「副司令!」
「おう。見張り、ご苦労だな」

同じ頃、ミュゼールの市民街の中にある路地裏には冬一がやって来て、現場で見張りをしていたクラウンの男性隊員二人組に敬礼と共に驚かれていた。
王都ティアヒルムの貴族街から離れた市民街。中でもこのあたりは治安が良いとはあまり言えない地域。ここはつい最近、強盗殺人と放火の逃亡犯であったマック・ドーストという男が番人の手で殺害された現場だ。
当時はミュゼールの警察の役割を担う王国軍が捜査をしていたが、そこに体質能力の痕跡があった為、ミュゼールに滞在していたクラウンの遊撃部隊に報告が行き、そこからさらに冬一達の居る本部に届いたという訳だ。現在、男性隊員二人組は一般人が立ち入らないよう、ロギアが来るまでの番をしていた。
この事件の犯人とされる、謎の殺し屋組織「番人」。正体不明で神出鬼没、わかっているのは罪を犯した犯罪者だけを狙うということだけ。そのせいか、一部では彼らを「闇の正義」と呼んで、心酔する者も多いらしい。

「副司令、どうしてこちらに…」
「いや、別件でな。ついでに寄っただけだ。ロギア達は来たか?」
「いえ、まだお見えになっていません」

そんな番人の起こした事件現場に冬一が居るのは、ちょっとした「ついで」だった。そもそも、今回の番人事件はロギアに担当を任せた。実はミュゼールに来ていたのは別件があったからだ。その帰りについでに番人の事件現場に顔を覗かせたという訳である。
「そうか」と冬一は男性隊員の片方に答えると路地裏の奥へ進んでいく。既にマックの死体は運ばれているが、地面には大量の血痕と死体の形を象ったテープが貼られている。それ以外に目立つ物は落ちていない。だが、よくよく見れば地面に黒い焦げたような跡が残されている。これが体質能力の痕跡。誰かが体質能力を使って殺しを行った証拠だ。

「オイ、この痕跡は…」
「はい。発見当時はもっと濃いものでした」

ススが残ったかのような痕跡。だが死体発見当時はもっと濃かったらしい。

(しかし、これだけで犯人を特定はできねえだろうな)

何となく顎に手を当てて考え込む冬一。別に自分自身が本格的に捜査をする訳ではないが、やはり気になる事件だ。そんな時だった。突然、聞き覚えのある声が耳に入る。

「あれっ!冬一さん!?どうしたんですか?」
「!おお、ロギアか」

路地裏の入り口に立って驚いた表情を見せるロギアと、ジーザス達がそこには居た。見張りの男性隊員達もロギアに敬礼をする。やはり、冬一がここに居ることに驚きを隠せないようだ。

「冬一!?なんでここに…」
「…コイツに事件を任せたんじゃなかったのか」

シンプルに驚くきながら言うジーザスと、冬一を怪訝そうに見るハザード。冬一はロギア達のもとへ歩きながら事情を話した。

「ミュゼールで探し物…っていうか、別件で調査することがあってな。まあ、前々から調べてる件なんだが、今回も結果無しでよ。本部に帰る前に噂の現場をちょっと見てみるかと思ってな。お前らとも会えたらいいかと思ってたしな」
「冬一さんの調べ物?」
「ちょっとばかり人探しだ。…それはそうと、現場は驚くほどシンプルだぜ。見てみな」

ルーナの質問をさりげなく誤魔化しつつ、冬一は指で路地裏の奥を示した。ジーザスが先頭になって奥へ進み、先程冬一が見たのと同じ、血と死体の形の跡を確認する。ルーナは一瞬怯えた表情を見せたが、すぐに眉を上げてきちんとその状況を調べにかかる。
ルーナが現役の刑事として働いていた時は、殺人事件には遭遇しなかった。だから、殺人現場は初めての体験なのだが、今のルーナは恐怖よりも、元刑事としての正義感が前に出たのだろう。近くに寄って血痕を見つめていた。

「…大量の血…これって殺された時の…」
「うーん。近くに体質能力の痕跡があるけど…どういった体質能力かによって血の意味も変わってくるかも」

ルーナの隣にしゃがみこんだロギアは血の側にある黒い焦げ跡に似た体質能力の痕跡を見つめて言った。その言葉にジーザスが問いかける。

「どういう意味だ?ロギア」
「この痕跡、黒いよね。でも炎の痕跡ではなさそう。まるで…黒い影が染み付いたような…。多分、この痕跡から見るに体質能力が使われたのは間違いないけど、大量に血が出るような能力じゃないと思う」

体質能力にも様々な種類がある。刺したり、斬ったりするような能力であれば出血もするだろうが、この体質能力の痕跡から見るに出血するような能力ではないようだ。そこで体質能力に詳しいハザードがその痕跡を見てそれをあっさりと特定する。

「…この痕跡は『幽Kゆうこく』の体質能力だ」
「えっ?ゆうこく…?」

ルーナが聞き慣れない名称にハザードの方を見た。さすがに体質能力の研究を続ける科学者であるハザードは暗記していたのだろう、スラスラと能力について解説を始めた。

「…『幽K』は一言で言えば、『闇』や『影』を操る能力だ。ルーナの氷麗ひょうれいが氷を生み出して自在に操るのと同じように、幽Kの体質者は闇や影を生み出し、操ることができる」
「闇…影……ってことは、この地面に染み込んだ黒いのって…」
「稀に、能力で生み出した影が残ることがある。恐らく、これもそういう訳だろう。しばらくすれば自然と消える筈だ」

ルーナはハザードの話を聞いてもう一度、地面の黒い痕跡を見る。「闇」「影」という、あまりにも概念的なものが実体化する。体質能力であれば不可能ではないかもしれない。そこで冬一が補足する。

「死体が発見された時はもっと濃かったらしい。ハザードの言う通り、どんどん薄くなっていってるようだな。明日には消えて無くなるだろうよ。…やっぱ、『幽K』の体質者の仕業のようだな」
「幽Kの体質者は全国的にも希少だ。現代までほとんど発見されていないから研究も進んでいない。未知の体質者ってところだ」

ハザードさえもよく知らないという謎の体質能力、幽K。その体質者が殺し屋組織「番人」の中に居る−−。底知れぬ不安が一同の心に燻った。
今までも、何度も体質者と戦った。「風刃ふうじん」のギース、「雷殿らいでん」のレンツ、「衝力しょうりき」のキャスリン、そして「彩霧さいむ」のネレイド。いずれも常人にはありえない能力を持ち、苦戦を強いられた。今度の敵はさらに情報が少なく、太刀打ちできるかも怪しい。何よりも、それが何者であるかさえわからないのだ。

「でも、近いうちに必ず相見える。何せ、自ら現れるって予告してきてるんだからね」

沈黙を破ったのはロギアだった。確かにロギアの言う通り、今まで正体不明の番人の姿を捉えるチャンスがある。美貌の令嬢ダン・エヴリコットを誘拐すると本人達から告げられているのだから。その時、必ず彼らを目にすることができる。そしてそこで捕縛すれば…。

「そう言えば、そっちはどうだった。例の公爵とやらに会って話は聞けたのか」
「はい。でも狙われる理由はハッキリしませんでした。公爵のやってる事業に関係してるんじゃないかって話にはなりましたけど、公爵が決定的に悪どいことをしてるのかはよくわかりませんでしたね。これから事実関係は調べますけど…」
「あの公爵さん、悪いことをしているようには見えませんでした…」
「そうか…」

冬一の問いかけにロギアとルーナが答えた。ゼウス・ロックハートが不動産事業で何かしらの犯罪を行な
っているのかは後々、裏取りをする予定のロギアだったが、ルーナの言葉通り、悪人には見えなかった。勿論、裏で何かをやっているかもしれないからきっちり調べないといけないが。だが、もしそうだとしてもロックハート本人ではなく、娘のダンの「誘拐」を、わざわざ予告までして番人が行う理由は未だに不明だった。

「とにかく、ここに来るまでの間に話してたんだけどよ。今夜、俺達はお嬢様の警護をする。予告されたのは明日だからな」
「それが良いだろうな。俺も一緒に行ってやりたいが…悪いな。この後、書類の山が溜まっててな。まあ、今回の件はロギア、お前の担当だ。何、お前なら大丈夫だろ。任せたぜ」
「冬一さんってアタシのこと買い被っていませんかぁ~」

ジーザスの言葉を聞いて冬一は納得しつつロギアの方へ顔を向け、うへぇ、と苦笑いしながらロギアは冬一に答えた。正直、冬一もロギアもそこまで手がかかる事件だとは思わなかった。番人が現れさえすればこっちのもの。ロギアの実力と、ブリタナ衝突戦で見たオズボーンファミリーの強さを以ってすれば、簡単な任務だと。

「じゃあ、俺は先に本部に戻るぜ」
「はぁい。お疲れ様でーす」
「ありがとうございます、冬一さん」
「おぉよ」

冬一が手を振って路地裏から歩き出すと、頭を下げたロギアに続いてルーナもぺこりと頭を下げた。ジーザスも軽く手を上げて冬一を見送り、ハザードは黙ってその背中を見ているまま。路地裏入り口の男性隊員達も敬礼をして冬一が去るのを最後まで見送った。
ロギアは「よしっ!」と声を上げると男性隊員達に言う。

「現場の調査は終了。キミ達、現場の調査資料は纏めたよね?」
「はい。デュークス隊長」
「じゃあ現場の清掃手配、宜しくね」
「かしこまりました!」
「さて、と。アタシ達はお屋敷に戻ろう。公爵とお嬢様に捜査の結果を報告して、警護の準備をお願いしよう」
「そうだな」

ロギアは隊員達に現場の清掃を依頼するとジーザス達に言った。これからの任務は、ロックハート邸での警護。屋敷の構造などもしっかりと見て、どこでどのように警護するかを相談しなくてはならない。

「お嬢様、きっと怖がっているよね。…わたしなんかが慰めになるかわからないけど、側に居てあげなきゃ」
(ルーナは優しいなぁ…)

緊張感の無い顔でルーナを見ていたジーザスだが、突然背後から頭を殴られる。かなり痛い。相手はわかっている。

「痛ってぇ!!…何すんだよハザード!」
「…締まりの無い顔をしている暇があったらさっさと公爵の屋敷へ戻るぞ」
「あっ!おい!」

先に路地裏から抜け、屋敷へ歩き出すハザード。足が速い。

「あーもう…単独行動禁止ぃ~!全く…。ジーザス、ルーナ。アタシ達も行こっか」
「わかってる!おい、待ちやがれ、ハザード!」
「あはは…」

チームワークはあまり成っていない。それでも、目指すべきものは同じ。
ジーザス達は路地裏から抜けて再びロックハート邸に向かった。



********************************



(…結局、今回も手がかりは無かった、か)

冬一は路地裏から抜け、ジーザス達とは反対方向に歩いていた。この路地裏は貴族街から離れていたが、遠くに貴族街の屋敷の数々がうっすらと見える。まるで城のような立派な建物が立ち並び、このあたりの市民街とは空気から違っているような景色。
冬一のまわりには貴族とは違う、一般的な服装の市民達、中にはボロの服を着た貧民も混じっているようだったが、それぞれ互いに互いを気にかけることなく、普通に通行している。
冬一は遠くに見える貴族の屋敷の屋根を見ながら石畳の上で足を止めた。

(……相変わらず…あっちの景色はまるで蜃気楼みたいだな…)

冬一がミュゼールに来ていた「人探し」の理由。冬一は十四年前、ミュゼールの貴族街によく出入りしていた。それはある人物と会う為だったのだが…。
冬一はふと、上着の懐から小型電素通信機ビビットを取り出す。ロギアが持っていたものと同じものだ。液晶画面をスクロールしていくと、古い新聞記事をデータ化したものが映っていた。

『名門貴族の一家、惨殺される!犯人は逃走中』

センセーショナルな事件が大きく取り上げられていた。記事の中の写真には立派な屋敷が映され、その下には事件の犠牲となった一家の顔写真が貼られていた。その下にも記事が続いているようだったが、冬一はさらにスクロールしようとして指を止める。その視線は悲しげで、犠牲者一家の写真を見て画面を止めた。
実は、彼ら一家は、冬一の知人であり、よくこの屋敷を訪れていた。クラウンの任務で出会い、何度も「とある相談」に乗って、一家と親しくしていた矢先に…この事件が起きた。

(あれから…十四年か。忌々しいあの事件……惨劇……消えたアイツ・・・は…今、どこに…)

一度目を伏せ、小さく溜息をついた時。

『……やはり、忘れることは…できませんか?』

その場に似つかわしくない、どこかエコーがかって響く女性の声がした。冬一や通行人達は特に異変を感じることは無い。だが、冬一だけはその声が聞こえるのは当たり前であるかのように返す。

「…忘れられる訳、ねぇだろ。『メア』」
『そうです…ね。…ですが、十四年経っても情報が無いのは……』
「…この際、墓でも良い。どこにあるかだけでも…俺は知りたい。…ナルシス伯爵に頼まれたことを、成し遂げたいだけだ」
『ええ……そうですね…』

その時−−通行人には見えない「何か」が、冬一の側を漂っていた。それはうっすらと紫色に光っていて、クラゲのように揺蕩う「人」だった。
目元を仮面で被い、紅を引いた唇が印象的。だが、宙に浮いて、その体は紫に発光し、まるで冬一を守っているかのような容姿は明らかに普通の人間とは違うことを示している。
「メア」と呼ばれたその女性は冬一同様に悲しげな表情をしていた。

主様ぬしさま。必ず…真実を見つけましょう。何年かかっても…』
「…ああ。必ず…。その為にも…お前の…神精の力を借りることになる。頼むぞ…『ナイトメア』」
『はい…我が力、存分にお使い下さい』

冬一がその存在を正式な名前で呼ぶ。
神精、ナイトメア。冬一の持ち神であり、悪夢を司る神精、それが彼女の正体。人ならざる存在にして、人を超越した力を持つ。そして選んだ人間にのみ力を貸す。その姿は、一般の人間には見ることができない。
冬一を主として定め、彼に力を貸し、そして長い寿命を与えた神。
ナイトメアは冬一の探す、貴族一家の事件のことも、何もかも知っていて、共に真実を追い求めていた。

「…必ず…探し出す……」

冬一の呟きはミュゼールの青い空に消えた。



********************************



「そうですか…その、幽Kという体質能力の持ち主が番人なのですね?」
「おそらくそうだと思います」

ジーザス達は再びロックハート邸で、事件現場で見た痕跡の件をロックハートとダンに報告していた。ロギアから簡単な幽Kの体質能力について解説を受け、ロックハートは呆気にとられたような表情をしている。そこに、ジーザスが申し訳なさそうに謝罪を入れた。

「あの……すみませんでした。…結局、番人の手がかりは何も無くて…」

その言葉にロックハートは驚いた顔をする。

「何を仰います!番人は神出鬼没、正体不明の殺し屋組織です。そう簡単に尻尾を掴ませる訳も無い!」

ロックハートははっきりとした声と顔で真っ直ぐジーザスを見る。番人の手がかりを得られなかったジーザス達に対し、責める気持ちなど最初から無いということらしい。それに、ロックハートの隣に座るダンも賛同する。

「そうですわ。むしろ、わざわざ現場まで調べて頂いて本当にありがとうございます!体質能力で殺された現場…きっとおぞましい光景だったはずです…」

悲しげに目を伏せ、その豊満な胸元に両手を置くダンは相変わらず美しい。ジーザスは思わず顔を赤くした。ロギアがそんなダンを見つめてさらに続けた。

「とにかく、明日に現れる番人の中に幽Kの体質者が居るということがはっきりしただけでも良かったです。次なんですけど、アタシ達全員でお嬢様を警護します。アタシとルーナがお嬢様のお側に、ジーザスとハザードが遠距離から警護しようかと思ってて。申し訳ありませんが、一晩泊めて頂くことになります」
「ああ、勿論構いません。皆さんが居て下さるなら安心です」

ロギアに頼まれ、にこやかにロックハートは笑った。警護ということになるのだから、豪華なベッドなどはさすがに無いが、こんな豪邸に泊まるのはなかなか無い体験。
ルーナはとりあえずホッとしてダンに向き合う。

「お嬢様。宜しくお願いしますね」
「ええ。こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します」
(わぁ…やっぱりきれいな人だな…)

同性のルーナでさえ見とれてしまいそうな笑顔。夜空色の髪も宝石の瞳も、妖艶でいてどこか可憐さもある。番人がもし闇の正義と呼ばれる殺し屋でなければ、純粋にダンを美貌の令嬢として狙っていたのかもしれない。

(もしかして番人もお嬢様に惚れてるのかしら…?まあこれだけ美人だったら…)

ルーナは一人考え込んでいたが、答えは出ない。やはり、番人の襲来を待つしか無いようだ。どのみち、そこで正体がはっきりする。

「ではお父様。皆さんにお屋敷を案内してもよろしいかしら?ジーザス様達の待機して頂く場所もあるでしょうし。ねっ、良いでしょう?」
「ははは、ダン。久しぶりのお客ではしゃいでいるのかな。ああ、良いとも」
「ふふ。ありがとう、お父様」

妖艶な美しさと裏腹に無邪気な笑顔を見せ、養父に感謝するダン。ダンは優雅な動作でソファーから立ち上がると、ジーザス達の顔を見渡す。

「さあ、こちらにどうぞ」
「は、はい!」
「……」

ジーザスは未だにダンに対して緊張しているらしく、上擦った返答をした。ハザードもダンをチラリと見たが返事はしない。本当にルーナ以外には愛想が無い…。
ロギアとルーナが率先してダンに付いて行き、彼らは長過ぎる屋敷の廊下に出る。所々、いかにも高そうな胸像やら花瓶やらの美術品が点々と飾られて、白い大理石の壁が光り、床には赤い絨毯が敷かれ、真っ直ぐ伸びていた。
ジーザス達はダンに導かれて屋敷全体を見回ったが、この屋敷は二階立てであり、屋敷全体がとても広いため、一階ずつのフロアを見回るまでかなり時間がかかったように思えた。先程までロックハート達と話していた客間が一階にあり、ロックハートの執務室や、彼とダンの寝室がそれぞれ二階にあるということだった。

「はぁ……本当にすごいお屋敷ですねぇ…」
「お父様曰く、代々受け継いでいるお屋敷なんですって。でも私にとっては少し狭いかもしれませんわ」

思わず口から吐息と共に漏れたルーナの本音に、先頭を歩くダンはクスクスと笑った。

「狭い?こんなに広いのに…」

ジーザスはダンの言葉に疑問を持った。これだけ広い屋敷に住んでいて狭い、といったら一般家庭や自分の住む屋敷はどうなるのだろう。これが貴族ジョークとやつか?と思ったが、すぐにダンは切なそうな声色に変わった。

「…私は自由に生きることができません。この屋敷に居ても…普通の女性のようには生きられない」
「えっ…?」

ダンのやや後ろを歩くルーナとロギアからはダンの表情が見えた。どことなく遠くを見ているかのような表情…瞳には悲しそうな色が浮かんでいるようにも…。ルーナは思わず問いかけた。

「自由に…生きるっていうのは…?」
「…私、両親が事故で亡くなってから…今のお父様…ロックハート公爵に引き取られて、何不自由無く暮らして来ました。けれど……お父様は私を大事に思うあまり、少し過保護すぎるところがあるんです。…元から貴族の娘ということもありますが…私はもっと…皆さんのように自由に…」
「お嬢様…」

心配そうにルーナが呼びかけたところでダンはハッとしてすぐに笑顔に戻った。

「ごめんなさい、私ったら…お客様方におかしな話をして。…ああ、ここが私の部屋です」

ルーナ達が何かを言う前にダンが突然、足を止めた。そこはある部屋の前。ダン自身の寝室らしい。結局、ダンの先程の言葉の真意はわからないままだった。
ダンが扉を開けると、廊下や、ロックハートが居た客間と同じ、白を基調としたシンプルかつ美しい部屋だった。大きなクイーンサイズの天蓋付きベッドが目立ち、本当にお姫様の部屋のよう。窓の代わりに全面ガラス張りの扉となっていて、その先には小さなバルコニーが見える。そんなきれいな部屋にルーナは吐息を漏らした。

「わぁ…」
「私はいつも夜にはここに居ますから、ルーナさんとロギアさんはここに居て頂いた方が良いでしょう」
「そうですねぇ。じゃあ、アタシとルーナはここで警護だね」
「うん!」

ダンの言葉に頷きながらロギアが答え、ルーナが気合を入れたように拳を握る。その様子にダンは苦笑いした。

「警護といっても…そこまで気を使わないで下さいな」
「いえ、一応…身分的にも、わたし達は…」

どうやらダンはルーナ達をただの警護する人間とは見たく無いらしく、親しい距離で接したいようだった。ルーナは苦笑いしてしまう。彼女からすれば、庶民の自分と貴族のお嬢様であるダンに対等の立場で接するのはあまりにもおこがましいと思っているようだった。

「身分なんて気にしないで欲しいのです。私達は同じ人間ですよ。年頃もあまり変わらないでしょうし…『お嬢様』と呼ぶのも、敬語を使うのも止めて頂きたいのです」
「えぇっ!?そ、それは…さすがに…!」

ダンはルーナ達が慌てる理由がわからないらしい。これが貴族故の天然か。そんな中でハザードは当然といった表情であっさりと言う。

「…いい加減、面倒だったんだ。貴族に媚びへつらうのもな。そっちがそう言うならありがたい。気遣い無用という訳だ」
「ハ、ハザード!ご、ごめんなさい、こんな感じで…悪い人じゃないんです…」

ハザードの態度に関し、ぺこぺことルーナはダンに向かって頭を下げるが、慌てたようにダンが顔を上げさせる。

「ほ、本当に気になさらないで。私、お客様方とこんなにお話しするの、本当に久しぶりなんです。だから、こんな状況ですけど…嬉しくて。…ご迷惑、ですか?」
「そ、そういうことでは…。……でも、何となく気持ちはわかります。わたしも…少し前まで似たような感じだったので…」
「そう…なのですか?」

ルーナも三ヶ月前まで、ネレイドの放った刺客に狙われ、ロギアに護衛されていた。それがきっかけでロギアと仲良くなって、今でも友人として付き合っているのだが。
おそらく、そういう状況だからこそダンも同世代の女性であるルーナとロギアに親近感を持っているのかもしれない。ルーナは同じ立場だったからこそそう感じた。
ロギアも貴族への態度に関し、どうするべきか眉を八の字にして迷っていた状況で、ジーザスは苦笑いしつつ、ロギアとルーナに言った。

「ま、まあ…お嬢様…ダン本人がこう言ってくれてるんだから…な?二人とも、お言葉に甘えさせてもらえば良いんじゃないか?ほら、別に無礼な態度をあえて取る訳じゃないし…」
「…はぁー……まあ、…ねぇ。…ルーナ、そうさせてもらおうか」
「う、……うん。じゃあ…ダン、宜しく…ね?」
「!はいっ。お願いしますわ!」

ルーナの言葉にダンは若干照れたように頬を染め、嬉しそうに笑った。相変わらず美しい笑顔。その笑顔が奪われることが無いよう、ルーナは彼女の警護に気合を入れ直す。
その光景にジーザスは安心した表情になる。ロギアとルーナがきっちり付いていれば室内の警護は安心だ。となると、次は自分とハザード。

「ハザード、俺達はどうする」
「…屋敷の構造は理解できた。番人がどこから現れるかはわからんが、一人はこの私室の前。もう一人は外で待機すべきだろう」

番人の出現場所はわからないが、単純に考えれば、この屋敷に侵入する入り口は一つ、玄関の扉だけだ。そうなると、その扉付近、姿を捉えやすい外で待機するのが妥当。念のため、部屋の前にも一人配置する…その場合、番人を迎え撃つ可能性が高くなる外の警備を担当する方はかなり危険だが。複数人の番人が現れた場合、狙い討ちされかねない。
そんな危険も伴う担当を自ら引き受けたのは…。

「外は俺が見張る」
「ハザード…」

ハザードは外の警備を自ら名乗り出た。ジーザスは自分が外で見張ろうかと言おうとしたのだが、それよりも早くハザードが名乗り出た為、虚を突かれる。それをわかっていたのか、ハザードはジーザスを見ながら言った。

「お前はこの部屋の前の警備だ。まぁ、万が一番人が襲撃してきたとしても、外で俺が全て斬り倒すがな」
「俺の仕事は無いって言いたいのかよ…」

いつもの口調に呆れ顔のジーザス。最近はわりと慣れてきてしまった。しかし、確かにハザードの腕前であれば番人の襲撃があってもあっさりと倒してしまうかもしれない。本当に自分の仕事は無いのかも…。

「とにかく、警備担当はこれで決まりだね。あとは今夜…本当に番人が来るかどうか、だね」

ロギアの言葉に一同は顔を見合わせる。正体不明の殺し屋組織、番人が本当に現れるのか。正直なところ、全員の心には未だに疑う気持ちがあった。だが、用心に越したことは無い。全ては今夜、はっきりするのだから。


********************************


その日の夜。いやに大きく見える月と、無数の星が散る夜空の色はまるでダンの髪の色のようだった。
ジーザス達には豪華な夕食が振る舞われた。ロックハートもダン同様、ジーザス達に親しみを込めて客人としてもてなしてくれたのだが、その夕食は本当に絶品だった。貴族が食す伝統的なミュゼールのコース料理で、間違いなく一般人であれば口にすることができないほどの一流の味。オズボーンファミリー邸にも専属シェフが居て美味しい料理を作ってくれるが、やはりミュゼール料理とは違う。どちらにも良さがあるが、ミュゼール料理は満腹さよりも料理を一種の芸術品として作っているかのような気品があった。ちなみに今夜のメニューは、ビシソワーズ、カツオの白ワイン蒸し、カボチャのポタージュ、子羊肉のソテーと野菜添え、白桃のコンポート。どれも繊細で美味。
その夕食の際、ロックハートは夜の間、自分は念のために執務室に居ると言い出した。不動産事業の計画書に目を通しておきたいというのと、ダンが心配で眠ることができないという理由だった。
ジーザス達は複雑ではあったが、住み込みで働く秘書クリスと、使用人達を警備に付けるから大丈夫だと言われて了承せざるを得なくなった。
番人襲撃に備えて、早めに夕食を済ませてそれぞれの待機場所に向かったのは夜七時。脅迫状に記された時刻、十二時まではまだ時間があったが、万が一のこともあるため、時間に余裕を持った行動をしていた。
予定通り、ハザードは屋敷の外、玄関扉の前で愛刀、鬼神を抱えるようにして座り込んでいる。
ジーザスはダンの寝室の扉の前、屋敷の廊下に直に座ってその時を待つ。ハザード同様、黒烏を抱えていつでも抜けるようにしていた。
そして、ルーナとロギアはダンと共に彼女の寝室に居た。ルーナは特に、時刻が近付くにつれて次第に心臓がバクバクと高鳴ってくるのを感じ、気付けば十二時は目前になっていた。どうしてこういった状況では時間が進むのが早いのだろう。

「も、もうすぐ時間。…ダン、大丈夫?」
「ええ。ですがやはり緊張はしますね…」

ルーナは部屋のガラス張りになっているバルコニードア越しに外を見てから、ベッドに腰掛けるダンに話しかけた。月明かりのおかげでランプを付けていなくても部屋の中は明るいが、とても静か。その静寂が余計に緊張感を生むので、ルーナはダンの不安を晴らす為に声をかけたのだ。そのおかげか、ダンは少し表情を柔らかくしてルーナに返事をする。

「こうしていると、普通の夜だね…」
「うん…とても何か起きるとは思えないような…」

ロギアも扉の側に立って一応、あたりを警戒している。ルーナは今度はロギアの方を見て言った。
本当に静かな夜。本当なら何も起きずに夜が明けてほしい。だが、そのままだと番人は捕まえることができない。
外にはハザードが居るはずだ。もし、番人が現れてもまず最初に彼が……。
そう思っていた瞬間。
−−ボーン……ボーン……。

「!」
「ひゃっ!」

静かな空間に響いた音に、ロギアとルーナが反応した。ダンだけは落ち着いた様子である方向を見る。
部屋の壁に掛かっていた古い時計。細かい装飾で作られたこの時計の針が十二時を指していた。先程の音はこの時計が鳴ったものだったのだろう。

「十二時です…」
「で、でも特に異変は」

−−ガシャーン!!

「!きゃぁっ!」
「きゃ……何ですか!?今の!」
「この音…別の部屋から!」

ルーナが「特に異変は無いみたい」と言おうとした時、その言葉は突然、どこからか聞こえてきた衝撃音によって遮られた。その音に驚き、ルーナとダンは身を縮こまらせ、ロギアはあたりを見渡す。
その音は明らかにガラスが割れる音だったが、この部屋の窓は全くの無傷。それに音の距離からして、この部屋では無い別の場所のガラスが割れた音だとわかった。そこまで遠くは無い。おそらく近い、別の部屋のガラスだ。
すると、突然部屋の扉が開き、再びルーナとダンはビクリと震え、ロギアが思わず腰にさした刀の蒼月に手をかけるが、現れたのは扉の前に待機していたジーザスだった。その表情は慌てていたようだが、部屋の中の三人が無事だったことに安堵している。

「皆!大丈夫か!?」
「ジーザス!い、今の、聞いた!?」
「ああ!ガラスが割れた音…この部屋じゃないようだな…!」

ジーザスも先程の音を聞いたらしい。ルーナが確認すると、ジーザスは部屋の奥のガラスが無事なことを見て、別の部屋だと確信した。ロギアがジーザスに言う。

「多分、近くの別の部屋だよ。もしかしたら、番人の仕業かも」
「外からだったらハザードが気付かない訳無いのに…」

二階のどこかの部屋のガラスを割るのは至難の技だ。しかも二階の部屋には全てバルコニーが付いている。万が一、外から投石なり狙撃なりするにしても、バルコニーのさらに奥にある窓まで狙うのは厳しい。それに、そんな人間がいれば真っ先にハザードが気付くはずだ。
そこで、ダンがハッとしてベッドから立ち上がる。その表情は驚きと恐怖に包まれている。

「ま、待って下さい。も、もしかしたら……お父様のお部屋かもしれません…!」
「えっ…!ロックハート公爵の!?」
「お父様のお部屋はこの部屋の隣です…先程の音の距離からしたら…その可能性は……」

どんどん顔面蒼白になっていくダンにルーナが駆け寄り、肩を抱く。ロギアとジーザスも顔を見合わせ、嫌な予感がした。
番人の目的はダンだと思い込んでいたが……あの脅迫状も、もしかしたらダンに警備を回し、ロックハートもろとも自分達を油断させるための罠だったとしたら。
ロックハートの側には秘書のクリスと使用人達がいるが、いずれも戦闘能力は低いだろう。番人の本当の狙いは……ゼウス・ロックハートかもしれない。
そう思った瞬間、ダンが走り出す。

「あっ!」
「お父様が狙いだとしたら、お父様が危ない…!参りましょう、皆さん!」
「ま、待てよ!ダン!」
「………」

ダンを追ってルーナとジーザスも走り出す。ロギアはその背中を一瞬見つめたが、すぐに自らも後を追った。
ロックハートの寝室は確かにダンの寝室の隣ではあったが、ドアとドアの距離は空いている。それは一つの寝室の広さがまあまあある為だったが、この緊迫した状況では昼間にこの廊下を歩いた時よりもずっと遠く感じられた。
ドアの前に使用人等は居ない。ジーザスが廊下で見張っていた時もそうだったのだが、警備の使用人達はロックハートの寝室内に待機させているようだった。
ジーザスが黒烏を右手に持ちながら、左手でドアを勢い良く開く。本来ならノックすべきところだろうが、そうは言っていられない。
そこで広がっていた光景は……。

「!うわっ……」
「きゃあぁっ!お、お父様!クリス!!」

思わずジーザスは声を上げ、その後方でダンの悲鳴が響く。ルーナとロギアもぎょっとして、ルーナは遅れて声を発した。

「きゃ…!こ、公爵…クリスさん…!ど、どういうこと!?」
「……っ。お出ましだね」

部屋の構造はダンの部屋と同じだったが、窓ガラスが大きく割れて奥のバルコニーの地面に散らばり、カーテンが風ではためいている。部屋の中央に倒れる執事らしき男性が三人。部屋の奥の方に秘書のクリスもうつ伏せになって倒れ、さらにクリスの近く、ロックハートが本棚にもたれかかるようにして意識を失っている。

「あなた達が……!」

ルーナが絞り出すように発した言葉。それはその場に…「別の人間」が複数人居ることを示していた。
ジーザス達の目前には…黒装束の人間が三人、立っていた。不気味なペストマスクのような仮面と、動きやすそうな黒い服にフードを被っていて正体は掴めない。それぞれの手や腰には武器−−鎖鎌、刀、ナックルが装備されている。一目見ただけでもわかった。
彼らが…番人だ。


30.狙われるフロイライン






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