特筆するようなこともない



 おはようございます、と上司に挨拶をしてから席に着く。さて今日も頑張ろうと気合を入れたが、キーボードを滑る指は遅い。ぽちぽちとやる気のない音が複数聞こえるあたり、快活になりきれないのは私だけではないのだろう。
 PCに向かって数時間、そろそろ目も肩もついでに腰も痛くなってきた。ううん、と伸びのついでに顔を上げれば、タイミングを計ったかのように「xxx先輩」と後ろから声がかかった。
「お昼ですよ! xxx先輩」
 振り返れば後輩の柚がいた。彼女越しに壁掛けの時計を見れば正午を少し過ぎている。言われてみればお腹が空いたかもしれない。空腹というものは意識すれば急激に襲ってくるらしく、ぐうと腹の虫が鳴った。
「いつものお店で食べよっか」
 音を誤魔化すようにして立ち上がれば、呼びかけてきた後輩は腰に手をあててふくれっ面をしていた。どうやら怒っているようだがちっとも怖くはない。それどころか幼げで可愛らしいのでつい笑ってしまう。
「もう、今日は先輩のために私がお弁当を持ってきたって連絡したじゃないですか」
 肩のあたりで切り揃えられた茶髪がくすりと揺れた。記憶を辿れば今朝そんな連絡を貰った気がする。すっかり忘れていた。
「そうだったね。ごめん」
 へらりと謝罪の言葉を口にする。柚は文句を言いながらも得意気にお弁当の包みを見せてくれた。いつもは近隣の飲食店で一緒に食べたり忙しい日はコンビニで済ませたりするのだが、いつだったか料理が得意だと言った彼女に手料理が食べてみたいと軽い気持ちで言ったのを覚えていたらしい。私の準備が出来たのを見届けると、柚は意気揚々と歩き出した。

 いい天気ではあるが、外で食べるには風が強い。相談の結果ラウンジに移動して食べることになった。たまに利用するここは警察庁内の様々な局課の人間が出入りする。他局の職員の顔を見る機会なんて、ここで見るか通勤途中にすれ違うくらいのものだ。こんなにたくさんの人が働いているんだな、なんて小学生みたいなことを思った。
 どこに座ろうか。ぐるりとあたりを見回す。少人数向けのテーブルが数席ほど開いているようだ。奥では清掃員がテーブルを拭いている。柚が適当に席を選び、ここにしましょうと私を呼んだ。席に着けばさっそく彼女がお弁当を広げてくれる。
「へえ、美味しそうだね。本当にお料理得意だったんだ」
「xxx先輩、疑ってたんですか?」
「ほんの少しだけね」
 頬を膨らませて不機嫌そうにする柚に、いただきますと誤魔化すように卵焼きを口に運ぶ。凄く美味しい。それを伝えれば打って変わったように笑顔になった。
「愛情の鉄分たっぷりなんです!」
 自信満々といった様子で柚が小さな胸を張る。咀嚼していた卵焼きを飲み込んでから今度は人参のグラッセに箸を伸ばした。
「なにそれ、栄養粉末か何か?」
「違いますよ。でもナイショです」
 人差し指を唇にあててウインクをする柚はとても可愛い。流石、昔はアイドルだっただけある。そっか、と大して気にもせずにおにぎりを頬張った。


 食事を終え仕事場に戻る。途中でお手洗いに行こうとして、ハンカチをラウンジに置き忘れてきてしまったことに気が付いた。
「ハンカチを席に置いてきちゃったみたい。ちょっと取ってくるね」
 柚に声をかけて立ち止まる。くるりと踵を返して歩き出そうとすれば「早く帰ってきてくださいね!」と柚が力強く背を押した。

 ラウンジに向かう途中の廊下で、作業服を着た男性に声をかけられた。
「すみません」
 服装からして清掃員だろう。帽子で顔の上半分はよく見えないが、褐色の肌が健康的な印象だった。目元とは違ってはっきりと見える口元は甘く若々しい。きっとイケメンだ。
「これ、先ほどラウンジに忘れていかれましたよね」
 そう言って差し出されたのは私の忘れたハンカチだった。わざわざ手袋を外して差し出してくれている。掃除用の手袋をしたままでは失礼だとでも思ったのかもしれない。律儀なことだ。
「ありがとうございます。丁度取りに行こうと思っていたんです。助かりました」
 そう言って軽く頭を下げる。清掃員の彼は感じ良く笑ってハンカチを渡してくれた。一瞬指先が触れ合う。役得だな、なんて浮かれながら再度お礼を言ってその場を後にした。


後輩は喜多見柚(アイドルマスターシンデレラガールズ)です
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