桜の下で
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私の行動に意味がないことなんて初めから分かっている。だが、意味の有無で行動の是非を決めるだなんて、私にはできない。したくない。私はただやりたいから、こうして行動をしている。それだけだ。
桜の木の下に立ち、通りがかる犬畜生ども全てに、独りよがりで身勝手な悪意を投げつけ、奴らが尻尾を巻いて逃げだすまで、威嚇し罵り闘う。私は地縛霊になってから、この行動を一日も欠かさずに続けていた。勿論獲物が来ない日は暇ではあるが、幽霊なので多少時間を無駄にしたとしても、どうという事はなかった。時代の移ろいに逆らうように、私はここで犬どもを待ち続けている。何十年もの間。ずっと。あの日の怒りをぶつけるためだけに、私はここに存在している。
惨めだ馬鹿だ愚者だと笑うのならば、私の気持ちを晴らす術を、是非ご教示賜りたい。出来ないのであれば、私に構うな。
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いつものように犬畜生を待っていると、二人の女が現れた。人でも霊でもないその二人は、私の方をじいっと見ている。無視しようと思っていると、一人が文句を垂れてきた。
「噂通りのことしてくれてんじゃないのさ。あんたさあ、自分が何やってんのか分かってんの?」
態度の悪いその女は染井吉野と名乗った。桜の精だと言う。こんな粗暴な女が桜の――正確にはその名の通り、ソメイヨシノの精だなんて信じられない。私の態度から何かを察したのか、染井吉野はきっと私を睨み「さっさとここでやってること、自分の口から言いな」と噛みつくように言うので、私は仕方なく、これまでの経緯と今までしてきた行為を洗いざらい話した。染井吉野は仁王立ちのまま微動だにせず、私の話を聞いていた。
「へえ。で、なに? 端的にまとめると、綺麗に死にたかったから綺麗に死んだけど、その、野犬にぜーんぶぐっちゃぐちゃにされたってこと? だからあんたはそのことが不服で成仏もしないし、八つ当たり的に見境もなく、犬に当たり散らしてるってわけぇ?」
私は頷いた。すると女は、息を長く吐きながら深いお辞儀をした。これ以上折りたためないという所で一瞬止まったかと思うと、まるでバネ仕掛けの人形のように、ぐんと上半身を跳ね上げて、
「しょーもなっ。てか器ちっさ」
と、憎たらしいほど顔を歪めて言った。
「いいじゃん別に。犬のごはんになったんだから。あんたのおかげで飢え死にしなかったのかもしれないでしょ。だとしたら、役に立ってよかったじゃん。有意義だよ。ねえ」
「野犬の生死よりも、己の生死の意味の方が大事だろう。どう生き、どう死ぬのか。私はそれが、綺麗に死にたいということに集約して……」
「て言うかさ。もっと他にあったんじゃないの。死に場所って。わざわざ外で死ぬからそうなったんじゃん。自業自得。犬を恨むなんてお門違い」
「私は満開の、花弁散り行く桜の木の下で死にたかったんだ。綺麗な景色の中で綺麗に死ぬことを理想として生きてきた」
「あーはいはい出ました。くっだらない。なんなのそれ、テンプレすぎて聞き飽きたわ」
「てんぷれ?」
「ド定番ってこと。面白みがないほど凡庸で、ミカヅキモと同じくらい単純で浅い考えってことよ」
染井吉野は吐き捨てるように言った。黙っていると、私の真後ろにある桜へと歩み寄り、胴吹きの――幹の途中で咲いている花に向かってそっと手を伸ばした。桜を愛でるように労わるように、その手をゆっくりと下げていく。幹肌を撫で、額を寄せる。その顔は真剣そのものだった。一体彼女は何をしているのだろうか。私には到底理解が及ばない。
一方、染井吉野と共に現れたもう一人の女は、最初の立ち位置から一歩も動かず、私たちを見つめている。女の表情は読めなかった。
桜から離れた染井吉野は、私の隣に正面の立ち直し口を開いた。
「多いんだよそう言うの。桜の下で死ぬってやつ。ほんっと迷惑なんだよね」
私は鼻で笑う。多いからなんだというのか。私は私の理想に基づいて行動したのみである。
「曰くつきの桜になって、お化けが出るだの言われてさ、変な噂が立ったら最後、ばっさり切り倒されるんだよ。まだ生きていたいのに。倒されて、切り刻まれて、根すら抜かれて。……ここに来たのも、あんたの八つ当たりがそろそろ悪い噂になりそうだから止めに来たんだよ。ねえ、これ以上この子に迷惑かけないでくれる?」
「……迷惑をかけているつもりはなかったのだがな。そうか。桜の方に実害が及ぶのか。確かに私の行動でこの桜が切り倒されてしまっては申し訳が立たない、とは思うが、かといって八つ当たりを止められるような器を、私は残念ながら持ち合わせていない」
「知ってる。あんたの器ってお猪口サイズだもんね。器が大きかったらこんなとこで地縛霊なんてやってないだろうし。……桜の下で死ぬとしても、せめて山奥でそっと死んでくれてたならこんなに気を揉まなくて済んだのに」
染井吉野の顔が曇る。
「なんで人間ってやつは桜を特別扱いするのかね。ただの勢いの強い花木だよ。私は。……潔いっつってさあ、花が咲いて散るまでの流れを人間の死生観に当てはめられても困るんだよね。そもそも花の寿命ってなにって話だよ。寿命って命の長さって意味だよ? 花に命が宿るとでも思ってるの? 花が散るからって木が死ぬわけじゃないのにさ。分かる? 私たちって来年も、再来年も、同じように花を目いっぱい咲かせてんだよね。生きてんの。ずっと。生きるために、人に喜んでもらうために、頑張ってんの。なのにさあ……」
それは唐突に始まった。私に対してではない愚痴を、早口で捲くし立てる。普段からよく口にしているのか、どうやら一連の流れが出来上がっているようだった。立て板に水を流すように、途中で止まることなく、言葉はさらさらと、染井吉野の口から出続けた。どうしたものかと思い、もう一人の女の方に目をやると、こちらに向かって歩いてきていた。
「素直に喜ぶ奴はいいよ。こっちだって嬉しいし、ああ今年も喜んでもらえたなって思えるからさ。まあ花見するからって言って、木の下にブルーシート敷いて、思いっきり土を踏み固めるのはやめてほしいけどね。酸欠になっちゃうし」
愚痴はまだ続く。口を挟む間なんてない。まるで演説だ。私は口を閉じ、聞き役に徹した。
「それにほら、私らを見て怖いだのなんだの言うのもやめてほしいな。なんであんな風に思うんだろう。人を殺すほどの毒なんて持ってないのにねえ、ほんとやんなっちゃうよ。あーあ、もう。桜が、私が、好きだから馬鹿みたいに増やしたんじゃないの? 怪しいだの狂気だのなんだの言ってさ。素直に綺麗だなあって言えばいいのにっ!」
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