〈ハザード視点〉
王立体質能力研究所が爆破した事件は次の日には国中に知れ渡る一大ニュースとなった。しかも、あの研究所から命からがら逃げ延びた軍人が一人いたらしく、その証言によって「研究所の科学者が警備にあたっていた軍人を殺し、研究所を爆破した」というセンセーショナルな重大事件に発展していく。つまり…俺は研究所爆破と軍人殺害の重罪人として指名手配されることになった。冤罪とは言わない。確かに俺は軍人を殺したのだから。軍人達は皆、一丸となって俺を捜索し始める。世間には公表されていなかったが、おそらく奴らは俺が逃走直前に研究の書類とデータを持ち去ったことに気付いたのだろう。奴らの狙いはそれだ。
…あれから俺は…エリナと共にひたすら逃げた。そして、新聞で俺の顔写真が載せられたのに気付き、容姿も身分も変えることを決めた。ハリー・ディランという名は捨て、ハザード・ディザリウスという偽名を使うことにした。この名は以前エリナから借りたままだった恋愛小説に出てきた単語を組み替えてそれらしい名前にした。エリナの希望で、イニシャルだけは本名と合わせたが、まあ、名前などどうだってよかった。そして外見も俺なりに変え、指名手配の写真とは異なるようにした。幸いだったのは、指名手配の写真の俺は研究所に入所したばかりの頃のもので、今はだいぶ髪が伸びていたこと。最近は首の後ろあたりで適当に結んでいた。だが、それだけではまだ身元が割れかねない。俺は今までの人生でかけたこともない眼鏡をかけることにした。視力は良いので、度の入っていない伊達眼鏡にしたが、印象はだいぶ変わった。エリナ曰く、「とっても似合ってるよ」とのことだったが、まあ悪くない気分だ。
俺とエリナは研究所のあったバレリア・サイエンスバレーからとにかく離れることを優先した。そして一箇所に留まらず、転々と旅をする生活を送ることになる。俺達は最初、軍の非人道的行為を告発したいと思っていた。いくら軍とはいえ、全てがこの一件に関与している訳ではないだろうと。中には必ず反対派がいて、そいつらに全てを話して味方になってもらおうと考えていた。だが…現実は残酷だ。軍が公式に会見を開いた記事を新聞で読んだが、「軍本部は逃走した殺人犯、ハリー・ディランを必ず捕らえる」といった旨が記載されていた。それはつまり、軍が全て俺に責任をなすりつけようとしていることだ。…軍に行ったところで結局は捕まる。もう行く宛のない俺はエリナを守る為、逃げ回ることしかできなかった。
「ハリー、お茶淹れたよ」
「…ああ、すまない、エリナ」
「ふふ。暗いところで新聞読んだりしたら、本当に目が悪くなるよ?」
今、俺とエリナはバレリアスのとある田舎町に滞在していた。研究所爆破事件からすでに半年が経っている中、俺達は小さな民家を借りて隠れるように住んでいる。生活するには金がいるのは当然だ。二人で話し合った結果、指名手配されていないエリナが偽名を使い、外で働きに出ることになった。人があまり出入りしない、老夫婦が営む小さな郷土菓子屋なのが幸い。男であるくせに自分が何もできないのは歯がゆいが、俺は指名手配犯。働きに出れば正体に気付かれるかもしれない。エリナには何度も謝ったが、彼女は事件前と同じ笑顔を浮かべて「いいのよ」と言った。
夜の帳が下りた時刻、俺は暗い中、ランプを付けて新聞を読んでいた。明かりはあまり付けないようにしている。あの事件以来、俺は警戒心が強くなったと思う。夜は在宅を知られないようにこうしてランプだけ付けて生活するし、なるべく外には出ない。外に出るのは情報収集をする時くらいだ。俺を追跡する軍の情報を調べる為には必要だ。エリナは働いてくれるのだから、情報収集は俺がするべきことだ。
「エリナ、お前は…俺を恨んでいないのか」
「えっ?どういうこと?」
「…お前は夢だったナースとして日々を有意義に過ごしていただろう。それなのに俺のせいで…お前は俺とこんな逃亡生活を送るハメになった…」
普通に暮らしていればこんな苦労はかけなかったというのに。エリナには大好きな姉や祖父母といった家族がいる。だが、もう家族とは連絡が取れない状態になってしまった。
「…わたしはハリーを恨んでなんかないよ」
「だが、お前はもう元の生活に…」
「わたしがこんなことになったのは軍のせいだよ。あなたは…そんなわたしを助けてくれたじゃない。わたしはあなたにとっても感謝してる」
逃亡生活を始めて間もない頃にエリナから全ての事情を聞いた。俺と中庭で話した次の朝、いつも通り、病院に出勤しようとして自宅を出てすぐに軍の連中にさらわれたらしい。その後は暗い個室に監禁されていたそうだ。その後、軍人がまたやってきて薬で眠らされ、起きた時には俺によって連れ出されていたということ。エリナが俺の元に連れてこられたのは人体実験を強要されてから一ヶ月ほど経っていた。つまりはエリナは一ヶ月近く監禁されていたことになる。軍の奴らはおそらく体質者をさらってきては順番で少しずつ研究所に連れてきていたんだろう。エリナが監禁されていた個室とやらは「順番待ち」の部屋だったのかもしれない。
そしてずっと気がかりだった、エリナ自身が体質者であったという秘密。俺が問いかけた時、エリナはバツが悪そうに謝ってきた。「隠してきてごめんなさい」と言い、彼女は事情を話した。
自分は氷雪を操る
氷麗の体質者で、生まれながらにかなり強い力を要していたこと。そしてその力のせいで子供の頃にいじめられ、姉に助けられてきたこと。それ以来、他人には体質者であることをあまり話さないようにしてきたこと。エリナが俺に嘘をついたのもそれが理由だったようだ。だが、体質者を救う為の研究をしている俺と知り合って、俺になら真実を話して研究の協力をしたいと決めた時に軍に誘拐された。軍はどこでどうやってエリナが体質者だと突き止めたのかはわからなかったが…。とにかく、俺はエリナの運命を変えた人間の一人だ。
「…エリナ…俺は考えていることがあるんだ」
「?考えていることって?」
「…いつか、俺達に軍の追っ手が追いつくことがあるかもしれない。その時、お前を守り通す為には『強さ』が必要だ」
所長から受け取り、軍人と所長の命を奪った拳銃が手元にある。弾丸はあと六発残っている。だが、たったこれだけでエリナを守りきる自信は無かった。だとすれば、消耗しない武器…刃物を武器として扱えるようになった方が良いと前々から考えていた。
「明日にでも、俺は武器を仕入れてこようと思う。こんな田舎町でも外の森や山は魔物は出るからな。小さな武器屋があるのを見かけた。そこで何か見つかるだろう」
「…ハリー」
小さく俺の名を呼ぶとエリナは俺の頬に触れた。雪のように白くて小さな手…。
「…お願い、あまり無理をしないで。わたしはあなたさえいればいいの…」
「エリナ…だが…」
「わたしは後悔なんてしていない…あなたに救われて、あなたと一緒に過ごせるこの日々を…あなたを…愛しているから…」
そう言ってエリナは身を乗り出すと俺の唇に口付けた。逃亡生活を送ってからエリナは俺を求めることが多かった。俺にはなんとなく理由がわかった。表面上では後悔していないと言っているが、本当は不安なんだろう。これからのことも、家族と離れた生活も。夜になるとその不安さが襲ってきて俺にすがりつく。俺にできることは…優しく抱いて、これからもずっと守ると誓うことだ。俺はエリナの体を抱きしめながら口付けを続ける。エリナの不安を少しでも癒す為に俺達はベッドに沈んだ。
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翌日、出勤したエリナを見送ってから俺も街に出かける。この田舎は寂れていて、住民はそこそこいるが互いにあまり興味を示さない人間が多い。それも隠れ住むには好都合だった。隣の家の人間の顔さえ把握していない奴らの中では俺達は恋人の同棲か、夫婦での生活だと思われているようだ。
お目当の武器屋は以前、情報収集の際に前を通って見つけた。外観はオンボロで明らかに寂れているが、一応看板があったのだから営業しているのだろう。中に入ると薄暗く、埃っぽい。奥のカウンターにはヨボヨボの老人が店番をしていた。まわりの棚には古びたナイフや鍬、鎌といった農作業用の道具まで並んでいる。武器というより道具屋なのでは?と錯覚するような品揃えだ。ちなみに銃なんて便利な武器は置いていないようだ。確かに今は銃より刃物を欲しがってはいたが、まさか農作業用の道具を仕入れるのも厳しい。ここまで品揃えが悪いと思っていなかった俺は拍子抜けした。すると、店番の老人が声をかけてきた。
「おお…お客かのぅ?ささ、ずいずいっと見ていってくれ」
「…刃物を探している。あそこに並んでいるものとは別のものは無いか」
棚に並ぶナイフは埃を被っている。こんな調子じゃ、切れ味も悪いだろうし、もう少し良いものは無いのか。本音を言えばもう少しリーチのあるものが欲しい。あのナイフだと、敵の近距離に入らなければ使えない。それに相手が銃だと近付くのは危険だ。だからといって鍬というのもな。
「うーむ…うちは護身用のものしか置いてないからのぉ」
「チッ」
「店主の前で舌打ちとは良い度胸じゃな、お主」
思わず舌打ちが出てしまった。だが、本音だ。こんなものじゃエリナを守るのは難しい。他に何か無いのか。
「…お主、ここいらでは見ない顔じゃのう。最近、この街へ来たのかの?」
「!」
まずい。目立たないように過ごしてきたのに。この老人は俺に違和感を持った。もし、これ以上追求されて指名手配犯だとバレたらまずい。俺は背を向けて店を出ようとした。その時。
「刀………扱えるかの?」
「…!…何だと?」
俺は思わず足を止めて振り返った。すると、何か異変を感じる。そこにいる老人は変わらないままだが、その表情は先程までの老いぼれた印象から一変して真剣な眼差しになってこちらを見据えていた。何者だ、この老人…。
「…お主は刀を扱えるか聞いておる」
「刀…?…いや、俺は…使ったことは無いが…刀があるのか?」
店のどこを見ても刀どころか剣も無いというのに。老人はそのまま強い目つきで俺を睨むように見る。
「…お主は…刀を学ぶ気はあるか」
「……刀を…?…俺は今、強さを求めている。大事なものを守るために…。そのためなら、一から刀を学びたい。…だが、あまり人には知られたくない」
「そうか。ならば…着いて来い」
それだけ言うと老人はカウンターの奥の部屋へさっさと進んでしまった。足腰が弱そうに見えたが、その足取りは早く、俺が驚いている間にその姿は奥へ消えてしまう。残された俺はあまりのことに少し呆然としていたが、すぐに老人の後を追った。何故か、この老人には自分の思いを伝えてしまった。軍に通報する訳でもないようだし、何よりも刀のことを話題に出したのが気がかりだった。
奥の部屋は店内よりも開けて見えた。倉庫のようで、棚には段ボールや箱が積まれ、その中には銃や剣などの新品の武器が見え隠れしていた。店舗にはあれほど貧相な品揃えしか無かったのに、裏にはこれほど在庫があったとは。何故、店舗に置かないのか謎だったが、老人が口を開いて俺の思考は途切れる。
「ワシの名はカルドネ。武器屋の主人は表の顔に過ぎぬ」
「!…表の顔、だと?…ならば、本当は…?」
「…ワシはこれでも剣客。言うなれば剣士よ」
「剣士…」
まさか、この老人が剣を扱えるというのか。明らかに小柄で腰も曲がった老人が。俺がそう思っていた時、カルドネと名乗る老人は側に立てかけてあった長い入れ物から剣を一本取り出す。その剣はバレリアスの軍人が使うようなサーベル状のものと異なる形…そう、ジャポンの刀だった。
「ワシはかつてジャポンで修行し、剣術を学んだ。そして故郷バレリアスで剣術道場を開いておったのじゃ」
「…ジャポンで…」
そういった話は良く聞く。外国の文化を学び、自国でそれを披露する人々の生活。この老人の場合、それがジャポン剣術だった。ジャポンの剣術は独自の構えや振り、動作など、他の国と異なるものだと聞いたことがある。あの国は独特の文化を持っている島国で、そのオリエンタルな魅力は多くの人間を惹きつけるというが…。
「じゃが、ある時…道場はバレリアス軍によって潰されたのじゃ」
「!バレリアス軍が…何故、剣術道場を…」
「…明確な理由はわからぬ。ただ、噂では『ジャポンの怪しい剣術は国王と軍に反乱するための手立てかもしれない』という理由だけで…潰しにかかったのではないか、とされておるがな」
「なんだ…そんな理由で…」
「それでもワシは刀と関わっていたくて、こうしてひっそりと武器屋なんかをしておるのじゃ。他の武器は刀を隠すためのカモフラージュじゃな。まあ銃や剣も扱っているのは生活していくためじゃ。本当に銃や剣を欲しがっている連中にはこうして裏へ案内する。まあ、そんな奴はほとんどおらんが」
カルドネは老人らしく笑いながら刀を見つめた。
「で、お主はどうやら…訳ありのようじゃな。…指名手配の科学者か」
「っ…!」
「ああ、警戒せんで良い。けして他言はせぬよ。先ほども言った通り、ワシは軍に道場を奪われた。奴等のやり方は好かぬ。だからおそらくお主もきっと奴等に濡れ衣を着せられたのじゃろうて」
「………」
この老人は俺を通報する気は無いようだ。…完全には信用できないが。だが、語った過去が偽りではないのなら、同じく軍に恨みを持つ者同士ということになる。
「…強さを求めていると言ったな。お主にその気があるのなら、どうじゃ。ワシがお主に
天城宗雷流を教え込む」
「天城宗雷流…」
「左様。天を突く城が雷に打たれて両断する如く、一撃一撃に強い威力を持たせるのが特徴的なジャポン剣術じゃ。その斬撃は岩をも砕く…」
それがカルドネの極めたジャポン剣術の流派、天城宗雷流。名前からして荘厳なものを感じる。ジャポンの刀など握ったこともない。少し前の俺はただの貧弱な科学者に過ぎなかったからな…。だが、願ってもないチャンスだ。俺には断る理由が無い。刀は理想的な武器だった。今よりもっと強くなって、エリナを守ることができるなら。
「…頼む。…俺に刀を教えてくれ……俺は…守るための力が欲しい!!」
「……守るための力、か。気に入ったぞ。…お主、名は?」
「……ハリ……いや、…俺の名はハザード…。ハザード・ディザリウスだ」
俺はもうハリー・ディランではない。もう…理想に燃えた科学者はいないんだ…。
「ハザードか。宜しくのう。…時に、ハザードよ。お主、連れの人間がいるのではないか」
「!何故…」
「勘というやつじゃが、お主は『守るための力が欲しい』と言ったからじゃな。自分自身の身を守るというわけではない…他人を守るためじゃろう?軍に追われている人間が他人を守る、というのはつまり、同行する連れの人間がいるということじゃろうて」
「……そうだ。…一緒に逃げている女がいる」
「その者を守るためか。良かろう」
なんでそんなことを確認するのか。まさか裏で通報されるかと思ったが…。
「明日にでもウチを訪ねて来ると良いかの。良い茶を出そう」
「………」
「通報はせぬと言ったじゃろ。よしんばお主らが本当に凶悪犯だとしても軍の奴らに自ら関わりたくないわい」
呆れたようにカルドネは溜め息をついた。…まあ、逃走中の凶悪犯に剣を教えようなんていう奇特な奴もいる訳無いとは思うが。とにかく、もし怪しい動きがあったらさっさと逃げるとしよう。剣術を教えてもらえるならば利用できるだけ利用する。その時の俺はそう思っていた。
そしてその日の夜、俺は帰宅したエリナにカルドネのことを報告した。エリナはあまりの展開に驚いていたようだが、すぐに笑った。
「良かったね!剣を教えてくれる人なんてそうそういないよ。よーし!わたしも何か習おうかな!」
「エリナ…お前は無理をしなくて良いんだ」
「もう!ハリーにばっかり任せてたらわたし、ずっと弱いままよ!ねえねえ、何かわたしでもできる護身術とか無いかしら」
子供のようにエリナは俺の腕に絡みついてくる。たまにエリナは無邪気な一面を見せるのだが……そこも愛らしかった。しかし、今の俺達は逃亡犯。カルドネは特異な例であって、普段なら俺達の正体がバレかねない目立った動きは避けるべきだ。習い事なんてそう簡単にできる立場じゃない。だが、エリナの気持ちもわかる。俺がいない時、自分の身を守る簡単な護身術があれば心強いが…。
「…エリナ。少し良いか」
「ん?」
「今ここで、少し体質能力を使ってみてくれないか。…そうだな、氷の粒を作ることはできるか?」
「えっ?今?できるけど…」
きょとんとしながらも、エリナは俺から手を離すと、両手を小さく前に突き出した。するとエリナの両手から淡い水色の光が出た瞬間、ほんのりと氷の粒が三、四個ほど宙に出現し、しばらくの間、宙に浮かんでいた。まわりには雪の結晶が舞っているのか、美しく光り、まるで宝石のように美しい現象だ。そしてエリナが氷の粒の下に手を掬うような形で受け止めると、浮かんでいた氷の粒はパラパラと彼女の手のひらに落ちた。
行動を共にしてから、エリナの能力は何度も確認した。彼女の体質能力は氷雪を操る
氷麗。体質能力の中では攻撃性も強い分類に入るが、エリナは決して体質能力で人を傷付けたりしない。彼女が操る氷麗の力はただ美しいだけだ。今、エリナが作った氷の粒も窓から差す月明かりを浴びてキラキラとダイヤモンドのように輝いている。
「…相変わらず、綺麗だ」
「あ、ありがとう。…でも、これをどうするの?」
「……エリナ、お前に武器を作ろうと思う。お前だけの、特別な武器を」
「えっ。わたしに?」
「そうだ。さっき言っていただろう。確かにお前にも護身術が必要だと思う。万が一、俺がいない時に襲われでもしたら…。だから、いざという時のための武器だ。お前が扱いやすく、お前の体質能力で対応できる武器を俺が作る」
「で、でも…作るって?」
おそらくエリナは俺に武器が作れるのかと聞きたいんだろう。武器が作れるならわざわざ武器屋に仕入れに行かなかっただろう、と。
「俺がお前に作るのはある意味、体質能力の研究の一環だ。お前の氷を無限に作り出す力を活用し、『氷の銃』を作る」
「氷の…銃?」
「ああ。氷で出来た銃身、氷で出来た弾丸。お前の体質能力で生み出す氷を使って作るんだ」
「そ、そんなことできるの!?」
「幸いにも、俺は研究所から今までの研究データを持ち出すことができた。廃材置き場にあったまだ使えるパソコンに繋いだところ、なんとかデータも復旧可能だった。その中で、『体質者が生み出す物質を使った生活用雑貨の生成』というものがあったんだ。それを応用すれば、お前の氷で拳銃を作ることができるだろう。氷には不溶薬品を調合し、溶けない氷にする。薬品は街の薬局でも普通に手に入るからな」
「わたしの氷で…そんなすごいものが作れるなんて…」
ふっとエリナは下を向いたのでどうしたのかと顔を伺おうとした時。
「……ハリー、すっっっごいじゃなーい!」
「うわっ」
エリナがパッと顔を上げて飛びかかってきたので、椅子に座っていた俺はエリナに押し倒される状態で床に倒れ込んだ。地味に痛いが、エリナの思わぬ反応に驚いていた。
「すごいわ、ハリー!わたしの氷を使って、銃を作れるなんて本当に本当にすごい!やっぱりあなたは天才よ、ハリー!」
「…エリナ…」
眼鏡がズレ落ちそうだったが、それよりも目の前のエリナの明るい反応に拍子抜けしてしまう。こんな苦しい生活の中でも、エリナは笑顔を忘れない。常に前向きで、この生活においても未来を見据えている。追っ手に怯える俺なんかよりずっと「人間らしい生き方」だ。
「よーし、そうと決まればあなたの言う通りにするから何でも言ってね!氷ならバンバン作るし!」
「あ、…ああ。とりあえず色々準備をする。お前には氷を作ってもらったり、血液採取をさせてもらったりすると思うが…その時は宜しく頼む」
「ええ!任せて!」
この笑顔が俺を癒してくれる。俺が生きる意味だ。…本当なら…、まっとうな生活をしていたら…俺はエリナと結婚したかった。だが、追われる身である戸籍を移動できない俺達は結婚という契約を結ぶことはできない。そんなことをすれば真っ先に居場所がバレて捕まるだろう。だから俺にとってエリナは「永遠の恋人」なんだ。いつまでも愛し、守り抜くと誓った永遠の愛。俺は笑うエリナを強く抱きしめた。
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そして次の日。俺とエリナはカルドネのもとへ挨拶に向かった。エリナが仕事を休みだったのも幸いしていたが、カルドネ曰く、エリナが働く菓子屋の老夫婦は古くからの友人で、夫婦共にカルドネの道場の一件を知っているから万が一エリナのことに気付いても軍には通報しない人物だと。どちらにせよ、エリナのことはニュースにはなっていないから気付くことも無いだろうが…。
カルドネの家は武器屋の裏手にある一軒家だったが、老人が一人で住むにはかなり広く感じた。最も驚いたのは一軒家の一階部分がまるごと広い鍛錬場になっていたことだった。道場が潰れた後に自宅を改造してこっそり鍛錬場にしたのだと笑っていたが。軍にバレないように屋内空間で、今までは一人で鍛錬するための場所として使っていたが、これからは俺の修行場所にもなるそうだ。
その日から本格的に俺はカルドネに弟子入りし、ジャポン剣術の修行に入った。最初は基礎的な刀の知識、構え、握り方から入り、竹刀での鍛錬。…現在、俺がジーザス・オズボーンに教えているのと全く同じ手順だ。俺はカルドネに教わったことをそのままジーザス・オズボーンに教えている。…別にアイツを好き好んでいる訳では無いがな。
剣術だけでなく、俺は自分自身の透視の体質能力を取り入れながら戦闘訓練をしていた。俺の能力は攻撃性はゼロだが、使いこなせば利便性は高い。今までたまに死者の魂を見たり、人とぶつかりそうになった時はそれを瞬時に察知して避けたりしたことはあったが、戦闘に取り入れればもっと使い勝手が良くなる。カルドネとの鍛錬で試してみたところ、俺はカルドネの動きを何度も避け、振りかざされる刀の動きがスローに見えた。しかし、体質能力は限界がある。俺はカルドネの動き全てを避けられるわけでなく、何度もカルドネに早く回り込まれて竹刀での手痛い一撃を食らわせられたが…。
とにかく俺はカルドネのもと、必死に修行した。エリナも仕事の合間や、休日には必ずここへ来て俺のサポートをしてくれた。カルドネは外見よりもずっと体はしっかりしていて、驚くほど身体能力が優れていた。下手な若者よりずっと速く、繰り出す剣の一撃は凄まじい。庭から岩を持ってきた修行では、カルドネは真剣で本当に岩を真っ二つに両断した。「修行すれば誰でもできるものじゃ」と言って笑っていたが、あの時の俺には到底無理だと思ったものだ。
さらに俺にはやるべきことがもう一つあった。それはエリナの武器の製造。といってもやはりこれは体質能力研究の一部として俺は考えていたので、ほとんど趣味、息抜きに近かった。修行が夕方で終わり、自宅に帰るとすぐさま作業に取り掛かる。当時の俺にとって剣術こそ畑違いの分野で正直、苦手だった。今まで武器と縁遠い生活で、フラスコやビーカーに触れてきた手は竹刀を握るとすぐに痛んだ。手は荒れ、体は打ち身やアザだらけになって精神的に辛い時期もあったが、「エリナを守る」という使命を思い出し、厳しい修行を続けた。そんな中で夜に行うエリナの武器作りは気が休まる時間でもあった。勿論、エリナのためであり、気が抜けない作業ではあるが、やはり俺は体質能力について考えている時が落ち着くのだ。こればかりは研究所にいた頃、いやそれよりずっと前から変わらない趣味なのだろうな…。
そんな生活を続けていると、あっという間に季節は過ぎ、修行期間は四年になろうとしていた。俺が王立体質能力研究所に入所した頃から既に六年の月日が経つ。俺は二十八歳、エリナは二十五歳になっていた。正直、歳月の流れはほとんど感じなかった。言っては何だが、毎日が充実していた。エリナの氷の銃は意外と短期間で完成し、エリナはその出来に喜んでいた。銃が完成してからも俺は夜になると体質能力の研究を続けた。研究所から持ち出した書類とデータは幸いにも俺に研究所にいた頃の情熱を僅かでも取り戻させてくれる。研究所では世界中の体質者の最新のデータが送られてきたが、今の俺には新しいデータを手に入れる手段が無い。だが、持ち出したデータの中には俺が途中で中断させられたある「薬品」に関するものが入っていた。それは俺の夢の一つであり、データさえあれば研究が再び続けられる。俺はそんな研究を続けながら、剣の修行という二足の草鞋を履く生活を続けていた。だからこそ、あっという間に年月が過ぎたのだ。そんなある日、エリナは俺に緊張した面持ちであることを言ってきた。
「あ、あのね、ハリー」
「どうした、そんなに緊張して。…何かあったのか?」
まさかエリナ自身に何かあったのではと探る俺に向かって両手をブンブン振るエリナ。
「お、追っ手とかじゃなくてね!…あ、あのね。ハリー………わ、わたし、…子供が、できたの」
「…………何だって」
あの時の感覚は忘れられない。恥ずかしそうに頬を染めながら妊娠を告げたエリナと固まる俺。戸惑いと不安と驚きと、…何よりも嬉しさで心臓がバクバクしていた。
「こんな生活してるのにって言われるかもしれないけど……ハリー。…わたし、この子を産みたい。…あなたは、どうかな?」
「…どうか……だと?」
俺はそのままエリナを優しく抱きしめた。
「……嬉しいに決まっているだろう……エリナ…ありがとう…。一緒に育てよう…優しい子になるように…」
「……!うんっ…!」
ただただ幸せだった。逃亡生活をしていても、俺は新たに授かった命が嬉しくて、愛しくて。たとえ逃げながら隠れて生きる生活だとしても、俺はエリナとの子を慈しみたかった。報告したカルドネや、エリナの勤める店の老夫婦も喜んでくれた。そしてエリナが出産した際には手助けすると約束してくれたことで俺達はまた喜んだ。俺とエリナの子。本当にあの時期は平穏で、天にも昇る気持ちという奴だった。研究所にいた頃よりも幸せに感じたかもしれない。エリナが無事に出産できるように、俺は彼女の支えになりたかった。
「はッ!」
「…むっ」
今日も俺はカルドネ宅の鍛錬場で剣を振るう。すでに竹刀ではなく、真剣同士の鍛錬になった。一歩間違えば流血モノだが、俺もカルドネも隙を見せない。俺の一撃がカルドネの刀を弾き、それが弧を描いて地面に刺さった。
「…うむ、見事。腕を上げたな、ハザードよ」
「……当然だ」
「可愛くない奴め」
そう言いながらカルドネはその場に胡座をかいて座り込んだ。俺は既に師匠であるカルドネを打ち負かすことも徐々に増えていた。俺も刀を鞘におさめ、その場に座り込む。鍛錬の後はこうして二人で座って話すことが多かった。
「ハザードよ。ワシのもとで剣を学び、何年じゃ」
「…耄碌ジジイ。年月の経過も忘れたのか。…もうすぐ四年だ」
「ほっほっほ。そうかそうか。もうそんなに経ったのか。お主は段々と可愛げが無くなったのう」
「黙れ、クソジジイ」
カルドネという老人の元で四年を過ごした結果、わかったことがある。確かに剣の腕は認めるが、時々本当にボケたんじゃないかと思うほどのうっかりをやらかす。火にかけた鍋の存在を忘れて火事になりかけたり、自分の家の場所さえ忘れてふらついたり、しまいには俺のことを「どなたでしたかの?」と呼ぶ始末。だが、それら全てはこの老人の冗談であり、悪ふざけだったとわかった時、本当に斬ってやりたくなった。本人曰く、「長らく一人暮らしで、こうして自分の家に若者がいると嬉しい」だそうだが、本当にイラついた。
「しかし、ハザードよ。…この先のことは考えておるのか」
「……」
「この先一生、ワシのもとで剣を学び続けるつもりか?ワシが死んだらその先はどうする」
「……俺は今、体質能力に関するある薬について研究を続けている。…俺の目標は、その薬をしかるべき機関に預け、世界中に届けてもらうことだ」
そうだ。今の俺はあの薬を研究し、新薬として世界中の体質者に届けられるようにすることを考えていた。表向き、犯罪者である俺は新薬を届ける力は無い。だからこそ、あの薬を完璧なものにした後はどこか正式な医療機関、研究機関にあの薬を託したかった。
「薬か。そういえばお主は前からその研究をしておったな。…ワシは体質者のことは詳しくないからこそ聞かなかったが…お主が研究するその薬とは一体どんなものなのじゃ?」
「…特効薬だ。体質者にのみ、ごく稀にしか起きないが…恐ろしい、『ある現象』を治す、ただ一つの薬。…その現象の発生率はとても低い。世界でもまだ僅かな報告しか為されていないが、確かにそれは起こる。しかし、現時点においてその現象に陥った者は皆…死んでいる」
「…不治の病ということか」
「…それは病と言っていいのか、定かではない」
そう、それは体質者特有の現象で、それにかかった者は間違いなく死ぬ。研究所にいた頃も何度か議題に挙がったが、どうしても治療法が見つからなかった。
「体質者が特定の条件下で、感情が極限まで高まると、体質能力が暴走し、本人でも抑えきれなくなる。攻撃性の体質能力の場合、まわりにいる人間を敵味方問わずに攻撃し、自身も傷付ける。自我は失われ、意識も無いままに暴走した結果、悶死する…俺達はそれを『ダークリスト現象』と呼ぶ」
「…ダークリスト…。恐ろしい奇病じゃな…」
ダークリスト。随分前から、その噂は聞いていた。体質者が体質能力に飲み込まれるようにして周りも自分も破滅させる最悪の状態。俺自身は目にしたことは無いが、その死に様は壮絶だという。それは体質者にとって最も避けなくてはいけない状態であり、まさに不治。ダークリストになってしまったら治す手段は無いと言われている。俺はそんな現象を治せる薬こそが、最も体質者のためになると思い、研究を続けていた。勿論、研究所にいた頃はそれ以外の研究も行ってきてはいたが、ダークリストの特効薬という夢もほぼ同時進行で行っていた。だが、研究所の価値ある知識や機材、最新データを以ってしてもうまく研究は進まなかった。そこで中断されていたデータをうまく持ち出せたのは幸いだったのかもしれない。時間と薬品さえあれば、研究を続けることができた。
「…今現在、薬の完成度はまだまだだ。正直、ダークリスト患者のデータも無い今ではあと何年かかるかわからん。だが…これは俺の夢だ。研究所で死んだ仲間達の意志を継ぎ、俺は必ず薬を完成させる」
「…それがお主の夢か。ならばまだ…道半ばじゃな」
何故か納得したようにカルドネは頷く。結局、俺の意思を再確認しただけか。そう思っていると、カルドネは立ち上がり、「少し待っておれ」と言うとどこかへ行った。近くの部屋からガタガタと何かを漁る音がする。何をやっているのかと思っていたら、カルドネは長い木箱を持ってきた。やたらと古びた木箱だ。
「なんだ、それは」
「…ワシが持つ武器の中で最も価値あるものじゃ。ジャポンの妖刀、その名は『
日下部・鬼神』」
「妖刀…だと?」
噂には聞いたことがある。ジャポンには古い時代に作られ、特殊な力を宿すという妖刀という刀があるという。言い伝えだろうが、勇ましい武神が宿った刀だの言われているようだ。世界に出回っているらしいが、非常に希少で滅多にお目にかかれないらしいが、このジジイはそんなもんまで持っていたか。
「ワシはジャポンで師匠からこれを譲り受けた。……ハザード、これをお主に託そう」
「俺に?…良いのか。俺なんかに…」
「…うむ。妖刀は古くより守り刀としても知られる。戦うだけではなく、きっとお主に幸運をもたらすだろう」
つまりは御守り代わりか。カルドネが木箱を開けると、そこには深い茶の鞘に古びた黄土色の柄が特徴的なジャポン刀。見た目は普通の刀と対して変わりはしないが…。箱から取り出して刀を握ると、ずっしりとした刀特有の重みと共に、何か不思議な感覚を感じた。まるで体質能力を使う時と似た、不思議な気配。まるで本当に刀に何か宿っているかのようだ。
「…済まない。ありがたく頂いておこう」
「やっぱり素直だとお主らしくないの」
「たたっ斬るぞ」
やはりこのジジイはムカつく。そんな時だった。家の外が何やら騒がしい。何かあったのか。この静かな田舎町に四年いるが、ここまでざわついているのは珍しかった。嫌な予感がする。カルドネがそっと窓から外を伺う。
「……ついに……来てしまったか」
「……!」
俺もこっそりと窓から外を伺って…血の気が引いた。
大通りを我が者顔で歩く四、五人程度の軍人達。住民に怒鳴り散らす奴もいて、まわりにいる住民達は怯えながら奴らを見ていた。
なんてことだ。ついに。ついにこの田舎町にも軍の手が伸びてきた。それにあの人数ということは遠征でもない、つまりは誰かを探すための…。
「っ……とうとう来たか」
「!…ハリー、エリナさんは」
「……!今、一人で家に!」
「すぐに戻れ!ワシは軍人達の気を逸らす!」
いつにもなく気迫のある表情でカルドネは素早く動き出す。俺も必死に荷物を纏めて裏口から自宅へ走った。
今日に限ってエリナは仕事が休みで、自宅に一人だ。早く、早く。エリナのもとへ向かわなければ。その時の俺は研究所から逃走した時よりももっと心臓が破裂しそうで、とにかく自宅までの距離が遠く、遠く感じた。走っても走っても自宅が見えてこない、そんな錯覚に陥った。今思えば…あの時、あの瞬間。もっと俺に出来たことがあった気がする…。
…ようやく自宅に着き、玄関を開けるとエリナが驚いた様子でキッチンに立っていた。どうやら夕食の準備をしていたらしい。
「わ、びっくりした!早かったね、ハリー」
「エリナ!今すぐ逃げるぞ!!必要最低限の荷物を持て!!」
「え!?どうしたの!?」
「軍が来た!早く!エリナ!」
俺の言葉にエリナは追いついていけないようだった。だが俺がパソコンまわりのものをカバンに詰め出すと、状況を理解して慌てて自分のバッグを用意する。エリナは妊娠しているからあまり無理をさせたくなかったが、腹の子のためにも今は逃げるしかない。今までの僅かな平穏な生活もこれまでだ。カルドネに別れの挨拶もしなかったが、今はそれよりも遠くへ逃げることが優先。カルドネもそれをわかっているだろう。
俺は素早くパソコンにメモリーカードを接続するとデータをコピーする。研究所が作ったこのメモリーカードは膨大なデータを僅かな時間でコピーできるので本当に助かった。データを移し終わり、証拠隠滅としてパソコンを電気スタンドで破壊しておく。 これで万が一パソコンを調べられも平気だ。そして先程カルドネから譲り受けたばかりの妖刀、鬼神もしっかりと握りしめる。
「ハリー、準備できた!」
「行くぞ!」
俺はエリナの手を取って自宅を飛び出す。何としても生き延びる。俺は何としても、エリナと−−−−。
………だがそんなささやかな願いはあっという間に打ち砕かれる。玄関を開けた瞬間、俺は額に衝撃が走った。何かで殴られた、と気付いたのはすぐだった。後ろでエリナの小さな悲鳴が聞こえたが、俺の体は反応する前に前のめりになって倒れる。地面の砂を感じ、身体中が打ち付けられたが、それよりも頭の痛みの方が強い。僅かに顔を上げると、そこにはズラリと軍人達が六人程、銃を構えて並んでいた。先程、大通りを歩いていた連中の他にもいたのか。軍人の一人が俺の背中を踏みつけると、息が詰まった。
「がッ…!」
「とうとう見つけたぞ、凶悪犯、ハリー・ディラン!」
「ハリー!」
駆け寄ろうとしたエリナを別の軍人達が捕らえるのが見えて俺は起き上がろうとしたが、拳銃で殴られて再び地に伏せる。
「軍人の殺害および研究所の爆破の容疑で逮捕する!覚悟しろ!連れの女も同罪だ!」
「っ…貴様ら…エリナに触るな!!」
エリナが連行されそうになったのを見て俺は力を入れて踏みつける軍人を押し退けて立ち上がる。エリナだけでなく、子供もいるんだ。こんな奴らに触れられたくない。右手に握ったままだった鬼神を鞘から抜き、斬りつけた。初めて鬼神を使ったが……驚くほどに手に馴染む刀だった。まるで何年も使い慣れたような感覚。これが武神が宿るとか噂される妖刀の力なのか。
突然動き出した俺に隙を突かれた軍人は俺の斬撃をまともに受けて倒れ込む。鬼神の一撃は本当にそれに驚いたまわりの奴らも一気に俺に向けて発砲してきた。だが、もう俺は拳銃相手でも屈することはない。
(見える…透視の力で、弾丸の動きが…)
この四年の間で俺の体質能力も成長していた。弾丸の軌道がしっかりと見える。俺は集中することで感覚を研ぎ澄まし、鬼神で向かってくる銃弾を全て斬った。俺自身も驚いたが、そんな暇はない。
「こ、こいつ……ぎゃぁぁあっ!!」
「ぐあああっ!!」
俺は次々と軍人達を斬っていく。四年間の修行は無駄ではなかったようだ。三人ほど斬ったところで別の軍人が俺に発砲しようとしてくる。一瞬まずいと思った瞬間。突然、俺の背後で銃声が鳴り響く。軍人達の拳銃と違い、高い音でどこか自然音のような心地良い銃声。これには覚えがある。
「う、動かないで!彼に近付かないで!!」
「エリナ…」
それはエリナが、俺の作った氷銃を発砲した音だった。手は僅かに震えていたが、その手にはしっかりと氷銃が握られている。そこから撃たれた氷の弾丸は俺を狙った軍人の手から拳銃を弾き落とした。
エリナのために作られた氷銃は不溶液との調合の結果で鮮やかな水色に着彩され、氷特有の透明感と光を受けて輝いていた。エリナの体質能力によって生み出される氷を自動的に弾丸にして生成し、氷の銃身に組み込み、発射する特別な銃だ。エリナにとって銃を撃つのは始めてだろうに、よくやった。
「ハリー!」
「エリナ、逃げ…」
逃げるぞ、と言おうとした時だった。俺の腹に…衝撃と熱さ。痛さよりも、何が起きたのかわからなかった。だが、次第に状況を理解してくる。
「………!」
「…………い、いやぁぁぁあああ!!ハリーぃぃぃいいいい!!!」
エリナの悲鳴が響き渡った。俺は膝をついて腹を押さえる。ドロリとした血の感触。…撃たれたんだ。俺は。残っていた軍人が俺の背後から撃った。俺は鬼神との相性と己の修行の成果を過信し過ぎて油断したんだ。とめどなく血が流れ、立ち上がることもできない。エリナが俺に駆け寄り、必死に呼びかけてくる。
「ハリー!ハリー!しっかりして!!ハリー!」
「っ……エリ、ナ…」
まさに形勢逆転だ。残りの二人の軍人達が一斉に俺達に銃口を向ける。数が減ったからといって隙を見せたのは俺自身だ。このままではもう俺は…今はエリナだけでも。しかも後方から新たな軍人達が走ってくるのが見えた。カルドネが足止めしてくれていた部隊とは別のようだ…まさかここまでの大人数だったとは…。
「この凶悪犯め!逮捕よりも貴様にはこのままここで死んでもらう方がお似合いのようだな!!」
「っ……ここまでか……くそっ…エリナ…お前だけ、でも…逃げ、ろ…!
」
もう俺はこの場から逃げることもできない。だとしたらすべきことは一つ。…エリナだけでもこの場から逃がすことだ。エリナには罪はない。俺の命を犠牲にしてでもエリナを守る。そのためだけに俺は…。
他の軍人達も集まり、今度こそ蜂の巣になりかけようとしていた時だった。俺に寄り添うエリナから小さな声が漏れた。
「……さな、…い………」
「……!?……エリナ…?」
「な、なんだ女!」
俺はエリナの気配が変わったことに気付く。側にいた俺でさえ感じた違和感。邪気そのものといった、不気味な気配で。背中に氷を入れられたような寒気がした。春が一瞬で冬に戻ったような感覚に、俺は思わずエリナを見る。軍人達もエリナの異変に気付いたようで怯んだ。
「………許さ…ない…。…わたしの、ハリーを…傷付けた……」
ぼそぼそと呟きながらエリナはふらりと立ち上がる。その動きはまるで亡霊のようで、軍人達は思わず後退る。明らかにエリナの様子がおかしい。
「エ、エリナ…何を…」
「許さない……許さない……許さない……………許さないぃぃぃぃいいいいいいいい!!!」
「!!!」
「ぐああああ!!」
一瞬だった。次第に声を荒げていくエリナのまわりからどす黒く濁った光が溢れたかと思うと、突然俺を撃った軍人の腹部がエリナの体から生まれた巨大な氷の槍が貫いた。エリナが…人間を殺した…。
「ひ、ひいッ!?」
怯えて一歩下がった軍人にも同じように氷の槍が飛んできて腹部が貫かれ、倒れた。既に二人の軍人がエリナの氷の槍で地に伏せられたが、どちらも目を見開いて…明らかに絶命している。俺のそばに立つエリナは普段と違う。その表情は…冷たく、まるで殺し屋のような目だった。そして彼女から漂う黒い光。これは、…これは、俺が予想するあの現象だとしたら。
「エ、エリナ!!ダメだ!感情を高ぶらせるな!!」
「あ……あ、あ……あ、あああぁぁぁぁあああああああ!!!」
凄まじいエリナの絶叫と共にルーナのまわりのに氷の槍が剣山のように無数に出現すると、それが一斉にあたりに飛び散る。
「ぎゃああああ!!」
「な、なんだこの女、ぐぁあああッ!!?」
氷の槍は次々と軍人達に刺さっていく。狙って攻撃しているのではない。明らかに無差別攻撃だ。俺は身を屈めて何とかタイミングよく氷の槍には当たらないように避けたが、地面や木々、岩にさえ氷の槍は刺さっている。エリナの表情を見ると白目を剥き、まるで鬼のような形相だ。間違いない。体質能力の暴走。これは、これは…俺が長年調べてきた体質者の最も恐るべき現象。
(ダーク…リスト…!どうして……どうして!エリナがっ…エリナがダークリストに!!)
どうして、よりによって。最愛の女性が、最も憎むべき症状になる。悔しかった。ただただ悔しくて、仕方なかった。あまりの悔しさに涙が溢れる。最悪だ。原因はわかっている。俺が傷付けられたことでエリナの感情が高ぶって能力が暴走し、自我をも失った。俺のせいだ。俺のせいで、エリナは…。
…そしてわかりきっていることがある。俺のダークリスト特効薬はまだ完成していない。…ダークリストは…現時点では治すことができない。それは…。
(俺自身が…よくわかってることだろうが…!)
俺は思わず拳を握り、そのまま強く地面に叩きつける。先程まで感じ始めていた腹部の傷の痛みも忘れて、絶望した。絶望した。…絶望したんだ。俺は。研究所の事件のことよりも、ずっと深く、ずっと重く。どうして、こんなことになったのかと俺は涙を流す。その途端、左肩に激痛が走る。
「っぐ…!」
エリナの無差別に放つ氷の槍が俺の左肩に刺さったのだ。近くで見るとかなり太く、先は鋭い。肩の痛みに耐えながら周りを見ると、すでに軍人の全員が氷の槍を受けて死んでいる。俺も…このまま、暴走したエリナに殺されるのなら…もう、それでも…。
「っ…あ、あぁぁぁぁあああああ!!!うああああああああああッ!!!…エリナ……エリナ…すまない…すまないッ…結局は…やはり俺のせいで…俺の、せいでっ…!すまない…本当に…俺と、出会わなければ…!あああああぁぁぁぁああ…」
泣き叫んだ。ひたすらに絶望が俺の心を蝕み、今までにないほどに泣き叫んだ。何故、神は俺に絶望ばかりを与える?救うべき体質者を傷付け、仲間と居場所を失っただけでなく、今度は愛する存在が最悪の症状を発症した。もう俺に残されたのは絶望の死だけだ。…俺は最期にエリナに謝罪した。俺と出会った運命を。そしてこのまま眠ろう。エリナの氷を受けて死んでいこう。それが俺にとっては…。そう思い、目を閉じた時だった。いつの間にか氷の槍の放出が止まっていて…。
「……ハ、ハリー……」
「…!エ、エリナ…お前、意識が…!」
ハッとして目を開けると。立ちすくんでいるエリナの目に光が宿っていた。だが体はガタガタと震え、体が言うことを聞かないようだったが…表情は間違いなくいつものエリナだった。
「ハ、…リー……わ、わたし……あな、た…を…」
「もういい!話すな!エリナ、落ち着けっ…」
「も、もう…また、意識、が…途切れ、そう…なの…。…聞いて、ハリー…お願い…わ、わたし、を…殺…して…」
「…!!?な、何、を…」
自分を殺せ。その願いは…奇しくも、研究所の所長の最期と同じだ。だが、その願いを…愛したエリナから聞きたくなかった。エリナを殺せるはずがない。それにエリナの腹には会うことを楽しみにしている我が子もいる。
「おね、がい……わたし…このままじゃ…あなた、まで…殺して、しまうわ…。いや、いやよ…そんなの、絶対に、いや…!お願い…ハリー…!わたしは…意識のない、化け物に…なりたく、ないの…!!お願いだから…わたしと、…この子を…助けて……解放して…」
「…エリナっ!!俺に…お前を…お前と、子供を殺せって言うのか!!俺にこの世で一番大事な奴らの命を奪えって言うのか!!だったら俺も死ぬ!お前達と一緒にあの世で家族になる!!」
「ダメよ!!」
泣きながら言った俺に対し、エリナは力を振り絞って大きく叫んだ。
「生きて………生きるのよ!!ハリー!あなたは…わたしとこの子の分まで…生きるの!!わたし達の命を無駄にしないで、あなたは…世界の体質者を救うために!研究を続けて!!…体質者…も…そうじゃない人達も…困ってる人達を……弱い立場の人達を……助けてあげて…!ハリー…あなたは…優しい人よ…わたしが愛した人……この子の…立派な父親なんだから……!…生きて!!…お願いだから生きるの!!!ハリー!!!」
「あ……あ、あああぁぁぁぁああ…!!!畜生……畜生!!!」
意識が途切れそうになるのを必死に我慢してエリナは涙を流しながら叫んだ。それは…エリナの魂の叫びだった。エリナは俺に生きろと言う。それはとても残酷な願いだ。永遠の恋人とまだ見ぬ我が子を自らの手で殺し、そのまま俺に生き続けて欲しいという願い。涙が止まらなかった。一生分の涙を流し、口からはただ叫び声が漏れる。
意識が無くなったら今度こそエリナはより一層、体質能力を暴走させ、最後には全ての力を使い果たして悶死するだろう。そんな死に方をさせるくらいなら…。
次の瞬間にはエリナは苦しげに悶える。それを見た時に…俺の中で既に行動は決まっていた。腹の傷を押さえつつ立ち上がり、俺は力の入らない右手で鬼神を握り直す。
「……エリ、ナ…」
涙がとめどなく流れていく。鬼神をゆっくりと構える。せめて、せめて……苦しまないように、一瞬で終わらせる。エリナもダークリストの影響で苦しげな表情を浮かべていたが、俺と向かい合うと…。
…必死にいつもの優しい笑顔を浮かべたんだ。…俺が愛した、笑顔。
「……愛してるわ…ハリー」
「っ……いつか必ず…会いに行く、からな……エリナと…子供に…」
俺も笑顔を作って…エリナの心臓に向けて鬼神を−−−−。
同時に曇天の空からは雨が降り始めた。
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それからの記憶は曖昧だ。カルドネは軍人達を一般的な老人のふりをして足止めし、俺の偽りの目撃情報を流して街から追い出した後で、俺達の自宅まで走ってきたらしい。だが、そこには何か鋭いもので貫かれたような傷跡の残る軍人達の遺体と、心臓を貫かれた傷のエリナの遺体。そしてエリナを抱えて倒れ込む俺の姿だったという。俺は腹の傷の出血多量で意識を失ったらしいが、カルドネとエリナの勤務先の老夫婦によって助けられ、命を取り留めた。弾丸が貫通していたのが幸いだったと後で聞いた。俺が目覚めたのはカルドネの家のベッドの上だった。エリナと一緒に死ぬことができなかったのかと諦めに近い気持ちだったのははっきりと覚えている。
「……」
「…目が覚めたかのう」
カルドネはいつもと変わらなかった。いや、いつもより声がワントーン低い。俺はベッドの中からそばにいて荷物を纏めているカルドネの背中を見たが特に何も言わなかった。いや、何も言えなかった。そんな俺の意思を感じ取ったのか、カルドネはこちらに向き直さずに言う。
「……荷物は纏めておいた。ワシが偽の情報を流しておいたからな。軍人共はしばらくここには寄りつかんじゃろう。その間にこの街を離れるのじゃ。……エリナさんは別室に寝かせておる」
「……何も、聞かないんだな…」
「…お主達の周りで死んでいた軍人共のまわりに水溜りができておった。雨など降っておらぬし…あれはおそらく氷が解けた跡じゃろう。……そしてエリナさんの傷跡。……それだけで起きたことは想像がついた」
カルドネは現場の痕跡で全てを察したのだろう。エリナの氷麗の体質能力も知っていたからな…。目覚めた俺はしばらく呆然としたままだった。俺はエリナを殺した。腹の子共々。目が覚めるとそのことはまるで夢の中の出来事のようだったが…手に残る感触が忘れられない。俺は確かに、エリナを殺したんだと。
「……頼みがある」
「…何じゃ」
「……エリナを…ヴェルヌの家族の元に帰してやってくれ…。エリナのバッグにある手帳に…実家の連絡先が書いてあった。…事件に巻き込まれて死んだと。…遺品と一緒に、エリナを故郷へ帰してやりたいんだ」
「…わかった。必ずエリナさんを帰そう」
家族は今でも行方不明になったエリナを心配しているはずだ。エリナを故郷で眠らせてやりたかった。
俺は食事を摂り、その日の夜明け前にカルドネにひっそりと見送られながらエリナと四年間過ごした街を出た。けして後ろは振り返らなかった。
エリナも子供も失い、俺に残されたのは研究だけだ。もう誰にも頼りはしない。誰にも心を許さずに生きて行く。たった一人で研究のために人生を捧げると誓い、歩き出す。全てはエリナと約束した、人を守る研究のため。エリナのような体質者を二度と出さないためにダークリストを治すための薬を完成させる。それが俺の生きる目的。
…その日、見た暁は…憎らしいくらいに美しくて、俺の第三の人生を彩るかのようにどこまでも俺を照らしていた。
俺は決して忘れはしない。…彼女と過ごした日々。彼女がくれた想い。彼女がくれた愛を。何があっても、決して…。
俺は最果ての街へ行こうとも、彼女との日々を胸に抱いて生き抜いてみせると、暁に誓った…。
24.生きて
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