闘技場の戦いも終盤戦に差し掛かっていた。
デリストスの力を最大限に引き出したロックハートは冬一とダンに向かって黒い炎を放つ。
最早、優しい父や柔和な老紳士の顔はない。今や狂気に飲まれ、ダンを一人の女として求め、冬一を一人の男として憎む化け物と化した。
ダンにとっては父と信じ敬愛してきた男の変貌に内心は驚愕と悲しみに包まれているはずだ。
だが、必死に戦う彼女の姿にはその色は見えない。番人としての経験の賜物なのか、それとも彼女本来の心の強さなのか。辛い感情を押し殺して戦っている。

「グア…アアアアアア!!!」

怪物の咆哮。人の姿をしていながら、狂気の気配を纏い、放出するロックハートはデリストスの力を使い、次々と黒い炎の球を放つ。冬一はその間を縫うようにして走り出し、上空へ飛び上がる。

「うらぁあっ!!」

愛刀、黒帝を手に渾身の一撃を振り下ろした。
…はずだった。

「!何っ!」

冬一が目を見開く。振り下ろしたはずの刀身はロックハートの体を斬ることなく、なんかに防がれていた。
それはデリストスの黒い炎だったが、まるで鋼のような硬度を持ち、盾のように冬一の斬撃を防いでいた。

「陣川冬一…貴様だけは…許さんぞ!私の…私のダンを奪わせはしないぃぃぃっ!!!」
「!!」

冬一が驚いて一瞬隙を作ってしまったのをロックハートは見逃さない。老人とは思えない力で冬一の腕を掴むと、その首を捉える。

「がっ…!」
「怨嗟の炎で朽ち果てよ!!陣川!!」

冬一の身動きが取れない中でロックハートはデリストスの炎を最大限に高める。このままでは焼き殺されてしまう。

(やべぇっ…!)

その瞬間だった。
冬一の首を掴んでいたロックハートの腕が突如として斬り落とされる。同時に冬一の姿が消える。
ロックハートは驚いた表情を見せるが、すぐにその正体は判明する。

「ダン…!」

咄嗟にダンが目にも留まらぬ速さでロックハートの腕を斬って冬一を掴んで距離を取ったのだ。腕を斬られたロックハートだが、すぐに腕にデリストスの炎が纏われ、腕は元どおりに再生していく。
デリストスの炎はロックハートの体とほとんど融合しているようで、あの傷さえも治してしまうようだった。

「はぁ…はぁ…」
「ダン、お前…!」

冬一は自分を助けてくれたダンを見るが、彼女は息を整えるのに必死だった。至近距離でロックハートに近付くのはある意味賭けだった。一歩間違えれば自分か、冬一は殺されていた。それほどまでにかつての養父は強大な相手だった。

「話は後よ…!それより、まだちゃんと戦えるでしょうね?」
「ああ…勿論だ!」
「それでこそよ…」

まるで長年共に戦ってきたかのようなコンビネーション。だが、その姿にロックハートはさらに怒りを募らせていく。

「おのれ…おのれぇぇぇえええ!!!」

ロックハートの感情に連動していくように黒い炎も威力を増していく。冬一とダンは険しい表情でそれぞれの武器を構えながらそんな怪物、ロックハートに対峙する。
たとえどんなにロックハートが強くても、ここで負ける訳にはいかない。

その瞬間だった。

「!」

ドクン。まるで心臓の鼓動のような音が辺りに響く。同時にロックハートは目を見開き、動きを止めた。

「今のは…何だ?」
「…わからないわ……」

目の前のロックハートの異変に冬一とダンも何かを感じて警戒する。だが次の瞬間、ロックハートの胸から赤い光が溢れ出したのだ。それは明らかにロックハート自身が望んだ行為ではない。意図せずに何かが溢れ出しているかのような…。

「な…何だとぉぉおっ!!!我が力が…デリストスの神の力が!!外に押し出されていく…!一体…何がぁああ!!!」

断末魔に近いロックハートの叫び声が響き渡る。その様子をダンはすぐさま察知した。

「外なる力で…デリストスが与えた力が弾かれている…これは…」

ダンが呟いた時、聞き覚えのある声が響き渡る。

「ロックハート、テメエの魔力はここまでだ!」
「!ファントムか…!!」

観客席に立っていたのは高らかに叫ぶファントム。その隣には息を荒げたルーナ、クリス、そして安心した表情の鼎とガイストが立っていた。ファントムとクリスは多少汚れているが、怪我はしていない様子。
ファントムとクリスはグリフォンを倒すことに成功し、鼎達は装置を動かし、防衛機能を発動させたのだ。

「ルーナ!?鼎さん達も!」
「どうやらうまいことやれたみたいだね!」

突然のルーナ達の一行に驚くジーザスとは対極的にロギアは裏でルーナ達が鼎と共に地下通路の防衛機能を探していたことを知っていたらしい。
鼎がニコリとジーザス達を見下ろしながら笑った。

「どうやらうまく作動したようだね!闘技場の防衛装置が動いてロックハートの力を弱めたんだよ!」
「これでロックハートを倒せ!!」
「ガイスト…!」

冬一に対して叫ぶガイスト。その言葉で冬一も瞬時に展開を理解した。今、自分がやるべきことを。
それはダンと共にロックハートにとどめを刺すことだ。
そしてファントムとクリスも力の限り叫んだ。

「オイコラ、『漆黒の道化』!!ちゃんとロックハートを仕留めやがれ!!俺らがわざわざ手伝ってやったんだからな!!」
「お願いします!冬一さん!!ダン!!全てを…終わらせてくれ!!」
「ファントム…クリス…!」

ダンにはファントムとクリスが行動を共にしていることなど、状況が掴めないこともあったが、今はただはっきり彼らの協力でロックハートを倒すことができると確信していた。冬一はダンの顔を見て最後の戦いへ挑む。

「行くぞ!!ダン!これで終わらせる!」
「…ええ!!」

ダンも状況を理解し、冬一と共に再び戦闘態勢に入る。
クロノと神精デリストスの力を減らされたとはいえ、まだ力は残っているロックハート。ロックハートは苦しみながらも最後の力を振り絞り、赤黒い炎を放とうとする。

「アアアアアアアアア!!!」

ロックハートが最大限の赤黒い炎を放出した瞬間。
冬一の黒帝から斬撃が放たれ、ダンがベルヌイユを振るうと紫色の光が重なる。
二人の攻撃が合わさってロックハートの元へ飛んでいく。冬一とダンの技が互いに共鳴し合って超強力な一撃へと変化していき、まっすぐロックハートへ直撃した。

「ぎゃ…ああああああああっ!!!おおおおおのれぇええええ…おのれぇぇええ…!!」

断末魔の叫びをあげるロックハート。冬一とダンが放った一撃はロックハートの腹を貫いた。だが、それでもまだロックハートは膝をつかない。それほどまでにその力は強いということだ。

「まだ倒れねえのかっ…!!」
「いえ、待って…様子が…!」

ダンが冬一を遮って何かに気付く。
よく観察してみれば、ロックハートから発せられた先程までの殺気が減少している。そして苦しげに声が聞こえた。

「…ダ…ン……」
「!…お父様…!」

ロックハートは弱々しく愛しいダンの名前を呼んだ。防衛機能のせいなのか、力を削られて、先程までの強さはもう感じられない。そしてロックハートは信じられないことを口にした。

「……ダン…お前の手で…終わらせてくれ……」
「…え…!」

苦しげな表情と声。よくよく見ればロックハートの側に見える邪の神精しんせい、デリストスは力を削がれたことで焦りを感じたのか、ロックハートと完全に融合しようとしている。

「頼む…ダン…」
「っ……」

果たして、今ロックハートは何を思っているのか。最後の最後で父親としての情が勝ったのか、愛する女にトドメを刺してほしいと願う男の気持ちなのか。それは誰にもわからない。
ただ、はっきりしているのはロックハートがこれ以上の戦闘を望まず、ダンによる最後の一撃を望んでいるということだけ。
ダンは少し迷いの表情を浮かべ、思わず冬一の顔を見るが、冬一は真剣な表情でそのまま頷いた。
それを見て、ダンも決意を決めたようでベルヌイユの柄をぎゅっと握りしめる。

「…お父様…これで、終わりにするから………さようなら、お父様。私は…あなたから旅立つから!!!」

走り出したダンはベルヌイユを構え、ロックハートへ向かっていく。そしてその刃をロックハートの胸に突き刺した……。



********************************



「ねえ、お父様?」
「ん?何だね」
「お父様は結婚されないの?」

ダンがロックハートに保護されて三年。十四歳の頃のダンはロックハートに尋ねたことがあった。
まだロックハートの想いなど知りもしない少女のダンはロックハートにずっと考えていた疑問を投げかける。ロックハートは一流貴族の老人で、年齢的にも立場的にも結婚して子供がいるのが一般的。だが、彼は独身で、さらにダンを養女として迎えたが、彼にはもう結婚の意思はないのだろうかと、ダンはずっと考えていたのである。

「そうだねぇ…しばらくは・・・・・結婚の予定はないかな」
「しばらくって…お父様はもうお年じゃないの」
「ひどいなぁ。私はこれでもまだまだ若い方なのだよ」
「ふふっ。どうかしら」

無邪気に笑うダンに対し、ロックハートは優しく笑いかけた。
なんの変哲もない親子の日常。それが現在へと繋がっていく。
あの日々がダンにとっての幸せな日々であり、ロックハートにとってはダンを手に入れるための布石だった。
だが、二人が親子として共に過ごした日々は確かに存在していた。



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そして現在…勝負はついた。
ダンのベルヌイユはロックハートの体を貫き、それと同時に蠢いていたデリストスの赤黒い炎も消え去り、ロックハートだけが膝をついている。
ダンが刃を抜くと、ロックハートは口から血を流し、優しく微笑んでいた。

「…ありがとう…ダン……君に…会えて…よかった…」

まるで愛の告白のような。これまでで一番安らかな表情を浮かべたロックハート。それはこの状況にはまるでふさわしくない笑顔で、目の前に立つダンを天使を見るかのような目で見つめていた。

「…お父様が…私に対して特別な感情を抱いていたとしても…でも…私は…それでも私は…」

ダンは小さく呟く。言葉を紡いでいくうちに次第に声が震え、彼女の肩も揺れていった。そして頰に一筋の涙が流れる。

「…それでもっ…私は…!あなたを…父親として愛した日々は変わらない…!!これからも…ずっとっ…!!」

ダンは泣いた。これまで父と信じた男の最期を見ながら、この十年の記憶や思いが溢れてしまう。
ロックハートはそんなダンを見上げながら微笑み、ゆっくりと前のめりに倒れた。最後までその表情は安らかな笑顔だった。

「ダン…!」

冬一がダンに駆け寄り、その肩を抱く。震えは止まっていたが、ダンはほとんど何も反応せず、冬一は心配したが、しばらくして彼女は口を開いた。

「…冬一……」
「…!ダン…辛かったな…」
「…お願い。…今はただ…私を抱きしめて…強く…」

ダンが求めたのは抱擁だった。様々なことが起きて、内心ダンは気が動転しているのだろう。だが、染み付いた平静を装う演技力がこんな時でも無意識に発動してしまっている。今は落ち着くためにも、抱擁が欲しい。それは他でもない、冬一に求めたもの。

「…ダンっ…」

冬一はダンを後ろから抱きしめた。優しいバラの香りが漂うダンの細く柔らかな体。ダンはその抱擁を感じると、そっと自分を抱きしめる冬一の逞しい腕に触れる。

「…っ…う…うぅ…っ…うわぁぁぁんっ…!」
「ダン…もう終わったんだ…これで…お前はもう自由だ…」

これまで偽ってきたものが切れたように、ダンはまるで子供のような声で泣き叫んだ。ただひたすらに心のままに涙を流す。
そんなダンを冬一は抱きしめることしかできない。だが、それだけでダンは十分だった。

「ダン…」
「……」

そんなダンの様子を遠巻きにジーザス達やチェーン達も見ていた。全てを見届けた彼らもまた気が抜けたようで、ジーザスはへたりと座り込んでいる。
そこへ観客席から降りてきた鼎やファントム達も合流し、鼎が口を開いた。

「…これで神戦は終わり。そしてロックハートの企みも…ね」
「鼎さん…」

ジーザスは立ち上がり、鼎の方を振り返る。鼎の後ろにいたルーナもジーザスの側に駆け寄って心配げな顔を浮かべていた。

「ジーザス…!ハザードもロギアも…大丈夫だった?」
「ああ、ロギアの治癒の力で怪我も手当してもらったし」
「でもちゃんとこの後、専門的な治療はしなきゃダメだよ。番人の皆もね」

ジーザスに続いてロギアが言いながらチェーン達をぐるりと見渡す。それには鼎も同意した。

「そうだね。とりあえずウチの隊員達がもうすぐ到着するから、後始末は任せて。番人の皆にも事情を聞くのと、あとは医療班で治療もするから来てもらうよ。いいね?」

鼎の言葉にチェーンは兄弟子である刃矩とカルメンを見るが、既に番人の年長者二人はクラウンに対して敵対意思はない。

「…承知した。ダンのこともある。我々は貴殿らに対して刃を向けることはもうないだろう」

仮面のない、素顔を晒した刃矩は袖に腕を通した状態で腕を組みながら静かに告げる。隣にいる大男カルメンも頷いた。

「ああ。俺達の処分はクラウンに任せる。好きにするといい」
「…二人が言うなら俺も異存はねぇよ」

どこか不満が残ったような態度でチェーンも同行に同意した。それを聞いて鼎は微笑み、「別に取って食ったりしないよ」と付け足す。そして振り返り、自分達と一緒に降りてきたクリスとファントムを見る。

「勿論、あなた達兄弟にも来てもらうよ。クリス君に…『裏のカリスマ』ファントム」
「えっ!?裏のカリスマ!?アイツが!?」
「はぁ!?兄弟!?クリスとファントムが!?」

サラリと鼎が口にした言葉にジーザスとチェーンが異様に反応する。ファントムのことはジーザスとハザード、ロギアは初めてここで出会うのだが、『裏のカリスマ』という存在はジーザスにとってはよく耳にした言葉だった。裏社会で知られた情報収拾に長けたブローカー。まさか同年代くらいの男だったとは。
同時に、チェーンが反応したのはクリスとファントムが兄弟だったという事実に対してだ。これには刃矩とカルメンも驚きの表樹を浮かべている。
クリスはロックハートの秘書として番人の依頼を受ける窓口的な立場であり、直接依頼人と顔を合わせたり、手紙を受け取ったりして、その依頼を番人達へ伝えていたことで毎日顔を合わせていた。
そしてファントムはいつからか現れたダンの付きまといこと実質的なストーカーであったが、有益な情報を与えてくれるので呆れつつもなんだかんだよく会う男。そんな二人がまさかの兄弟だったということに驚きを隠せないようだった。
クリスはチェーン達の方を向いて「隠していてごめんなさい…」と申し訳なさそうに頭を下げたが、ファントムは鼻を鳴らしただけ。

「フン、しょうがねえ。ついてってやるよ」
「兄さん…」
「…今はダンも気が動転してるだろうからな。だがなぁ!ダンはぜってぇ俺がもらうからな!!それまでテメェらに協力してやるだけだ!」

今だに少し離れたところで泣くダンを抱きしめる冬一を横目に見ながらファントムは偉そうに宣言した。とりあえずは彼もクラウンへ同行し、事情を聞くことには了解してくれた。

「僕も…知っていることは全てお話しします」
「ありがとう、クリス君。じゃあ皆、クラウン本部に来るってことで。いいね?」
「今回のことは大騒ぎだからな」

クリスの返事も聞き届け、鼎とガイストがまとめの言葉を発したあたりで闘技場内に二十人近くのクラウン隊員が走りながら入ってきた。鼎の要請通り、すぐさまに到着したらしい。
隊員達は鼎の指示通りにロックハートの遺体を確認後、収容袋に収め、運んでいく。彼の死もまたこの事件においては重大な一件であり、クラウン本部へ運ばれた後に埋葬されるだろう。
そして別の隊員達六人ほどがジーザスやチェーン達のもとへ駆け寄り、ロギアから傷の具合や治癒の体質能力で応急処置をしたことを聞くとクラウン本部の医療班へ護送することを説明した。
ダンのことは冬一が連れて行くことになり、残った隊員達が現場となった闘技場の後始末や戦闘の痕跡の調査などを行う為に闘技場内に残るようだった。

こうして、一人の男が一人の女を完全な形で手に入れたいという欲望から始まった一連の事件は神戦をもって終わった。
狂気的な愛はここまでも人々の人生を変えてしまうということを痛感する戦いであったが、今、こうしてダンは長い呪縛から解き放たれたのだ。
だが、今…ダンの心にはある感情が浮かんでいる。それは以前からずっと感じていたが、今ようやくその感情の真実がわかった。
それを告げるのはもう間もなく…。


42.最後のファザティリス






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