「あの…本当にすみませんでした…大丈夫ですか?」
「いや…大したことじゃねぇよ」
あれから、近くにある公園のベンチにジーザスとルーナは座っていた。ジーザスは公園内で軽い飲食物を販売しているワゴンから紙コップ入りのホットコーヒーを二杯購入すると、そのうちのひとつをルーナに渡し、「ありがとうございます」と微笑むその笑顔にドキリとしつつ、隣に座りながら自分のコーヒーを飲んで一息つく。
今日、非番だったルーナも女性の叫び声を聞いて刑事の血が騒ぎ、ひったくり犯を追いかけていたのである。そこでちょうど犯人を追いつめ、その手首を掴んで地面に勢いよく押し付けた。その際、同時に犯人のパーカーを掴んでいたジーザスもそのまま地面に倒されたのである。
犯人は駆けつけた警官に引き渡されたが、ジーザスの顔は末端の警官まで知られていなかった為、現場に到着した若い警官は笑顔でジーザスに「犯人逮捕にご協力ありがとうございます!」と敬礼していたが、ジーザスは苦笑いするしかなかった。
「それにしても…女ひとりでひったくり捕まえようなんて無茶するなよ。もし相手が武器でも持ってたらどうするんだよ」
「あら、それはあなたにも言えますよ」
「そりゃあ俺は…」
銃を持ってるし、と言おうとしてハッとジーザスは口を閉ざした。こんな街じゃ銃を携帯していてもおかしくはないが、どう見ても目の前の娘は一般人。銃に怯えるかもしれない。ジーザスは出会ったばかりの彼女に怖い思いをさせたくないと感じた。
ジーザスはよく父アーロンから態度が悪いと言われることが多々あるほど、口も悪いし、行儀が良い、とは言いがたい。だが、昔から一般人にはけして銃は向けないし、彼らの平穏な生活を守りたいという思いは一族ゆずりだった。
「俺は…武道も少し習っているからよ。万が一反撃されても対応できる。けどアンタは細っこいし、女なんだから…」
「そうですけど…わたしは犯罪を見逃せないんです。この街から犯罪を無くしたい…その思いでわたしは…」
刑事になったんです、と言いかけてルーナも口を閉じた。彼女は実父ジムから無闇あたらに非番の際、刑事だと言い回るなと釘を刺されていた。こんな危険な街じゃ、刑事とわかれば襲ってくる連中も多くいる。
(この人が悪い人だとは思えないけど…でもお父さんの言いつけは守らないといけないし)
父の言いつけは絶対。ルーナは誤摩化すようにニコッと笑うと、ジーザスが急に頬を赤く染めた気がした。
ジーザスから見れば、目の前の娘は今までに出会った事の無いタイプの女性だった。清らかな白い絹のよう。ぱっちりと開いた青い瞳が映える、まるで雪のように真っ白な肌。白に近い金髪、プラチナブロンドというのだろうか?日の光を浴びて輝くような髪は肩より少し下まで伸び、髪の下の方はふんわりと広がり、うっすらと水色がかっている。白いブラウスに青い膝丈のスカートから見える足はとてもきれいで、思わず目が行ってしまう。アンティークドールのようだ。可愛い。とにかく可愛い。
(くそっ、可愛い…こんな女がたったひとりでひったくり犯を捕まえたのかよ…正義感が強いっていうか、無謀っていうか…今回はうまくいったからいいものの…)
むしろ、こんなに可愛かったら犯罪に巻き込まれるんじゃないか。正直なところ、心配になるほどだ。今会話しているかぎりではまるきり普通の女の子といった言動。だが、犯人を捕まえた時のあの気迫は……
「あの、大丈夫ですか?」
「え、あ、ああ…悪い。ちょっと疲れてさ…」
「ふふ。あれだけ走っていればお疲れですよね」
「…まあな。まあ俺は体力もあるから平気だけど、アンタは……えっと、アンタ…」
「あ、申し遅れました。わたしはルーナといいます。ルーナ・グレイシア」
「あ…お、俺は……」
「若!」
ジーザスが名乗ろうとした時、重なった声。振り向けば、黒スーツの三人の男達が走ってくる。ジーザスの部下達だ。
ひったくり犯を捕まえる為に部下達を残して走り去ったジーザスを探していたらしい。
「おお、お前ら…悪かったな。犯人は捕まえたぜ」
「それはようございました。……若、そろそろ時間です。ご準備を」
「…もうそんな時間か」
情報屋との取引の時間。実を言えばもう少し、ルーナというこの娘と話していたかったがそうも言ってられない。
ジーザスはルーナの方を見ると、きょとんとした彼女と目が合った。畜生、可愛い。
「悪い。ちょっとこの後、仕事があってさ。…これで」
「ああ、お忙しい中引き止めてしまってすみませんでした。今日は本当にありがとうございます。お仕事…頑張って下さいね」
にこっと微笑むルーナに本日何度目かの胸の高鳴りを感じつつ、ジーザスは部下達とベンチを遠ざかっていく。そんな彼に手を振るルーナの姿に後ろ髪を引かれつつ。
「…やっぱりこの街にはいい人だってたくさんいるんだわ。結構………ううん、すごく…かっこよかったな……」
優しい人だった。時々、頬を染めたり挙動不審になったりする場面があったが、とても優しい人。それにまるで若い俳優さんのようにかっこいい人だった。ルーナは名前を聞き損ねた彼を思い出し、温かいコーヒーの紙コップを優しく掴み、ひとりで微笑む。
こんな街だから、ちょっとした幸せでほっこりと心まで温まる。またいずれ彼に会えるだろうか。もし会えたらもう一度お礼を言おう。
そんなことを考えていると、ハッと我に返り、ルーナは腕時計を見た。時刻は午後二時をまわったところ。
(いけない、お母さんの買い物を済ませて三時までに帰らなきゃ)
ルーナは非番であったが、母の代わりに買い物を済ませて三時までに帰るよう言われていたのを思い出し、慌ててベンチから立ち上がり、急いでまだ熱いコーヒーを飲み干す。
「んっ…熱っ…」
昔から猫舌であまり熱い飲食物が苦手で冷まさないと飲めないタイプだった。さすがに少し温くなったとはいえ、ホットコーヒーを一気に飲むのは苦手。若干残っているものの、ルーナの中で飲み干した!と認識され、ルーナは近くにあったダストボックスに紙コップを捨てると慌てたようにジーザスが向かった方向とは逆に走り出した。急がないと母が心配する。
だがルーナは知らなかった。ダストボックスの中で、自らが捨てた紙コップの中に残ったわずかなコーヒーがまるで冷凍庫に入れてあるかのように、固く凍り付いていたことに。紙コップの口元から重力に従い、真下に落ちて行こうとするコーヒーの雫さえもが、まるで氷柱のようにきれいに凍っていた……。
********************************
「若、あの娘は」
「ああ…さっきのひったくり犯を捕まえた時にさ、俺ごと犯人を押さえつけてさ」
大通りから外れた路地裏。風の通り道なのか、ひゅうひゅうと音を立てて秋の少し肌寒い風が吹いている。ジーザスと部下達三人は情報屋との待ち合わせ場所に向かって歩きながらルーナのことを話していた。
部下達もルーナの姿を見ていたが、あの可憐な娘がひったくり犯を確保したことに少々驚いている。
「…なかなか…良い女だったな」
「おや、若。ボスが喜びますよ」
「親父には言うなよ、絶対」
部下の一人の言葉にジーザスはうげぇ…と呆れ顔になり、部下達はくすくすと笑った。
そうこうしていると、路地裏の奥に一人の男が立っているのが見えた。冴えない、寝暗そうな中年男。おそらく、あれが情報屋であろう。
「ジーザス・オズボーン殿ですかな?」
「そういうアンタが情報屋のギースか」
「ええ、あっしがギースでさぁ。お父上には毎度ご贔屓になってますぜ」
「…そうか。で…事前に連絡していた件だが…」
「ちょいと待ちなぁ。金が先だ」
やはりというか、前金制か。ジーザスは金に意地汚そうなその顔に少しムッとするが、後ろに控える部下にアイコンタクトを取る。部下は持っていたジュラルミンケースを開き、中に十分な札束がある事を証明してみせると、ギースは満足げにニタニタと笑った。ああ、低俗な男だ。
部下がギースにケースを渡すと、ギースはケースを大事そうに抱えこんだ。
「さあ、金は渡したぜ。事前に連絡しておいたギャング達の情報を…」
「若い坊ちゃん。偉大なるオズボーンファミリーの坊ちゃんっていうのは、結構な重荷だろう?」
「…はぁ?」
突然、何を言い出すのかとジーザスはギースを見た。ギースは相変わらずニヤニヤと笑いながら、ジーザスを見つめている。
「俺は色んな人間を見て来たからわかるんだよ。アンタは正義のマフィア、オズボーンファミリーの息子として生まれた時から人生決まってる。アンタらオズボーンファミリーは人助けをしても世間に認められない宿命を背負ってる。そして、アンタもだ…」
「っ…何が言いたい!」
「つまり、アンタらオズボーンファミリーのやってることは俺らにとって邪魔なんだよ」
ギースの目が見開かれた瞬間。路地裏に凄まじい突風が吹き荒れ、ジーザスは思わず目を瞑った。
――それは一瞬。ジーザスの前でギースにジュラルミンケースを渡した部下が何者かに刃物で斬られたかのような傷を受けて血を流し、仰向けに倒れたのだ。本当に一瞬。ジーザスは突然の事態に目を見開いた。
…先程まで会話をしていた部下が既に息絶えている。
「てっ…てめぇ!!どういうつもりだ!」
「ハハハ、噂通り甘い!甘すぎるぜぇ、ジーザス・オズボーン!俺は逆にそのギャングから依頼されて殺し屋稼業も始めたのよ!なんせ俺は最近、『ある力』に目覚めちまってよぉ。それが殺しに役立つのなんのって!初めて見るか?これが俺の『体質能力』!!」
ギースが叫ぶと再び路地裏に強い風が吹き荒れる。すると、ジーザスの後ろにいた二人の部下が咄嗟にジーザスの前に飛び出して来て――また、先程と同じだ。ジーザスの目の前で血飛沫と共に倒れ行く部下達。
「わ、若っ…お逃げ下さい…!」
「こやつ、おそらく『体質者』!!」
「お、お前らっ…俺をかばって…!」
「おお!甘い組織とはいえ、主を守ろうとする忠誠心はなかなかだねぇ」
倒れた部下達を見て満足げに笑うギース。ジーザスは強い憎悪の目で睨み、腰から拳銃を抜き、構える。人を殺してはいけない、それはオズボーンファミリーの掟。だが、部下を殺されたのだ。仇を取らなくては気が済まない!ジーザスはギリ、と歯を食いしばりつつ、拳銃の引き金に指をかける。それと同時に必死に脳内を整理していた。
(さっきのあれはなんだったんだ…風が吹いた瞬間、やられた…しかも刃物のような傷……)
マジックのような。魔法のような。あたりに隠れた敵がいるようにも思えない。万が一、他に敵がいたとしても姿も見せずに刃物で斬り付けられるはずがない。だとしたら考えられることは一つ。生まれながらに超人的な能力を持つ能力者がこの世には居るという。
「おやおや、突然の事で頭が追いついていないようだねぇ、お坊ちゃん?」
「てめぇ…まさか噂に聞いた…体質者ってやつか!!」
「ハハハ、初めて見るようだな。これこそが人類の進化!人間を超えた『選ばれし者』!俺は風を刃に変える、『
風刃』の『体質者』なんだよ!!」
上着を風に靡かせ、狂気的に高笑いするギース。ジーザスはそこで始めて『体質者』の存在、そしてその力の恐ろしさを知る事となる。
04.秋風とコーヒーと路地裏
←一覧 次→