この花を貴方に

 今日こそは彼に花を渡そう。彼女は目が覚めるなりそう決めました。

 カーテン越し差し込む、柔らかくて新しい朝日を浴びながら、彼女はベッドから跳ねるように脱出しました。栗色のふわふわとした髪には、寝癖がもしゃりとついていましたが、そんなこと今の彼女には関係ありませんでした。とにかく、いますぐに、あの花を見に行かなければ気が済まなかったのです。
 彼女はまだ寝ている家族を起こさないように、そうっと家の外に出ました。そうして温室の前に立ち、ビニールがぴたりと張られた引き戸に手をかけて、いつものように開けました。戸が土を噛んでいるのか、爽やかな朝には少し似つかわしくない音が聞こえてきましたが、彼女の耳には届いていない様子でした。
 温室の中はしっとりとした空気が満ちていて、外とはまるで違いました。彼女専用の温室の中には、それはそれはたくさんの植物が互いに寄り添うようにみっしりと置かれていますので、温室内は花と緑と土の匂いが充満していました。彼女はその、愛しい大好きな匂いと、湿り気を含んだ空気を肺いっぱいに吸い込みました。
 もうこれ以上入らないぐらいに吸い込み、数秒息を止めた後、大げさに息を吐きました。肺から追い出した空気の中に、いままで彼女自身が抱えていた不安も、躊躇いも、全部全部溶けていったように思えました。彼女は小さく微笑むと、目的の花の前へ向かいます。

 それは、彼にプレゼントしたい一心で世話を続けた花でした。真っ赤なアネモネ。彼女が一から育てた、特別な、特別な、アネモネの花。

 その細い茎に指を這わせると、彼女はもう一度、微笑みました。

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