Daisy Bouquet
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 アカデミーまでもう少しという、通りの中ほどで、ヒナタは胸を抑えきれずに、ネジの名を呼んだ。
 丁度任務から戻って来たらしいネジは、肩に荷を背負ったまま、足を止めてヒナタを凝視している。一足跳びに陞進をはたした上忍と言えど、直ぐには目の前の状況が掴めないでいる。それでも何とか、隣で棒立ちになっているチームメイト二人を先に行かせると、ヒナタの元へやって来た。

「どうしたんです? ヒナタ様……それは?」

 ネジの興味の先は、ヒナタ自身も然ることながら、その顔が隠れるほどに分厚く束ねられた白いブーケだ。
 迷わずに注目を受けて、嬉しさを隠せなくなったヒナタは、肩から離した大きなそのプレゼントを、ネジに見せる。

「あのね、この花を見かけたら、ネジ兄さんにすごく会いたくなっちゃって……それで、もうすぐ帰ってくる頃かなあ……って。び、びっくりしたよね……」

 ずっしりと零れそうな花弁が視界を占領して、お陰で互いに顔が見えなくなった。楽しげにころころ笑うヒナタの声は、愛らしい花のお喋りだ。
 無邪気で殊の外大胆な言い様に、または包まれた花びらの量に、ネジは圧倒されているのか押し黙っている。せめてもう少し控えめな花束にするとか。予告するとか。多分言いたいことがあるのだろうが、わざわざ迎えに来たらしいヒナタのその純真さを前にすべてを仕舞うしかなかった。代わりに、どこかうっとりと柔らかくなった眼差しが、笑い掛けてくる花のふと手元に落ちていく。

「……ヒナタ様、転んだのですか?」

 唐突にネジの視線を感じて、ヒナタは花束の横からちらりと顔をのぞかせる。そこで、自らの身形にはじめて意識を向けた。袖口には花を庇った時にできた、擦れたような跡があり、見ればところどころ、膝のあたりまでそんな形跡が残っている。

「だ、大丈夫だよ……」

 恥ずかしいことに、今の今まで夢中で気が付かなかった。身体に痛みなんてないが何にせよ見抜かれ方が子供で、言い訳も浮かばずにヒナタの頬が朱色に染まる。ごまかすように土を払おうとすると、徐々に重心がぶれて花束が大きく傾いていった。またもや大事な花が宙に投げ出されんとする、危機。その最中、腕の中の重さが急に消えた。

「……こんなにたくさん、抱えて。危ないですね。足元が見えなかったでしょう」

 視界いっぱいが白く染まって、甘い蜜の香りがふわりとした。花びらに埋もれるようになったヒナタの斜め上から優しい溜め息が降る。重さが消えたと言うより、ヒナタが花ごとネジに受け止められていた。もうヒナタが転ぶことも、花を守る必要すらない。ネジが傍にいるのなら、その役目はずっとネジが負う。
 ヒナタが何とか両手で抱えていた花束を、ネジはひょいっと、いとも簡単に抱え上げる。柔らかく弾んだ純白の花の、透き通る陽の香りを同じように感じているのか、花を映す瞳が微かな微かな笑みを浮かべる。
……これは……花瓶がかなりいるな。
 まじまじと、無数の花びらに押し寄せられて、それは思わずと漏れた心の声なのかもしれない。微笑ましく花と向き合うネジに、ヒナタは俄かに閃いた。

「そうだ、うちにある花瓶、よかったら持って来るよ! すてきなものがあるの」

 パチン、と控えめながら両手を鳴らして、その横でとびきりの笑顔が咲いた。
 ヒナタはよく、花を乾燥させて、片手間に小さな作品を作り出すことを楽しみにしているが、勿論水をあたえて室内を飾ったりもする。レモネード色のものは部屋を明るくしそうだし、涼しげなマリンブルーも落ち着いたネジは好みそうだ。ヒナタの家にいつもある花瓶が、ネジの元に行くなど想像しただけで――どうして胸がときめくのだろう。
 ヒナタ様……と置いてけぼりになりつつあるネジは、ともすれば現実的に走り出してしまうかもしれないヒナタの肩を止めた。

「それは後にして……お茶でも。……ご馳走しますよ」

……させてください。そう言い直すネジは、きょとんとしてくるヒナタに力なく目元を緩めた。

「あなたの“お出迎え”なんて……。ほら、少し寄り道しましょう」

“もう懲り懲りだ”とあきれているようで、一方で言葉にはできない大切な何かを見つめているようで。難解なネジのそれはヒナタの興味を強く惹き付けたけど。大振りなブーケを片腕に寄せて、空いた手を自然と差し出されれば、ヒナタは吸い寄せられるようにぎゅっと握り取った。

 白い袖をゆっくりと辿ると、同じ歩幅で歩く従兄の澄ました顔がある。少しごつごつした掌が力を入れる度に、擽ったくて真っ直ぐに歩けなくなる。本当はその傍らに抱かれた花を見つける前から、ずっと、ネジに焦がれ続けていた。

「ねえ、兄さん……これって……」
「ん……? 何ですか?」

 デートなのかしら?
 表面上は変りないネジの表情を窺いながら、ヒナタは今朝見た夢を重ね合わせた。だけど悪意も計算もないネジの、包み隠さぬ瞳の色に、次第に笑みが零れてうやむやになった。
 目覚めて終わってしまう心配がないのなら。折角ふたり一緒の道ならば。そのつもりで楽しんだ方がずっとずっと幸せだ。
 
 デイジーのブーケを抱えたあなたと。
 並んで歩く里の通りに、色取り豊かな春の便りがやって来た。


*Daisy Bouquet*/Fin.
(両手いっぱい デイジーの花の ブーケを抱きしめて会いにゆくから)


amaryllis開設7周年記念SS
(デイジーブーケ/桑谷夏子)



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