「…よし!」

厨房から全てのお皿をテーブルへ運び終えた。たまにこうして酒爺ちゃんのお店へ手伝いに来ている。4年ほど前からグーグーやリーン、フシとピオランさんが加わり、今では大所帯だ。重いものを運んだりはどうしても男の仕事になってしまうけれど、その分みんなの負担が減るように家事の手伝いをしていた。そしてその1つ、食事の準備が整ったところだ。

「グーグー、フシ!ご飯の準備できた…ゲッ」
「なまえちゃ〜ん!会いたかったよ〜!」

店番をしているグーグーとフシを呼びに行くと、もう1人男が突っ立っていた。その軽率そうな顔は私を見付けた途端に駆け寄り抱きつこうとする。困った様子の2人をチラと見て、近付いてくるそれを足蹴にした。

「近寄らないでって言ったよね」
「だから5年間も我慢したじゃないか!相変わらず可愛いねなまえちゃん!結婚しよう!」
「しない」
「えーと…なまえ、この人は?知り合い?」

私がまだ酒爺ちゃんの手伝いをする前、やたらと絡んできた厄介な男。やれ好きだの結婚だのと断っても断っても湧いて出てくる。酒爺ちゃんの手伝いをするようになってからは住居も移し、その姿を見ることはなかったのだけれど…。

「なまえちゃん可愛いね」
「気持ち悪い近寄らないで消えて」
「再会の抱擁!」
「ほんっとに無理!!」
「またまた照れちゃって〜!…ん、何だよお前」
「フシ?」

距離を詰めてこようとする男と私の間にフシが割って入る。後ろ手で私を隠すように男との距離を取らせた。当然、男は気に入らない様子でフシを見た。

「なまえが嫌がってる」
「はあ〜?てか誰お前」
「お前こそだれ」
「ふ、フシ…ちょっと、!」

何とかしようとしてくれるのはとっても嬉しい。でもこのままではフシを巻き込んでしまう。今更かもしれないけど、私のせいでフシが嫌な思いをするのはいけない。そう思って止めようとフシの袖を掴むと、その手をぎゅっと握られた。

「…なになまえちゃんの手とか握っちゃってるわけ」
「……」
「は?なに、なまえちゃんの彼氏?」
「…!そ、そう!こいつらは恋人同士で、結婚するんだ!」
「ちょ、グーグー!」

今まで様子見に徹していたグーグーがここだと言わんばかりに混ざってきた。私とフシにそんな事実はないが、こう言えば男も諦めると思ったのだろう。男はフシを下から上へ品定めするように視線をやった。これで諦めて帰ってくれれば、バレたらどうしよう、と緊張してフシの手を強く握ると、彼も握り返してきた。

「……日取りは?」
「えっ!あ、あ〜っと…」
「さ、3ヶ月後よ」
「フ〜〜〜〜ン?じゃあキスはしたのか」
「な!ば、なに馬鹿なこと言ってんのほんと気持ち悪い!」
「気持ち悪いことないだろ。恋人同士ならキスなんてして当然だろ」
「うっ…!も、もちろん!したけど!?」

こんなの嘘っぱちだ。心が痛い。なにも分からないフシは、なんの事だと私を見たりグーグーを見たり男を睨んだりして忙しそうだ。

「なら今してみせろよ」
「はあ!?し、しない!」
「じゃあ俺と結婚しよう」
「意味わかんないんだけど!!」

まったくもって信じていない様子の男。やっぱりこの作戦は無理なのか…。ああ、またこんな奴に付き纏われる毎日がやってくるのかな。とてつもなく面倒くさい。仕方がない、これ以上フシを私の恋人役にしておくのもかわいそうだし、今のは嘘だけどお前はとっとと帰れ消えろとぶん殴ってやろう。そう思ってフシと繋いでいた手の力を緩める。

「…?フシ?」

それとは逆にフシは私の手を離さない。こちらをジッと見つめてるかと思ったら、今度は思い切り手を引っ張られた。

「わっ、なに…ん、!?」
「……」

目の前にはフシの顔が大きく映る。唇にはなにか柔らかいものが当たっているし、グーグーがいるであろう隣から「うわ!やりやがった!」なんて言葉が聞こえてきた。何をされているのか理解した頃には既にフシの顔は離れていて、男は目をひん剥いてそそくさ帰って行った。

「なまえ、あいつ帰ったよ」
「えっ?あ、あ、うん、え?」
「お、落ち着けなまえ…フシお前、大胆だな……!」
「グーグーがキスしたらあいつは帰るって言った。キスの仕方もグーグーが教えてくれたんだ。グーグー、ありがとう」
「いや、まさか実行するとは思わなかったけどな…」

どうやら私と男が睨み合っている間にこそこそとやり取りがあったらしい。

「ご、ごめんフシ…!私のせいでフシの唇が!純潔が…!」
「? 別になんともないよ」
「何ともなくないよ!嫌だったでしょ?」
「嫌じゃないよ。なまえの唇って柔らかいんだな」
「な…」
「ふわふわしてた」

真っ直ぐな瞳でそう言い放たれてしまった。グーグーも、表情は見えないけどきっと赤い顔をしている。

「ただ、キスになんの意味があるのかまでは分からない。なまえ、キスってどういう意味なんだ?」
「そ、それはその…こう………いや!駄目!フシがけがれていく!!教えられません!」
「知りたい」
「いけません!!ご飯冷めるから!早く食べよう!!あ、グーグーもありがとうお騒がせしました!!!」
「いや、俺は…」
「ご飯食べよう!!!!」
「なまえ、キス教えて」

しつこい男がいなくなったと思ったら今度はフシがしつこい。食卓でも何度も説明を懇願されて居たたまれない雰囲気だ。お年寄り2人はほほ笑みながら見てくるし、私は一体どうすればいいんだろう。とにかくフシの唇は柔らかい。それだけが心に刻まれた。

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