「さっ…寒ィー!」
「…そう、かな…」
今、ジーザスとルーナは北の大国バレリアスの港町に居た。ブリタナからバレリアスへは船で来たが、幸いにもホロウグレーの近くの街に港があったため、この街からは一時間かからないくらいで到着する。
バレリアス国の地に足を踏み入れてジーザスが最も感じたのはその寒さであった。本来ならばまだ秋のはずだが、バレリアスは一年中が真冬という特異気候であり、恐ろしいほど寒かった。辺り一面は雪が降り、既にほんのり積もっている。一応、防寒着を用意してきてよかった。
そして、さらに良かったのは、ルーナが寒さに強いことであった。相変わらずぐったりとして熱はおさまっていないようだが、船に乗っていたおかげで極力体力の消費は抑えてきた。寒さに対しては案外平気なようだが、熱のせいかもしれない。
「ルーナは寒くないのか?熱のせいか…?」
「昔から…寒さには強くて…今は…特に熱があるから…涼しくて気持ちいい…」
ジーザスはルーナの体調を心配しながら歩き出す。港から街道に出ると、やはり辺り一面白い。雪はそこまで積もっていないようだが、ルーナを気にかけつつ歩くジーザスも疲労していた。だが、ルーナを守らなくては。
(俺がルーナを守る…必ず)
そう思っていた時。ルーナが何かの気配を感じ、足を止めた。どうした、と言おうとした時には既にジーザスの目にも異変は訪れた。
「ギャウッ!」
「!魔物だ…本当に出やがったな」
ジーザスとルーナの前には銀色の小型の狼のような生き物が三匹立ちふさがっていた。これが魔物。銀の狼の姿の魔物はバレリアスの固有種で、死んだ狼に悪しき思念が宿って魔物となった生き物。だが、基本的には元の狼と変わりはしない。これなら…
「ルーナ、下がってろ!ここは俺が…この黒烏で!」
「う、うん…」
ジーザスは腰の黒烏を抜く。その姿を見て狼の魔物は戦闘態勢に入り、一匹がまず噛みつこうと飛びかかってくる。ジーザスはとりあえず刀で斬りつけるが、ジーザスが思っていた以上に手応えがあった。
(なんだこの刀…軽く斬っただけで魔物が吹っ飛んだ…)
明らかに自分自身の力が強いわけではない。この刀の力によるものだ。そして二匹の魔物も一緒になって襲ってくる。完全にジーザスに狙いを定めたようだ。ジーザスは再び黒烏を握ると二匹の魔物を一匹ずつ斬っていく。最後の一匹がジーザスを背後から狙おうとしたが、素早く振り向いて切り裂いた。斬られた魔物達は唸り声をあげて倒れるとその体は粒子状になって消滅した。魔物は倒されればその体は残らず、消える。
「はぁ……この刀…一体…」
「ジーザス…!」
後ろに下がっていたルーナはジーザスに駆け寄ってくる。相変わらず顔色は悪いが、ジーザスの戦闘を見て驚いたらしい表情だった。
「今の…すごかった、ね…。ジーザスは刀も使えるんだね…」
「…あ、あぁ。ほとんど扱ったことは無かったんだけどよ…」
不思議な刀。父アーロンは何を思ってこの刀を用意したのか。帰ったら聞こうとジーザスは思った。とにかく今はこの刀のおかげでルーナを守れそうだ。二人は再び歩き出し、ホロウグレーへ向かう。
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「噂通り…寂れた街だな…ボロい家はいくつかあるけど、人の気配が無ぇ」
「…人…いないの、かな……」
街道を歩いて三十分ほどして二人はホロウグレーに到着した。街の入り口に立ち、辺りを見渡すが灰色がかった小さな家がいくつか建ち並んでおり、どれも薄汚れている上に雪が積もっている。中には扉の前に雪が積もっていて人が出入りできなさそうなものもある。つまり、人が住んでいないのだろう。こんなところに本当に体質能力の研究者がいるのだろうか?
「とりあえずしらみ潰しに当たるしか無いな。ルーナ、大丈夫か?もうちょっと我慢してくれ」
「大丈夫…一緒に…探そう」
力なく微笑むルーナ。熱のせいか、意識は朦朧としているようで言葉も舌足らずだ。急いで研究者の家を見つけなくてはいけない。ジーザスは早速ルーナと共に家を当たり始めた。
「…どこも、不在…みたいね…」
「そんなっ…やっぱり噂にすぎなかったってのか…?」
あれから約三十分。街のすべての家を捜索したが、どこも無人だった。中には窓が割れていたり、屋根に穴が開いて雪が家の中に積もっているものもあった。街自体、誰も住んでいないように思える。ここまで来たのは無駄足だったのか。帰りの道はルーナの体調が保つのか。
「くそッ!ルーナっ…」
「……!待って。……なんだか…今、人に見られていたような感じ…しなかった?」
「えっ?」
ふとルーナが後ろを振り返る。そこには並んだ家の一つ。先程も調べたが、全く反応は無かった。他の家と同じだった。だが、ルーナは何かを感じたのだという。
「ごめん…多分…気のせい、だと思うけど…」
「…もう一回調べてみるか。調べるのはタダだしな」
ジーザスは再びその家に近付く。相変わらず人の気配は無い。そして先程もしたようにもう一度扉をノックしてみる。
「…すみません!誰か!……いや、やっぱり…人は居ないよう…」
居ないようだ、と言いかけた時。ドサッという、何かが積もった雪の上に落ちる音がした。ハッとしてジーザスが振り返ると、衝撃的な場面だった。…先程まで立っていたルーナがその場に倒れこんでいたのだ。
「!!!ルーナ!!ルーナ!しっかりしろ!!」
やはり無理がたたった。今まで必死に我慢してきたのだろう。ルーナの顔は真っ赤でひどい熱だとひと目でわかる。ジーザスはルーナを抱き起こして呼びかけるが全く反応が無い。どうしたら。どうしたら。この状態でブリタナまで帰れるのか。どうすればいい。
(やっぱり俺は…最低だ…っ。ルーナを守れない…!)
全てが絶望的。ジーザスの思考が止まりそうになった時だった。
「おい」
今までジーザスとルーナしか居なかったはずの空間に、突然第三者の声がした。低い、男の声。しかも少し不機嫌そうだ。言うなれば、朝に無理矢理起こされた人間のような。ジーザスはその声に一瞬ビクリとして振り返る。
先程まで気配も無く、声をかけても誰も応じなかったはずの家のドアが開いている。人一人分くらいのドアの隙間に立っていたのは…眼鏡をかけ、眉間に皺を寄せた長身の痩せた男だった。くすんだベージュのウェーブがかった髪は背中くらいまで伸び、どうやら頭の後ろでひとつ結びにしているようだ。服装は薄汚れていてモスグリーンのシャツに黒いベスト、皺のある黒いズボン。その男はじっとジーザスを不機嫌そうに見つめていた。
「お、お前は…」
「……その娘はどうした。意識が無いのか。……待て、その顔色……。……そこの貴様。さっさとその娘を家の中へ運べ」
「な、なんだって…!」
「早くしろ」
男は厳しい口調でジーザスに指示をする。いや、むしろ命令に近いかもしれない。男の言葉に押され、ジーザスはルーナを抱えて男のもとへ走る。ジーザスが扉に近付くと男はさっと家の奥へ入っていき、ジーザスもそれに続き、失礼ながら足で扉を閉めた。
そこで家の中の全貌が明らかになったが、外観通り狭い部屋。昼間だというのに薄暗く、電気もついていない。窓から差し込む曇天の空の光がうっすらと部屋を照らす程度。ただ、辺り一面は本棚に囲まれ、多くの本が積み上げられていた。その様子は圧巻でジーザスは思わず息を飲む。この狭い家の中によくこれほどの本が。しかも一部は本棚に入らず、床に平積みされ、その本の山が崩れているものもあった。本以外にも何やら文字が書き連ねられた書類のようなものも見える。一言で言えば整頓されていない部屋、といったところだ。奥には他にも幾つか小さな部屋があるようだが、開きかけの扉から見える様子だと寝室らしい。
そして、もうひとつジーザスが驚いたのは、男の向かっている場所。今居る部屋の床に地下へ下りる階段があり、男はその階段を下りていく途中だった。
「その娘を連れてこい」
「あ、ああ!」
とにかく今はこの男についていくしかない。おそらく、あの男が…自分達が探していた存在なのだ。
ジーザスはルーナを傷付けないように慎重に階段を下りていく。そこでジーザスは驚きを隠せなかった。乱雑に本や書類が積み上げられた上の階とは正反対に、地下には綺麗に整頓された薬品棚と謎の機材、フラスコ、水槽などが並べられ、一見して「何かの研究室」だとわかった。こんな一軒家の地下室にこんな立派な研究室があるのがとても異質に見える。
「ここは…」
「おい。その娘をこっちに寝かせろ」
男は薬品棚を漁り、ジーザスの方を見ずに声をかける。こっち、というのは彼の立っている側にある簡易的なベッドだろう。就寝用というより、人を寝かせて状態を見るためのものに見えた。とにかくジーザスはルーナをベッドに寝かせ、男を見る。
「お前が…体質能力の研究者……なのか?」
「……」
「ルーナを…治せるのか?ルーナは助かるのか?」
「…………最近、この娘は体質能力に目覚めた。そうだな」
「あ、ああ。突然、まわりが凍って…」
「…
氷麗か。…能力が目覚めた代価…突然の発熱…」
男はブツブツと小さく呟きながら薬品をいくつか取り出し、フラスコに入れて混ぜていく。ジーザスはただそれを見ていることしかできない。男の背中から「話しかけるな」オーラが思いきり出ていた。そして男は薬品の入ったフラスコを軽く混ぜると、それを細い試験管に入れ、ルーナの元へ向かう。
「この薬を飲ませろ」
「お、おい、その薬、ほんとに安全なんだよな?毒が入ってたりとか…」
「あぁ?」
ジーザスのその言葉に男は鋭い目を向けた。マフィア育ちのジーザスでさえビクリとするほどの殺気。只者ではない、と感じる。
(なんだ…コイツ…なんて殺気だ…本当に研究者か…?まるで今まで死線をいくつもくぐり抜けてきたような…)
例えるなら狼のよう。ここに来るまでに襲ってきたあの狼の魔物よりずっと鋭い、バレリアスの冬の大地で獲物を切り裂く本物の獣のような目だ。
「…い、いや。…そいつは…ルーナは…これから『やりたいこと』があったんだ…そのために…これからだって時だったのに…こんなことになって。…俺、ルーナを救いたいんだ!頼むッ…ルーナを助けてくれ!」
「……………」
ジーザスは思わず頭を下げた。その様子を男は眼鏡の奥でじっと見下ろす。
「…俺は医者ではない。…だが、体質者の能力によって起こる症状ならほとんど全て理解している。この薬は…体質者が起こす発熱を抑える効能があるものだ。それに、氷麗の体質者用に調合した体を冷やす薬も入れた。これを飲んでしばらく寝かせておけば症状は治まるだろう」
「…!わ、わかった。これをルーナに…」
ジーザスは顔を上げ、男から薬の入った試験管を受け取ると、そっとルーナの頭を持ち、口に近付ける。
「ルーナ…薬だ…飲めるか…?」
「……ん…」
ルーナは意識はうっすらとあるのか、試験管の薬を少しずつ飲んでいく。苦いのか、時折顔をしかめたが、薬の量が少なかったためか、全て飲むことができ、再び意識が微睡んでいく。
「これで…ルーナは助かるのか?」
「……問題ないだろう。…このまま寝かせておけ」
男はそれだけ言うとベッドの側から離れて、デスクに向かうとその上にあった書類に何やらペンで書き始めた。ジーザスは男の方を見て、改めて考える。
(コイツは一体…何者なんだ?研究者っていうわりに…なんでこんな北の辺境でたった一人で暮らしてるんだ。この街はコイツ以外居ないのに…いや、むしろ…最初に俺達が訪ねた時は居留守使ってたよな。なんだったんだ…)
まるで世間から隠れているような生活。食材の買い出しなどはどうしているのか。そもそも、名前すら聞いていない。
「な、なぁ。お前…」
「……貴様は何者だ」
「え」
「…発熱状態の体質者の女を連れてこんなところまで来るなんてとんだバカだと思っていたが……その腰の刀」
「あ…」
ジーザスは思わず腰の黒烏を見る。ホロウグレーに来るまでの間、狼の魔物を圧倒的な力で倒したジャポン刀。
「…それはジャポンの妖刀か」
「妖刀?」
「…はぁ。そんなことも知らずに腰に下げているのか」
「んだとっ…!妖刀ってのは何なんだよ…この刀、普通の刀とは違うのか!?」
確かに普通の刀ではないということはジーザスもわかっていた。だが目の前の男はそれ以上のことを知っているようだ。
「…ジャポンは何百年か前、戦乱の世が続いていた。その中でいくつか、特別な力を持つ刀が作られた。製法は不明だが、現代において希少な武器の一つ。それが妖刀だ」
「ジャポンの特別な力を持つ刀…」
特別な力、というのはまるで体質能力のようだ。だが、黒烏の特別な力とは、魔物を蹴散らした高い攻撃力のことだろうか。だが、それははっきりとしない。
「そういえばなんでお前…そんな妖刀のこと知ってるんだ?研究者だろ?」
「……どうだっていいだろう」
(なんだコイツ…)
会った時から思っていたが、この男はかなり愛想が悪い。
「…っ。っていうかよ…なんでこんなところに一人で…体質能力の研究っていっても、こんな不便な場所じゃなくてもっと人の多いところでやればいいじゃないか」
「……俺は科学者だ。体質能力の研究だけに集中して生きている。そんな生き方は…うるさく騒ぐ連中の側じゃ出来るはずがない」
(科学者…)
つまりは人間嫌いということだろうか。確かにそんな顔をしている。会ってから一度も眉間の皺が取れていないし、先程の只者ではない殺気。都市部に住まないのは、人の多いところで研究などできないという意味か。
「貴様こそ……ただのチンピラではないようだ。…妖刀なんざ、そこらの奴には手に入れられんだろうしな」
「…あ。俺は…ヴェルヌのブリタナって島から来た…ジーザス・オズボーンだ」
「……!オズボーン…噂に聞いた…マフィアか。成程…貴様がオズボーンファミリーの跡取り息子だな」
「やっぱり知ってるのか…」
「…確か、先月にはギレグドの富豪がギャングに誘拐された時、人質の富豪を救出したそうだな」
「えっ」
ジーザスは驚く。それは確かに先月、父アーロンと共に解決した事件。ヴェルヌの隣国ギレグドで富豪が誘拐されたと情報を得て、ギャングの本拠地から富豪を助け出した。ギャングの逮捕は地元警察に任せてさっさと帰ってきたが、富豪からは大変な感謝の言葉をもらった。あの一件、もちろん世間には明かされていないはずだが、何故この男は知っているのか。
「な、なんでお前ッ、それを…」
「……こんなところにいても外の情報は入ってくる」
「…お前、本当に一体…何者なんだ…」
「………俺は…『死神』だ。……過去の罪を
現在、体質者を救うことで償おうとしている愚者の死神……」
「死神…?」
男は自分をそう例えた。そして過去の罪とは一体何なのか。だがこの男を見れば、過去に何かあったことはわかる。
「…お前の、名前は?」
「………ハザード・ディザリウス…体質能力の科学者にして、追求者だ」
ハザードと名乗る男は眼鏡の奥の瞳をジーザスに向ける。その奥には深い闇のようなものを感じ、ジーザスは息を飲む。彼との出会いはジーザスにとってもルーナにとっても大きく運命を動かすものとなることをまだ知らない。地上の外では雪が降り始めていた。
11.北の科学者
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