神戦が終わったのは夜明け過ぎだった。あれから一日が過ぎ、ジーザス達はクラウン本部の医務室のベッドに寝かせられていた。
その場にいた全員がクラウン本部へ護送され、神戦で戦った者達は皆、オズボーンファミリーも番人も丸ごと医務室へほぼ強制療養となった。戦いの傷はロギアの治癒の体質能力で応急処置はされていたので命に別状はないが、念のためということらしい。
クラウンの医療部隊は大病院並みの医療チーム。「部隊」とは付いているが、戦闘は行わず、クラウンの隊員達やキョウの街の人々の傷や病気の治療を行うのが専門で、ロギアの治癒の体質能力だけでは治しきれないことも多々あるため、医療部隊の存在はクラウンにとってなくてはならない部隊だ。
そんな医療部隊のうち、クラウン本部の中にある医務室で勤務し、常駐の医師・看護師が滞在しているのがこの医務室。むしろ病院に近く、3フロアに渡り、手術室や各処置室、一時的な入院用の病室・個室の他、薬局も完備されている。
ジーザス、ハザードは同じ病室で隣り合わせのベッドで数日の短期療養を勧められ、チェーン、刃矩、カルメンは別の病室にいた。ダンだけは精神的にも不安があるためか、個室が与えられ、他のメンバーよりも長い療養となっている。
そして、ここはジーザスとハザードの病室。
「いやー、よかったね。ジーザスもハザードも、それに他の番人の皆も大した怪我じゃないし、すぐにブリタナに戻れるよ」
「よかったぁ…安心したよ」
「ムキュゥ!」
ベッドから上半身を起こしながら不満げな表情のジーザスと、同じく隣のベッドに座りながら眉間にシワを寄せて眼鏡をハンカチで拭くハザード。二人とも、クラウンの医務室で患者が着る薄青色の浴衣姿だ。
その前に立ち、ロギアが明るく話し、肩に雪を乗せたルーナもほっと息をついていた。
番人との戦いの間、雪はクラウン本部に一時的に預けられていたため、ルーナと再会して尻尾がはちきれんばかりに振って喜んでいた。まだ幼いとはいえ、人語を理解できる知能を持った雪は預けられていた間のある程度の事情はわかりやすく解説を受けていたようだったが。
「っていうか…ロギアだって神戦で戦ったのになんで療養じゃないんだよ!?」
ジーザスはずっと思っていたことをようやく口にした。ロギアの応急処置でほとんど怪我もなくなったというのに療養をほぼ強淫に笑顔で医療部隊の医師とロギア本人に強いられたような気がする。ハザードも同様だったが、何故ロギアだけは療養せずに普段通りフラフラできるのだろうか。まあ実際、ロギアもクラウンの隊員として今回の一件の事後処理で忙しいのだろうが…。
「アタシはほら、自動人形で頑丈だし、今回の戦いではほとんど怪我してないんだよねー」
「それなら俺達だって治療で治ったし!」
「アタシは特別なんですー。ほらほら、ちゃんと寝てなよ?明後日くらいにはブリタナに帰れると思うし!」
なんだかんだロギアに言いくるめられるジーザス。ハザードは眼鏡をかけ直すと溜息をついてロギアを睨む。
「…それよりも。あの女はどうなった」
「あの女って…ダンのこと?」
ハザードが口にした「あの女」という言葉にルーナは思い当たり、ハザードに聞き返す。
「…あの女は相当に追い込まれてるだろう。一晩でどうこうできる話じゃない」
「冬一さんがずっと側に付いてるけど…しばらくは療養が必要みたい。冬一さん、自分も怪我してたけど…それでもダンの側にいたいって…」
ルーナは胸に手を置いて切なげに話した。ダンの気持ちも冬一の気持ちもわかるのだろう。それに対し、ロギアはやれやれと呆れたように苦笑いする。
「冬一さんも本当はジーザス達みたいに病室療養が必要なんだけど、言い出したら聞かなくてさー。怪我は治療されてるけど、体力的にも休んでほしいんだけどね。…ま、今はダンの側にいることが一番の療養になると思う」
「ロギア…」
「大丈夫だよ。ダンも冬一さんも…」
「キュー…」
ロギアは不安げな表情のルーナを安心させるように笑いかけた。ルーナの肩に乗る雪も心配そうに彼女の頰に擦り寄った。
その瞬間。廊下から響き渡る二人分の走る足音と、怒ったような叫び声が聞こえた。
「コラァァァァアア!!!ダーーーン!!!勝手に部屋抜け出すなぁぁああ!!!」
「何よ!もう大丈夫だって言ってるの!!いいじゃない、散歩くらい!」
…明らかに冬一とダンだ。てっきりダンも憔悴しきって冬一と寄り添い合っているかと思っていたのに。想像以上にすごい元気だ。というか、冬一がダンを追いかけているようなのが謎。
「…い、今の…って?」
「キュゥ?」
しばらく沈黙状態だったが、ようやくルーナが恐る恐る口にする。雪はまだ状況を理解できていないらしい。
「冬一と…ダン、だよな?…思ったより元気そうだけど…っていうか、なんで追いかけてんだ?」
ジーザスもやはり同じ疑問について言った。ロギアは病室のスライド式のドアをそっと開けて様子を見る。
そこにはクラウンの廊下を走る冬一とダンの姿。正確には逃げるダンを追いかける冬一の図だった。ダンはジーザスやハザードと同じ患者用の浴衣を着ているが、サイズが合わないのか、胸の谷間がバッチリ見えて揺らしながら走り、冬一は鬼の形相だ。思わず、すれ違う隊員達もギョッとしてその様子を見ている。
「ありゃ、どうしたんですか冬一さん」
「おお、ロギアか!このバカ、どうにか言ってくれ!」
「もう!過保護すぎるわよ!」
「あっ!オイ!」
ロギアの開けたドアの隙間からダンがするりと病室に入り、逃げ込んできた。冬一もそれを追いかけて病室に入ってきて、ハザードは明らかに機嫌が悪そうな顔をする。ルーナがとにかく状況整理のため、ダンに尋ねた。
「と、とりあえず落ち着いて。ダン、療養しなきゃいけないんじゃ…」
「もう私は十分休んだし、折角クラウンに来たんだから散策でもしようと思ったら、この人怒って止めるのよ」
「当たり前だ!お前はおとなしく寝てなきゃダメだろうが!目を離したら何度も病室を抜け出してやがるんだ!!」
とりあえず、ダンの意見としては部屋でじっとしているよりもクラウン本部内を見回りたい。冬一としてはダンの心身を少しでも癒すためにおとなしく休んでいてほしい。ロギアも何度目かの呆れ顔になった。
「ダン〜ダメだよ〜寝てなきゃ…」
「私、部屋でじっとしているのが何よりもキライなの。怪我だってないし、病人でもないわ」
「お前なぁぁ〜!!」
平然と腰に手を当てて言い放つダンと、怒る冬一だったが、何となく、ジーザスにはダンの気持ちがわかった。
(もしかして…ダン…。昔、監禁されたことがトラウマで…?)
ダンは幼い頃、一年間にわたって監禁された。それが原因で、部屋に押し込められるのが大の苦手になっているのかもしれない。
実はジーザスのこの予想は当たっていたのだが…。
「とにかく!俺はお前が心配なんだよ!お前に休んで早く元気になってもらいたいんだ!」
(うわー、冬一さん、もう包み隠さずだねー)
(派手な女嫌いとか言ってたけどもうダンにぞっこんじゃねえか)
(冬一さん、大胆……!)
(キューキュー、ムキュゥウ……!)
(くだらん)
思わず脳内でそれぞれ言い放つロギア、ジーザス、ルーナ、ハザード。ルーナに至っては冬一とダンの関係に頬を染めている。少女漫画を見る気持ちのようなものを感じているらしい。雪も主人のルーナと同じようなポーズと表情でときめいているようだ。なお、ハザードは二人の関係には興味なし。
「……それはわかってるわ。でも、部屋の外を見て回りたいの。…どうしてもダメなの?」
冬一が自分を心配しているのはダン自身もわかっていた。だが、彼女は縛り付けられることには耐えられない。少し悲しげな声色でダンは冬一を見る。
「…っ…」
患者用の浴衣に着替えた時から思っていたが、胸の谷間が見えすぎている。悲しそうな顔をしてはいるが、それよりも胸の方に視線がいってしまう。よくよく見れば、ジーザスもダンの胸を見ていた。ハザードは無視だが。
「…ねえ、お願い。クラウンの中やキョウの街を見て回りたいの」
「……っ」
その時、病室の扉から聞き慣れた声がした。
「いいんじゃない?散歩しておいでよ」
「!鼎!」
冬一が振り返ると、そこにはにこやかに笑う鼎がいた。どうやら隊員の誰かが伝えたのか、やってきたらしい。
「か、鼎さん…」
鼎の登場に驚くジーザスに手を振り、冬一とダンを順番に見た。
「兄さん、気分転換にいいんじゃない?ダンちゃんを連れて街を歩いておいでよ」
「鼎…」
「それくらいなら大丈夫でしょ」
「………ハァ。ったく…しょうがねえな…」
妹の後押しもあり、側についているという条件でダンの出歩きを許可せざるを得なくなった。しかし、冬一とてダンを喜ばせてあげたいのは本音の一つ。
「ダン…だったら街を見るか。けど、夕方になったら部屋に戻るんだぞ」
「ふふっ、わかったわ。ありがと、冬一」
ダンはまるで蝶のようにひらひらと優雅な動きで冬一の腕に絡みつく。思わず冬一は硬直した。
(な…なんだこの可愛い動きは…色っぽいかと思えば時々可愛く見える言動が……!)
冬一はこれまで女嫌いと称され、さらに自分からも女と関係を持つことはほとんどなかった。だからこそ、自分が本気で愛した女であるダンの言動が異常に可愛く見える。
鼎はそんな兄のウブな反応に対してニヤニヤと笑っているが、彼女自身も兄の恋する姿を見て少し安堵していた。長いこと、兄はずっと自分のためだけに戦ってきた。それが今、愛する女性が生まれたことで冬一自身の人生がようやく始まった。そんな気がして。
「じゃあ、早速行きましょ」
「ああ…わかったよ」
外出許可が出て嬉しいのか、ダンは冬一の手を取って小走りで病室を出て行く。二人が行った後、しばらく無言が続いたが、鼎がにんまりとジーザス達に笑いながら言った。
「ふふふ。あの二人、随分仲良くなってるよねー」
「鼎さん…大丈夫なんですか?ダンは仮にも昨日までは敵だったんですよ…」
ジーザスが恐る恐る口にする。終盤ではロックハートを前にして共闘したとはいえ、自分達を苦戦させた番人の女ボスであるダン。番人との処遇もこれからどうなるのか。
だが鼎は意外と平然として腕を組んだ。
「んー、まあね。勿論、クラウンの司令として色々考えてはいるんだよ。世界を危機に晒そうとしたロックハートの直属の部下として暗躍していた番人…そのままにしてはおけないよね」
「もしかして逮捕…するんですか?」
ルーナがハッとして言った。クラウンでは体質者・魔術師関連の事件に関与した犯罪者であれば逮捕する権限がある。
司令である鼎の持つ女神の力を狙い、世界の人間に害を与えようとしていたロックハートは重罪人で、その部下だった番人もまた無罪では済まされないだろう。
「あの女もそれはわかっているだろうが。…だからこそ最後の時間を楽しもうとしているんだろう」
「そ、そんな…」
ハザードの冷たく言い放たれた言葉にルーナは少し青ざめる。元刑事とはいえ、ダンの悲しすぎる過去を知ってしまった今、そのまま逮捕されてしまうのはあまりにも哀れで…。
そしてダン自身も自分の立場はよくわかっているのだ。
「ダン…療養が終われば自分が逮捕されるとわかってて、最後に冬一さんとの時間を作りたいのかも」
ロギアも鼎の側で呟き、それに対して一同は再び無言になった。ダンもきっと冬一のことを想っている。だが、自分の立場を理解しているからこそ、外で冬一と過ごしたいのかもしれない。
「…後は兄さんの覚悟次第、かな…」
鼎のまるで願うような声が病室に響いた。
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一方、冬一とダンはクラウンの城下町、キョウの街を歩いていた。出てきた時のままの格好、ダンは患者用の浴衣姿だったが、気温的にも暖かいため、そのままで問題ないらしい。相変わらず胸元は空いているが…。冬一はいつもと変わらないクラウンの上着姿だ。
クラウンは正確には城ではなく巨大な塔だが、クラウンの隊員達や住民達はその下に広がる街のことは城下町と呼んでいた。
「わぁ…すごいわね」
「だろ?ジャポンの首都であり、世界で一番安全な街。それがこのキョウだ」
「私、実はジャポンに来たことなかったのよ。だからすごく楽しみだわ」
「そうだったのか。だったら俺が軽く案内してやるよ」
「ふふっ。任せるわね」
驚きの声を漏らすダンと、少し自信げに言った冬一。キョウの街は古くからの和風テイストと、約二百年前に海から渡ってきた外国の文明が入り混じった独特のオリエンタルな街並みが広がる。しかし、ミュゼールで生まれ育ったダンにとっては未知の世界であり、とても新鮮に感じられた。
「人が多い…それに皆、とても楽しそうだわ」
「まあな。ここの街には訳ありの連中もクラウンを頼ってやって来る。互いに助け合って生きてるんだ…」
二人は大通りにある商店の並ぶ道を連れ立って歩く。着物をきた住人達が笑顔で商売をし、人々が買い物をしている。そんなキョウの日常さえ、ダンは面白そうにきょろきょろと見渡していた。
(こんな日常さえも…ダンにとっては新鮮な風景なんだよな…これまではずっと殺伐とした世界に身を置いて…)
冬一はそんなダンを少し悲しそうな目で見ていた。どんなに美しい女でもダンは殺し屋。もうあの頃のような無邪気なお嬢様ではない。
変わってしまったダンのことを思い、切ない感情になっていると、そこでようやく周りからの視線に気付いた。
よくよく見れば、周りの人々が自分とダンのことを見て驚いた表情をしていたり、小声で何やら話していた。
「見て!冬一さんが女の人を連れてるわよ!」
「何っ、あの女嫌いの副司令が!?」
「それにしてもすごい美人だなー!外国人?」
どうやら、女嫌いで有名な自分が女連れなのがかなりの衝撃を与えているらしい。しかも連れているのがジャポン人ではない顔立ちと目の色をした美女のダンということに二度目の衝撃なようで。
(あーーー…いちいちうるせぇなぁ…)
急に冬一は恥ずかしくなったような不思議な感覚に陥る。キョウの街の住民達の中には長年の付き合いになる者も多く、親戚に彼女を見られて恥ずかしくなるような気持ちだった。
しかし、その視線に気付かないのか、ダンはあるものを見つけて冬一の手を引く。
「ねえ、冬一。あれは何?」
「あ、ああ。あれはリンゴ飴だな」
「…リンゴ飴?」
ダンが興味を示したのは菓子屋の店頭に並んでいたリンゴ飴。様々な菓子が並ぶ中、赤く艶やかに輝くリンゴ飴が宝石のように客を誘う。
しかし、ダンはリンゴ飴といわれてもピンと来ていないようだ。
「もしかして…知らないか?リンゴ飴」
「そうね…ミュゼールにはなかったわ。これってスイーツなの?」
ダンはきょとんと冬一を見上げる。その顔も美しい…。
「っ…リンゴ飴ってのはな…リンゴを飴でコーティングしてあって甘い食べ物だ。こっちじゃ祭りとかで人気はあるが、この店だと一年中売ってるんだぜ」
「へえ…」
(!アホ毛が!!)
ダンが冬一の解説を聞いた途端、彼女の前髪にある曲がった一房の髪…いわゆる『アホ毛』がピョコピョコと左右に揺れた…ように見えた。
まるで触覚のようにダンの感情に連動して動いているような感じだ。
(……可愛い!!)
思わず冬一は脳内で叫んだ。あまりにも可愛い。
ダン自身の妖艶さとのギャップでアホ毛の動きが可愛すぎた。
「…じゃ、じゃあ!!食ってみるか。親父さん、リンゴ飴ひとつ」
「!ありがとう…!」
冬一は菓子屋の主人に金を払い、リンゴ飴を一つ購入する。その際、顔馴染みである主人はにやつく。
「おっ、冬一くーん。ついに彼女が出来たのかい!いやあ、別嬪さんだね!」
「う、うるせぇな…」
頬を染めつつ、リンゴ飴を受け取ると、それをダンに渡した。
「ほら、食ってみな」
「…すごく、きれいね」
ダンは受け取ったリンゴ飴を間近で見つめる。彼女の目には東洋の宝石のように映っているのかもしれない。そしてそっと舌を出してその表面を舐めた。
(…舐め方がエロいんだよっ!!)
そんなダンを見て冬一は再び脳内で叫ぶ。ダンがリンゴ飴を舐める舌遣いがものすごくエロい。普段どのようにして食事しているのか気になる…。
「…!美味しいわ!アップルキャンディー!」
「そ、そうか。そりゃあよかったぜ…」
冬一の視線に気付くことなく、ダンはリンゴ飴に感動したらしい。ジャポンの文化は彼女にとってはとても面白いようだ。
(…ああ、こんな時間がずっと続けば…)
そんなことを考えてしまう。やっぱり、自分はまだダンの細かな言動や好きなものは知らないことばかり。自分が知っているのは幼い頃のダンだけで、今のダンをもっと知りたい。
(ダンとずっと側にいたい…このまま…ずっと…)
ロックハートが死んだとはいえ、まだ全てが解決した訳ではない。それはもちろん、ダン自身の処遇も。そして何より冬一はずっと気になっていた。
(俺はダンを愛している…だとしても…ダンは俺のことを…どう思っているんだ?)
ロックハートとの死闘で色々とあったが、ダン自身の想いははっきりとわからない。恐らく自分のことを嫌ってはいないと思うが…。
(ダンの気持ちを聞きてえが……だが、俺は…)
ここで無理に問い詰めることはできない。何とももどかしい気持ちになる冬一。
すると、そこで少し離れた商店から騒がしい声が聞こえた。
「!何かしら」
「ああ…時々血気盛んな連中が小競り合いをすることもあってな…」
呆れた様子で冬一はダンに説明する。
よくよく見れば、八百屋の主人と、いかつい体つきの男が言い争っている。
「オイオイ!先週より値上がりしてんじゃねえか!どういうことだよ!」
「仕方ないだろ!先週末の大雨で不作だったんだ!」
どうやら目当ての野菜が値上がりしたことが不満だったらしく、客の男は八百屋の主人に今にも掴みかかりそうな勢いで怒鳴り散らしている。
「仕方ねえなぁ。あの二人、普段は仲良いのにたまにちょっとしたことで揉めるからな。とりあえず、俺が止めてく…」
止めてくる、と言おうとした冬一だったが、ダンがそれを制し、舐めていたリンゴ飴を冬一に渡した。
「ここは私に任せて?こういうの得意なの」
「!おいっ!」
ダンはひらりと手を振って歩き出す。冬一が止める間もなく、ダンはすたすたと言い争う二人の元へ向かってしまった。
八百屋の主人が先にダンに気付いてぎょっとする。見覚えのない外国人の美女が寄ってきた状況がよくわかっていないようだ。その後、すぐに客の男の方がダンに気付いて怪訝そうにする。
「あ?なんだお前」
「ねえ…おじさま?そんなに怒らないで…ね?」
ダンは突然、客の男にそっと寄り添うと、その豊満な胸を男の腕に押し付けた。それは自然な動きで、妖艶な笑みを浮かべて男を上目遣いで見上げる。
「なっ…なんだ…!?」
客の男も八百屋の主人もその行動に驚いて固まっている。勿論、それを少し離れた距離から見ていた冬一も。
「何があったかはわからないけど…喧嘩はよくないわ?…とっても艶やかで美味しそうな野菜…このくらいの金額を出しても妥当だと思うわよ?」
「おっ、お、おお…そ、そりゃあそうだが…」
ダンはより一層胸を寄せ、客の男はその柔らかな感触に集中しすぎて先程の怒気は瞬時に薄れていた。八百屋の主人も、浴衣のはだけた胸の谷間をガン見している。
「この野菜で美味しいごはんが作れると思うわ…それにおじさまにはきっと笑顔が似合うから…もう喧嘩はしないで?」
「わ、わかった……悪かったな、親父」
「お、おおお…い、いいってことよ…」
「ふふっ、よかった」
なんだかんだダンの色気で毒気を抜かれた男達は仲直りとなった。あまりのことに冬一は一切口を挟むことができなかったのだが。
(ダンのやつ…ある意味すげぇな)
昔、可愛がっていた少女が今ではこんなことができるようになってしまうとは。それもまたロックハートの起こした監禁事件のせいだろうが、だがそれでも今、思うのは…。
(ダンは…色気を武器に生きていくのが当たり前になってるんだよな…)
本当はそんなことをしてほしくはないが、ダンはそれが自分の生き方だと学んでいるのだろう。
ダンは客の男と八百屋の主人に手を振り、小走りで冬一のもとへ戻ってくる。
「どう?すごいでしょ」
「…まあ、な。だが、あんまりあんなことすんなよ…」
「あら、妬いてくれてる?」
「………ああ」
「!…そ、そう」
ダンは冬一が素直に嫉妬を認めるとは思っていなかったらしく、少し目を見開いて驚き、恥ずかしげに目を逸らした。ダンにとってもこういった反応をされるのは初めてのことで、どうしていいかわからないといった様子。
冬一はダンにリンゴ飴を返し、彼女は再びそれを舐め始め、しばらく無言だった冬一はダンの方を向き、言った。
「ダン…他にも色々見せてやるからさ。ついてこいよ」
「!…ええ、喜んで」
ダンの左手を取って冬一は道を歩き出す。ダンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにクスッと微笑んでそれに従った。
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楽しい時間はすぐに過ぎていく。うっすらと空がオレンジ色に染まり始めた頃、冬一とダンはクラウンの地上一階にある和風庭園にやって来ていた。
あれから街を見て回り、時々住人達に冷やかされながらも二人は楽しいひと時を過ごし、今こうしてクラウンの庭園にある和風のベンチに腰掛けてうっすらと染まりゆく空を見上げていた。
「…本当に素敵な街ね。楽しかった」
「キョウの街は特別だからな。俺の…居場所だ」
冬一の言葉を聞き、ダンは嬉しそうに微笑む。
「居場所…か。いい言葉だわ。…私の居場所はどこにあるのかしらね…」
「…ダン……」
「…わかってるわ。ワガママ言ってしまってごめんなさい。…私、逮捕されるでしょう?…少しだけ、あなたと楽しみたかったから。もう満足よ」
やはり、と冬一は感じた。ダンは自分の未来をわかっていた。逮捕されることを承知で、冬一と出掛けたかったのだ。
薄く笑みを浮かべてダンは膝に手を置き、空を見上げる。
「…知らなかったとはいえ、お父様に力を貸していたのは事実。それに罪人でも…人をたくさん手にかけてきたもの。クラウンがタダで済ますはずがないわ」
「っ…それは…!!俺がなんとか鼎に口利きしてっ…」
「さすがの副司令でも無理よ。…いいの、私は覚悟の上だもの。チェーン達もきっと抵抗しないだろうし」
悔しそうな表情を浮かべる冬一。そんな彼を見てダンは困ったように笑った。
「…お父様があんなことを企んでいて…私をそういう目で見ていた。それは未だに信じたくない気持ちはあるけど…でもこうして『自由』になれたのは…あなたのおかげね」
「ダンっ…」
冬一はダンの手をぎゅっと握る。その目は真剣なものだった。
「俺はお前が好きだ…愛してる…」
「…!」
「お前のことをもっと知りたいし、もっと側にいたい。これで終わりだなんて…させねえよっ…」
「…冬一…」
女嫌いと称された男がここまで簡単に愛の言葉を告げることができるのは、相手がダンだからだ。長年探してきた少女は麗しい大人の女へと成長していた。そして辛い呪縛から解き放たれた彼女と、これからの未来を描いていきたいのに。彼女は牢獄へ送られることになるなんて。
「…あなたと初めて会った時からずっと…私はあなたのことが忘れられなかった。それは…」
そこで一旦区切り、ダンは冬一の目を真っ直ぐ見つめた。どこか、その目は潤んでいるように見える。
「…あなたが…私を救ってくれる人だと…闇の中から私を連れ出してくれる人だって…感じたからかもしれないわね…」
「ダン…!」
二人の間を優しい風が流れた。その風に乗せて、ダンは優しく呟いた…。
「愛してる……冬一…」
「!…ダン…」
「私もあなたのことを…愛しているわ、冬一…」
オレンジ色の空は次第に紫色へと変化していく。その空の下で、二人の男女は深い闇から解き放たれ、そっと唇を交わした。
43.唇の上のトゥルーバタフライ
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