それは奇跡のような 2

まずは気持ちを落ち着けるために、誰もいない区画を歩き回っていた。その行動自体が落ち着きのない証だ。何だか情けない。
宴の場から食べ物を持ってきたり、身を清めたり、やることは多々ある。こうしてる場合ではないので、すぐに戻るつもりだった。

――その少女は、雪に似合わない温もりと雪に似合う静寂を備えていた。

「……何だ、お前は」

ふと、後ろの方からこの場に似つかわしくない気配を感じ振り返る。そこには、いる筈のないベオクの少女がふらふらと歩いていた。

「……天使?」

少女はミリアを見て、ぽつりと漏らす。
女神の使いなのかと言われ、ミリアは思わず呆れる。

「はぁ?」

翼を見てそう思ったのかもしれないが、まさか鳥翼族を知らないわけでもあるまいに。

「翼があるんだから、天使じゃ……」
「……無知なのか、お前は」

前言撤回。どういうわけか、とんでもない無知が紛れ込んだらしい。

「まあ、いい。何も知らないような者が、一体何故こんな所にいるんだ」
「私、少し散歩してて……」
「散歩、ね……」

方向音痴なのか。それにしても酷すぎやしないか。

「なら、早く来た道を戻れ。ここはお前のような者が来る所じゃない」

少女が来た方角を指し示してやると、途端に少女は焦った様子になる。

「……あれ、ここ……」
「……迷ったのか」

かなりふらふらぼんやりしていたとはいえ、こんな場所にベオクが迷い込むなんて、そんなことあるのだろうか。

「……はい」
「だろうな。付いてこい。森は慣れてないとすぐ方角を見失う」

多分このまま戻らせてもまた迷うだけだろう。少女の匂いを辿って、元来た場所へ案内した方がよさそうだ。

「それにしても、何だってこんな日にこんな所に」
「……友達が家に来てって誘ってくれて、それでちょっと浮かれてたのかもしれません」
「……そんなこともあるか。これだけふらふらしていればな」
「これだけ、って……」
「匂いを辿ってお前の来た道を探っているが、本当にふらっふらだぞ。森に慣れてないなら、もう少し気を引き締めろ」
「うぅ……」

およそ、普段は遠くに住んでいて、この辺りに慣れていないのだろう。辿っていく道は普通なら通らないような道筋だ。

「……お前、何か思い詰めてる様子だな」

ふらふらしていた原因も、そこにあるだろう。

「友達に誘われて、すごく楽しかったし嬉しかった……でも、来年にはもうその友達にも会えないんだって……」
「会えない?」
「旅に出るんです。二度と戻れない旅。私は最初から分かっていたけど、友達は知らない。だから来年も再来年も、一緒にいられると思ってる。何だか、残酷なことをしてる気がして」

何やら訳ありの様子だ。こういうのはあまり深入りしないのが吉なのだが、少女の様子についお節介を焼いてしまう。

「……それは、変えられない、決まってることなんだな?」
「はい。どうやっても変えられないことで……」
「……そう、だからそんなに思い詰めてるのか」

自分ではどうにもならない要因で、誰かを苦しめるかもしれないというのは心苦しいことだろう。
けど、もしかしたらだ。

「……気休めにもならないだろう。だが少しは奇跡を、信じてもいいんじゃないか」
「奇跡なんて……」
「あるんだ。失ったと思っていた大切な人が生きていて、再び会うことができた。死ぬまで逃れられないと思っていた呪縛から、生きて解放された。私はそんな、奇跡のような出来事があった。必ず起こると期待できないし、するものじゃない。でも少しくらいは……奇跡を、信じていいと思う」
「…………」

そう、本当にあの戦いは奇跡だった。リアーネと再び会えたこと。血の誓約から解放されたこと。それだけじゃない。奇跡とも言っても差し支えないような出来事は枚挙に暇がない。

「起こるのでしょうか……私にも、そんな奇跡」
「さあ、な」

ミリアに奇跡が起きたからといって、少女にも起きるとは限らない。無責任ではあるが、未来は誰にも分からないのだ。

「……あ」
「どうした?」
「このあたり、見覚えがあります」
「そうか。なら、ここからは1人で帰れるな?」
「はい」

よくよく見渡すと、ミリアにとっては見覚えのない景色だ。ここから先を進むと今度はミリアが戻れなくなりそうだ。少女の方は大丈夫そうだし、ここらで引き返すことにしよう。

「あるいは――この出会いそのものが、奇跡かもな」

少しだけ、ベオクの友を想起させるような雰囲気の少女。根拠はないが、もう二度と相見えることはないだろうという確信があった。
こうして奇跡のような出会いがあったのだ。きっと少女の先行きは奇跡のような出来事がある筈。
ミリアはただ、それを願うだけだ。名も知らない少女に対して。

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