眠れる獅子を起こさないで 1

女に襲いかかった暴漢は容易く撃退され、この村に駐在している兵に引き渡されていった。
兵に拘束されながらも、暴漢は女を見据え続け、心の底からの侮蔑を込めて吐き捨てていった。

「王家に取り入っておいて自分だけ生き延びた売女が……!」

罵倒を浴びせられた女の方は特にそれに眉を動かさなかった。だが、何やら少し考え込むように首を傾げる。

「大丈夫ですか?」
「ん? 大丈夫よ。あんたが咄嗟に追い払ってくれたし」

心配したように声を掛けてきた助手に、何でも無いというように手を振る。

「いや、そうではなく……今の心無い言葉が……」
「ああ、あれね。別に傷ついた訳じゃないわよ」

仕えるべき王も亡くおめおめと生き恥を晒している者達。先の戦争において不本意ながら首が繋がったフラルダリウス家の生き残りに対する評価なんてそんなものだ。
ただ、この場合の問題は、先の罵倒が明らかにフラルダリウス家の生き残りのベアトリスでなく王妃であったベアトリスに向けたものなことだ。
それだけでも大問題なのだが、王家に取り入っただの、随分と事実からかけ離れている。一体これはどこから出てきたのだろう。

「とりあえず、帰ろっか。あんまり遅くなって心配させたら悪いしね」

暴漢に襲われたせいで予想外に時間を取られた。寂しがりの子供がまた屋敷中に泣き声を響かせてしまう。

家に戻れば、いつも通りの堅く閉ざされた門がベアトリス達を出迎えて――くれなかった。門は開かれ、駐屯兵が集まっていた。

「……何これ?」
「おお、ベアトリス。少し遅かったな、おかえり」
「只今戻りました、父上。……これは一体?」

兵と何やら話していた父が出迎える。その様子には切迫したところは感じられない。

「屋敷に暴漢が押し入ってきてな。何、心配はいらない、別に何てことのない相手だったからな。丁度引き渡しているところだ」
「屋敷に……暴漢?」
「嫌な偶然があるものですね。さっきもベアトリス殿が……」
「……偶然じゃない」

ベアトリスを襲った暴漢も、屋敷に押し入ってきた暴漢も、不自然な所が多すぎる。

「ここは無駄に大きいだけで盗るものも何もない、相当な物知らずでもない限りは誰でも分かることよ。それから、さっきの奴……。明らかにあたしのことを知ってたわ。そんな変な奴らが、同じ時に襲ってきた」
「……言われてみれば不自然ですが、関係があると断じてしまうのは尚早では?」
「……色々とね、あるのよ。狙われる理由が」

医師稼業の助手もとい帝国の密偵を担っている彼は、ベアトリスと子が厳重に監視される本当の理由を知らない。口が堅く忠実に与えられた任務を遂行できる人材を、ヒューベルトが選んだから。
逆に、父は知っている。何もないこの屋敷には、フォドラを揺るがしかねないものが隠されていることを。
そのことに行き着いた父の顔から血の気が引く。

「このままじゃエーデルガルトとの約束も何も意味を為さなくなる。どんなにあたし達がそれを守ってたって、他所からぶち壊しにされたんじゃ意味がないわ」

王子の存在を知っているのは本当に僅かだけれど、僅かであることと、存在しないのとでは全く意味が違う。
どうして、今まで勘違いしていたのだろう。自分達さえ隠していれば大丈夫であると。どうして、失念していたのだろう。闇に蠢く者達がいなくなったとしても、幼子を利用しようとする者は他にもいることに。

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