眠れる獅子を起こさないで 2

あれ以来、身の安全を考え外出を減らしている。
母が家にいることに子供は喜び、めいいっぱい甘やかされたがる。
元々、人目に触れない為にあの子は家の中に幽閉も同然の暮らしを送らせてしまっている。遊びたい盛りな子供にとってそれは退屈で仕方ないだろうし、発育にも良くない。そんな負い目があるから、子供の我儘にはできる限り答えていた。

ある日、客人が訪れてきた。

「……ベレト!?」
「久しぶり。元気そうでよかった」

以前にアンヴァルを訪ねた時は不在だったから、こうして会うのはシャンバラの戦い以来だ。

「何でここに?」
「君の周りで事件がよく起きてると報告を受けた。ヒューベルトが詳細を知りたがってるけど、彼を通すと深入りした事情が聞けないから、代わりに自分が聞きに来た」
「あー、そういう……」

密偵はベアトリスや子供の行動を逐一報告するよう命じられている。なら、事件のことも自ずとヒューベルトの耳に入ってくる。
そんな忠実な密偵にすら子の正体は伏せてある。ベレトを遣わしたのは、ヒューベルトなりの苦肉の策を伺えた。

「ヒューベルトは何て?」
「何者かが反乱を企ててるなら帝国としては見過ごせないって」
「まあ、その可能性は当然考えるわよね……。犯人が分からない以上目的も推測のしようがないから、今の所は何とも言えないのよね」

今ある事実は、ベアトリスが襲われ、子供が狙われた。それだけだ。それが身柄かあるいは命か、何が目的なのかそれすらも分からない。
ヒューベルトが危惧しているのは、帝国に対する反乱の旗揚げをされることだ。本格的な動きがある前に潰せるならそれに越したことはない。

「分からなくても、ある程度当たりは付けられるんじゃないかって。少なくともリオネルの存在を知っている者には絞られるから」
「それもそうね。あたしの知ってる範囲になるけど……」

コルネリアが闇に蠢く者達に漏らしていたように、誰かが漏洩していればその範囲までは流石に分からない。或いはヒューベルトのように独自の調査で突き止められても把握できない。

「というか、そもそもあたし達の婚姻が秘匿されていた理由は分かってる?」
「そういえば、知らない」
「戦時中だったから民衆の反感を買わないように……ってことだったけど、今思えば戦時中だからこそ、王が妻を娶り後継を残すのは何もおかしいことじゃないわ。提案したのコルネリアだったし、多分何か企んでたんだと思う。……今となっては何の意味もないけど」

婚姻そのものはともかく、その後の動きは今思い返すと不自然なところばかりだ。秘匿を提案したコルネリアは自らがその側仕えになると申し出てきた。あの聖女の皮を被った毒婦が嫌いだったのもあり断ったが。
他にも、王妃の存在を秘匿するという話に重臣達は特に疑問に思わないどころか、心なしか慣れているように思えた。もしかしたら、過去に似たような立場の者がいたのかもしれないが、今はもう知る由もない。

「とにかく、そういうこともあって、知ってたのは王に直接仕える重臣達と、主だった諸侯の当主……あとは、大司教殿も。教団の方は彼女くらいね。どんなに親しい者であっても漏らしてはならないとかたーく箝口令も布いてた筈なんだけど……よりによって帝国の摂政に漏れてたし、あんまり信用できないわ」

念の為、既に死去している者も含めて全員の名と身分を紙に書き起こしていく。

「これでよし、と。これをヒューベルトに渡しておいて」

渡された紙をベレトも見る。知っている名も所々あるがほとんどが分からなかった。

「……いくら世俗に疎くても流石にそれはどうかと思うわよ……?」

そこに連ねられた名はかつての王国の重鎮を担った名だたる面々だ。全然分からないままでよくやっていけるものだと思う。

「……とにかく、大切な情報だ。教えてくれてありがとう。自分に何か手伝えることはあるかな」
「……親切で言ってるんだろうけど……」

ベレトの提案に対し渋い顔をせざるを得ない。

「もしこれが帝国に叛意を抱く者の企みなら、帝国の介入は事態を悪化させるわ。帝国はまだ何も掴んでいないという体を保っておいて。必要だと思ったら、あたしの方から伝えるから」

王子の存在を隠したまま、王子の存在の為に起きている何らかの思惑を打破する。それは、下手をしたら帝国の手から王子を抱えて逃げ続けるよりもずっとずっと無理難題かもしれない。