「…ということは、クリス。突然、陣川に襲われたのだね?」
ロックハートがソファーに座りながら、側に立つクリスに尋ねると、彼は小さく頷いた。
ジーザス達が鼎によって転移された後、ロックハートはダン達番人のメンバーと共に地下室を出て、屋敷の一階にある居間に戻った。そこで秘書のクリスが駆けつけてきたのだが、クリスは少し戸惑いの表情を見せながら、「陣川冬一に襲われて今の今まで気絶していた」といった旨の説明をしたのだった。…実際には、クリスは冬一を自ら招き入れ、ジーザス達の救出を願ったのだが。
「とんだ災難だったなぁ、クリス?」
「うむ。クリスは我らと違い、戦う術を持たない。自分を責めることはないぞ」
チェーンと刃矩もクリスに言う。彼らとも同じ屋敷に住む仲間同士で気を許せる仲だ。クリスはそれでも、ロックハートに頭を下げる。
「申し訳ありません。襲われたといえ、敵を内部へ侵入させるなど、あるまじき行為です…!」
「…クリス、少し良いかね」
「は、はい…?」
「…本当に、陣川に襲われたのかね?」
「!」
そう言われてビクッとクリスは震えた。ロックハートに怪しまれている。
(やっぱり…公爵は勘が良い……僕の浅はかな嘘なんて…見破られている…!)
最初から誤魔化すべきではなかったのかもしれない。ただ、クリスは怖かったのだ。ロックハートを裏切ったことよりも、ダンに見捨てられることが。だが、カルメンがロックハートに言う。
「公爵、まさかクリスが自分から陣川を屋敷に入れて地下室に案内したっていうのですか?そんな馬鹿な。クリスは清廉潔白な男だ…敵を招き入れることなんてする訳が…」
「…勿論、そうだと信じているとも。ただの確認だよ」
笑みを浮かべてはいるが、ロックハートの目つきは強い何かを感じる。疑心に満ちた視線だ。言葉では優しくても、内心では明らかにクリスのことを疑っている。クリスは言葉に詰まった。むしろもういっそのこと、本当のことを言うべきか…。そう思った時。
「クリスの言ってることは本当だぜ」
部屋に声が響く。その声に、ソファーに座っていたダンが明らかに面倒くさそうな顔になり、チェーンは「げっ」と一言声を漏らし、刃矩は仮面越しだが口が結ばれ、カルメンは溜息を一つ。クリスはハッと辺りを見渡し、ロックハートだけは先程の強い目つきが消えて苦笑いの表情になった。
「おや、来ていたのか。『ファントム』」
「ああ!愛しのダンに会いに来たついでに証言してやるよ」
再び返事があった瞬間。居間の巨大な縦長の窓の鍵が勝手に解除されたかと思うと、そこに若い男−−−−あの時、クリスと廊下で話していた派手な身なりの男が立っていた。
「待たせたな!俺のダン!会いに来たぜ!」
「……ハァ。誰も待ってないわ」
ダンに向けてウインクを飛ばす男、ファントム。ダンは慣れた態度で深い溜息をつく。なかなかに整った容姿の青年だが、ダンには呆れた目線を向けられている。それでも彼は全く堪えていない様子でハートマークを飛ばしていた。
「またまたー!そんなこと言って俺を焦らすって魂胆だな!?」
「ホント、コイツはガチでダンのストーカーだな」
そんな様子にチェーンが突っ込む。実はロックハートやクリスを含め、番人達にとってファントムが来てダンに猛アピールすることは日常茶飯事なのだ。ファントムは窓から降りて、シュバババと凄いスピードでダンのもとへ寄って来ると、その手をギュッと握った。
「ああ、ダン…今日も本当に美しいぜ!その夜空を溶かしたような髪も、宝石色の瞳も!ダンは世界一の美女だ!!」
「あなた、本当に飽きないのね。毎度毎度」
「勿論だ!!俺は毎日ダンに愛の言葉を囁き続けるぜー!」
「…毎日はやめて。私の精神が保たないわ。面倒だし」
跪くようにしてファントムはダンの手を握りながらも目を輝かせ、むしろ抱きつかん勢いで愛のアピールをするファントム。ダンは心底面倒そうにそんなファントムを冷めた目で見下ろしている。まるで尻尾を振る犬と、それが日常的過ぎて飽き飽きした飼い主のような光景に見えた。要するに、ファントムという男はダンのことを女性としてこよなく愛しているのだ。その様子に笑みを浮かべつつ、ロックハートはファントムから話を聞き出す。
「…それで?ファントム。君がクリスの証言をするとはどういうことかな」
「あ?だからよ、コイツが陣川冬一に襲われてた時、俺がたまたまそこに居たんだよ。ダンの寝顔を見に来たら、いきなり秘書が襲われててな」
「サラッとヤベェことしようとしてんじゃねぇよ」
ダンの寝込みを襲いかねない目的で侵入したファントムの発言にまたもや突っ込むチェーンだったが、ロックハートはそれよりもファントムがクリスと冬一の現場を見ていたことに重きを置いていた。
「…そうか。ファントム、君が見ていたというのだね。陣川に襲われるクリスを」
「だからそう言ってんだろうが」
ロックハート相手には急に態度が悪くなるファントム。というより、ダン以外にはこの態度で接するのが彼の「いつも」であった。
そしてクリスは、突然現れたファントムが自分を庇う形で嘘の情報を伝えていることに驚いていた。
(どうして……僕を庇う…?)
ファントムを見つめていたクリスの視線に気付いたのか、ファントムもクリスを見返すが、すぐに目を逸らされる。その表情はけして親愛のあるものではなく、どこか苛立ったものだった。すると、ロックハートは納得したのか、完全に怪しい気配を消してクリスを見る。
「そうか。すまなかったな、クリス。疑うような真似をして」
「!い、いいえ…僕も失礼しました」
ファントムへの違和感を拭いきれないまま、クリスは慌ててロックハートに軽く頭を下げた。それを見てファントムは「フン」と鼻を鳴らすと、再びデレッとした顔でダンに抱きつこうとしてきた。
「そんなことよりもよぉー!ダンー!いい加減、俺と付き合っちゃわない?」
「…何がどうなってそうなるのよ!」
ダンがガバッとソファーから立ち上がると、ロングドレスのスリットからのぞく艶やかな太腿を大胆に広げ、寄ってきたファントムの顔面に向けて思いきり蹴り飛ばした。
「ぐはッ!」
きれいな弧を描いてファントムがソファーの後ろ側に倒れていく。だが、誰も心配する素振りはなく、むしろ呆れ顔だ。ダンは足を収め、今度は彼女が「フン」と言いながらソファーに座り直した。
「本当にしつこい男ね」
「それで腕利きの情報通ってのが信じられねえな」
ダンの言葉の後でカルメンが頭を掻きながら倒れたファントムの姿を見ていた。カルメンの言う通り、ファントムは番人のメンバーではないし、正確には外部の人間。だが、彼の本職は裏世界きっての情報屋なのだ。
倒れたまま動かないファントムをよそに、ダンはさっさとその場を立ち去る。苦笑いしたまま、ロックハートはファントムに声をかける。
「ファントム、君にお願いをしたいことがあるんだが」
「……ダンの為になることか?」
倒れたままの体勢でファントムは返事をした。あんな蹴りを食らってもダンへの愛は変わらないらしい。そんな普段通りのファントムに対し、ロックハートは優しく笑いながらも言う。
「ある人物の調査を頼むよ…その名前は……」
********************************
ジャポンのクラウン本部には、鼎によって転移させられたジーザス、ルーナ、ハザード、ロギア、そして冬一が何とか落ち着きを取り戻していた。現在、五人は応接室でジャポンの緑茶を飲んでようやくほっとしている。側には鼎とガイストも揃っていて、とりあえず休息の時間となっていた。
「はぁ……美味い…」
ジーザスは湯呑みを持ち、注がれた緑茶を飲み、一言呟く。つい数十分前まで敵地に居たせいか、緊張感がなかなか解けなかったが、ようやく気持ちは穏やかになってきた。隣に座るルーナも同じようで、「ほぅ…」と可愛い溜息をつく。
「ほんとに…美味しいね」
少し疲れた様子だが、それを感じさせないように微笑むルーナが可愛いと思ってしまうジーザス。ロギアとハザードも同じように緑茶を啜っていて、ロギアもまるで残業終わりの時のように蕩けた。
「はぁー…先生のおかげで助かったぁ。先生、本当にありがとうございますー…」
「いいのいいの。遠距離強制転移術も役に立つよねぇ」
一人掛けのソファーに座る鼎は手をパタパタさせながら笑っていた。側にはガイストが立ちながら黙り込むハザードと冬一の両名を見ている。
「…で?お前らは帰ってからロクに口も開いてねえが」
その言葉に対し、ハザードは冬一の方を睨んで小さく声を発した。
「………コイツが明らかにあの女に手加減をしていた」
「…!」
冬一はハザードの視線に気付いて顔を上げる。ハザードは冬一に対して憤りを感じているようだった。
「貴様はあの番人の男達三人はあっさりと倒してみせた。その本気を出したままでいれば、あの女に苦戦こそしても倒して戦闘不能にすることは出来ただろうが。それを…貴様は知り合いだか何だか知らないが、手を抜いたな…。貴様が手加減せずにあの女と戦っていれば、番人共を倒して無力化し、俺達を解放すればゼウス・ロックハートも捕縛できたはずだ」
「…ああ、そうだな…ハザード。お前の言う通りだ」
意外にも冬一はハザードの意見を受け入れる。ジーザスやルーナ、そしてロギアも気になっていた冬一の態度。鼎とガイストだけは既にわかっているような冷静な眼差しで冬一を見ているが、ジーザスがぐっとルーナ達の気持ちを代表して聞いた。
「…なあ、冬一!お前…あのダンを知ってるのか?ずっと探していたってどういうことなんだ…?」
「………そうだな。お前達には…全て話しておかなければならない」
冬一は一人掛けのソファーに座り、開いた足の上で手を組むようにして話し始める。その言葉一つ一つを聞き逃さないようにジーザス達はじっと彼の姿を見つめた。
「……今から十四年前、俺の元にミュゼールの貴族からある依頼が届いた。それはミュゼールの名門貴族、ナルシス・エヴリコット伯爵からだった」
「!エヴリコットって…」
ルーナが思わず驚いた声を上げる。そのファミリーネームはとても聞き覚えのあるものだった。
「そうだ。それがダンの父親だ。エヴリコット伯爵は貴族でありながら考古学者として有名な人物だった」
「…アタシも考古学はかじっているけど、自ら世界各地の現場に赴いて発掘作業を行ったり、学術論文を発表していたり、学会でも有名人だったよ。直接会ったことはなかったけど、貴族とは思えないほど自由な発想と行動をする人だったって」
冬一に続けて鼎も補足説明をしてくれた。鼎も考古学の知識があるのはジーザス達も意外ではあったが、今はそれよりナルシス・エヴリコットのことが気になり、冬一に視線を戻すと彼は話を続ける。
「そうだ。そのエヴリコット伯爵から『ある遺跡の発掘作業中に、太古の体質能力の痕跡らしきものを発見したから、それが本当に体質能力なのかどうか確認してもらいたい』という依頼が来たんだ。ちょうど人手が少ない時期でな、俺自らが伯爵に会いに行った。それが全ての始まりだ…」
********************************
十四年前、ミュゼール。光の都と呼ばれる王都ティアヒルム。クラウンの副司令、陣川冬一はナルシス・エヴリコット伯爵の依頼を受けて屋敷に招かれていた。
「いやぁ、お待たせしました!」
窓から光が溢れた美しい屋敷の応接室に通され、すぐに現れたのは大きな木箱を抱えた眼鏡を掛けた三十代くらいの優しそうな男性だった。見るからに温厚そうな人柄がはっきりわかり、前髪の一部がクルンと特徴的に跳ねて、まるで夜空のような美しい色の短髪と、宝石のアメジストのような鮮やかな紫の瞳。部屋に入るなり、中年の執事が彼に対して慌てたように声をかけている。
「だ、旦那様!そのように重い物を運ぶのは我々使用人が致します故!」
「いやいや、これしきのこと自分でやるさ。ははは」
朗らかに笑いながら執事の手を借りず、木箱を冬一の前のテーブルに置く。木箱の中にはゴツゴツとした石板のようなものが収まっている。冬一は改めて目の前の男を見て頭を下げて挨拶をした。
「初めまして、能力統制情報管理協会トリニティ・クラウン副司令、陣川冬一です」
「ご丁寧にどうも。私が依頼を出した、ナルシス・エヴリコットと申します。どうぞお見知りおきを」
ニコリと優しく笑う屋敷の主人、ナルシス・エヴリコット。その笑顔には一点の曇りもない。
(貴族でありながら考古学者…貴族の中でも王族に近い上級貴族だって聞いていたから気位の高いヤツかと思っていたが…結構庶民的な人間のようだな…)
先程も、重い木箱を使用人に運ばせずに自分で持って来た。ミュゼールの貴族の中には何もかも使用人に任せて先祖代々の財産で豪遊しているだけの人間も少なくないと聞いていただけに拍子抜けだ。そもそも、上級貴族であれば本来は活動的な考古学者なんてする必要はない。つまり、ナルシスは自らの意思で屋敷を飛び出し、自ら発掘現場や学会で活動しているということ。貴族らしからぬ、奇妙な人物だ。
冬一は一応、敬った態度を崩さずに話を聞くことにした。
「早速ですが、依頼を頂きました…古代の体質能力の痕跡らしきものとは…こちらの石板にあるのですか?」
「ええ、ええ!いやぁ、素晴らしいものです!これは古代マステリオス文明のものに違いないのですが…今から千年以上前に滅んだとされる文明なのですがね!大河マステリオス川の側に栄えた豊かな文明でして今でも時折発掘される生活用品から見るに人々はとても高い技術を日常的に使っていたようでして、本当に素晴らしい文明なのですよ!!」
「…は、はあ…?」
「…ハッ!す、…すみません!考古学のこととなるとつい夢中になってしまいまして…!」
急に饒舌になったナルシスに若干引き気味の冬一。穏やかそうな人物だと思っていたのだが、どうやら研究者としては熱血漢のようだ。長い話を猛スピードで語ったナルシスの眼鏡が光っているように見えた…。
「…と、とにかく。この石板は千年以上前の文明のものだということはわかりました。よく見せて頂けますか?」
「ええ!勿論。重いのでご注意を。…こちらです」
冷静に戻ったナルシスはポケットから取り出した白い手袋を嵌めると、木箱から石板を持ち上げ、冬一にゆっくりと手渡す。冬一自身は外出の際は常に黒い手袋を嵌めている為、そのまま受け取ったが、石板は思っていたよりもずっしりと重く、手を滑らせる危険性があったのでしっかりと握って観察する。灰色の石で作られた分厚い板に現在の世界共通語オル・ワース語とは異なる象形文字が何行にも渡って刻まれている。意味はわからないが、その石板の右上の方にはほんのりと赤い古いインク染みのようなものがあった。
「これは…確かに体質能力の痕跡ですね」
「!やはりそうでしたか」
冬一が目視してもはっきりとわかる、石板にある赤い染みは体質能力の痕跡。しかも、見覚えがあるものだった。
「これは恐らく、炎の体質能力『
炎武』の痕跡です。仲間に同じ能力を持った体質者が居るので、見慣れたものでしたのですぐわかりました」
「ああ、炎の…!この石板は巫女が
神精に祈りを捧げた歌の歌詞を記したとされるものなのです。古代より、マステリオス文明では火を神聖なものとし、炎の神精を信仰していたというので…炎武の体質者が巫女だったのかもしれません。ああ、ありがとうございます、陣川殿!これで我々の研究が捗ります!」
「いえ、お役に立てて光栄です」
嬉しそうに笑い、ナルシスは冬一に深く頭を下げた。その様子に冬一はぎょっとする。
(オイオイ、貴族が平民に頭を下げんのかよ…)
ミュゼール人ではないとはいえ、冬一はあくまでも一般の平民。そんな者に頭を下げて感謝する貴族など聞いたこともなかった。
「あ、頭を上げて下さい、伯爵。クラウンとしても古代の体質者の存在が確認できたことは今後の研究の助けになりますので、こちらも感謝していますから…この度は本当にありがとうございます」
「滅相もない!体質者とは我が世界の宝、その古い歴史を紐解くのも我々考古学者の役目です。これからも互いに協力し合って体質者達の…人類の歴史を知っていきたいのですよ」
その時、見せたナルシスの笑顔に冬一は驚いた。窓から差し込む日差しの影響でたまたまナルシスのまわりが白い光に包まれたように見え、その儚げで美しい笑顔は男性とは思えないほど清らかなものに包まれているようだった。まるで宗教画の一枚のような、大天使のような笑顔。思わず言葉を失い、黙り込んでしまった。
だが、その沈黙はすぐに終わる。コンコン、とノックの音が響き、ナルシスと冬一はそちらに顔を向けると若い女性の声がした。
「失礼致しますわ。お客様にお渡しする物を忘れていらっしゃいましたわよ」
「ああ!そうでした。ありがとう、オルガ」
(オルガ?)
ナルシスが何かを思い出したような声を出す。冬一は女性の名前であろうオルガという単語がどこかで引っかかったが、考える間もなくドアが開く。
「…!」
ドアの向こうにいたのは、二十代後半くらいの目が覚めるほどの美女だった。全身のラインが浮き出るような薄紫色のマーメイドドレスを着た、紅色の長い髪。その顔立ちは…後に冬一が出会うことになる、成長したダン・エヴリコットと瓜二つだが、それをまだ冬一は知らない。
彼女は手に小さな封筒を持っていて、冬一を見ると官能的な笑みを浮かべた。女嫌いの冬一は特にときめいたりもしないが、普通に「美人だな…」程度のことは頭に浮かんだ。そして同時に先ほど感じた引っかかりが明確になっていく。
(ん…?待てよ、この女…どっかで見たことがあるような…)
どこかで顔を見たことがあるような気がした。オルガという名前も聞き覚えがあるような…。しかし、こんな美人なミュゼールの伯爵夫人との繋がりが全く思い出せない。そこでナルシスが微笑みながら彼女を紹介する。
「陣川殿、妻のオルガです」
「オルガと申します。…ふふ。夫の喜ぶ声が廊下まで漏れておりましたが…体質能力の痕跡を見て頂けたようで。本当にありがとうございます」
「いえ、そんな大したことは………ん、まさか……オルガ…って……あぁ…もしかして、あなたは…」
改めて紹介されたことと、声のトーン、近くで顔を見たことでようやく心の引っかかりがほどけた気がした。冬一は思い出したのだ。彼女のことを。
「『女優』の…オルガ・ナターシャさんですか?」
「あら、ご存知でしたの?光栄ですわ」
「芸事に疎い俺でも知っている程の世界的な女優ですからね…。あなたが宣伝していた化粧品はウチの妹も発売日に貿易商店に買いに走っていましたし」
「ふふ。とても嬉しいです」
妖艶に微笑むその表情、見覚えがあるのは当然。彼女は世界的に有名な女優、オルガ・ナターシャだ。
オルガ・ナターシャといえば、この世界ではトップクラスの女優で、主に観劇舞台で主演を務める演技派として知られる他、世界各地の有名ブランドの化粧品のイメージモデルとしても器用された世界が認める美女。鼎もオルガがイメージモデルだった化粧品を買って「アタシもオルガみたいになれるかなぁー」と言っていたこともあり、冬一は鼎関連で覚えていた。
妻が女優ということでナルシスは少し誇らしげに、そして恥ずかしげに言う。
「ははは、やはり陣川殿もご存知でしたか。やはりどうしても妻の顔は知れていますね」
「確か、数年前に女優は引退されたと聞いていましたが…もしかして伯爵とご結婚して?」
「ええ。この人が私の舞台を観に来て下さったのが出会いでして。女優としての人生は幕が閉じ、それからは一人の妻として新たな舞台に上がりましたの。元々、ナターシャというファミリーネームは本名でしたので、結婚してオルガ・エヴリコットとなってからはもうオルガ・ナターシャという人生は過去のものですわ」
そういえば数年前にオルガ・ナターシアの引退を報じるニュースが世界を飛び交ったのを思い出す。冬一自身は芸能関係にはあまり興味がなく気にしなかったが、鼎が落胆していた気がする。
(成程な。貴族の伯爵と結婚して女優引退か。わりと良い人生かもしれないな)
結婚相手のナルシスを見る限り、少し変わっているが優しくて良い夫。一般的な女性としても順風満帆な結婚生活なのだろう。オルガは持っていた封筒をナルシスに手渡す。
「こちら、お客様にお渡しするものでしょう?」
「そうだった。いけないね…石板のことばかりで忘れていたとは。陣川殿、こちら少ないですが謝礼になります」
ナルシスが受け取った封筒が冬一の前に差し出される。中身は金貨のようだった。冬一は慌てて言った。
「いやいや!これしきのことで金銭は受け取れません」
「それでは私の気が済みません。陣川殿に見て頂かなくては太古の文明に炎武の体質者が存在していたことなどわかりませんでした。これは考察の突破口になる偉大な一歩です。それを明かして下さった陣川殿に謝礼をしないなんて貴族以前に考古学者としての私が許しません!」
(妙なところで頑固だな、この伯爵…!)
冬一は内心そう思うが、あくまでも相手は上級貴族なので乱暴な口調にはなれない。クラウンは世界各地からの体質者絡みの依頼を受けることが多々あり、体質者が起こした犯罪を解決したり、体質能力でイベントや祭りを開く時のコンサルタントなど、その内容は多岐に渡る。依頼された内容によって異なるが、解決後は個人、法人、または事件の場合は地元の軍や警察等から報酬を受け取り、それによってクラウンという組織を運営している。
しかし、今回のようなあっさりとした体質能力のチェック程度ならば報酬はもらわないべきだと冬一は判断した。しかし、逆にナルシスの方が譲らない。
「ですから!この程度であれば報酬は頂けませんので…!」
「そう仰らずに!」
しばらくこの問答が続く。面倒になる前にいっそ受け取ってしまうかと冬一が考え始めた時…。
「おとうさまー!おかあさまー!おきゃくさまがいらしているのー?」
突然、愛らしい声が部屋に飛び込んで来る。冬一は思いがけない声に驚き、開いたドアの方向を見て、ナルシスとオルガもしまった、といった表情をしてそちらを見た。
「あっ!こら、ダン!大事な話の最中だぞ」
「もう…お庭で遊んでいなさいと言ったでしょう」
「えへへ。だっておきゃくさまとお会いしたかったんだもん」
ドアから入ってきたのは…幼い少女だ。その姿に一瞬、冬一は昔の鼎の姿を重ねた。
(あの子……)
まだ十歳前後だろうか。背が低く、ピンクの花柄とレースがあしらわれた上着付きのワンピースを着て、お揃いの色の可愛い靴に白いソックス。目を引く、ナルシスと同じ夜空色の髪と紫の瞳。髪はロングヘアで、頭の両サイドでピンクのリボンで結んだツーサイドアップになっている。
その少女は幼いながらに、絶対的な可憐さを持つ美少女で、冬一は思わず目が奪われた。勿論、女嫌いであるが、何よりも今は驚きの方が強かった。
(…こんな子供で…『美しい』って言葉が似合うような子…この世に居るのかよ…)
まるで天使だ。冬一はそう思った。
あどけなさの中に淑やかさもたおやかさも持った本物の天使のようだ。大きな紫色の瞳は未来への希望に溢れ、見るものすべてに目を輝かせている。まさに天使のような少女だ。
よく見れば、髪と目の色はナルシス、顔立ちや纏う美しさはオルガと似ていた。この少女は…。
「陣川殿、大変失礼致しました。長女のダン…といいます」
「ご挨拶なさい、ダン」
呆然と見とれていた冬一にナルシスはその少女を紹介する。やはり、夫妻の娘だ。
母のオルガに言われて、少女がスカートの両端を掴んで足をクロスさせるようにして貴族の挨拶をする。きちんと貴族としての礼儀は学んでいるようだ。
「はじめまして、おきゃくさま!ダン・エヴリコットですの!」
まだ、暗記した台本をたどたどしく言っているかのような挨拶ではあるが、十分に愛くるしく、気品があった。冬一は驚きつつも、軽く会釈をする。
「よ…宜しくな」
「おきゃくさま!ごゆっくりなさってね!」
まるで春に咲く花のような笑顔。冬一もジャポンのキョウの街をはじめとした世界各地で子供を見てきたが、ここまで気品があって美しい子供を見るのは初めてだ。勿論、世界の子供達はそれぞれに愛すべき特徴があった。しかし、この少女は最早生まれながらの美貌を兼ね備えているような「何か」があるとしか思えない。
(まるで天使…人の世界に降りてきた天使のような子じゃないか…)
例えるなら、天使が現世で人の世界を楽しんでいるかのような。しばらくぼーっとダンと呼ばれる少女を見つめていたが、ハッと我に返り、ナルシスに話す。
「…とても器量のいいお嬢様ですね。それにしてもお嬢様のお名前…素敵ですね」
「ああ、ダンの名前は男性的でしょう?ですが意味はしっかりあるのです。私が尊敬する著名な考古学者、ダン・デラクール博士から取ったものなのですよ」
「ダン・デラクール…あの、世界の遺跡の半分を発掘したとされる『遺跡王』ですか?」
「ええ、そのデラクール博士です」
(まさかの鼎の先生かよ…)
ダン・デラクールはこの世界で最も有名な考古学者といわれた人物で、この十四年前の時点で既に故人だが、実は神クラスであり長寿の陣川兄妹は直接会ったことがある。なんと、鼎が七十年ほど前、大学に考古学を学びに通っていた時の担当教授だったのだ。当時、既に老人であったが、鼎は彼から手ほどきを受けて考古学の知識を深めたのだが、さすがに冬一は自分が神クラスで長生きをしており、ナルシスが尊敬するダン・デラクールと会ったことがあるとは言えなかった。
しかし、自らも考古学者として活躍するナルシスにとっては娘の名前に男性名であろうとその人物の名前を付けてしまうほど憧れの存在なのだろう。
「デラクール博士もミュゼールの貴族でありながら考古学者になった方なのですよ」
「そ、そうだったんですか」
さすがにそこまでは知らなかった冬一は拍子抜けする。鼎は知っていたのかもしれないが、妹の先生の出自までは調べなかった。
「デラクール博士の時代は今よりももっとミュゼールの貴族のしがらみは多かったようです。貴族は屋敷に居るもの、自ら働かないこと、趣味など持たずに様々な学問を均等に学ぶこと。そういった考えが当たり前の時代でした。そんな中でデラクール博士はそのしがらみを家ごと捨てて飛び出し、『人間とは常に自由であるべき』を信条にして立派な考古学者になったと聞きます」
(確かに…「先生から習った」って鼎がよくそんなことを言っていたな)
鼎が自分やガイスト、クラウンの隊員達にもよく言っていた言葉だ。それは師であるダン・デラクールからの大事な教えの一つだったのだ。まだ司令になる何年も前のことではあったが、鼎は大学の講義でダン・デラクールの教えを受け、考古学だけでなく、人生観も教わったのだろう。そして、今目の前にいるナルシスにも大きな影響を与えた偉大なる人物だったらしい。
『人間とは常に自由であるべき』…今のクラウンの在り方とも通ずるものがある。
(一度会っておきたかったな…)
彼が生きている間に会えたらよかったと今更ながらに思う冬一であった。そしてフッと口元に笑みを浮かべる。
「お嬢様はそんなデラクール博士のお名前を頂いたんですね」
「ええ。常に自由で、貴族という枠を超えて外へ羽ばたいていける、そんな子に育つようにと」
良い由来だと純粋に冬一は感じた。偉大なる人物の教えを自分の子に託す、そんな名前だ。側に立つオルガも微笑んでいるが、冬の本人であるダンは難しい話に付いていけずにきょとんとしている。
そんなダンを見て冬一はあることを思いつき、ナルシスに言った。
「…ではこうしましょう、伯爵。その謝礼を頂きます。ですが、代わりにその謝礼で、ダンに美味しい菓子を買う…というのことで」
「え!?しかしそれでは…」
「俺が頂いた謝礼を俺の意思で使うだけですよ」
伯爵夫妻は驚いたように顔を見合わせたが、ナルシスはクスッとはにかむと頷いた。
「わかりました。陣川殿がそれで宜しいなら。ありがとうございます」
「ダン、美味い菓子でも買いに行こうか」
「!おかし!買ってくださるの!?」
冬一がダンに顔を向けると、ぱあああっと目を輝かせた。お嬢様といえど、まだ幼い子供。菓子には目がないのだろう。
「ああ。一緒に街に買いに行こうぜ」
「やったぁ!ありがとうございます、おきゃくさま!」
「俺は冬一だ。そう呼べばいいさ」
「はい!冬一さま!」
にこやかに笑うダンを見ていると冬一も笑みを浮かべてしまう。本当に愛らしい少女だと思った。
「伯爵、ダンと菓子を買いに出ても宜しいですか?」
「ええ。私もちょうど街に買い物に出たかったので一緒に参りましょう!」
(この伯爵、買い物も自分でするのか…)
冬一が思ったように、本来、貴族とは自分で外出して買い物を行うことはあまりなく、使用人に命じて買いに行かせるか、高級店であれば店の方から屋敷に出向くのが生活をしているのが普通。やはり、ナルシスは一風変わっている貴族のようだ。
「はい。では一緒に」
「やったぁ!おとうさまと冬一さまといっしょにおかし買いに行くのー!」
喜ぶダンを見てオルガも微笑む。
「陣川様、ありがとうございます。あなたも、ダンをお願いね」
「ああ、任せてくれ。さて、ダンは何が食べたいのかな?」
「まかろん!まかろんすき!」
父の言葉に嬉しそうに答えるダン。小さな天使の好物はマカロンらしい。
「じゃあ、ダンの好きなマカロン買おうな」
「うん!!ありがとう、冬一さま!」
令嬢としての気品も、子供特有の無邪気さも持つ美しい少女。優しい両親に囲まれて愛されて育つ天使。
冬一がこの日、彼女と出会ったことはある種の運命だったのかもしれない。
34.始まりのマカロン
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