樹木の蔭(Ombra Mai Fu)
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 もう少し近付けば涼しい木陰だというのに、リーは足を止めて、其処から眼差しだけを向けていた。
 少し前まで霜が降りて、凍えそうになりながらアカデミーの門を潜っていたのが、今はまるで薄暑の候だ。それだけ、一年を通じて暖かな木ノ葉隠れの里は春の訪れが早い。
 リーは木陰を手に入れたくて立ち止まっていたわけではなかった。太い木の幹の反対側に背を預けて、其処から綺麗に揃えられた足が慎ましく伸びていた。
 嫋やかな指先はくるくるとかぎ針をあやつって、繊細なレース模様を編み上げている。掌くらいの大きさになったそれを、懇ろに見直すと、ほつれがあったのか側に置いてあったキルティングバッグの中を探り出す。そして裁縫用の鋏を取り出した、その流れで、ちらりと碧い瞳がリーを見上げて、リーの心臓が跳ねた。
 
「……こんにちは、サクラさん。……お邪魔しても、良かったですか?」
「リーさん……ええ、もちろん」

 にっこりと目を細めるサクラに、ほっとした。宛ら暖簾でも潜るように、おずおずと木陰の中に入ると、サクラは快く場所を空けてくれた。持って来たバッグをひょいと持ち上げて座り直し、リーの邪魔にならないようにしてくれる。けれど、どこか隣に座るには、図々しい気がして、リーはサクラを背にして腰を下ろす。

「すごいですね……どなたかに習ったんですか?」

 肩越しにサクラを覗くリーは、サクラの膝の上に散らかったレースのモチーフを、興味津津と眺める。
 鋏で飛び出た毛糸を、チョキンと小気味良く切ると、サクラは自分の前に編み上がったそれを持ち上げる。

「習ったっていうか……ちょっとお母さんに……。あとは、本を見ながら」

 模様の小さな隙間から、陽射しが入って光が漏れている。同じ模様が、白い手元にもうかびあがって、精巧な影絵がうごきだす。
 バッグの中からは、様々な色やバリエーションをしたレースのモチーフが何枚も出てきた。これらを一つの模様になるように、一枚一枚規則正しく繋ぎ合わせて、それでやっと完成するのだと、本から切り離した図案を手にサクラは楽しげに語る。

「素晴らしいです。編み物の先生みたいですね」
「もう……やめてリーさん……あんまり見られると、そのへんに穴が開いているかも」
「では、穴が開かない程度に」

 リーがレースの一枚をそっと拝借して、矯めつ眇めつ見つめるその矛盾さに、サクラが困った顔をした。そのうち手からサッと取り上げられて、純美な目元をくしゃりとさせた満開の笑顔がリーを迎える。息遣いさえ感じ取れるような距離に。いつの間にか、それほど近くに体を寄せ合っていた。
 
 また、かぎ針が軽快に動き出す。小休止をはさんだそれは先程にも増してリズミカルなようだ。
 サクラの周りに散らばる影絵の欠片、これら全部を繋ぎ合わせるのだと彼女は話していたが、何ができあがるのだろう。集中し出したサクラに聞くことは憚られたが、もしかしたらこれは――。きっと、疲れたチームメイト達を憩わせるものへと変貌する。
 涼しい風がそよいでサクラの薄紅色の髪が、リーの視界でふわりと膨らんだ。風が過ぎると柔らかそうに肩をすべっておちる。きっと一生触れることなどないのだろうな、などとぼんやり思い浮かべて、リーは無欲な両手を組むと頭の後ろに持っていく。心地良い安らぎをえて、そのまま静かにリーは背中を木に寄り掛けた。
 願わくば彼女が、一目一目心を傾けて、丹念に編み上げられるように。
 


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