「………う…ん……」
ルーナが目を覚ましたのは見慣れない天井の下。灰色がかった部屋のベッドに寝かせられているようで、ルーナはぼんやりと天井を見つめたまま。ベッドの側の窓から外の日差しが少しだけ入ってきている。空は雪降る曇天のため、うっすらと暗いが、昼間なのだということはわかった。
(ここ…どこだろう……わたし、確か…ホロウグレーの街で倒れて…)
すると、ベッドの側からジーザスの声がした。
「ルーナ!」
「……ジーザス……わたし、一体…」
どうなったんだっけ、と言おうとしたルーナだが、当然上部から誰かの手が額に当てられ、ビクッと驚く。横になった体勢のまま上目で見ると、見たことのない眼鏡の男が自分の熱を計っているようだった。
「熱は下がったようだ。あとはしばらく寝ていれば問題ないだろう」
「えっ…えっ。だ、誰……?」
「ルーナ。こいつはハザード。探していた体質能力の研究者だ。お前を助けてくれたんだ」
「!あなたが…」
ハザードはふい、と顔を反らして再び書類にペンを走らせ始めた。ルーナの症状を書いているようだ。実はあれから薬を飲まされたルーナは一晩眠り、地下の簡易ベッドから一階にあるハザードの寝室のベッドに移動させられていた。ルーナはゆっくり体を起こし、きょとんとしながらハザードの背中を見つめる。
「あのっ!…ありがとう、ございました…!」
「……熱は下がったとはいえ、あまり無理をするなよ。氷麗の体質者は人より熱や暑さに弱い。これからは体温調節にも気を付けた方がいい」
「は、はい…」
「なあハザード。結局、体質能力って…一体なんなんだ?こんな危険な目にもあうのかよ…」
「…そんなことも知らずに連れてきたのか。バカめ」
「はぁ!?仕方ねぇだろ、今までまわりに体質者居なかったんだからよ!」
「…ハザードさん。お願いします。わたしも…よく知らなくて。…教えて下さい」
「………」
ジーザスの問いかけにはかなり不機嫌そうでバカにしたような態度のハザードだが、ルーナの問いかけには突然無言になった。そして書類を書く手を止めると、ルーナの方に向き合う。
「……体質者とは、人間の変異体。『第六感』や『絶対音感』のように、通常の人間には無い、ある一定の能力に秀でた者だ。だが、体質者の一番の特徴は、炎や氷を操ったり……本来なら見えないはずのこの世ならざる者が見えたりといったように本来なら常人には絶対に使えないはずの才能を持つということ。何故、そのような力が使えるのか。どういった確率で生まれてくるのか。それははっきりとしていない。その秘密と、それぞれの体質能力の謎を解明するために 俺達のような体質能力の研究者がいるんだ」
(コイツ!ルーナが聞いたらスラスラと答えやがって!…っていうか…さっきから思ってたんだが…コイツ妙にルーナに優しいな…)
ハザードの態度を見てジーザスは直感した。まさかこの陰険そうな男、ルーナに気があるのでは!?明らかに「女性に興味はない」とでも言いそうなこの男だが、でも、それでも、まさか、ということはある。ジーザスはジト目でハザードを睨む。だが、そんなジーザスの視線に気付かず、ルーナはハザードに問いかける。
「…ハザードさん。あの…体質者って…やっぱり突然なるものなんですか?わたし、今まで自分が体質者だなんて知らなくて、いきなりまわりが凍って…」
「…体質者は生まれた時から体質者として決まっている。だが、能力の発現には時間がかかる者と、赤ん坊や子供の頃から使える者と、個人差がある。お前の場合は時間がかかった。だからこそ、爆発したように能力が突然現れ、そのエネルギー消耗によって発熱。しかも氷麗の体質者で熱に弱かったからこそ、通常よりも熱が高まっていたというわけだ」
「アーロンさんが言った通りだ……」
やはりアーロン・オズボーンの言った通り、ルーナは能力の発現に時間がかかるタイプだったようだ。ハザードに薬をもらわなければ、どうなっていたのか。
「…で、そこで睨んでるバカマフィア」
「あぁ!?」
「とりあえずこの薬を持っていけ」
「!…わっ」
ジーザスの手元に小さな紙袋を放り投げるハザード。ジーザスが慌てて受け取ると、その紙袋の中にはさらに小さな袋が十数個入っていた。袋には白い錠剤がいくつか入っている。どうやら薬のようだ。
「この後もまた熱が出るようであればそれを飲むといい。液体は飲み辛そうだったから錠剤にしておいた」
「!お前…昨日、ルーナに飲ませた時に…」
昨日、ジーザスがルーナを連れて来た時にハザードの調合した薬を飲んで熱は下がった。その時は液体を試験管に入れていたが、その際にルーナは飲み辛そうに顔をしかめていたのをハザードは見ていたのだ。そして少しでも飲みやすいように同じ効能の錠剤を用意してくれていた。
(やっぱりコイツ、ルーナに優しい…?…そういえば最初にこの家を調べた時は居留守使ってたのに、ルーナが倒れた時は自分から扉を開けた…それってまさか倒れていたのがルーナだったからか?)
最初に家を訪ねた時、ジーザスだけを見てわざと居留守を使っていたとしたら。ジーザス達が去るまで様子を伺っていたが、ルーナが倒れたのを見て姿を現したのだとしたら。ただ単に、「人が倒れた」という緊急事態だったからか、それとも…
倒れたのがルーナだったから?
ジーザスは考えていたが、すぐルーナの声で我に返る。
「ハザードさん!本当に…ありがとうございました。何から何まで」
「…敬語はやめてくれ。名前も呼び捨てでいい」
「えっ……あ、うん…ありがとう、ハザード」
にこりと微笑むルーナ。ハザードに命を救われ、とても感謝しているようだ。その様子にハザードは顔を反らすと、立ち上がって奥の小さなキッチンに向かった。棚からマグカップを三つ取り出し、インスタントのコーヒーを淹れているらしい。その姿を見ながらルーナはジーザスにこそっと呟く。
「ね。ジーザス。ハザードは本当に良い人ね」
「…そうかなぁ……まあ、ルーナを助けてはくれたけどよ。口悪いし…なんかルーナにだけはやたら優しいし…」
「そうかな?」
やはりルーナは気付いていない様子。先程も名前で呼ぶこと、敬語をやめることを自分から提案してきた。そんなことを言うような男ではないだろうに。
「あいつ…確かによくわかんねえけどさ。…確かに、悪いやつじゃねぇってのは俺もわかるさ」
「ね。ちょっと素直になれないだけで本当はすごく良い人だと思うの。わたしを助けてくれた…恩人だよ」
(『すごく』良い人かはわかんねぇけど)
すると、ハザードが二人分のマグカップを持ち、ルーナの座るベッドの側のサイドデスクに置いた。後から自分用のマグカップを持ってきて飲みながら再び椅子に座る。
「ありがとう、ハザード」
「インスタントだがな」
「ん…熱ィ」
ジーザスはコーヒーの熱さを感じながらもグイグイと飲み、ルーナは少しずつ飲む。
「ねえ、ハザードはここに一人で住んでるの?」
「……まあな」
「こんなところに一人で…不便じゃねえのか?買い物とかよ」
「…買い溜めして一月に一回くらいしか外に出ない。問題無い」
「引きこもりかよ」
そのジーザスの言葉に再び殺気を込めた目で睨むハザード。ジーザスはコーヒーを飲むことで誤魔化した。しかし、この辺境の土地でほとんど引きこもっているということはおそらく体質能力の研究だろうか。
「じゃあ…一人でずっと体質者の研究を?」
「……体質者は…まだまだ未知の存在だ。お前のように能力によって体調不良に陥ったり……もっとひどい『現象』が起きる場合がある」
「もっとひどい…現象?」
ハザードの後半の言葉はとても暗いものだった。何か、嫌な思い出でもあるような。ルーナが尋ねてもハザードは答えなかった。代わりに別の話題に変えられた。
「…今夜には帰るんだろう。それまで休んでおくといい」
「そうだな…親父とムイには連絡を入れてあるしな。今夜には帰ろう、ルーナ」
「うん。アーロンさん達にも心配かけた…………し……」
そこでルーナはハッと何かに気付いたような表情になり、さーっと青ざめていく。体調不良というわけではなく、明らかに何かまずいことに気付いたといった顔。
「?どうした?ルーナ?」
「………あ、あ……あ…っ。…わ、わたし、今まで………………お父さん達に連絡入れてないぃぃぃぃぃぃ!!!」
その絶叫は極寒のバレリアスに響くのではないかというほどルーナにしては大声だった。そして、ジーザスもまた「あっ」と小さく呟き、ハザードは表情を変えない。というより、ハザードは状況を飲み込めていなかった。
そう、今の今までルーナはヴェルヌの実家、職場の警察署に連絡を入れていない。その期間は約三日間。本国ではルーナがオズボーンファミリーに誘拐されたと思い込み、緊迫状態だということは勿論知らない。
「ど、ど、どどどうしよう!無断欠勤してる!しかもお父さんやお母さん達がきっと心配してる!ま、まずいよぉ…」
「た、確かに今までバタバタしてたから忘れてたぜ…」
「ハザード!電話貸してくれる!?電話!お願い!」
「……奥にあるが」
ルーナはバタバタと奥へ駆けだしていく。熱が下がったが出発まで安静にしていた方が良いが、それどころではないようだ。その様子とルーナの言葉で何となく状況を察したハザードは残されたジーザスに問いかける。
「…あの娘は家を出てきたのか」
「あ。ああ…色々あって…でも家出とかじゃないんだ。…あいつは…ルーナは…ヴェルヌの刑事だったんだ。けど、俺達オズボーンファミリーの真実を知ろうとしてくれて…そのためにブリタナに来たんだ。だけど、その日に氷麗の力が発現して…」
「…はぁ。貴様はバカか。ヴェルヌの刑事を誘拐したも同然だぞ。貴様らオズボーンファミリーは世界的には凶悪マフィアだ。貴様のことも本国では知られているだろうが」
「う…やっぱり、そうなるかよ…」
なんとなく想像していた通りでジーザスは落胆する。ルーナが自分の意思で来たとしても、連絡を三日以上入れなかったら誘拐だと思われるかもしれないとは考えていた。だからルーナ自身もブリタナに着いたらすぐ連絡を入れると言っていた。だが体質能力となった騒ぎでルーナはもちろん、ジーザス自身も忘れていた。
ジーザスが深いため息をついていると、ルーナが慌てて戻ってくる。電話でこれまでの状況を説明してきたには早すぎる。
「ハザード!あの、この電話、繋がってるの!?」
「…普通に繋がっているはずだが?」
ルーナは受話器を持ったまま戻ってきたが、どうやら繋がらなかったらしい。ハザードはルーナから受話器を受け取り、確認するが特に壊れた様子はない。
「ルーナ。繋がらなかったか?」
「う、うん。実家にも警察署にも…どこにも繋がらなかったの」
「どこにも?おかしくないか?」
「…まさか…」
ハザードは受話器を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「ルーナ。呼び出し音は鳴ったのか?」
「ううん。呼び出し音もならずにプツッと。何回かけても…」
(さりげなく呼び捨てにした!)
ハザードがルーナを名前で呼び捨てにしたことに反応するジーザスだが、それ以上にハザードが何か心当たりがあるようなのが気になった。
「…ハザード、なにかわかるのか?」
「………これはおそらく体質者の仕業だ」
「えっ!?体質者!?」
「電気を操る『
雷殿』…電気を使った攻撃は勿論、電子機器すべてを思いのままに操作することができる体質能力。電話の遮断もお手の物だ」
(わたし以外の…体質者…)
ルーナは自分以外の体質者の存在に何か不思議な感覚を感じていた。電気を操る体質能力…自分の氷とは全く違う。
「でも、どうしてその体質能力が…」
「ルーナが実家や警察に連絡することを望んでいない者が居る。その雷殿の体質者本人か、それとも指示している人間がいるのかはわからないが…このバカがルーナを誘拐したということにしておきたい連中の仕業だ」
「そ、そんな…一体誰が…!」
誰かがルーナとジーザスの関係を知っているのか。そしてルーナの無事の確認をさせたくないということだろうか。ルーナ本人から連絡が来て、オズボーンファミリーに誘拐されたのではなく、自分の意思で来たのだということを説明されては困る人間。
「…やべぇじゃねえか。そんなことしたら本当に誘拐だって間違われるし…っつーか、そいつは何が目的なんだよッ」
「雷殿の体質者は近距離の電気しか操れない。つまりはこの近くに体質者が居るはずだ」
するとハザードがデスクの側に置いてあった細長い布包みを手にし、布を取り払う。
「!お、お前、それ…」
「ジャポンの刀……ハザードも刀が使えるの?」
それは驚くことにジーザスの持つ黒烏と同じ、ジャポンの刀だった。黒烏と違い、グレーの鞘に、一見すると黒烏よりも刀身が長い。まさか、こんな科学者が剣士だとは意外だった。しかし、あの殺気が宿る目などを考えるとあながち間違いではなさそうだ。
「だからお前…妖刀に詳しかったのか。ってことはその刀も…」
「…無駄口はいい。お前はルーナを守れ」
ハザードはそれだけ言うとさっさと玄関へ向かう。どうやら覗き窓から外を窺うようだ。だが窓からは外の異常はわからず、ハザードはドアをゆっくりと開ける。あたりは相変わらずの雪景色。敵の気配はしないが、必ず雷殿の体質者は近くにいる。
そんなハザードの自宅の様子を少し離れた木の上から双眼鏡で観察する人物が居た。小柄な少女のようで、黒い軍服のような上着を靡かせ、何故か饅頭をもぐもぐと食べている。
「ふーん。犯人を追ってたら意外な収穫だ。まさかの幻の体質能力の科学者が見つかるとはねぇー。こりゃ『先生』が知ったら喜ぶわ。…もぐもぐ、これは面白くなりそうだ♪」
少女はニヤリと笑いながら饅頭を飲み込んだ。双眼鏡を外した彼女の瞳は右目が赤、左目が青のオッドアイだった。
12.ホロウグレーの三人
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