この春、年上の後輩ができた。なんでも亜米利加帰りらしく、人懐っこくて気配りのできる男だ。他にやりたい事があると、前にチラと聞いたことがある。それでも仕事はきちんとこなしてくれているし、最近はやりがいが出てきたと本人も言っていた。それならばと思い、こちらの仕事も少し手伝ってもらいたいと相談してみた。すると二つ返事で承諾してくれ、約束を取り付けた。ここまではいい。

「…あの似非紳士……」

約束の時間になっても現れず、いつまで経っても私の仕事は終わらず、出先から戻って来た同僚に「仰木なら若い女の子と歩いてたぞ」と報告を受ける始末。そして社内は私ひとりとなった。逢引とはいい度胸だ。しかし腹を立てていても仕事は終わらない。霞んだ目を起こすように目頭を摘む。

「……後輩なんていなくたってできるんだから」

女だって、立派に仕事をこなせるんだ。そう意気込んで書類の山をボンと叩いた。気合を入れていこう。頑張れ私!



「あかん、かなり遅れてもうた!」

春からの新入社員、仰木次郎は走っていた。年下の先輩から頼まれた仕事の時間から大幅に遅れてしまっていたからだ。なにも忘れていたわけではない。知り合いの女の子が少し悩んでいた為、時間になるまで話を聞いて慰めてあげたいと思っただけだった。それがいつの間にかこんな時間に。

「すんません!遅れました!!」

勢い良く扉を開ける。しかし誰の返事も帰ってこない。すでにもぬけの殻かと思い、衝立で区切られた一室を覗く。そこはソファーが設置されており、応接や打ち合わせ、仮眠に使われる。そして仰木と約束をしていた女性は現在、仮眠に使用中のようだ。

「…せんぱーい。仰木、来ましたよー」
「…」

すうすうと規則正しい寝息が聞こえる。仰木は顔を覗き込むようにしゃがんだ。

「…眉間にしわ寄せて。折角のべっぴんが台無しやで、みょうじ先輩」

なまえの眉間を延ばすように押す。くぐもった声で唸りを上げるもなかなか起きない先輩に、ふっと笑みを零し立ち上がる。なまえの作業机に行くと、処理済みと思われる書類の山があった。その隣に小さな束。こちらが残りの仕事だと分かった。

「この量をひとりで…悪いことしたなぁ」

仰木は申し訳なさで後ろ頭をぽりぽりと掻いた。椅子を引き腰掛ける。仰木はなまえが起きる前にこれだけでも済まそうと束を手に取った。
残りはなんとも簡単な仕事で、新人の仰木でもすぐに片付いてしまう量だった。呆気にとられながらも、その書類を山のてっぺんに重ねる。再びなまえのもとへ行くと、体制を変えつつ未だに寝こけていた。そろそろ起こした方がいいと思い、細い肩に手を添える。

「先輩!みょうじ先輩、起きてください!」
「う〜ん……なに…?」
「なに、とちゃいますよ。遅れてほんますみませんでした」
「仰木…来たのね。逢引してたんでしょう?」
「なんでバレてっ……すんません!残りはやっときましたんで…!」

目を開けると仰木がいた。
どうやら逢引は事実らしい。この人もいい大人だ、逢引のひとつやふたつするだろう。私との仕事の約束を破ってまでするとは思わなかったけれど。残りはやってくれたという事は、やらなければいけなかった仕事の山も綺麗さっぱり終わったという事だ。ふうと息を吐き脱力すると、仰木はそばでしゃがんだ。

「…先輩も、あんま無茶せんとってくださいよ」
「別に、無茶なんか…」
「女やからって舐められたくないとか、期待に応えたいって気持ちは分かります。でもここんとこずっとあの量の仕事してますやろ?せやから俺も力になれればと…思ってたんやけど結果これですわ」
「…後輩のくせに、生意気ね」
「なら後輩としてやなく、男として言わせてもらうわ。なまえちゃん、もっと頼ってや。仕事以外だけでもええ。連れ出して欲しい時は、俺が絶対連れ出すから」
「…連れ出すって、どこにですか?」

急に年上の男になるものだから、こっちも敬語になってしまう。ここは職場で、仕事の話をしていたはずなのに。この人はこうやって何人もの女性を相手にしてきたに違いない。そんな事は分かってる。それでも何となく、縋りたい気持ちになった。

「どこでもええで?なまえちゃんが行きたいところならどこでも!」
「だったら弥島ね。最近、女店主のことで持ちきりなの」
「げっ…」
「げ?何か不都合でもあるの?」
「いいいや!何にもないで!?せやけど折角デートのお誘いしとんのに、また仕事かいな」
「文句があるなら私ひとりで十分よ」
「だあ!もう!敵わんわ、先輩には!」

後日ふたりで弥島へ行き、噂の女店主が逢引相手だったことを知られ私に白い目で見られる仰木と、気まずい"デート"が行われた。

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