夜の汚い煌めきと赤碧
入口の警備員ガードマンに確認された後、会場内に入った。豪奢も過ぎれば品が無くなる。この会場もそうだ。ホテル自体も然る事乍ら、今回の為だけに作られたであろう装飾品の数々に悠月も汐乃も目を逸らしてしまった。

「お嬢様方、お飲み物は何に致しましょう。」

給仕ウェイターが声を掛けてきたところで、漸く立ち止まっていたことに気が付く。ジュースを、と悠月が云えばオレンジジュースが注がれたグラスが手渡された。それを受け取り会釈し、一緒に受け取ったナプキンを底に当てる。
会場内をぐるっと見渡して離れたところに主催の姿を見つけた。こういう場所に於ける作法マナーは何方も紅葉に教え込まれている。あって損はない、実に分かりやすく的確なものだ。
グラスを傍のテーブルに置き、主催が他の人との挨拶が途切れたのを見計らって二人は丁寧に挨拶をした。

「相原社長。三月みつつき貿易の娘、三月悠月と妹の汐乃です。本日はお招きいただき大変光栄です。」
「おお!三月さんの娘さんかい。宴会パーティーでは去年以来かね?それに妹さんまで来てくれたのか。いやぁ、嬉しいね。」
「お初にお目にかかります。悠月の妹の汐乃で御座います。今後とも宜しくお願いいたします。」
「本日は父の欠席がありましたので、汐乃の紹介も交えて参加させて頂きました。相原様に良いご縁がありますことを。」
「ああ、ありがとう。そちらこそ、良い”ご縁”があることを願っているよ。」

会話を済ませて会釈をして立ち去り、グラスを片手に隅のほうまで歩く。今回の相原は去年会っているが、そのとき偶々別任務だった汐乃とは初対面だった。
それは別にいいのだが、どうも気になるのが相原が最後に云った”ご縁”。二人がビジネスではなく看板的な意味合いで来ていることを知っている。それなのに敢えて”ご縁”と云った、それが指すものとは。

――――ああ、成程。

悠月は大した間も開けずに”ご縁”の意味が分かった。つまりは此処で行われている凡てを相原は”知っている”と云うことだ。黙認どころか裏で手を引いている可能性もある。その中に幼女趣味ロリコンが居ることも、麻薬や銃火器の密売をやっていることも。

「お姉さま、お腹空いた……。」
「…汐乃、さては緊張してないね?」
「してると云えばしてるけど、お腹空いたら頭回んなくなっちゃうし…。」
「それでいいよ。汐乃は潜入の仕事多いけど宴会パーティーは初めてだから心配してたんだけど…。杞憂だったみたい。」
「うん、常に殺気を浴びてるより幾分かマシだもん。」
「それもそうだね。じゃあ、ご飯取りに行こうか。」
「やったー!」

「お話し中済みません、麗しきお嬢様方。」

中央の長机のほうに歩きだした刹那、後方から男に声を掛けられた。先程から嫌に熱烈な視線を感じていて、しかも近くでうろうろしているのだから黒社会で生きている二人が気が付かない訳もないのだが。丁度今気が付きましたと言わんばかりに少し驚いた表情で振り返った。

「は、はい?あぁ、失礼しました。」
「いえ、こちらこそ驚かせてしまって申し訳ない。三月貿易のご息女様方で間違いないでしょうか?」
「えぇ、三月悠月です。こちらは汐乃。」
「汐乃です。以後お見知りおきを。」
「…ですが、私達では商談はお受けできかねます。」
「勿論、承知の上です。商談ではなく、率直な意見が欲しいだけでして。近々子供向けの事業を展開していこうかと考えていまして、是非実際に目にしたり触ってみたりした方の生の声を聴きたいのです。」
「そういうことでしたら―――。」

目の前の男は人の好い笑みを浮かべ、身長の低い二人に合わせて屈んでいる。名前を名乗られていないが資料でその顔は見ていた。

―――今回の、標的ターゲット

ポートマフィアへの出資者であったが、去年手を引いている。その間に倉庫から麻薬をくすねて売り捌き、更なる大金を手に入れていたそうだ。如何にも高い装飾品を彼方此方につけている姿は実に滑稽。金の亡者ほど汚く醜く卑しい者はいない。

「汐乃は宴会パーティーが今回初めてだったのでそろそろ帰らせようかと思っていましたので、私だけでも構いませんでしょうか?」
「本当かい!?是非お願いしたいよ。」
「それでは、お引き受けいたします。汐乃、迎えの連絡をして早めに帰りなさい。」
「はい、お姉さま。それでは失礼いたします。機会がありましたら是非私も。」
「また機会があれば。それでは悠月様、このホテルの最上階の部屋に展示しておりますのでご案内いたします。」

計画通り汐乃は待機。迎えとは悠月の兄役である太宰を呼んでくることで、既に作戦の終わりを指していた。男にお辞儀した後人混みに消えていくのを見て、最上階の部屋に向かうべく昇降機エレベーターに乗り込む。密室の中には二人っきりだったが特別これと云った接触も何もなく、目的の部屋に辿り着いた。

「此方です。」

男は先導して部屋に入り、悠月も足を踏み入れたところで―――――直ぐに後ろに下がった。影から現れたのは銃器を持った体格の良い男たち。一斉にその銃口を悠月に向け、標的ターゲットは心底莫迦にしたようにこう云った。

「まさか嘗てはマフィアと繋がっていた俺が構成員の顔を知らないと思ったか?その年の女なんか目立つぜ?潜入と体術が得意な森鴎外の秘蔵っ子。だがそんなひ弱な体じゃ何もできない。大人しく俺の玩具になれ。」
「あれ、私もあなたの趣味は知ってるよ?幼女趣味ロリコン。だから私が此処に来ているの。それにあ・な・た・が・私・を・構・成・員・だ・と・知・っ・て・い・た・から。」
「ほう?それは面白い冗談だな。本来なら出資者でも構成員の顔は殆ど知らない。聞かない、調べないが暗黙の了解だ。」
「……あなたは誰を相手にしているの?ポートマフィアの首領ボスはそんなこと疾うに知ってたよ。でも、あなたでも知らないことはある。」


「――――私は異能力者だよ。」

その言葉と同時に男たちの持っていた銃は火を噴いた。標的ターゲットの指示の前に引き金を引いてしまった、実に躾のなっていない莫迦狗だ。悠月は自身へと向かってくる銃弾を見つめながらそう心の中で零した。彼らは異能力者だと云う言葉を信じて殺されたくないから殺したいのだろう。それが張ったりであるとか考えるまでもなく。
一発目が悠月の体に着弾した。次いで二発三発、乱射した銃弾はと肉を抉る。それでも悠月は倒れることなく、じっと標的ターゲットを見つめていた。

「な、貴様!?」
「あーあ。穴だらけ。残念だけど私を銃で殺したいなら百以上は用意してね。」
「それが貴様の異能力か…!」
「いいえ?純粋なただの肉体だよ。風穴百個開けられても立てって言われてるの。入ってからそんな訓練ばかりだもん。」
「百!?それが只の人間の訳がない!―――貴様など人間ではない!」


「―――そう、私は人間じゃない。ただの化け物。因みに百以上は知らないから今度聞いておくね?」


悠月の腰から血液が漏れ出し、まるで尻尾のように長く鋭く形作られていく。赤黒い『赫子・鱗赫』は三本に伸び、端の二本で銃器を持っていた男たちを薙ぎ払い壁にめり込ませる。あまり音をたてないようにとのことだったが、相手が消音器サイレンサーを持たずに乱射したので結局は変わるまい。

「これが私の異能力。どう?綺麗でしょ?」
「あっ……ああぁ…。」

かつんとヒールを鳴らして標的ターゲットの目の前で止まり、腰を抜かし恐怖に慄くその眼前で『鱗赫』を止める。

「化け物も悪くないと思わない?」
「や、やめろ、殺さ、ころさないで。」
「何で?命を取るのなら取られる覚悟がなきゃだめだよ?今私に銃を向けていた男たちはあなたの雇った人たちじゃない。」
「俺は。撃てなんて指示出していない!」
「何言ってるの。あなたの躾不足じゃない。恐怖に負けず、死ぬことより主の命を優先する。そんな当たり前のことを教えなかったんだもん。よっぽど調教師に向いていなかったのかな。」

却説、終わりだよ。声に出ずとも雰囲気で伝わったのか慌てて背を向けて逃げ出そうとする。当然、それを逃がす悠月ではなく、哀れとも思わずに背中から心臓を一突きした。

「敵前逃亡。背中に傷がつくのは弱虫の証なのよ。最後までそこで怯えてればよかったのに。」

悠月は赫子を仕舞い、絨毯の上に座り込んだ。恐らく太宰はもうすぐ到着するだろう。長話をしたかと思ったが時間通り。だが、体に空いた沢山の穴からは血が止めどなく流れ出す。痛いよりも赫子でも血液を消費しているので貧血で頭がぐらぐらする。いや、痛いといえば痛いのだが。

膝を立て小さく丸まった悠月。神経を研ぎ澄まして太宰が来るのを待っていれば、聞き慣れた革靴の音が響く。そして、程なくして悠月の頭に温かい手が乗せられる。

「結構怪我を負っているね。もう軍警が近くまで来てるから急ごう。ちなみに警備員ガードマンは汐乃ちゃんが伸していったよ。」
「太宰さん…。御免なさい。」
「おや、何で謝るんだい?時間通り、計画通りだ。音だって汐乃ちゃんとの連携もあって聞こえても誰も来なかった。態々昇降機エレベーターを従業員用以外止めたのだって悠月が指示したんだろう?」
「そうだけど…。」
「ならば何も問題はない。首領ボスも喜んで褒めてくれるさ。」

太宰は悠月を抱え体に自身の外陰を被せた後、唯一動いている昇降機エレベーターで下まで降り裏口から外に出た。着けてあった車の後部座席に二人で乗り込んだ。助手席には愛銃の鞄を抱えた汐乃も見える。

「出してくれ。」

運転席の太宰の部下にそう指示をすれば車は直ぐに発進した。

「お姉さま……。」
「大丈夫。慣れてるから…。」
「あの訓練の賜物と云う訳かい?身が引き裂かれんばかりの思いだったが、意味があっただけマシかな。」
「うん…痛かった。」
「私は太宰さんの仕事が忙しくて受けてなかったけど…。」
「おや、受けたいのかい?」
「全力で拒否します。新しい狗を育てるのに忙しいんでしょ?」
「まぁ、ぽんこつだけどね。悠月、医療班を待機させてあるから相原先生の処に行こう。」

手早く止血をする太宰と、ちらちら振り向きつつ様子を伺う汐乃の空気は思いの外落ち着いている。片や恋人、片や相棒。何方も深い関係にあるにも拘らず、揺ぎ無い信頼。

「相原…。そう云えば今日会った主催も相原だったような。」
「知らなかったのかい?その相原と相原先生は実の親子さ。諸々の理由でマフィア入りしただけで、親は家出だと思っているらしいけどね。」

会場とマフィアのビルヂングはそう距離はなく直ぐに裏口に停車した。太宰は悠月を抱えて車を降り怪我人の搬送口として使われることの多い裏口を暗証番号で解錠して、手前の隠し扉を押し開ける。汐乃は愛銃と悠月の持っていたクラッチバッグを手にその後ろを歩く。

「相原先生。」
「待ってたよ、太宰幹部殿。直ぐに処置を始めるから其処の椅子で待っていてくれ。」

扉の先で待ち構えて居たのは既に準備を終えていた医療班班長、相原夜風。極めて稀な治癒の異能力、『ただ蒼穹に焦がれた』を持つ彼女は、組織内でも重宝されている。太宰は奥の処置室の寝台に悠月を寝かせれば、夜風は処置室に入り其処に繋がる扉を閉めた。