春の夜
三途春千夜の家にテレビは無い。なぜなら、たった今壊したからだ。他でもない、春千夜の手によって。だって、テレビのくそニュースはずっとずっとずっとずっと、同じことしか言わない。
「成人男性、二名の死亡を確認」「目撃者の証言から飛び降り自殺と見て警察は捜査を進める方針」「亡くなった男性の一人は、犯罪組織『梵天』と関連があるとのこと」
何度も何度も同じ情報だけを繰り返す。それ以上なにも分かっていないことが、丸分かりだ。
「どいつもこいつも、うるせぇ」
チャンネルを変えても、みな口を揃えて同じ話をする世界に、春千夜はだんだんと苛立ってきて、ついにリモコンを液晶画面へとぶん投げた。ナイスヒット。プラスチック製のリモコンは、思わず顔を顰めたくなる不快な音を立てて床に落ちる。はずみで蓋が外れ、中に入っていた電池が春千夜の足元まで帰って来た。テレビはピシピシと軋んだ音を立てて、蜘蛛の巣のようにひび割れが伝染する。画面が点滅しカラーバーが見え隠れしたかと思うと、次第に音声も乱れ、数秒後には完全に機能を停止した。
周囲に飛び散ったガラス片や、床に生まれた大きな傷を見ても、春千夜は何も思わなかった。もう、すべてがどうでもよかった。
『梵天』日本最大の犯罪組織。
三途春千夜はこの前までそこのNo.2だった。そして今は、首領を勤めている。つい先日、ボス―マイキーが、死んだからだ。自殺だった。しかも、飛び降り。「さすが、兄弟だな」というのは、いくら春千夜でも口にはしなかった。
マイキーがいつから死に囚われていたのか、春千夜には分からない。ただその気持ちは、明司春千夜なら理解できたと思う。
マイキーが死の直前に会っていたのは、よりによって花垣だった。アイツと何を話したのか、席を外していた春千夜は知らない。脅して聞き出すにしても、アイツも一緒に死んじまった。マイキーを落とすまいと、瀕死の状態ながら強く手を握っていたにもかかわらず、命が耐え切れなかったのか、アイツは唐突に二人そろって重力に従い落ちていった。それを春千夜は見ていた。見ているだけだった。
最期に見たマイキーは、"いつもの無表情"から一変して、心なしか笑っていたような気がした。ビルの屋上に立つ彼は、細くて、小さくて、今にも折れてしまいそうなほど弱く見えた。昔は違ったはずだ。小柄だけれど誰よりも大きな背をしていたはずなのに、いつからあんな風になってしまったのだろうか。ずっと一緒に居たせいで、最期になるまで気づけなかった。
ボスが死んだからと言って、そのまま解散できるほど梵天は甘くなかった。やれるだけの犯罪は、すべてやってしまったから。木の根のようにあちこちに手を広げ、絡め取り、力を吸収して作られた組織は、解体するには複雑すぎて、目立ちすぎた。このままだと梵天は、良くて空中分解。次点で他の組織への吸収。その場合、大半の幹部は殺害されるだろう。最悪の場合は、一斉検挙。
最も可能性が低いのが、梵天の再建だった。王を失った春千夜に、この巨悪組織をまとめるだけの技量も、魅力も、やる気もない。
梵天が日本の闇を牛耳り、すべての悪として存在できたのは、偏に佐野万次郎のおかげだった。どんなに強い生き物でも、頭を潰されるとだいたい死ぬ。佐野万次郎は、まさに梵天の頭だった。文字通りマイキーが潰れた今、梵天はただの群衆でしかない。再建するよりも前に、外側からも内側からも崩されていくのがオチだ。
終わりを予見した面々は、既に荷造りを始めている。最初に行動に移したのは明司武臣で、アイツは金を持って海外へと高飛びしたらしい。他の奴らもタイミングを見て、消えていくのだろう。名を変えて、顔を変えて、別人に成り切って、どこか遠くで生き続ける。マイキーが死んでも、世界はそんなに変わらない。
一方で、春千夜は迷っていた。梵天という名の泥船にしがみ付くほどの愛着はなく、かと言って他の奴らのように逃げる気力もなかった。「じゃあ、全ての罪を被って自首するか?」と言われれば、そこまでお人好しでもないし、単純に自分だけが損をしているようでムカつく。みすみす逮捕されるのも性に合わない。
ただ、どうにかして生き残りたいとも思えず、そうやって決断を先延ばしにして、着々と解体の準備をしつつも漠然と日々を浪費していた。
「オレ、どうすればよかったのかな」春千夜は、足元に落ちていた電池を軽く蹴飛ばした。テーブルの足に当たって、カツンと跳ね返る。
「真兄」という懐かしい名前は言葉にせず、口の中に留めるだけにした。薬を飲んで眠ったら最悪の悪夢を見たせいで、眠る気もせず、とりあえずソファーへと腰掛ける。いつの間にか泥棒が入った後のように荒れ果てていた部屋は、トんでいる間に自分がやらかしたものだろう。時々そういうことがあるから、春千夜の家に物は少ない。間違って、死んでしまわないように。
割れた窓から、風が入り込む。破けたカーテンが揺れる。外は暗い。夜だ。部屋は月と街明かりだけで照らされており、薄暗かった。
落ち着きを取り戻した脳に浮かんだのは、唯一の居場所だった彼と、初めて死体を捨てた海。
もしもの場合、隊長と同じ海に沈むのも悪くない。今度こそ、隊長の後をついて行っても良いかもな。きっと地獄に居るはずだから。オレのこと、覚えているだろうか。ちゃんと叱ってくれるだろうか。
そんな、くだらない妄想をぶら下げたまま、春千夜は何度目かの深い眠りにつく。
次に目を開いた時、世界が創り変わっていることを願いながら。