない、と思うけれど、そんなことを言い出せる程の勇気が私にはなかった。






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