So Deep
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「ネジ兄……さん?」

 握り締めた布団からそうっと顔を出すと、ヒナタが心に願って止まなかった存在が、佇んでいる。何かの夢なのだろうか。そう思ってしまうくらいに、ネジは白い顔をしていて、まるで現実味がない。
 放心したままのろのろと起き上がったヒナタの元へ、ネジが歩み寄る。ベッドの傍で跪くと、“驚かせてしまってすみません”と、潜めた声でネジは告げた。

「今夜は、嵐になると聞いて……あなたは、本当に恐がりだから……」

 僅かに憂いの表情を滲ませて、ヒナタと目の高さを合わせたネジが真摯に見つめてくる。いつもの淡々とした、落ち着いた調子が、何故だか懐かしくて涙が込み上げてくる。
 幼い頃のヒナタを、ネジはどこか頭の中に描いているようだった。まるでその頃から、ネジは何も変わらない。独りきりできっと震えているであろうと、ヒナタを今も大切に。
 だけど本当に、そんな理由で戻って来てしまったのか。ためらいと慕情の狭間でしっとりと濡れそぼる、ヒナタの瞳をじっと見据えて、ネジは何もかもを見破っていた。

「あんな顔されて、置いていけるわけないでしょう」

 心に浮上したヒナタの疑念に、ネジはそうして答えてみせた。
 それは、泣き出しそうな気持ちでヒナタが向けた、昨日の精一杯の送り出し。
 ネジは至極穏やかな様子で、その言葉に叱責するみたいな鋭さもなかった。だから堪えられず、ヒナタはベッドから抜け出して、すぐ近くにあるネジの頸に抱き付いた。
 夢中でしがみ付いて、小さく咽び出すと、ヒナタの躰がゆっくりと受け止められる。雨の中をやって来た筈なのに、ネジの装束は乾いていた。頬を寄せると微かに漂う砂の匂いに、密かに腑に落ちた。ああ、これは……ネジではあって、ネジではない。

「これは、内緒の話ですが……向うの本体オレは、少し拗ねていますよ。あなたが見送りに来なかったから」

 肩口にネジの息が掛かる。このまま身を委ねていたいほどに、それは心地良い声だったが。ばつが悪くて、口籠ったヒナタは抱き付いた格好でじっとしている。

「だけど、それでも、あなたが心配なんですよ。遠方に分身を飛ばすのは、結構、体力的にキツイんです」

 ヒナタの冷えきった背中を優しく包む、その手付きも、声も、匂いも、ネジそのものであった。ただ強いて言うなら、チャクラの気配が少しだけ稀薄な気がする。
 確かに“存在”するのに、どこか朧気で、遠くにいるネジのことが気に掛かった。思わず身を離して、目の前のネジを覗き込むと、ヒナタのその心細そうな表情に目元を緩め、大丈夫ですよ、とネジは微笑う。

「ごめん……なさい……本当に私……迷惑ばっかり……ネジ兄さんがいないと、何もできなくなっちゃって」

 ヒナタの気持ちは晴れず、そしてその手元は尚も甘えるように、ネジの装束を掴んだままでいる。ネジが近くに居過ぎて、それが当たり前になり過ぎて、いつの間にかヒナタはネジを頼りにしてしまう。だが、言葉を聞き届けた当のネジは、首を横に振る。

「そんなことはないです。あなたは何でも器用にできる。オレなんかいなくても。ずっと側で見ていたから。分かりますよ」

 真正直なネジの、揺るぎのない、いつもの自信に溢れた言い様に、またヒナタの瞳の奥がじわりと熱くなる。ネジは下手な嘘をつかない。
 側にいるからこそ分かること。ヒナタは何でも、ネジにしてみれば深く考え過ぎるのだ。
 ネジからの、この上ない後押しを受けて――もうヒナタは、いつまでも泣いていられない。

「本当にごめんなさい……ネジ兄さんに、伝えてくれる? もう、心配いらないって」

 濡れた目元を拭って、ヒナタはやっと少し笑みを零した。ネジは半分信用していないような、それでも半分は心得たような顔で、黙ってヒナタを見つめている。

「それと……“ありがとう”って……あの……これも、ネジ兄さんに」

 届けて……、そう囁いて、ヒナタはそっとネジへと顔を寄せる。月の光のように、繊細な輝きを放つ白眼に、射止められながら、互いの唇を触れ合わせた。
 分身を体内に戻した時、その記憶が、本体に伝わる。
 ネジへの感謝と、あの時素直にできなかった送り出しを。ヒナタの、精一杯だった。

「……分かりました。……では、戻ります」

 再び視線が交わると、ネジは表情一つ変えておらず、ただ静かにそう言った。
 ヒナタがゆっくりと手をほどくと、白い装束が離れていく。

 今まで聞こえなかった外の雨風が、途端に耳に付く。まるで夢から覚めたみたいに、聴覚が蘇って、そしてヒナタの忌む暗い夜はまだ続いていた。
 窓枠を軋ませる風の唸りに混じって、うっすらと、消えたネジの声がした。

『言い忘れました……今夜の嵐は、直に収まりますよ……だから、恐がらなくていいです』

 心配性なネジは、どうやらヒナタをまだ半分信じていなかったようだ。
 だがもう、恐れずに朝を迎えられる。




 夜は必ず明ける。
 どんなに深く、暗くても。
 心の中に灯がある限り、何度も眩しい朝を連れて来る。


 ヒナタの灯は……この先ずっと、夜を照らし続ける。



(了)



(So Deep/Eternity∞)


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