ミュゼールのロックハート邸。ロックハートは既に神戦の開催を告げた宣戦布告の手紙をクラウン宛に送っている。
神戦は明日の夕刻に迫っている中、ダンは自分の寝室の窓から星空を見上げていた。

(冬一…)

ダンはあの夜のキスが忘れられないでいた。今までたくさんの男と関係を持ってきたのに、冬一は何かが違った。子供の頃のことを知っていたから?容姿がいい男だから?何度も考えたが、答えは出なかった。
ただ、彼のことを想うと、胸が締め付けられそうになる。

(…私は……)

そう思いながらダンが物思いにふけっていた時。コンコン、と扉がノックされ、ダンはハッと現実に戻される。

「ダン、私だよ」
「…お父様?どうぞ」

声の主は養父であるロックハートだ。ダンが声をかけると、ゆっくりと開き、ニコリと笑ったロックハートが入ってくる。

「眠れないのかい。我が愛しの娘よ…明日は夕刻とはいえ、神戦の当日だ。早く眠って体を休めておかないといけないよ」
「……そうね。…そのつもりだけど…何だか心がざわめいて…」

ロックハートは窓辺に佇むダンに近付き、その夜空色の長い髪を撫でる。

「それは、大いなる計画の最終段階まで来ているから緊張しているのだよ。大丈夫だ、必ず上手く行くさ…君達番人の実力は本物だ。必ず勝てる」
「………そうよね…」

ダンは心に違和感を覚えつつ、それを誤魔化そうとしていた。冬一が言っていたように、自分はロックハートの計画に疑問を抱きつつも彼に従っているだけなのか。だが、もしそうだとしてもダンにとってロックハートは恩人であり、実の父親同然だ。彼に逆らって生きるという選択肢は今のダンにはなかった。

(私はもう…家族を失いたくない…ひとりぼっちにはなりたくないのよ…)

父親が誤った選択をしていたとしても…。浮かない顔のダンを見てロックハートはその手を肩へ伸ばす。
…肩を抱く手は父親にしては妙な触り方だった。しかし、ロックハートを完全に信用しているダンは違和感を感じていない。目を細め、慈しむようにロックハートはダンを抱きしめる。

「愛しきダン。私の宝…。世界から悪が消えた時、君は新たな世界の女王となる。君が望んだ素晴らしい世界が始まるのだよ…」
「………お父様…」
「さあ、その為にも今夜はゆっくり休みたまえ。…おやすみ、ダン」
「…わかったわ。…おやすみなさい、お父様」

ロックハートは自然な流れでダンを部屋の天蓋付きベッドに導き、シーツの中に入れる。ダンはまだ不安げな表情をしていたが、子供にするように頭を撫でて就寝の挨拶を交わした。
笑顔のまま、ダンの部屋から出たロックハートは夜の廊下を歩き、隣の自分の寝室に入る。
その途端に。

「……ハァ…ハァ……ダン……ああ、なんて…なんて美しい…!!」

ロックハートは自室の扉に背を付き、突如として興奮したように荒い息を吐く。そして先程ダンの髪を撫でた自らの手を嗅ぎ始めた。なんと、ダンの残り香を嗅いでいたのだ。

「ああ、本当に…本当に美しい…!まさに闇に咲く花…麗しき黒の王女…!ダン…私の命令通りに刃を振るうお前はなんて美しいのだ…」

ロックハートは荒い息で震えた声を発する。その老いた口から漏れるのは、仮にも娘として十四年間育てたダンへの異様な愛。明らかに養父と養女の関係を超えた想いだった。



********************************



ゼウス・ロックハートは長い間、ダンを女として愛し、理想の女に育て上げたのだ。それには、ダンの両親の殺害、ダン自身の誘拐監禁、それを自分が保護し、彼女からの絶大な信頼を得ることまでが全て計算として含まれていた。
元々、ロックハートは裏社会を統べる影の権力者であった。マフィアやギャングのボスさえ支配下に置き、あらゆる犯罪の黒幕として権力を握っていた。
さらには、表向きには上流貴族としての顔を持ち、不動産事業にも精を出し、ミュゼール国王からの信頼も厚かった。その卓越した話術と人当たりの良さから、国王には度々、国政の相談等を受けている程に。
これは、ミュゼール王政の人員がかなり薄く、大臣達でさえ強い意志をもてる人間が少なく、国王自身が高齢で穏やかかつ争いを避けたがる性格だったのも影響している。さらに国務大臣が身内だったこともあり、ロックハートは容易く国王の信頼を勝ち取ることが出来た。
ロックハートは自らが絶対的な力を得ることを目的としていた。ミュゼールの裏社会、貴族としての地位では足りずにさらなる力…全人類の王になることを企み、以前から耳にしていた女神の力を利用しようと思い始めた。
万能の体質能力といわれる女神の力…使い方次第であらゆる夢を叶えることが出来る。そこでロックハートは世界中の人間から負の感情を奪おうと考えた。それは実際には、全人類から自分に抵抗する力を削ぎ、服従させるということであった。
負の感情を失った人類はロックハートに対して嫌悪も抗戦も罵倒もせず、彼に求められるがまま従うだけ。彼のやり方に何も反抗しない。むしろそれがおかしいとも考える感情すら失う。
まさにロックハートの為の楽園だ。
しかし、女神の力を持つ鼎は世界的な体質者組織、クラウンの司令で神クラスでもあり、簡単に手出しは出来ない。

(クラウンに対抗できる強い兵士が必要だ…)

そう考えたロックハートはかねてより、自らの命令に忠実な私設兵を欲していた。自動人形の量産工場を所有していたロックハートは、武装自動人形を作れこそしたが、彼らは数は多く居ても脆く、強い闘志を宿すことは出来ない。

(必要な兵士は…強い意志と、私への絶対的な忠誠心…)

そう、強い人間でなくては。いざという時こそ、人間の強い闘志が必要になってくる。
そんなことを考えていた矢先だった。ロックハートはミュゼール国王主催の春のパーティーに呼ばれ、上流貴族としての顔を振りまいていた。
華やかな貴族達と談笑していた際、ミュゼール国王…ステファン七世から呼び止められた。

「公爵。少し良いかな」
「はい、国王陛下」

既に老齢に差し掛かっているステファン七世はシャンパングラスを持ちながら優しい笑顔で、彼の正体に気付かぬまま、ロックハートを自らの側に呼ぶ。国王はまだ五十代だが、まるで老人のようなシワだらけの指に赤い宝石の指輪が嵌められ、その手で王の証の一つである黄金のステッキを握り、文字通り杖替わりにしてふらついた足取りで立っているのでロックハートは慌てて駆けつけた。よく見れば、国王の傍には眼鏡をかけた若い男が正装のスーツ姿で立っていて、ふらつく国王を支えている。

「この者を紹介しておきたくての。ロックハートよ、これが儂が目をかけておる………ナルシス・エヴリコット伯爵じゃ」

そう言ってステファン七世は途中で一旦、何故か少し迷ったような言い方にはなったが、どこか嬉しそうに男をロックハートに紹介した。それが…ダンの父、ナルシスであった。
ナルシスは夜空色の短髪に癖のある前髪と、首から下げた紅色の宝石が付いたペンダントを揺らし、目の前のロックハートに向かい、丁寧に頭を下げる。

「お初にお目にかかります、ロックハート公爵。お噂はかねがね…国王陛下より伺っております」
「エヴリコット伯爵…ああ、存じていますよ。確か考古学者としても数々の遺跡発掘にご尽力なされているとか。いやあ、こんなに若いお方とは意外でしたなあ」

ロックハートの耳にもナルシスの名前は入ってきていた。ミュゼールの貴族としてはあまりにも珍しい、現場へ赴き、土まみれになって発掘作業をしたり、学校で講義を行う活動的な考古学者だと。笑顔を浮かべてナルシスと握手をするロックハートだったが、内心ではけして優しいものではなかった。

(貴族らしからぬ妙な若造め…なんと愚かな。しかし…考古学の遺物は…もしかすると何かに利用できるかもしれないな)

痩せ気味で面白みもない男だと小馬鹿にしていた。ロックハートにとっては他人という存在は利用価値があるか、ないかで決まる。ナルシスという男には大して利用価値すら感じなかったが、彼の考古学者としての面は気になった。
遺跡等で発見される古代の遺物には古い体質能力について記されたものがあったりする。ナルシスを利用して上手く解読できれば、女神の力を奪う為に役に立つものがあるかもしれない。
そしてその日のうちにナルシスに取り入り、後日、彼の屋敷に訪れる約束を取り付けたのであった。

(所詮はこの若造も同じ。私の人生を飾り立てる為の礎に過ぎんな)

だが、皮肉にもナルシスとの出会いは間違いなくロックハートの人生の目的すら変えるきっかけになるのであった。
--その日からロックハートはナルシスとの交流を急激に、しかし自然な流れで増やしていった。パーティーでナルシスと初めて会ってから一週間後にはエヴリコット邸に招かれた程、ナルシスはロックハートに好印象を抱いていた。
ロックハートはナルシスの妻、オルガともすぐに打ち解けた。女優を辞めて伯爵夫人になってまだ数年だったオルガにとってもロックハートは良き相談相手で、巧みに話を聞いていけば、オルガもまた貴族の出身だったのだという。両親に貴族の令嬢として厳しく躾られた結果、少女時代にどうしても憧れの女優になりたくて家出をして飛び入りで劇団に入って以来、実家ナターシャ家とは絶縁状態にあるらしい。そのせいか、優しく年長者であるロックハートとの会話が楽しいと美しく笑った。
しかし、世界を魅了した元女優オルガの笑みを見ても、ロックハートの心はあまり動かなかった。美しいとは思うが、物や美術品を美しいと思うのと同じような無機質な感情に過ぎない。
そんな日々が約一年続いた。勿論、その裏ではロックハートは裏社会で数々の犯罪に関与し、その影の勢力を伸ばしていたのだが、ナルシスやオルガは全く知らぬまま、ロックハートと付き合いを続けていたのである。
そして静かな秋の夜。ナルシスとオルガの間に子供が産まれた。女の子だ。
ナルシスは翌朝すぐに、その時点で一番信頼していたロックハートに電話をし、ロックハートは付き合いの為に昼過ぎにはエヴリコット邸を訪れた。

(赤子か…エヴリコット家との繋がりの為に一応、祝うフリをしておくか…)

子供誕生の祝いをする気など本心では全くない。だが、あくまでも今後の為に、表向きは笑顔で「おめでとう!」と言っておくのが最善だと考えた。
ロックハートが屋敷に到着し、執事がロビーに通すなり、いつも以上に興奮したナルシスがロックハートの手を握って何度も頭を下げて「ありがとうございます、ありがとうございます」と涙ながらに呟いた。まだ、ロックハートが祝いの言葉すら言っていないのにナルシスは感謝し続けた。そこまで娘の誕生に感動しているのだろう。

「おいおい、ナルシス。私にお祝いすら言わせてくれないのかい?」
「ああぁ…すみません…!いや、気が抜けてしまって…!ああ…本当に…」
「とにもかくにも、本当におめでとう。さて、生まれた姫君の顔を見せてはもらえないのかな?」
「ああ、はい、勿論!オルガも落ち着いていて…ああ、こちらです!」

表面だけの笑顔とは知らず、ナルシスはロックハートをある部屋へ案内する。ナルシスがノックをするとオルガの優しげな「どうぞ」という声が聞こえ、ナルシスは扉を開けた。

「ロックハート様……いらっしゃいませ」
「ああ、オルガ。良い顔だ。その子が……。……ッ!」

ロックハートの心のどこかのパーツが外れた音がした。
少し疲れたように、だが晴れ晴れとした顔のオルガはベッドで横になり、その隣には白い布で包まれた産まれたばかりの赤ん坊がすやすやと眠っている。助産師であろう中年の女性二人もその様子を見守り、ナルシスも父親としての優しい顔になっていた。
だが、その空間の中でロックハートだけが異質だった。むしろロックハートの人生は今まで以上に狂い始めた瞬間だったが、それには誰も気付かない。

(何だ…?これは…)

まるで自分の中のパーツが少しずつ壊れ、捻れ、形を変えていくような感覚。
あの赤ん坊を見た瞬間。心臓は焼かれるように熱く、だがそれが心地良ささえ感じて。脳が痺れるような衝撃があったかと思えば、甘い蜜に蕩けるような感情が湧き出る。
あの赤ん坊が。ロックハートの全てを変えてしまった。
ロックハートは必死に自分の異変を近くに居るナルシス達に悟られないように必死だった。ナルシスはそれに気付くことなく、オルガに近寄り、優しくキスをしてから娘の小さな小さな指に自らの指を絡める。眠っている娘は無意識にナルシスの親指を握り締めた。

「公爵、どうぞお近くにいらして下さい」
「…あ…ああ」

ゆっくり近付いて行くが、その足取りは重い。まるで酒に酔ったかのように体が熱く、ふらつきそうになるのを押し込み、ベッドの元までやって来た。

(この子は……本当に…産まれたばかりの赤子か…?まるで天使じゃないか…)

その子を間近で見ると本当にその美しさに吸い込まれそうだった。近くの窓からの明るい陽を浴びて眠る赤ん坊はまさに天使。どこか母オルガに似た顔立ちに、父ナルシスと同じ夜空色の髪が既にうっすらと生えている。
まだ産まれて一日も経っていないのに、この子はとても美しかった。ロックハートはその美貌に見とれてしまった。しかし、ナルシス達はそれが慈しみの表情だと感知がしてしまっていた。

「オルガ似で美人になるな、きっと…」
「あなた……」

優しく笑い合う夫妻。ロックハートはようやくナルシス達に向かって話すことが出来た。

「……名前は決まっているのかな」
「はい。男女どちらが産まれてもこれにしようと、オルガと前々から決めていました」
「…そうか。して、その名前は?」

ロックハートの問いにナルシスは誇らしげにその名を教えた。
ロックハートの人生を変えた美しい「女性」の名前は……。

「我が敬愛する偉大な考古学者にして、人生の在り方を教えて下さった方の名を頂きました。……『ダン』。この子の名は……『ダン・エヴリコット』」



その日。ロックハートはエヴリコット邸から帰還し、自らの屋敷に戻って来て、すぐに自室に篭った。そしてデスクの前の椅子に座ると、手を組む。

「………ダン……なんと…美しく…無垢な子…」

時間が経つにつれ、自分の中で起きた異変が段々と理解出来てきた。あの時はあまりにも衝撃が強すぎてわからなかったが、今なら…あの感情と異変の意味はわかる。

「ああ……もう…私が欲しいものは…金でも…権力でも…女神の力でもない…そうだ……私が…私が真に欲していたものはこれなのか……!!」

今まで欲していたもの全てを破棄してでも手に入れたいものが出来た。

「私は……私は……あの子が欲しい…!!ダン……!!ダン…あの子を愛してしまったのだから…!あぁ、ダン…幼くして絶対的な美貌を以て私を虜にしてしまった天使よ!!いずれ……いずれは!我が妻となりし娘よ!!」

その目は…狂気に満ちていた。
そう、ロックハートはあの時…赤ん坊のダンを一目見た瞬間に異性として惚れていた。あまりにも異常な一目惚れだった。ダンの何が彼を狂気的な愛に導いてしまったのか。確かに赤ん坊のダンは「顔立ちが整い、安らかな寝顔のきれいな赤ちゃん」ではあったが、決して老人に異性の愛を抱かせる程ではなかった。最初から歪んでいたロックハートにとってダンの無垢な美は、彼をさらに歪んだ方向へ向かわせてしまったのである。
だが、ロックハートの狂気はここからさらに加速していく。

「美しいダン…!だがお前の美はさらにもっと輝ける!!そうだ…お前には…清らかな白より、漆黒が似合う…!私と同じ闇に落ちれば、お前はさらに美しくなるだろう…闇に生きる人間となれ、ダン……ああ、ならば良い筋書きを用意しよう!!」

この日、ロックハートは決意したのだ。あのダンを闇の道へ引きずり込み、自分のものにする為の計画を少しずつ実行していくことを。
最終的には女神の力を使って、世界中の人間を巻き込んでダンを完全な形で手に入れる為の企みを。



********************************


ロックハートはその後、何年も特に行動は変えずにエヴリコット家と親交を深め、ダンの成長を優しく見守っていた。ダンは日毎に美しさを増し、五歳になる頃には母親の美貌を見事に受け継いだ美少女になっていた。
顔立ちこそ母オルガの系統だが、髪と目の色はまさに父ナルシス譲り。特に前髪の一部は父同様、特徴的に跳ね返っている。ナルシス曰く、ダンの祖父でナルシスの父も同じような髪と目だったようで、エヴリコット家の先祖も同じ特徴だったという。
性格は割とお転婆で、無邪気。ミュゼール貴族の伝統である家庭教師による室内での勉学よりも、庭でボール遊びをしたがるような少女ではあったが、嫌々ながら受ける勉学の成績は優秀。そんな中でも父ナルシスの考古学には興味を示し、いつの間にか父の書斎の本を読んでいたり等、頭脳面はナルシスの才能を受け継いでいるようだった。
そして物心ついた時からダンにとってロックハートは父の知人である以前に「優しいおじさま」だった。

「ロックハートさまぁ!」
「ははは、ダン。また大きくなったかな?」
「うん!」

ロックハートがエヴリコット邸を訪ねる度にダンは喜んだ。ロックハートは土産をくれたり、自らダンと遊んだりして非常に懐かれていたのだ。後年の冬一に懐いていた件もそうだが、幼少期のダンは人並み以上にとても人懐っこい性格だった。

「こら、ダン。公爵を困らせてはいけないよ」
「いやいや、構わないよ、ナルシス。私は全く気にしていないからね」

客人に遊んでもらってばかりいるダンを注意したナルシスだが、ロックハートは笑顔で言った。むしろロックハートにとってはダンを懐かせることは計画の一部なのでナルシスの介入の方が邪魔だった為である。しかし、ナルシスからの信頼も大事なので適度に対応していかねばならない。ロックハートは優しくダンを撫でながら言った。

「ダンは私にとっても可愛いお姫様だからね」
「…!…え、ええ」

子供に対しての表現としてよくありがちだが、ロックハートがダンを撫でながらそう言った途端、ナルシスが若干妙な反応をした。ロックハートは表向きでは受け流したが、奇妙に思っていた。

(何だ…今のナルシスの反応は?)

何かおかしなことを言ったか。だが、そんなことはないはずだ。
改めてナルシスを見た時、ロックハートはあることに気付く。

「!ナルシス、君…いつも着けているペンダントはどうした?」
「あ…しまった。先程、寝室に…」

慌てたようにナルシスは寝室に向かって走っていき、一分もしないうちに戻って来た。初対面の時からずっと彼が身に付けていた高そうな宝石のペンダントは、戻って来たナルシスの首に掛かっている。

「いや、すみませんでした…」
「はは、そこまで大事な品だったか」
「まあ一応、父から譲り受けたエヴリコット家の家宝みたいな物でして…父から、常に身に付けているようにと言われてきました」

本来であれば盗難のことも考えて家宝のことなどあまり外部に話すものではないが、既にロックハートとエヴリコット家の付き合いは五年以上に及ぶ。ナルシスはロックハートに信頼を置き、ロックハート自身も別に宝石を盗む気もなかった。何となく、会話の流れで話は続く。

「そういえば珍しい色合いの宝石だね。ルビー…か?ガーネットとも違うか」
「ローズダイヤと呼ばれる物だそうです。その名の通り、バラのような色のダイヤモンドですが…光の角度によって鮮やかなピンクにも見えたり、燃えるような赤にも見えたりするのが特徴です」
「ほう、確かに」

それは前から気付いていた。今までもナルシスと会話をする最中、彼のシャツの中でチラチラと見えていたが、照明や陽の光に煌めいてピンクや赤に見えた。確かにここまで色が変わって見えるカラーダイヤはかなり珍しい。
ダンがロックハートの足にしがみつきながら笑って言う。

「わたしがおおきくなったら、おとうさまからもらうの!」
「はは、ダンがもっと大きくなって成人したらね。このローズダイヤは代々、子に引き継がれることになっているんです。何でも大変希少らしくて、このペンダントと対になる装飾品のペア以外は現存していないようです」
「ほう…」

ローズダイヤはエヴリコット家の家宝。ロックハートがダンを撫でながら言った時、ふと彼の脳裏にある疑惑が浮かんだ。

(あのダイヤ……これ以外にも、どこかで……)

妙な既視感。むしろ、何故今まで感じなかったのか。
……色の違い。
ローズダイヤの特性である、角度で赤の色合いが変わって見える現象。

(違う色の宝石だと思い込んでいた………まさか……まさか、『エヴリコット家』は……!!)

代々受け継がれ、特殊な色の変わって見えるダイヤ。貴重で、対になる装飾品以外、他には存在していない。
瞬間的に全てを理解したロックハートは咄嗟に顔を覆った。その様子に幼いダンは彼を見上げる。

「ロックハートさま?」
「………あぁ…いや、…なんでもないよ」

隠した手の下で……ロックハートは不気味な笑みを浮かべていた。
もし、推測通りならより一層最高だ。ダンという存在がさらに尊いものになった。文字通り、本当に彼女は……。



********************************


それから八年の歳月が流れ、ダンがもうすぐ十歳の誕生日を迎えようとしていた頃、エヴリコット家には新たな命が生まれた。
第二子は男の子であったが、やはり母と姉に似た美しい顔立ちをしていた。ダンとは十歳差の弟だったが、ダンが産まれた時より小柄な赤ん坊だ。
しかし、ロックハートは全く魂を揺さぶられなかったのだ。男ということもあったが、もう既にロックハートはダン以外の存在はどうでもいいものになっていたからである。今回もやはり、表向きだけでは優しい笑顔を浮かべて祝福した。
ダンもより一層美しく成長してきたこの頃合い。ついにロックハートは動き始める。
ロックハートはある日、裏街に出向き、路地裏でたむろしていた三人の男に目を付けた。裏街には貧民や恵まれない者達がチンピラとなって犯罪に手を染めて生活をしている者が多い。その中でも貴族に恨みを持っている連中は少なくない。三人の男達は路地裏で貴族達に対する恨みを言い放っていたのである。

「クソッ、貴族街の連中め…!俺達を馬鹿にしやがって!」
「ああ、いつか痛い目に遭わせてやるぜ」

酒を煽りながら貴族達への恨み言を吐く男達。ロックハートはにこやかな笑顔と、懐から取り出した金貨の入った袋を取り出しながら彼らに話しかけたのだった。



********************************



そして計画は実行された。ロックハートが三人の男達に命じたのは三つ。夜中のうちにエヴリコット邸に忍び込み、屋敷に居る人間を抹殺すること。ただ一人、屋敷の令嬢であるダンを生かして誘拐してくること。そして、三つ目の命令こそ、ロックハートの計画の最も狂気的な要素だった。
ダンを誘拐して裏街の廃工場に監禁し、その後一年間、「ダンを好きにしていい」という命令。貴族に恨みを抱く男達であれば、そう言われれば考えることは一つだ。それに子供とはいえ、ダンの美貌を前にしてしまったら…。
そう、ロックハートの狙いは男達にダンを犯させ続け、彼女の体も心も汚すことそのものだった。ダンを闇へ落とす為、幸せな生活から地獄の底へ叩き落とす。あまりにも狂気的な計画だった。
男達は命令通り、ナルシスやオルガを含めた屋敷の人間を全て殺し、ダンを連れ去った。ロックハートは翌日、何も知らなかったような顔でナルシスの友人として公では嘆き悲しむ顔を見せ、行方不明になったダンを心配する素振りを見せた。人格者だったナルシスの無残な死を悲しむ貴族仲間は多く、特に国王のステファン七世はひどく嘆き悲しみ、体調を崩す程だった。ロックハートはその意味がわかっていたが、内心ほくそ笑んでいた。
そして一年間、ダンは誘拐した実行犯の三人組だけでなく、多くの男達に陵辱された。三人の男達は自分達のみでダンをいたぶるだけでは飽き足らず、彼女を「ドール」として世間の男達に一晩いくらで金を取り、貸し与えてきたのだ。それは裕福で大事に育てられてきたダンの生き方そのものを変えてしまった。辛く、苦しい一年間。ロックハートは時折、その報告を受けながら満足げに笑っていたのだ。

(ダン…今は辛いだろう?だが…もうすぐだ。もうすぐ、お前を救い出すよ…)

計画通り、一年が過ぎた頃、ロックハートは自動人形の使用人達を五人程連れて監禁場所である廃工場に向かった。勿論、男達は知らされていなかった為、ひどく驚いたが、それが依頼主であるロックハートだとわかるとヘラヘラと笑っていた。その男達の側にはぐったりと倒れ込むダンが居る。まだ子供とは思えない色気のある体が透けて見える黒いランジェリードレスを纏い、目は開いているが光はなく、絶望の色に飲まれているように見えた。
ロックハートは何も言わず、自動人形の使用人に命令を下す。それによって、意思のない自動人形は手を刃物に変えると、あっさりと男達を殺したのだ。男達は何が起きたかわからないまま死んだのだろう。
そしてすぐにダンに駆け寄り、抱き起こす。細い体は力がない。ロックハートは命令の中に、監禁したダンは必ず清潔にし、食事もきちんと与えるようにと言ってあったが、男達はそれを守り、一応はダンの清潔さと健康は保たれているようだった。

「ダン、ダン。しっかりしたまえ」

心配した態度でダンを揺さぶる。すると、ぼーっとしていた表情のまま、ロックハートの方を見ると、少し驚いた顔になり、そのままぐったりと意識を失ってしまった。知り合いであるロックハートを見て安堵し、気を失ったのだろう。しかし、ロックハートは不敵に笑う。

(これからが第二部の幕開けだ。これから憔悴しきったダンは、自分を救った私を信頼し、依存し始める…そうだ。そしてそのまま私に依存するのだ…ダン…)

これはロックハートが誘拐前からダンと親しくしていたのも事前に仕込んだ作戦の一つ。一年間、地獄の中に居たダンにとって、自分を助けてくれたのが「優しいロックハートおじさま」という事実。それはダンの傷付いた心の唯一の希望であり、縋るべき相手だった。
こうして、ロックハートはダンを保護し、養女にした。最初は男性恐怖症に苦しんでいたダンだったが、ロックハートは優しい言葉で彼女を支え、立ち直らせた。
そして言葉巧みに、強くなることを勧め、「罪人を殺す殺し屋になれ」と誘導していった。全ては、ダンが闇に生きる美しい存在になるように。
ダンと共に戦う仲間として用意したのは、世界各地で同じように悲劇を経験した人間。それがチェーン、刃矩、カルメンだった。
チェーンはロマーナの孤児だったが、正義の義賊マルシャム一味に拾われ、家族同然に育った少年。しかし、当時の政府の強硬策によって一味を殲滅され、ただ一人生き残り、全てを失っていた。
刃矩は元々ジャポンで静翔神無流せいしょうかんなりゅうの道場主だった。親から流派と愛刀、神無を受け継いだ立派な剣士であったが、ある日突然、弟子から殺人の罪をなすりつけられ、警察に追われる身となった。その際に顔に傷を負い、仮面を付けて素顔と名前を偽って国外へ逃げたのだ。
そしてカルメンは元はギレグドの軍人。その屈強な体と強い体術の実力だけでなく、部下達からも慕われる小隊長だった。しかし、ある戦いにおいて、無能な上官が部下を顧みない作戦を進めた。カルメンは反対したが、結局はその作戦が実行され、彼の部下は全員無駄死にとなった。しかし、上官はその部下達の死を嘲笑った。カルメンはそんな上官を許せず、その場で殺してしまった。その時から上官殺しの罪を背負ったカルメンも刃矩のように逃げるようにして裏街に紛れ込んだのである。
そんな過去を背負った人間に手を差し伸べ、居場所と生きる目的を与えたことで、ロックハートは彼らの忠誠心を得た。こうしロックハートの念願の私設兵、番人が生まれたのである。



********************************



「いよいよだ…我が計画は最終段階に入る。闇に染まったダンは既に大人だ…いよいよ娘から妻へなる時だ…。女神の力を使い、ダンを…我が愛だけを感じる存在へ作り変える…!!」

ゼウス・ロックハートの目的。女神の力を使って世界中の人間の負の感情を消すという計画のその真の目的は、愛するダンが自分を父としてでなく、夫として受け入れるようにすること。通常の感情ならば、今まで養父として見てきた男を異性として見ることなんか出来ない。だから、その不信感や疑い、嫌悪を無くさせるために負の感情を消し去る。世界中の人間はあくまでもオマケに過ぎない。全てはダンを手に入れる為だ。
明日の神戦を前に、ロックハートは歪んだ愛をさらに高ぶらせる。その背後には悪魔のような不気味な黒い影が寄り添っている。その姿は明らかに人間ではない…神精しんせいだった。

「そしてその為には…ダンを惑わせる男…陣川冬一…神戦で完全に消え去ってもらう…!」

ロックハートのデスクの上にはファントムに調べさせた冬一についての書類が乱雑に置かれ、冬一の写真には殺意の込もったナイフが突き刺さっていた…。


38.愛するというフォルリィア






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