拝啓、昨日の私
マイスターがバンブルビーから「彼女が呼んでいるから理由は聞かずに一刻も早く来てくれ」と緊急要請を受けたのは、もうそろそろ休もうか、と寝支度を始めた頃だった。バンブルビーがこういった要領を得ない連絡を寄越すことは早々ないことである。しかもその内容が密かに思いを寄せている彼女絡みとあれば、マイスターは即刻現場に急行するしかなかった。
そうして寝支度も中途半端なまま、指定された談話室に向かい、そこで目にしたものとは——。
「ぅあ〰〰っ! マイスターきてくれたんだぁ? やったぁ〜えっへへぇ〰〰」
べろっべろに酔っ払った愛しの人、その人だった。
「おや、これはまた随分と……」
「んね〰〰マイスターだっこしてぇ〜? だっこ、だっこ‼︎」
「はいはい、仰せのままに」
「ご覧の通り完全に出来上がっちゃってるってワケ。わざわざ来てもらっちゃってごめんなさい」
「彼女直々のご指名とあらば、馳せ参じないわけにはいかないからね」
「いやぁ、なんにせよ助かった。もうお開きだって言ってるのに、オイラはやだ、マイスター副官と一緒じゃないと部屋に戻らないーって聞かなくって」
「だっこたか〜い!」
この酔っ払い具合である。普段の落ち着き具合はどこへやら、ご要望通りに抱っこされてご満悦なのか、マイスターの手のひらの上で上機嫌に鼻歌まで歌っている。マイスターにはさっきまで駄々を捏ねられて困っていたバンブルビーの表情が容易に想像できた。談話室は二人以外に人影はなく、恐らく酒癖の悪い彼女の面倒臭さから、要領のいい人物から一人、また一人と離脱していき、最後の一人になったのがバンブルビーだったのだろう。ほとんど酩酊状態の彼女をバンブルビーは放っておくこともできず、かといってどうにかあしらうこともできず、困り果てた末にマイスターを呼んだ、といったところだろう。今までどれほどゴネられていたのかマイスターにはわからなかったが、バンブルビーの顔に浮かんだ安堵の表情から、相当苦労したことがわかったし、もう自分も早く休みたいのだろう。帰りたそうに彼女とマイスターの顔を交互に見ながら、ずっとソワソワしている。
「後は私がどうにかするから、バンブルはもう戻るといい。お疲れ」
「了解です。それじゃ、 悪いけどあとはよろしくお願いします。おやすみなさい、マイスター副官、○○」
「ああ、確かに任された。おやすみ、バンブル」
「バイバイ、バンブル〜。おやすみぃ」
そうしてバンブルビーを見送り、マイスターも彼女を部屋に無事送り届け、めでたしめでたし、になるはずだった。
「やぁだぁ〰〰! マイスターもいっしょにねるの! ここ、ほら!」
「とは言ってもだね、○○。今の私では寝そべろうにもはみ出てしまうし、そもそもベッドが壊れてしまうよ」
エネルゴンの過剰摂取と同じく、アルコールというものは節度を守らないと、こうも厄介なものになるのか。マイスターは困りこそしなかったが、少しだけ心配になった。もし彼女がこの基地の外でこうなるまで酒を呑んで、自分の預かり知れない所で痴態を晒すなど、あってはならないことだ。隙があれば良からぬ考えを持った輩が寄ってくる可能性だってある。彼女がそんな輩に自ら着いていく——なんてことは無いだろうが、彼女にその気がなくても、無理やり連れ去られる可能性だってある。考えたくはないが、乱暴されたり、果てには最悪の結果になる可能性さえあるわけで——。そうマイスターが恐ろしい想像を膨らませている間にも、彼女の機嫌は治るどころか、マイスターの言葉を受けて、余計にヒートアップしていく。
「じゃあちっちゃくなってきて! いましゅぐに!」
「今すぐ」
「いますぐ! ちっちゃくなってマイスターが横にきてくれるまでわたし座ってまってるかりゃ……」
そういうと彼女はせっかくマイスターが寝かせてやったにも関わらず、枕元に胡座をかいて座り込んでしまった。それも腕を組んでマイスターを上目遣いに睨むというオプション付きで。これにはマイスターはいささか驚いた。普段わがままを言わない彼女が、彼を脅すような真似までして、ここまではっきりと自分の要望を通そうとしているだなんて。素面では考えられないことである。
「今日は随分と甘えただね。普段の君からは想像できないほどに」
「……やだった? きらいになった……?」
「まさか。このくらいで嫌いになったりしないさ」
「ほんとぉ?」
彼女の自由奔放にコロコロと変わる気分に、マイスターは不安になるくらいなら、わがままを言わなければいいのに、とは思わなかった。むしろ普段抑圧されている感情が、こうしてアルコールの力を借りているとはいえ、なんのストッパーもなく放出されていることに喜びさえ感じていた。それこそ普段我慢しているであろう分、今くらい存分に、もっと我儘放題すればいいとさえ思った。
「本当さ。それならお望み通りパーセプターの物質縮小拡大機を拝借してこよう」
そう言ってマイスターはそそくさと部屋を出ていくと、ものの五分もしない内に、成人男性の平均身長より少し大きいくらいに縮んだ姿で戻ってきた。
「ほら、これで満足かな」
「うんっ! ありがとまいすたー、だいすき」
「このくらい、お安いご用さ」
改良された物質縮小拡大機は、元に戻るまでの制限時間はなく、装置を使用する対象者が任意の制限時間を設定することになっている。つまり、彼女が許す限り、マイスターは体を小さく保ったまま彼女に添い寝することが可能なのだ。
まさか本当にマイスターが戻ってくるとは彼女も思っていなかったのか、興奮気味に「ここ! どぞ!」と寝そべる自身の横に拵えたスペースをぽんぽんと叩いている。ここまで歓迎されているとは、マイスターは嬉しく思うと同時に、全く男性として意識されていないことを知らしめられて、残念に思う気持ちがない交ぜになった複雑な心境でもあった。
ご厚意に預かって彼女の横に控えめに横たわると、ふにゃふにゃと口角を緩めた彼女と目が合った。
「ふへへ、まいすたぁの胸、つめたくてきもち〜ね」
すり、と彼女の頬がマイスターの
「そういう君は火傷してしまいそうなほどに熱いね」
「あ、あつかったぁ? ごめんねぇ。んしょ、っと?」
マイスターの言葉を受けて、彼女が大きく捩った。ただでさえ二人で寝るには広くはないセミダブルのベッドだ。いくらマイスターが縮小しているとはいえ、それでも二人で寝るには窮屈なサイズで、二人の間に十分な距離を取れるほどの余裕はないのだ。
マイスターは自身から離れようとする彼女の背に腕を回して、それ以上距離が開かないように引き寄せてやった。
「おっと。いけないよ、あんまり動かないで。あまり広くはないからね。ベッドから落っこちでもしたら大変だ」
「ふふ、えへへぇ、くっついてていいのぉ? やじゃない?」
「ああいいとも。でも、なるべくいい子にね」
「はぁい。ふふ、すき。まいすたぁ、すきよ」
再びマイスターの胸にすりすりと頬擦りしながらそう溢す彼女に、マイスターは彼女の頭を撫でてやると、もっとしてくれ、と言うように、彼女の腕がマイスターの首裏に回された。これでもうベッドから彼女が転がり落ちる心配は無くなったわけだが、同時にマイスターにとっては悩ましくもあった。恋慕の情を寄せた相手から、睦言付きで抱きしめられているのに、手を出せないだなんて、精神統一の修行のようである。
「ありがとう。……でも、それは素面の時にもう一度伝えてもらいたいものだね」
「んぇ〜? わらしげんきだよぉ〜?」
「それなら、明日の朝もう一度聞かせてくれるかい? その時きちんと返事をするよ。約束する」
「あさ? おっけぇ〜。やくそく、ね」
随分と覇気のない返事だったが、マイスターはそれでもいいと思った。彼女はきっと翌朝には、今交わした会話のことなど、すっかり忘れてしまっているだろう。それならいっそこの焦ったい関係から脱するべく、その弱みに漬け込んで、少し踏み込んでしまおう。そう考えての返答だったが、それはむしろ臆病さの表れでもあるのかもしれない。彼女とのはっきりしない関係にもどかしさを感じつつも、その居心地のいい曖昧さを失うのを恐れているのか——。
気づけば隣からは規則正しい穏やかな寝息が聞こえている。それにしても意識を手離す寸前にあんな約束をしたのは、流石に卑怯だったか、と内省しつつも、彼女の額にそっと唇を寄せると、身じろいだ彼女の肌の柔らかさが伝わってきた。
「ん…………」
「……まいったな」
自分から引っ付けと言ったようなものだ。マイスターは自分の選択をひっそりと後悔し始めていた。
彼女に添い寝しろと強請られた時、マイスターは正直彼女が寝たらこっそりと部屋に帰ってしまおうと思っていた。いくら成り行きとはいえ、想い人と同衾して正気でいられるほど、人格者である自覚がマイスターにはないからである。が、しかし、こっそり抜け出そうなどという、マイスターの考えは甘かった。
もう彼女はすっかり寝入ってしまったようだが、彼女の柔い腕はしっかりとマイスターの体に巻き付いている。無理やり離すこともできなくはないが、そうすれば寝入っているようには見えるが、酒の入った状態で眠りが浅いかもしれない彼女が起きてしまう可能性がある。それに例え無事彼女を起こさずに腕を離せたとて、抜け出す際にも危険が満載である。マイスターがどう頑張ってそろりとベッドから降りようと、振動が起こることは免れないし、スプリングだって軋むに決まっている。
とすればマイスターに残された道はただ一つ。大人しくここで一夜を明かすことであるが、こんな状況で静かに眠れるはずもなく——。
可愛さに負けて我儘を聞き入れてしまったのが運の尽きだ。マイスターは抜け出すことを全く諦めて、彼女が翌朝目覚めた際、どういった言葉をかけようか、と彼女の寝顔を眺めながら、物思いに耽り夜を過ごす決心をしたのだった。
ぼんやりと、暗闇の中に意識が浮上していく。夢から覚めて微睡む心地よさと、それと同時に頭に鈍く響く不快感も覚え、彼女は嫌々ながらもゆっくりと目を開けた。
「ぅ゛…………? あたま、われ、る……なに……?」
いつの間に眠ったのやら、どうやらきちんとベッドに寝転んではいるようだが、いかんせん原因不明のあり得ないほどの頭痛に苛まれ、彼女の寝起きは最悪だった。今日は何も急用などなかったはずだから、もう一度寝てしまおうか。そう考えて目を閉じて枕に顔を埋めようと身じろいだ時、コツン、と額が何か固いものに軽くぶつかった。こんな固い物体が枕元にあるわけない。一体何が——。彼女はそう考えて
目が冴える鮮やかなコバルトブルーの真ん中に、燃え盛る炎のように映える真っ赤な正義の象徴。ここにあるわけない特徴的なカラーリングに、ぎょっとしてそこから目線を上げると、今度は穏やかなスカイブルーと目が合った。実際には彼のバイザーが目線を遮っているのだが、それでもしっかりと自身を見下ろしていることが、彼女にはわかった。
「おはよう。起こしてしまったかな」
「ぇ……っ? まっ……マイスター……⁈ なんで」
しっかりとした声音で発せられた穏やかな挨拶に、彼女は余計に困惑した。ひっそりと想いを寄せている相手が、あたかも当然のように隣で添い寝していることも相まって、「おはよう」を返すことすらできなかった。
「君は、酔っ払うと随分と甘えたになるんだね。昨晩中離してくれないものだから、帰るに帰れなくなってしまってね」
「わたっ、うわ、え……その、なに。わたしが引きとめた、の」
混乱したままの頭に、いかがわしさを含んだ報告に、彼女は錯乱寸前だった。
予期せぬ出来事による緊張からか、マイスターの言う通り、昨晩飲みすぎたせいか、とにかく喉がカラカラに乾いて、言葉がうまく発せない。とにかく何があったのか事実確認をしなくては、と体を起こして声を振り絞るも、情けない譫言のような声しか出なかった。
マイスターは彼女の質問を予想済みだとでも言うように、にこりと微笑んだ。
「覚えていないかい?」
「ぅあ、わた、わたし……みんなとお酒呑んでて、それで、それから」
「それから?」
「それから、それから……? お喋りが楽しくって、ちょっと飲み過ぎ、ちゃった? ふわふわしちゃって……ぅう゛、頭が……」
「おやおや、大丈夫かい? 水でも飲むといい」
必死に思い出そうとすればするほど、頭が痛むばかりだった。マイスターはベッドから降りると、勝手知ったるといった様子で、少し離れた所に置いてある冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを手にとると、態とらしいほどに恭しくそれを手渡してくれた。
「あ、ありがと……」
受け取ったボトルの蓋はすぐに開けられるように緩められていた。ベッドに座り込んだままキンキンに冷えた水に口をつけると、不思議と頭痛も喉の渇きと共に洗い流されていくように感じる。食道を流れ落ちていく水を感じながら、彼女は多少冷静になった頭で昨日の宴会が始める前から、思い出せる限りのことを思い返していた。
宴会好きのトランスフォーマー達に一緒に呑まないかと誘われたこと。それに快く返事をして、たまたま持ってきていたつまみを手に集まったこと。自覚はなかったが、酔い始めた辺りで宴会メンバーの面々が心配げにこちらを見ていたこと。気づけば周りにはバンブルビー以外いなくなっていたこと。ここまで思い出せた所で、彼女はどこか違和感を覚えた。先程のマイスターの「離してくれなかった」という言葉が本当だとすれば、バンブルビー以外残っていない訳がない。もう一度昨日の記憶を始めから辿ってみても、そもそも昨日はマイスターに一度も会った覚えがない。そこまで思い出してボトルから口を離すと、ほとんど呷るようにして飲んだ水は、ほとんど残っていなかった。
「あ、れ……? でもマイスター、あの場にはいなかった……」
そうだ、マイスターは宴会の場にはいなかった。そう確信してぽつりと言葉を溢して件の人を見遣ると、耐えきれないと言わんばかりに肩を揺らし、ついには笑い声を漏らし始める始末。これには流石に彼女も揶揄われたのだと気づいて、声を上げた。
「あっ……⁉︎ ひ、ひどい、騙したの⁈」
「いやなに、すまないね。君があんまりにも可愛らしい表情をするものだから、ついからかってしまいたくなって」
「さっきの話も嘘、ってことよね」
「いいや、君がぐずって帰してくれなかったのは本当さ」
これまでの与太話を一蹴するつもりの彼女だったが、一番嘘であってほしい事だけは事実だったようで、頭を抱えるしかなかった。酔っ払った自分がマイスターに何を宣ったのか、全く覚えてはいないが、昨日の自分を呪わずにはいられない。困惑とショックで言葉が出なくなった彼女に、追い討ちをかけるように、マイスターは彼女のすぐ横に腰掛けて、力無く置かれた手を掬い上げた。腰掛けた重みでベッドが傾いて、スプリングが鈍い悲鳴を上げる。
「わざわざ、と言うと恩着せがましいかな。けど、もう休もうとしていたのに君が私をご所望だと聞けばすぐに迎えに行くくらいには、君の事を特別だと思っているがね」
「とく、べつ……」
「私をどう思っているのか、聞かせてくれないかい。昨日、約束しただろう?」
覚えていないとは言わせない、と言わんばかりの圧に、彼女は言葉を詰まらせた。約束≠ニは一体何のことか。これも先程のように、揶揄われているだけかも知れない。そう疑いはすれど、マイスターの表情は真剣そのもので、揶揄うような様子もなく、至って真剣に話を進めているように思えた。どう思っているかだなんて、こうやって聞いてくる時点でマイスターもわかっているのだが——昨日酔っ払いからとはいえ散々浴びせられたわけであるし——、突然の告白じみた言葉に焦る彼女はそのことに気が付かない。これは二人の関係を進展させる為の通過儀礼であることにも。
「わ……っ、私、は…… ——」
震える声で答えた言葉は酷くか細く不安定で、発した彼女にさえ聞き取りづらい不明瞭なものだった。それでも超ロボット生命体であるマイスターに届けるには十分な声量だったようで、マイスターは彼女の手を引いて膝に乗せるようにして彼女を抱きすくめると、ひっそりと約束≠果たした。
彼女は記憶にない約束のおかげで思ってもいない急展開に目を白黒させたが、頬に感じるスパークの温もりに昨日の酔った自分のことも許せそうだった。