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 目立った損傷が無いか明るいところで一通り確認する。驚くべきことに、服が所々汚れているだけだった。靴は私が引きずってしまったからすり減っているようだけれど。
 制御パネルを探してsetteの頭部へと手を伸ばす。体にパネルがないのは機械的な部分が極力目立たないように隠しているのだ、と聞いたことがある。絹糸のように滑らかな髪は抜群の触り心地で、きっと女優のそれに比べても遜色ない。思わず撫で続けそうになるが、なんとか我慢して頭髪を掻き分けた。
「うーん……あ、れ」
 弄ること数十秒、制御パネルは一向に見当たらない。代わりに、違うものを発見した。首の後ろに覗くバーコード。服をずらしてまじまじと見る。滑らかに輝く肌に映える黒には、きっとたくさんの情報が詰まっているのだろう。そろりと触れる。変化はない。ならば、と端から端までなぞる。
 ふるり。setteの体が揺れた。一歩下がって様子を伺う。ゆっくりと、瞼が上がっていく。
「Morning make System -sei- Start up.」
 システム音にしては、やけに穏やかで優しい声が響いた。しかし、期待していたものとは違う名称に首を傾げる。
「sei?」
 確か、setteの旧型だったか。現在普及しているのがsetteだから、それだと信じて疑わなかったのだがどうやら違うらしい。そうなると、setteよりも“お礼”は期待できないかな。いや、だとしても私には十分すぎるくらいか。
 ライラックの虹彩が煌めいた。視線が交わって、まっすぐに私を射抜く。
「はじめまして」
 立ち上がり、自然な動作で一礼をするそれをぽかんと見上げる。ふわりと柔和な表情で、それは言葉を紡いだ。
「僕はあなたのコンシェルジュ「セイ」です。あなたの生活をより快適にするためにしっかりとサポートしていくから、よろしくね」
 その台詞に、私は小さく震えた。初期化されている。まさかあるまいとは思っていたが、とんだ持ち主もいたものだ。
 私の動揺をよそにアンドロイドの声は流れ続けている。どうやらユーザーの情報を知りたいらしい。名前と誕生日、それから職業をはじめとしたいくつかの質問に答えていく。私が何か言う度にいちいち嬉しそうに目を細めるものだから、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。これから回収に出そうとしているなんて、期待を裏切るようで絶対に言えない。今日が「セイ」としての誕生日なのだとか、自然対話プログラムのお陰で流暢に話すことができるのだとか、あれこれと会話をしていく。
「ふふ、それじゃあこれからよろしくね。今の時期は丁度さく、らがーーあれ」
 話題が移ろうとしたところで、穏やかな声色と表情が一変した。きゅっと唇を結び、眉を寄せている。心なしか青ざめている気がした。
「どうかした?」
 私がそう声をかけても反応しない。そういえば、と思い出す。seiが普及しなかったのは原因不明のバグが原因だったか。なるほど、もしかしてこれが噂の? seiが持つ欠陥というのはこういうことなのだろうか。ふむと頬に手を当てて考えていれば断片的に声に出してしまっていたようで、それはびくりと可哀想なくらいに肩を揺らしてから「欠陥……」と俯いた。
 その姿は同情を誘うが、ともあれどのような欠陥なのかを知らないことには始まらない。状況をできるだけ優しく問いかければ、優れない顔色のまま健気にも答えが返ってきた。
「一部、データが破損してしまっていて……」
 どうやら有るべきはずの知識や情報が見当たらないらしい。復元しようにもsei向けのサービスは既に終了してしまっているようで、アナログ的にインプットしていくしかない。つまり失ったデータは元に戻ることはないのだと、悲しそうな顔で微笑んでいた。
「これは僕という個体固有の欠陥なんだ。こんな状態じゃあ、あなたに迷惑を掛けてしまうね」
 なんて声をかけたら良いのか、正直分からなかった。ユーザーの役に立つことが仕事なのだと先ほど語っていたから、本来の能力を発揮できないというのは堪えることだろう。
「あの、」
 私が宙に視線をさ迷わせていると、それーーいや、彼が意を決したように口を開いた。
「ユーザーさんに、ひとつお願いがあるんだ」
 遠慮がちに、けれどしっかりと彼は私を見つめた。身構えてぎゅっと力が入る。
「廃棄もやむなしかとは思うけど、もし望んでもいいなら僕はあなたの役に立ちたい。だから僕と言葉を交わし、触れ合いながら共に日々を過ごしてほしい。そうすればきっと、あなたのサポートもきちんと出来るようになるから」
 言い終えて、彼はそっと目を閉じた。それからゆっくりとお辞儀をする。それはまるで、私に許しを請うているようだった。
 彼の頭に手を伸ばしてそっと撫でる。
「これから一緒に、たくさんのことを知っていこうね、セイくん」
 あーあ、何を言っているんだか。さっきまで手元に置く気なんてなかったくせに。気がつけば「よろしく」と口にしてしまっている自分がいた。
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