ルーナが飲んでいたコーヒー、座っていた椅子、目の前にあった長い食卓テーブルが突然、凍りついた。明らかに普通の人間に出来ることではない。だとすれば頭によぎるのは一つの答え。
「これって……『体質能力』だよ、な……?ルーナ…お前…『体質者』だったのか…?」
「わ、わたしが…体質者…?」
意外だったのはルーナ自身が最も驚き、困惑していることだった。
「ル、ルーナも知らなかったのか?」
「こんなの、初めて…ど、どういうことなの…?」
実はルーナが気付いていないだけで片鱗はあった。刑事になる前の日、母クレアが入れた紅茶が温くなっていたこと、ジーザスと会った時に飲んだコーヒーを捨てた時にその水滴が凍っていたこと。「水分が凍る」現象は今までも起きていたのだ。しかも、それが時間が経つにつれて氷結の力が強くなっていることにもルーナは気付かなかった。
「お、親父!これって…」
「うん、間違いなく『体質能力』だな。…ルーナちゃんは知らなかったんだな?」
「は、はい。そんな、全然…」
「家族にも体質者は居ない?」
「居ません…」
「まあ体質者は遺伝じゃなくても突然発現することもあるらしいがね」
冷静にアーロンは凍ったテーブルを観察しながら言う。未だジーザス、ルーナ、ムイは状況を飲み込めなかった。
「あ、アーロンさん。これってやっぱ体質者の力っすよね」
「うむ。俺も専門家じゃないが、この物を凍らす力は…『
氷麗』だ」
「ひょうれい…?」
アーロンも長く生きてきただけあって、体質者と遭遇することはあった。そんな中で様々な体質能力を目の当たりにしてきたからこそ、この状況でも冷静なままなのだろう。
「氷麗の体質者とは、雪や氷を発現させ、自在に操る能力だよ。原理はわからないが、自分の意思によって操れると聞いたが…どうやら今のルーナちゃんは無意識に発現させたようだね」
「な、何も考えてなかったんですけど…」
「体質者というのは、生まれながらの素質によるものらしい。物心ついた時から能力が使える人間もいれば、ある程度の年齢になって突然発言する人間もいるという。ルーナちゃんは多分、後者だろうね。多分、気付かないだけで今までも発言の兆しはあったのかもしれない」
「あ…」
そこでルーナは母クレアと居た時に感じた紅茶の一件を思い出した。
「体質者関連については、世界で管理や保護してる大きい組織があるんだけどね。私じゃ能力について詳しくは説明できないけど、とりあえず体に害は無いらしいから」
「で、でもわたしにこんな力があるなんて…ど、どうしたらいいんでしょう…」
「とりあえず今は力が溢れた状態だろうから落ち着こう。深呼吸してごらん」
ルーナは言われた通りに深呼吸してなんとか心を落ち着かせようとする。すると次第に凍りついていたカップやテーブル、椅子の氷が消えていく。溶けた、というより消滅していく、といった消え方で、凍っていた箇所は水分も無く、元の通りに戻っている。その現象にムイは再び驚きの声を上げる。
「うわ氷が消えた!」
「ルーナ、大丈夫か?体は…なんか異変とか無いか?」
「う、うん」
ジーザスがルーナに駆け寄り、その体調を心配するが、ルーナは未だに自分に起きた謎の力が信じられないようで、自分の手を見つめていた。
(わたしが…氷麗の体質者…)
ルーナも体質者の存在は知っていた。世界にはそういった人々がいるらしい、というのは世間的な常識。子供の頃から本や人の噂で聞いたことがある程度だったが、まさかそれが自分だなんて。
とりあえず食卓を終えた四人は別室でルーナの様子を見ることになった。
別室では四人がソファーに座り、ルーナを心配げに見つめた。ルーナは一人掛けのソファーに座らされ、本人は不安げに両手を見つめる。
「はぁ…」
「大丈夫か?ルーナ」
「う、うん。今はとりあえず…」
ジーザスはルーナを気遣い、心配げに顔をのぞいた。とにかくルーナが落ち着くように手を尽くそうと思っていた。今は安定しているらしいが、次に何が起きるかわからない状態で、ルーナは怯えている。そこでルーナに優しく声をかけるアーロン。この中では一人、アーロンだけが冷静に状況を観察している。
「もしかしたら、これからも無意識に氷麗の力が出てしまうことがあるかもしれない。次第に操れるようになるはずだから、とりあえず慣れていくしかないね」
「は、はい…」
「実はね、うちにも体質者がいるんだよ」
「えっ………えっ!?体質者がいるんですか!?」
ルーナは驚いていた。まさか、オズボーンファミリーに体質者がいるとは。そんな話、全然知らなかった。そこにムイが口を挟む。
「ああ、叔父貴な。今は俺の親父と一緒に遠征に行ってるからいないんだけどさ」
「おじき…?」
「テルボロの叔父貴か。確かに叔父貴がいりゃあな…」
体質者であろう人物のことをジーザスとムイは親しげに叔父貴と呼んだ。実際の親族ではないだろうが、叔父貴と呼ぶということはかなり信頼を置いているようだ。
「そうそう、こういう時にあいつがいれば体質者特有のあれやこれやとかわかるんだけどな。あいつめ…良いタイミングだったなぁ」
アーロンが顎に手をやりながら呟く。どうやらその体質者の幹部は不在のようだが。その人物がいれば色々と詳しく説明してくれたかもしれない。
そんな中、ジーザスはヴェルヌで出会った情報屋のギースを思い出していた。あの男もまた体質者だったが、体質能力を戦闘の力として人殺しに使っていた。
(ノイシュベルツで戦ったあの情報屋は体質能力を使って人を殺した…だが、ルーナは違う)
確かに情報屋ギースのように体質能力を悪事に使う連中は存在するが、ルーナは決してそんなことをする人間ではない。しかし、先程のように無意識に能力が発現するのはルーナにとってもまわりにとっても危険があるかもしれない。
「ルーナ。その力、制御できるように俺も協力するからよ」
「ありがとう…」
するとムイが思い出したように言う。
「そういえば昔、叔父貴から聞いたことがあるぜ。体質者ってのはその名の通り、それぞれの『体質』によって能力が異なる。能力が発現して間もない頃は人によっては能力が勝手に出ちまったり、体調不良に陥ることがある……ってさ」
「勝手に能力が出るってのは今のルーナと同じだな。体調不良ってのは怖いな」
「そうだね。でもそういうのって本当に困……」
言いかけてルーナの言葉が途切れた。ジーザスの隣でルーナはそのまま真横に倒れ、ポスンとソファーに倒れこんでしまったのだ。先程、まわりが凍りついた瞬間と同じように再び空間は静寂に包まれ、その後に再びジーザスとムイの絶叫が響いた。
「うわーーーーー!!本当に体調不良になったーーーーー!!」
「ルーナぁぁぁぁぁぁ!!お、おい、しっかりしろーーーーーー!!」
思わず抱きかかえるジーザス。アーロンはその様子に先程までの笑みを消し、速やかに部下を呼ぶ。
「おい、すぐに氷とタオルを。あとは街の
医師を呼んでくれ。ジーザス、お前はルーナちゃんを部屋へ運べ。二階の端の部屋が空いていたはずだ。急げ!」
「お、おお…!」
昔からこういった緊迫した現場では必ず真面目な顔になる父親。ジーザスは急いでルーナを抱えて早歩きで部屋へ向かう。ルーナは意識を失い、美しい金の睫毛を閉じているが、元々白い肌が一層白く見える。これが先程ムイが言っていた体質者になったばかりの者が陥る体調不良なのか。折角、ブリタナに来てもらったばかりなのにこんなことになるなんて。
(ルーナ…まだ話したいことも沢山ある…早く元気になって落ち着いてくれ…)
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屋敷の空き部屋のベッドに寝かせられたルーナ。すぐにブリタナの街の医師がやって来て診察を行った。
「
医師、ルーナは…ルーナは大丈夫なんですか」
「…ええ。私は以前に体質者の患者さんを診察したことがありますが、今のルーナさんは確かに体質者特有の発熱が起きています」
「やっぱり…」
ジーザスは医師の言葉に愕然とする。
「体質者は環境が変わったりすることで能力が発現することもあるという。おそらくこのブリタナという新天地に来て環境が変わったことが引き金となったのだろうが、突然特殊な能力を使うエネルギーをかなり消費したために体が追いつかず、ひどい発熱を起こしている。おそらく氷麗の体質者ゆえに熱に弱いことが原因だろうが…この状態では私にはどうすることもできないのだ」
「そ、そんな!ルーナはどうなるんですか!」
もしルーナの命に何かあったら。そもそもルーナがこのブリタナに来たことがきっかけで体質能力が発現したのは…自分がルーナを連れてきたことが原因だとジーザスは自分を責めた。もし、自分が連れてこなければルーナはこんなことにならなかったのではないか。
「…実は…あくまでも噂なのですが…バレリアスの田舎町に体質能力の研究者がいると聞いたことがある。その者は体質者の能力によって起こされる症状などにも詳しく、それを治す薬を調合しているという。もしかしたらその者であれば…」
「体質能力の…研究者…」
バレリアスとは北の大国と呼ばれる雪国である。ヴェルヌとは別の大陸の北にある広い国で、国全体が一年中真冬の気候という特異な環境で、古くから人々は厳しい寒さに耐えるため、強靭な精神を持つという。その一方で雪の中に他国にはけして明かさない科学技術を要しているとの噂も囁かれている謎の多い国でもあった。そんな謎の国であれば体質者の研究者くらい居るだろうが。
「だがその研究者は大変堅物の変人らしい。診てもらえるかどうかはわからないが…」
「……」
(そいつなら…ルーナをなんとかしてくれるのかもしれない…)
ジーザスは意識の無いルーナを見る。今、もう方法は一つしかないのだ。
「俺、そいつに会いに行ってルーナを治してくれないか頼む!バレリアスのどこにいるんだ!
医師!」
「…確かバレリアスの寂れた街…ホロウグレーとかいったか」
ホロウグレー。バレリアスの田舎町だ。ジーザスはすでに決意を決めていた。すると側にいたムイが早速、愛用の
板状電素通信機でホロウグレーの地図を見る。
「ああ、バレリアスの西にある街だ。ジーザス、地図はお前の
小型電素通信機に送っておくぜ」
「助かる、ムイ。俺は早速準備を…」
「………ジーザス……」
その時、意識のなかったはずのルーナが小さく呟いた。弾かれたようにジーザスはルーナの元へ駆け寄る。
「ルーナ!目、覚めたか…」
意識が戻ったとはいえ、ルーナの顔色は悪い。熱が出たということで今度は顔が赤くなって息も苦しそうだ。
「ジーザス…今の、話……」
「聞いてたか…俺は今からバレリアスの研究者を探して会いに行く。絶対に助けてやるからな」
「…連れて、行って………わたし、も…」
「…はぁ!?」
ルーナはこの状態で自分についてくるというのか。ジーザスは思わず叫んだ。
「お前、何言ってるんだ!熱があるんだぞ!」
「ジーザスが…その人を連れてくるまで…不安な状態で待てない…。それにきっと…わたしがその現場に…行った方がきっとその人も…診てくれる、可能性が高いよ……」
「だからって!無理に体を動かしたらどうなるか!」
「医師の私からも無理はいけないと言わざるをえないよ」
医師も止めに入るが、ルーナはジーザスの手をがっと掴む。意外にも強い力であったが、熱のせいでかなり熱い。
「お願い……一緒に、連れて行って…バレリアスに…っ」
「っ…………無理になったらすぐ帰すからな」
「ジーザス、本気かよ!」
ムイは驚くが、ジーザスはルーナを連れて行くことを決めたらしい。ジーザス自身、本当はルーナを連れて行きたくないのだが、ルーナの決意を感じ取った。置いていけばベッドを抜け出しかねない。
「ジーザス。行くのか」
「!親父」
部屋に入ってきたのはアーロンであった。どうやら会話は外で聞いていたらしい。
「…バレリアスは人の少ない場所には魔物が出る。お前の銃だけじゃ太刀打ちできんだろう」
「!魔物…」
オル・ワース世界には魔物が出ることもある。ブリタナで生まれ育ったジーザスはあまり見たことはない。時々行くヴェルヌ本国も都市部はほとんど魔物は出なかったのだが、たまに「魔物退治」の仕事を受けた際にその姿を見て銃殺したことがあったくらいだ。
魔物とは、この世界の創世記から居る人ならざるもの。動物が死後に転生したもの、無機物に魂が宿ってしまったもの、さらには人間の負の感情が寄せ集まって生まれたものもいるという。異形な存在ではあるが、人間の手で倒すことができ、生命が終わると同時に消滅するのだ。
バレリアスは非常に広い大国であり、人が住めないほど極寒の地もある。そういった場所は魔物の巣窟となっていることが多く、たまに通る旅人を襲うこともある。
「お前は今まで何人かで魔物を退治してきたから銃だけでなんとかなった。だが今回、お前とルーナちゃんだけだとしたらもっと強い武器がいるだろう」
「武器っつっても…」
「…行く前に街の武器屋の親父さんに声かけていけ。話は通してある」
「?あ、あぁ…」
なんだかわからないが、どうやらアーロンはジーザスのために何やら武器を用意してくれているようだ。とにかく、ルーナを連れてバレリアスまで向かうしかない。
(急いで研究者に会いに行かないと…それでルーナを助けてもらうんだ)
時間は長く残されてはいない。
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「おっさん!」
「お、坊ちゃんか」
ジーザスはルーナと出掛ける前に急いで街の武器屋へやってきた。武器屋の主人は昔からジーザスを知っている馴染みの人物で、高齢に差し掛かっても武器の仕入れを怠らない几帳面な人柄。この島において武器はほとんどオズボーンファミリーが買いに来る。世界中の事件解決のため、身を守るための最低限の武器が要る。さらに人相手ならともかく、魔物相手ならば強い武器が必要なのだ。
「親父から言われたんだが…なんかあるのか。悪ィ、急いでこれから出かけなきゃいけねぇんだ」
「ああ、ボスから頼まれてる品な。ちょっと待ってくれ。いやぁ、ボスの人脈はすげえなあ。ボスが言ってた通り、ジャポンのある人から譲ってもらえてな。坊ちゃんに使ってもらえたら嬉しいぜ。なんせジャポンの刀だもんなぁ」
「刀…?」
ジャポンといえば東の小さな島国だ。そして刀とは、ジャポンやエイジアで使われるという剣。そんなものを父親が自分に用意してくれていたというのか。確かに剣、銃、体術は子供の頃から鍛錬を積んできたが、ジャポンの刀を扱うのは初めてだ。何故、アーロンは刀を用意したのだろうか。そうこうしていると主人が店の奥から長い布包みを抱えて戻ってくる。
「よしきた!坊ちゃん、持って行きな。ジャポンの名刀、その名も『
八咫守・黒烏』!由緒正しいすげぇモンだぜ!」
「…黒烏…」
布が解かれると、そこには黒く美しいジャポン刀があった。鞘から柄まで全部が黒い。長さは通常のジャポン刀に比べて少し短いか。だが、とても美しく、何か惹かれるものがあった。ジーザスが握ると、想像していたよりも軽い。
「これが……、…!軽いな」
「ああ。刀が短い分、軽さを追求したって感じだな。まあ、随分昔に作られたようだから詳しくはわからんが、ボスが是非探してくれって頼んできてな。坊ちゃんに渡してほしいと」
「親父が……」
不思議な黒い刀。これがルーナを守ってくれる武器となるのか。もちろんジャポンの剣術は詳しく無いが、自分が受けてきた西洋剣術と同じ要領でやっていくしかない。ジーザスは黒烏を腰にさすと、主人に礼を言う。
「ありがとよ!帰ってきたらちゃんと礼はする!」
「ああ、どこに行くか知らないが行ってきな、坊ちゃん!」
新たな武器を腰にさし、ジーザスは屋敷へ戻る。準備をしてルーナと共に極寒の地バレリアスへ向かうために。
10.能力の代価
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