それは奇跡のような 2

日もすっかり暮れた頃合い。レイラは森を少しだけ散歩していた。
雪が降っている森は、いつもと違う雰囲気を醸し出している。
もう少し探索してみたい気持ちもあるが、夜の森は危険だ。家からあまり離れてない距離を少しだけ歩くくらいしかできない。

――その人は、宵闇によく似合う、黒い衣と黒い翼を携えていた。

「……何だ、お前は」

森の中を佇んでいる人を見つけて、何故だろうと歩み寄る。その人もレイラに気付いて振り返り、怪訝な顔をした。

「……天使?」

暗くて見えにくいが、リフィルと近い年頃の女性。かなりの美人だ。
背に翼を持っていて、真っ先に天使を思い浮かべる。伝承の天使の翼は白い筈だが、彼女は黒い翼と黒いドレスを纏っていてかなり伝承と違う姿をしている。それなのに、不思議と違和感などはなかった。

「はぁ?」

天使、と聞いて女性は呆れたような声を上げる。

「翼があるんだから、天使じゃ……」
「……無知なのか、お前は」

こめかみに手をあてて盛大に溜息を吐く女性。まるで自分は天使などではないと言いたいげだが、だとしたら一体何だというのだろう。

「まあ、いい。何も知らないような者が、一体何故こんな所にいるんだ」
「私、少し散歩してて……」
「散歩、ね……」

また、呆れた様子だ。

「なら、早く来た道を戻れ。ここはお前のような者が来る所じゃない」

レイラが来た方を指し示す。レイラもそれにつられて振り返ると、近くを散歩してたつもりがかなり森の深い所まで来てしまったようだ。

「……あれ、ここ……」
「……迷ったのか」

レイラが戸惑っていると、女性はその理由をすぐ看破する。

「……はい」
「だろうな。付いてこい。森は慣れてないとすぐ方角を見失う」

雪のせいで普段の景色も違っていたせいで、こんな来たことのない見慣れない奥まで足を踏み入れても全く気付かなかった。
レイラの来た方向へ足を進める女性を、慌ててその後を追いかける。

「それにしても、何だってこんな日にこんな所に」
「……友達が家に来てって誘ってくれて、それでちょっと浮かれてたのかもしれません」
「……そんなこともあるか。これだけふらふらしていればな」
「これだけ、って……」
「匂いを辿ってお前の来た道を探っているが、本当にふらっふらだぞ。森に慣れてないなら、もう少し気を引き締めろ」
「うぅ……」

匂いって何だ。そんなに臭いのだろうか、と思わず自分の手をすん、と嗅いでしまう。

「……お前、何か思い詰めてる様子だな」

否定できない。思わず口に出してしまう。

「友達に誘われて、すごく楽しかったし嬉しかった……でも、来年にはもうその友達にも会えないんだって……」
「会えない?」
「旅に出るんです。二度と戻れない旅。私は最初から分かっていたけど、友達は知らない。だから来年も再来年も、一緒にいられると思ってる。何だか、残酷なことをしてる気がして」

イセリアに戻れない以上、旅に出たらロイドとはもう会えない。ロイドはきっと、納得してくれないだろう。それが、少し辛い。

「……それは、変えられない、決まってることなんだな?」
「はい。どうやっても変えられないことで……」
「……そう、だからそんなに思い詰めてるのか」

みなまで言わなくても、女性はおよそ察してくれたのだろう。

「……気休めにもならないだろう。だが少しは奇跡を、信じてもいいんじゃないか」
「奇跡なんて……」
「あるんだ。失ったと思っていた大切な人が生きていて、再び会うことができた。死ぬまで逃れられないと思っていた呪縛から、生きて解放された。私はそんな、奇跡のような出来事があった。必ず起こると期待できないし、するものじゃない。でも少しくらいは……奇跡を、信じていいと思う」
「…………」

女性の声色は、何だか優しい。本当にレイラの様子を案じて、希望を持たせようとしてくれているのだろう。

「起こるのでしょうか……私にも、そんな奇跡」
「さあ、な」

どうやっても起こらない、ありえないような出来事が、起こるのだろうか。想像もつかない。

「……あ」
「どうした?」
「このあたり、見覚えがあります」
「そうか。なら、ここからは1人で帰れるな?」
「はい」

来た道を再び戻ろうとしていた女性は足を止め、振り返る。レイラから見ると、背を向けていたのがこちらに振り返る形になる。
女性は、本当に優しげな顔でレイラを見やる。

「あるいは――この出会いそのものが、奇跡かもな」

そう言って、女性はレイラの後ろ、元来た方へ去ってしまった。
レイラも、前へ歩き出す。ロイドたちを心配させてしまっているだろう。急いで戻らなくては。


あれから、数年。再生の旅の1年前の聖夜、不思議な出来事をレイラはふと思い出す。
不思議と、あの女性の顔や姿を思い出そうとすると靄がかかったように思い出せない。女性と出会った場所へもう一度行こうとしても辿り着けなかった。きっともう二度と会うことはないだろう。
それでも、その言葉ははっきり思い出せる。

「奇跡は……ありました」

あの頃からは想像もつかないような未来に、今レイラはいる。

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