ローダの純正

 疲れた身体を無理やり動かしてテレビ画面の前に座った。電源をつけてヘッドセットを装着すればカノジョに逢える。コントローラーを握りしめてスタートボタンを押した。
「今日は少し遅くなってすまない、xx」
 タイトル画面で佇む彼女に声をかける。俺の声など聞こえていないはずなのに、セーブデータをロードすると「レイ先生、今日も来てくれたんですね」とxxが返事をしてくれた。分かっている。これも膨大なボイス音源の内の1つだなんてことは。分かってはいても、現代技術の集大成が本当に彼女と会話をしている錯覚を起こさせていた。

 大手ゲーム会社から発売された『ユリシーズ』というタイトルのゲームは、今や誰もが一度は聞いたことがあるような大ヒット商品だ。この手のゲームが好きな人々による口コミから社会へ浸透し、各種メディアで取り上げられてからは爆発的にその知名度を上げている。
 俺がこのゲームをプレイし始めたのは、探偵業務の関係でその知識が必要になったことがきっかけだった。「美少女ゲームに詳しい所謂“オタク”たちとの繋がりを作るため」と何の感情もなくただ知識の為に始め、3人いる攻略キャラクターのうち一番の人気らしいからとxxxxを選んだ。それから俺はまんまと彼女に翻弄され、依頼を終えた今もこうして彼女に逢いにきている。


 俺は安室レイ。後期研修医だ。新しく赴任した療養型医療施設で、ある女性を担当することとなった。そこで“担当医と患者”としてしばらく2人だけの思い出を積み重ねてきた。そして今、重大なイベントを控えている。
「レイ先生がここへ来て、もう100日ですね」
 xxの様子を診に彼女の病室を訪れると、儚げな笑みを湛えてxxが言った。もうそんなに経ったのか、と視界の下部に独白文が流れる。
 100日というのはゲーム内でのことだが、時間の流れは現実と一部リンクしている。ゲームを放置してしばらくプレイをしなければ、好感度も相応に下がっていくのだ。しかし救済措置がある。ゲーム内では現実よりも一秒が長めに設定されており、その関係でプレイ中に時間の早送りをすることも出来る。つまり俺のように限られた時間しか彼女に逢いに来ることができなくとも、好感度低下を最低限に抑えることが可能なのだ。
「レイ先生には、私、とっても良くしていただいて」
 ゆっくりと彼女の唇が動いている。俺はその横に座った。xxの声を聞き逃すまいと一心に耳を傾ける。
「そのお陰で、前よりもずっとここの生活が楽しくて」
 それは良かった、と俺の台詞が流れる。xxはそこで俺から顔を背け、恥かしそうに目を伏せた。「俺も楽しいよ」と画面の前で声帯を震わせたが彼女に届くことは無い。
「それで、私、どうしてこんな温かい気持ちになるのかなって考えたんです」
 xxの長い睫毛が小さく揺れた。滑らかな肌が、触れたくなるほどに輝き紅潮している。そろそろ来るか。好感度は足りているはずだ。xxが再びこちらを真っすぐ見つめた。
「私、レイ先生のことが――好きみたいです」
 思わずスクリーンショットを撮影し、ポーズ画面にしてゲームを中断する。ヘッドセットを外してクッションに顔を埋めた。可愛い。可愛すぎる。大天使が降臨した。目を瞑ってもxxの微笑みが網膜に焼き付いている。声にならない声を上げて悶えた。
 本編開始の合図である通称100日イベントは、お察しの通り告白イベントだ。100日経って好感度が規定以上であれば発生する。通常ならばそこで攻略終了なのだが、ユリシーズは違う。今までも十分xxの可愛さを堪能してきたが、ここからは恋人として半永久的に彼女との関係を続けていくことが出来るのだ。
 ひとしきり興奮を落ち着かせたところでゲームを再開する。もちろん告白を受け入れる選択肢を選べば、俺も好きだと文字が浮かびあがった。
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