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 深夜、こつこつとヒールの音が不規則に響く。酒も入り少々覚束ない足取りで街灯の下を歩くのは、どちらかと言えば気分がよかった。
 今日は新入りくんたちの歓迎会だった。当然のように二次会で抜け、同じタイミングで帰る同僚とタクシーに乗り、家の近くで降りた。三次会以降に参加するほど付き合いの良い女ではない。家の前まで頼まなかったのは、ひとえにこうして夜の散歩を楽しみたいからだった。この辺りは治安も良いので犯罪に巻き込まれる心配はあまり必要ない。なんて、油断していればすぐにケガをしそうだけれど。
 明日は休日だ。加えてなにも予定がない。ゆっくり起きて、ぼーっと家事をして、それから好きなことをたくさんしよう。楽しみで自然と笑みがこぼれた。
「……っ、とと」
 浮かれて足元をきちんと見ていなかったせいか、何かに躓く。危うく転びそうになるのをぐっと踏みとどまって振り返った。それなりに質量と体積のありそうな感触がしたのだ。
 ぼう、と道の端から降る光を頼りに目を凝らす。それは、人の形をしているようだった。
「ひっ」
 酔いも吹き飛び、思わず引き吊った声をあげる。拍子にバッグがとさりと滑り落ちた。慌てて拾い上げる。それから目の前の人物をしっかりと見下ろした。
 外傷はない。余所の家の外壁に背中を預けるようにして座り込んでいる。だらりと四肢は脱力し、首の据わっていない赤子のように顔を天にさらしていた。息は、しているのだろうか。確認する勇気はない。
 さっと端末を取り出してエマージェンシーコールをと思ったところで、ふと手が止まった。端正ではあるが不気味なまでにシンメトリーな容貌に違和感を覚える。確認するように少しだけ近寄ってじっと観察すれば、見覚えのあるものだった。
「sette?」
 落とし物というにはあまりに不自然なこれは、アンドロイドと言う他ないだろう。記憶にあるよりも髪が短い気もするが、そういうカスタマイズも出来ると聞いている。一体どうしてこんなところに落ちているのかは分からないが、生身の人でないだけまだマシだと思えた。
 周囲を確認する。先程から誰にも会わない。しゃがみこんでsetteの腕を背中に回した。ぐっと力を入れて立ち上がる。弱ったな、想像以上に重い。そして大きい。それでもなんとか体勢を整えて一歩踏み出した。ずるずると引き摺ってしまうのは仕方ないだろう。こんな高価なものを野晒しにしてはおけない。防水加工は完全らしいが、そういうことではなく。
 前の持ち主が何かの手違いでこれをここに置いてきてしまったのなら、一旦保護してしかるべき場所に報告するべきだ。持ち主も必死で探していることだろうし。あるいは単に棄てたのならば、私が貰ったって支障はないはずだ。setteの中古を使う気にはなれないが、setteを出している会社の回収班に連絡をすれば“お礼”が貰える。一から全てを造るよりも、多少の額を払って再利用できるものを回収した方が採算がとれるということだろう。

 ずっしりと重力を全身に感じながら、暗く静かな道を進むこと百メートル余。誰かに遭遇するのではとドキドキしながら家の前までたどり着いた。
 ロックを解除してドアを開け、玄関へ雪崩れ込む。setteを慎重に下ろしてから深く深呼吸をした。
「お、重かった……」
 ろくに運動もしない女の体力などたかが知れている。それでもここまで持ってこれたのだから、お金の魔力は強大ということだろうか。なんてね。
 とりあえずsetteをソファーに座らせ、メイクも落とさないままに再起動を試みる。最中、ふと目に入った鏡にわくわくした表情の自分が写っていた。
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