規律を守って穏やかな生活を。




 平日夕方、午後四時。テレビのニュースは、今日のトピックを伝え、CMの後は天気予報に入るそうだ。日が傾き、オレンジの光が窓から差し込む。そろそろ電気をつけなければ、部屋が真っ暗になってしまうな、と頭の隅でぼんやり思う。
「あの、少しよろしいでしょうか?」いつの間にか現れたスカリーが、控えめに声をかけてくる。おずおず、と言った表現がぴったりで、彼にしては珍しいなと感じた。
「どうしたんですか?」彼の方を向き、ソファーを少し詰める。「ここ、座ります?」と、自分の隣を軽く叩いた。
「では、失礼します」彼はふわりと飛んできて、すぐ隣に座った。心なしか眉が下がっているような気もしたが、前髪でよく見えない。
「それで、何ですか?」
「ええ。実は貴方に、折り入ってお願いしたいことがあります」
「はあ」気の抜けた返事をする。
「我輩は、どうやら忘れ物をしてしまったようなのです」
「忘れ物?」
「ええ、そうです。とても、とても大切なものなのですが、ついうっかり置いて来てしまったようで、どこにも見当たらないのです」
「それってどんな物ですか?」
「それは」彼はほんの少しの黙ってから、「内緒、でもよろしいでしょうか?」と言った。
「え?」わたしは困惑のあまり飾り気のない素直な反応をしてしまった。「えっと、何を探すのか分からないと、お手伝いが難しいかもしれません」
「いいえ、ご心配には及びません。どこにあるのかの検討はついておりますから」
「へえ、どこですか?」
「おそらく、棺の中でしょう」
「棺」彼の言葉を繰り返しながら、ゆっくりと状況を飲み込もうと努力したが、かなり難しかった。「え、棺ですか? 誰の?」
「我輩のです」
「あ、やっぱりそうなんだ」興奮なのか困惑なのか、段々と自分の声が大きくなっている気がする。「えっと、ご自分の棺の中に忘れ物を?」
「はい」
「……棺の中というのは?」
 はて、といった具合にスカリーは首を傾げる。「我輩の棺の中でございますが」
「それは聞きました」
「ええ、言いましたね」
 束の間の沈黙。すぐさま、再びわたしは口を開く。「すみません、言葉を変えます。棺の中の忘れ物というのは、どういうことでしょうか?」
「どういうこと、とおっしゃいますと?」
「ええっと、つまり、わたしに貴方の棺を開けて、中の遺体と一緒に埋葬されたものを出してくれ。そう言ってます?」
「ええ! その通りでございます!」彼は嬉々としてそう答えた。「ああ。察しが良くて大変助かります」
 いやそんなことはないだろう、と思ったがそれ以前の問題が多く、口には出せなかった。わたしは完全に言葉を失い、「ああ」や「ええ」など、特に意味も持たない音を発して沈黙を誤魔化そうとした。すうっと大きく息を吸い込み、今言われたことを整理する。きっかり三秒息を止めて、ゆっくりと吐き出してから口を開いた。
「もう一度確認ですが、わたしに貴方の棺を開けて欲しい、というお願いですか?」
「ええ」
 ふふふ、と彼は控えめに笑う。「先ほどから、同じ言葉や質問の繰り返しばかりですよ。何がなんでも聞きたがる、まるで幼子のようです」
「わたしも貴方もあのテレビのキャスターも、皆かつては好奇心旺盛な幼子だったでしょう」
「それもそうですねえ」
 はぁ、とわざとらしく、音のあるため息をついた。「話を戻しますが、要は墓荒らしじゃないですか。捕まるのわたしですよ?」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいませ。本人が良いと言っているのであれば、良いのでは?」
「ゴーストに言われた、なんて頭のおかしい人だと思われるでしょう。いやですよ、人生にそんな経歴がつくのは」
「ふむ」彼は顎に手を当て、目を上に向けた。何かを考える時にやる癖だ。「わかりました。その辺りは、我輩がうまくやりましょう。貴方の心配事は、できるだけ取り除きますから」
「はあ」
「それで、我輩の頼みを聞いてくださいますか?」
「いや、それは」彼のお願いはできるだけ聞き入れてやりたいが、さすがにこれを快諾はできない。「百歩譲って逮捕されないとしても、スカリーさんのお墓ってどこにあるか知りませんよ」
「おや、お伝えしてませんでしたか?」彼は目を丸くする。「ほら、あそこ」とスカリーが指差したのは、窓の外の景色であった。「あの墓地に並んでおります」
「え」と言葉を発したきり、わたしは黙り込んだ。言いたいことも聞きたいことも、考えなければならないことも山ほどある。思考が停止するとは、まさにこのような状態なんだな、と余計なことが頭をよぎる。これこそ現実逃避だ。
 つけっぱなしのテレビは、いつの間にかCMが明けていたようで、再びニュースが流れ出す。天気を伝えるお姉さんは、ふわふわとかわいらしい白いコートを着込んで、外の気温について伝えている。
 今夜から強く冷え込みます。夜遅くからは天候が崩れる可能性がありますが、出勤・通学の時間帯は晴れるでしょう。
 どうでも良いテレビの音が鮮明に聞こえる。
 わたしは、墓地から目が離せないでいた。視界を遮るように、屈み込んだスカリーがわたしの顔を覗き込む。
「我輩としては、できるだけ早い方が助かるのですが。今夜のご予定は?」
 一緒に暮らしているのだから、いちいち訊かなくても知っているだろうに。「ありませんよ」と、一応答えてやると、彼は心底嬉しそうに笑った。
「それは素晴らしい!」
 何なんだこの人は。



 外はもうすっかり冷え込む季節になっていた。わたしはクローゼットを開くと、動きやすさがありながら、さらに汚れても気にならないような洋服を探した。「何でわたしが墓荒らしをしなきゃならないんですか?」
「ですから、墓荒らしではありません」
「他人から見たら変わりませんよ」手前にある、お気に入りの洋服たちを掻き分けて、棚の奥の方から灰色のトレーナーを取り出す。部屋着として使用していたもので、裏がふわふわしていてあたたかいものだ。セットになっていたチャコールグレーのパンツも、合わせて引っ張り出す。「自分で墓を掘り返したら良いじゃないですか」
「我輩も試みてみたのですが、どうにもこの手ではシャベルは扱いにくくて」
「いつもはあんなに器用なのに」わたしは、着替える予定の服をベッドの上に放り投げた。わざと彼の方を狙ってみたが、軽く避けられた。避けなくても通り過ぎるだろうに、という指摘は飲み込んだ。
「物を運ぶ、動かすといった簡単な動作ならできるのですが……シャベルを持って、的確に土を掘り起こす、というのは案外難しいものです」
 あまり納得がいかない。そう思ったことが態度に出ていたのか、彼は幼い子どもを見るようにくすくすと笑った。
「それに、我輩がひとりで作業をするとなると、それこそ怪奇現象の類になりますから、きっと大きな騒ぎになるでしょうねえ。この家にも人が押しかけてくるかもしれません」
「脅しじゃないですか」
「事実を申し上げたまでですよ」彼は口角を上げ、意地悪そうにニヤリと言う。
「ずるいひと」わたしは呟く。最後に、古くなり中綿の減ってきたダウンをクローゼット取り出した。「ほら、貴方のために着替えるんですから、さっさと出ていってください」
「わかりました」
「暇だったら、道具を準備してもらえると助かります。墓荒らしなんて、したことないので何が必要か分かりませんから」
「墓荒らしではありません!」
 はいはい、と言って、わたしは、部屋から出て行けの意味を込めて彼に手を振った。
 念のため、小さなショルダーバッグに貴重品を詰める。墓荒らしのためにあった方が良いもの、なんて知るはずもない。


 着替えを終えて部屋の外へ出ると、スカリーはシャベルを片手に立っていた。背が高く細身で、サングラスをかけた男がシャベルを片手に持っている姿というのは、何とも穏やかではなかった。「お似合いですね」わたしがいうと、「そうでしょうか?」と彼は首を傾げて、シャベルの刃先を見た。ほとんど使っていないぴかぴかのシャベルは、壁に飾られた絵を歪に映していた。
 そのまま玄関まで向かい、古びたスニーカーを靴箱の奥底から取り出す。履き潰された靴は、踵の方が潰れていて、靴底はすり減り少しだけ穴が空いていた。この前の大掃除で捨てなくてよかった、と思う。「シャベル、いただいても良いですか?」
「はい、どうぞ」
 彼から渡されたシャベルはこの寒さのせいか、彼の体温のせいか、冷え切っていた。
「墓荒らしの道具はこれで全部ですか?」
「ええ、おそらくは」彼は頷く。「あと、墓荒らしではありませんからね」
「はあい」
 わたしは適当な返事をして、玄関ドアを開いた。隙間から冷たい風が吹き抜ける。秋の終わりが近づき、冬が始まる気配がする。「一旦、墓の場所だけ教えてください。やるかどうかは、その後決めます」
「え!」
 わたしは周囲をキョロキョロと見渡し、誰もいないことを確かめる。独り言を呟く人間とは思われたくない。それでも、いつもより声を潜めて喋った。「当たり前でしょう? そもそも一人でやり切れる自信がないです」
 スカリーは身を屈めて、顔を寄せる。
「我輩も微力ながらお手伝いしますから」なぜか彼もひそひそ声で話した。
「だとしても、夕方の人目に着く時間帯からはやりませんよ。捕まりたくないので」
「ではいつ?」
「せめて、日が暮れてからです。本当は、どの時間帯が一番人が居ないのか確認してからやりたいんですけど、早い方が良いのでしょう?」
「ええ」
「まぁ、墓の様子を見てみてダメそうだったら、一旦今日は諦めてください」
「わかりました」彼は笑顔でそう答えた。
 本当か? と疑問を持たざるを得ない。
 先行くスカリーの後を追いかけ、わたしは墓地の中を歩く。隣の土地だけれど、初めて来たかもな、と思う。まあ知人が誰も居ない墓地に足を踏み入れるなんて、早々ないだろう。
 いつも窓から見える景色と何も変わらない。
 厳しい寒さの中、祈りに来る住民なんて居ないようで、周囲に人の気配はない。あ、と思わずこぼしたわたしの独り言が目立つぐらいに、静かであった。 
 わたしは、ふと頭に浮かんだ名案を実行すべく、立ち止まり唯一の持ち物であるバッグを漁る。中からワイヤレスイヤフォンを取り出して、片耳に入れた。
「スカリーさん」と彼に声をかけながら、いつのまにか広がっていた二人の距離を、小走りで詰める。「ほらこれ、イヤフォンつけたので。普通におしゃべりできますよ」
 わたしは耳に髪をかけてイヤフォンを彼に見せる。「側から見れば電話をしているように見えるはず、なので」
「ほう、そうなのですか? この小さなものが電話に……?」
 スカリーは身を屈めてわたしの耳元を覗き込もうとするので、ぞわりと寒気に襲われる。反射的に飛び退いてしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。
「もし気になるなら、今度ちゃんと仕組みを説明しますね」今ここでワイヤレスイヤフォンの話をしたって仕方がないし、何よりわたしも有線だの無線だのはふんわりとしか分かっていない。わたしはくるりと彼の周りを回って、イヤフォンをつけていない側にスカリーが来るように並び直し、揃って歩き始めた。
「あのいくつか聞いても良いですか?」
「構いませんよ」
「そもそも、スカリーさんってハロウィンの王ですよね」
「ええ。僭越ながら、そのように呼ばれているようです」
「伝聞系?」
「その呼び名がついたのは、我輩の死後ですから」
「なるほど」わたしは、偉大なハロウィンの王として後世に讃えられるスカリーを思い浮かべる。
「我輩としては分不相応な評価に思えて、あまり良い心地はしないのですが」
 彼の言葉に影響され、わたしの頭の中のスカリーも鼻高々ではなく、照れたように顔を覆って長い体を折り曲げて、縮こまってしまった。
「とはいえ、ハロウィンは当時はマイナーな行事だったのでしょう? なのに今やここまで人気の一大イベントに。それに一役買ってるというのであれば、妥当な評価な気がしますけれど」
「いいえ! 我輩など、あの方に比べればまだまだでございます」
「あの方?」
「ええ。我輩の憧れの方でございます」
 わたしは少し上を向いて記憶を辿る。「ふうん」とわざとらしく声を上げることで、話は聞いてますよ、とアピールすることも忘れなかった。「そのことについては本に書いてなかったですし、たぶん初めて聞きましたよ」
「おや、そうでしたか?」
「以前聞いた時は、道半ばで途絶えたからだって、言ってました」
「ああ、それも理由の一つですねえ」
 そう言うと彼は口元に手を当てた。わたしの目は、彼の指先を追いかけた。にやりと歪む唇が、長く、広い手をもってしても隠しきれていない。目を細めて、晴れやかや笑顔をわたしに向ける。
「我輩の話を覚えててくださったんですね。嬉しい限りでございます」
「そりゃあ、あなたのことですから」
 間髪入れずに答えたわたしに、スカリーはビャッと跳ねるように驚いた顔をした。オレンジの瞳孔が小さく、丸くなって、大きな口がもにょりと下がってへの字になる。おもしろい。わたしはケラケラと笑った。
「それで?」わたしは雰囲気をぶち壊しにするような言葉を続ける。自分で作っておいて何だが、変な感情が入り混じって居心地が悪かった。
「死後そのような名がつくほど有名な方の墓が、どうしてこんな田舎町にあるんですか?」
 と口にしてから、しまったと思う。「あ、これって聞いて大丈夫でしたか? 嫌だったら全然、答えなくて平気なんですけど」
「あ、いえ。お気になさらず」スカリーはゆるく笑った。「我輩の墓がここにある理由は、単純に、我輩がここで死んだからでございます」
「え」
「ほら、つきましたよ」
 目の前には、ひとつの墓があった。いつの間に、とわたしは思う。いつの間にわたしは、こんな所まで来ていたのだろうか。墓場の奥のそのまた先の、人目につきにくい木陰の元に、ひっそりと建てられていた。
「これが、スカリーさんの?」彼と墓石を交互に見やる。「なにも書かれてませんけど」
 普通、墓石にはここに眠る生きものの名前や年代、故人に捧げる言葉など生前の証が刻まれるはずだ。しかし、彼の墓には何もない。ただまっさらな灰色の石が地面に刺さっているだけだった。
「我輩は、旅の途中でした」ぽつり、とスカリーが落とした言葉に耳を傾ける。「世界各地に、ハロウィンという素晴らしい祭典を伝え広めること。それが我輩の生きる意味であり、我輩の人生に課せられた使命。我輩は自分の役割を果たすべく、まだハロウィンの素晴らしさを知らない哀れなこの町へ、人生の彩りを与えている最中でした」
 わたしは、話を聞きながら当時の様子を頭の中で思い描いた。いくつか書籍を読んだけれど、スカリー・J・グレイブスがどのような旅路を歩んでいたのか、詳細に書き記されたものはなかった。ただ、おおまかな予想をしている論文はあったはずだ。確か、ハロウィンが始まった年代を辿るという何ともアナログかつ力技な手法で調査をしていたのだが、調べてみると彼が訪れた土地にはハロウィンの名と共に彼の名前や容姿が記されていることが多いらしい。確かに、彼の容姿は目を惹くうえに記憶に残る。そんな男がハイテンションで奇妙なことを話出したら、何かに書き記したくなるのも分からなくはない。
 そして、実際に本人から日々話を聞いていると、あの論文に書かれた考察は概ね当たっているように思える。貴方の考察、かなり良い線行ってますよ、とあの論文の著者へ教えたらきっと大喜びするだろう。存命なのかは知らないけれど。
 スカリー・J・グレイブスが通った道には、ハロウィンが芽生えている。彼の残した華やかで、賑やかで、恐ろしい祭典は、姿形を変えつつも現代に至るまで煌々と輝き続けているのだ。点々と輝くそれは、夜道を照らすランタンみたいだと、ぼんやりと思う。
 つまりこの町は、まだランタンが灯っていなかった場所。「あ」とわたしは声を上げた。「もしかして、スカリーさんが誰なのか、知らないから?」
 わたしの言葉に彼は目を丸くした後、ニコリと微笑んだ。「ええ、その通りでございます」
 表情とはちぐはぐな、心寂しい雰囲気を感じる。わたしは何か言おうかと口を開いて、何も言えずに息を吸い込むだけだった。わたしは生きていると実感する。
「ここは、まだハロウィンを知らない場所。我輩にとって、初めて訪れた土地。つまり、当時の住民からすれば我輩は『名も知らぬ旅人』、ということなのです」
「だから墓石に名前がない」
「名前がない、というより書けなかったのでしょう」
 わたしたちはそろって、何も刻まれていない、つるりとした墓石を見た。見知らぬ旅人、ここで眠る。その中身が歴史に名を残した男だとは、夢にも思わないだろう。
「そうは言っても、どの誰かも知らない我輩のために、眠る場所をご用意してくださるだなんて、この町の人は非常に親切な方々であったに違いありません」
 気づくと空にはたくさんの雲が出ていて、にわかに日が陰り始めていた。今が何時かわからないほどに灰色をした空の元、冷たい影が吹き込む。
「ああ、一度お目にかかりたかった」
 スカリーの呟きは、風に流され溶けていく。
 気の利いた言葉を知らないわたしは、黙って彼に寄り添うような素振りをしつつ— 実際にその気持ちもあったけれど—意識の多くは彼の墓を観察することに向けていた。わずかに盛り上がった土は、周囲にある硬く乾いた地面と異なり、空気を含んだ柔らかさを感じる。よく見れば、身元不明者の墓石の割には荒れ果てた様子ない。長い年月の末にそれなりの風化は進んでいるけれど、逆に言えば、気になる汚れというのはそれだけだった。この土地は街の管理下にあり、墓は各個人が手入れするものだと聞いていたのだけれど、人に愛された墓と同様に、身元不明なこの墓も、誰かが定期的に手入れをしていると言われれば納得がいく。
 わたしはちらりと、隣に居る男の顔を盗み見た。わたしたちの間に身長の差がありすぎて、さりげなく表情を窺うことはできない。ただスカリーはじいっと、自分自身が眠る墓を静かに見つめていた。いつもの、おしゃべりで賑やかな姿と違い、あまりに静かで瞬き一つしないものだから、死人みたいだ、と思い、すぐさま彼の正体を思い出しては自分に呆れた。
「さて、どうされますか?」
「え」肩が跳ねる。彼の意識が自分に向けられていたことに、気づかなかった。
「このまま、ここを開けてしまいますか?」
「いや、さすがに……今は人気がないとはいえ、明るい時間にやるものではないので。やることしたら、今夜ですよ」
 はて、とわたしは疑問に思う。本当に墓荒らしをする方針で進めて良いのだろうか。

 ◇
 
 土を掬い上げて、外に放る。シャベル一掬い分のかわいらしい穴が、一つ増える。暴いた地肌から覗く小石や嫌でも香る土の匂いから、祖父母の家で手伝った野菜の収穫を思い出す。残念なことに今掘っているのは新鮮な野菜ではなく、腐り切った死体だけれど。
 わたしは、穴の中から地上に向けて声を上げた。
「これ、本気でやるんですか?」
「ええ」地上にいるスカリーが答える。
「絶対に終わらないんですけど」
「いいえ、そんなことございません。二人で力を合わせればきっと成し遂げられますとも!」
「正気ですか? ていうか、二人じゃないですよね。わたしひとりじゃないですか」
「貴方なら大丈夫です」
「話を無視しないでください」
 改めて足元を眺める。何も刻まれていない墓石の前で、下手くそな三角錐になるような具合で歪に掘り起こされていた。最大深度はだいたい、わたしの太もも半分ぐらいだ。本当は深さが均一になるように掘り進めれば良かったのだろう、と今になって思う。というよりも、わたしはそうなるように掘っているつもりだった。しかし、奇妙なことに気づいた頃にはこのような形になっていて、わたしは首を傾げていた。足元の土は固い一方で、わたしの背後に残る土の壁は触れてみると空気がたっぷり含まれていて、やわらかく、なにより崩れやすい。おそらく、掬い上げた土を放ったものが山となり再び穴を埋めてしまったのだろう。愚かで、下手くそな墓荒らしだ。
「今ならまだ、元に戻すほうが早いですよ」
「今からも何も、始めたばかりじゃありませんか」
「もうやめたいです」
 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。体感的にはもう何時間も経ったような気がしているが、どうせ実際は30分もしてないぐらいなのだろう、と予想をしている。どれほどの時間をかけて、この程度の穴が掘れているのだろうか。頭の中に算数の問題が浮かぶ。毎分何mの穴掘りができるのか、そして棺は何q先にあるのか、どちらか書いてくれなければ問題が解けないではないか。時計をしてくるのを忘れた。貴重品を入れた鞄は、スカリーが持っている。わたしは空を見上げたが、暗い夜空から時間を読み取るだけの知識はなかった。
 ざくっと、小気味の良い音を立てながらシャベルを地面に突き刺す。ここまでは良い。わたしとしては、土を掬い上げる工程が最も苦労するところだった。長年空気に触れていない土は、正しく地面としての役割を果たしており、固く湿っていて、その上重い。慣れない肉体労働に両手と足腰は悲鳴をあげていた。寒空の下、この季節にあり得ない汗が額に滲む。
「ねぇ、やっぱりやめませんか? このままだと生き埋めになるかもしれませんよ」背後にあるやわらかな土の山を指差す。「これ崩れやすいので、落ちてきたらおしまいです。貴方の遺体と一緒にここで永眠することになっちゃいます」
 わたしは、自分のしでかした失態を棚に上げ、墓荒らしの危険性について説く。疲労感から緩慢な動作でおでこに伝う汗を拭い、この墓の主人たる彼の方を見上げた。
 彼は頬に手を当て、口元をもごもごと動かしながらこちらを見ていた。むっと威嚇したくなる気持ちを抑えながら声を張り上げる。
「ときめかないでください。こっちは本気なんですけど」
「そ、そんなつもりじゃ!」
「いーえ、絶対そうでした。一緒の墓も悪くないなぁとか思ってたんでしょう、どうせ」わたしは地面にシャベルを突き立て、寄りかかる。運動不足が祟ったか、足が痛い。「スカリーさんは照れた時とか、嬉しい時とか、いつもそうやって頬を触るんです。暗くて表情が見えなくても、サングラスで目元が見えなくても、毎日一緒に暮らしてればさすがに分かります」
 そう断言してから、わたしは彼に背を向けてシャベルを土ごと引き抜いた。少しばかり鼓動がうるさい。
 貴方は照れている時、いつも目を合わせてくれませんねえ 。と、やわらかな彼の声で記憶が蘇る。うるさい、脳内で叫んだ。 
「だいたい女の子ひとりで墓掘りさせるなんて、紳士のすることですか?」
 わたしは土を背後に放り投げる。おそらく、彼がいるであろう方を目がけて、意図的に。うまく乗り切らなかった土塊が壁を転がり落ちて、砂粒が舞った。不快感に顔を顰める。彼からの謝罪や返事の声はなく、沈黙が罪悪感のようなものを育み始めたが、今回ばかりはわたしに非はないだろう、と強く言い聞かせる。
「……えぇ。たしかに、貴方のおっしゃる通りです。大変、申し訳ございません」
 不意に首元で彼の声がして、肩を大きく跳ね上げた。わっと悲鳴をあげそうになるのを、飲み込めたのは褒めて貰いたい。 代わりに、胸の辺りに両手を当てていた。驚きや恐怖で跳ね上がる心臓を心理的にも物理的にも抑えようと、無意識に試みていたのかもしれない。身体反射的に音の方へと振り返ると、いつの間にかこちらまで降りていたスカリーが申し訳なさそうな顔をして、そこに立っていた。俯き気味の目はオレンジの瞳を隠し、小さくキュッと結ばれた口は悲し気に落ち込んでいる。しょんぼり、という言葉がこれほどぴったりな顔を見たことがないな、頭の隅で思う。
 それは、怒りや不満を萎ませて毒気を抜かれてしまうような、非常に素直な反応だった。
 わたしは、ふっと一息吐く。驚きと恐怖で無意識に上がっていた肩がゆるく落ちる。「すみません、いじわる言いました」
 わたしが始めた懺悔を聞くや否や、彼は勢いよく顔をあげた。
「貴方が穴掘りという重労働ができないのは分かっています。道具を扱うのが難しいのも」わたしは指先を顎に当てて、ゆっくりと考えながら言葉を選ぶように、目線を上に向けた。視界の端で縮こまる彼の頭頂部が見える。高身長なゴースト男のつむじが見られるだなんて珍しいじゃないか、と一瞬それた意識を引き戻す。
「じゃあせめて、あとどれくらい作業すれば棺の到達するのかとか、わかりませんか?」
「え、そのような要望で良いのですか?」
「終わりの見えない重労働というのは、思いの外堪えるものなんですよ」わたしは肩をすくめて笑う。「例えばほら、貴方が地面に潜って位置を探るとか、そういうことできません?」
 ふむ、と彼は顎に手を当て考えを巡らす。細い手指を覆う手袋に描かれた骨は、暗闇でも良く目立った。まるで指先だけ骸骨みたいと思い、そもそも彼はゴーストで、この下に亡骸があることを思い出す。
「地面に潜るのは構いませんが、あまり期待しないでくださいませ」
「というと?」
「ほら、土の中は真っ暗でしょう? 行き先どころか今の居場所すら分からず、我輩が今上を見ているのか下を見ているのか、捉えられなくなるのです」
「あぁ、なるほど。そういう感じなんですね」
「ええ。永遠に続く暗闇、というのは心惹かれるものではありますが……今回は闇にひとり漂うわけにもいきません。それに、虫や微生物等、土に住まう小さな生き物たちをとても間近で観察するというのは、中々慣れないものでして」
「苦手なんですか? 虫」
「いえ、そういうわけではない……かと」
「あら、歯切れが悪い」
「これが我輩の慣れの問題なのか、得意不得意の問題なのか、判断できるほど経験がないものでして。壁や人を潜り抜けることは、慣れてきたのですがねえ」
 ふうん、と返事を口にしながらも、どうしたものか、とわたしか考えを巡らせていたそう言われてしまうと反論の余地がない。ただ、今のまま先行きの見えない不安と非効率的な労働に勤しむことはしたくない。
「体感的にどのぐらい、とかもわかりません? ほら、ゴーストならではのミラクルパワーとか」
 ふっ、と彼は鼻で笑ったが、様になっていて、不思議と馬鹿にされた感覚はしなかった。
「そうですねぇ、直感のようなものですが、おそらくあと少しだと思います」
「少しってどれぐらい」
「ほんの少し」彼はぐっと身を寄せて、わたしの顔をの前で親指と人差し指を近づけて、本当に小さな隙間を作ってみせる。そのわずかな隙間から、見慣れた渦巻きが見えた。「もう一回ぐらいじゃないかと」
「そんな適当な。こんな浅いところに遺体を埋めますか、普通」
 そう言いながらも、わたしは手にしたシャベルを地面に突き立てる。
 正確には、突き立てようとした。
 ゴン、と鈍い音がする。それはまるで、空洞のある箱にぶつかったような音が。
「あ」
 わたしたちは揃って声を上げ、顔を見合わせた。


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