救援活動5/5
清潔な白い病室を訪れると、淡い色合いの花が一輪だけ飾ってあった。窓から入る風は明るい青空を引き連れて、室内は柔らかな光で満たされている。窓際に歩み寄ると、心地良い風が頬を撫でていき、無人の理由が分かった気がした。
ベッドサイドに気配をおとして、花瓶の傍に小さな花束がふわりと添えられる。
屋上へとつづく階段を上がり、四角い箱から出ると澄んだ空が突き抜けている。その下の欄干に寄り添うように溶け込む姿は、きっとこれを感じたかったのだろう。願わくば、自分が来るまで待っていて欲しかったが──などとは噯にも出さない様で、ネジは欄干の人物に近づいた。
「……あまりいなくならないでくれ」
溜め息とともに、知った気配が静かに距離を詰めるのが、分かったのか、いつもより緩くお団子に纏めた頭が悪びれることもなく振り向いた。
「心配性ね……」
「まだ“本調子”ではないのだろう? ガイ先生から言伝だ。ゆっくり休めと。暫く任務はお預けだ」
隣に並ぶネジの姿を目で追って、それから風にゆるりと微笑むようにしてテンテンは視線を外した。二人の目下には平穏な里の街並みが広がっていた。
「もう元気なのに……」
「当然の休暇だろう」
時折聞こえてくる鳥の囀りや、通りの賑やかな談笑が軽やかに耳許を飾る。そんな時間も確かに必要だった。ただ少し、忍具一筋のテンテンには張り合いがないのだ。
半分諦めの混じる呟きにも、ネジは堅苦しい態度を崩さない。当然のように言い放つ、それも、若しかしてネジが口添えしたのかもしれない。下ろした睫毛の下でテンテンはそう想った。
「ありがとう、ネジ」
自然に零れた言葉に、里の景色を眺めていた白眼が微かに意識を動かした。
欄干に腕を乗せたその姿勢を崩さぬまま、意図的に作ったのだろう沈黙に柔らかな風が吹き抜ける。
呼吸が聞こえるほどの静けさを、無邪気な囀りが通過して空高く羽音が舞い上がっていった。
「……何があったんだ」
瞳に秘めたテンテンのものに素知らぬふりをして。ただ落ち着いて話せるようになった頃合いを見計らって、ネジから返ってきた波紋はテンテンの心に寄り添う響きをした。
あの時──あの灰色の空の下で。ネジに促されて、今は晴れ渡る青空にテンテンは目を向ける。
「ちょっとね……火力を間違えたというか……」
ぽっかりと浮かんだ雲の縁をなぞりながら、ぽつりと言ってもネジが反応する様子はない。寧ろ黙っているのは、“それで──?”と続きを聴こうとする合図だ。
「分かってる。無茶しちゃったって。次からは気をつけるわ」
里の街並みを映す静かな横顔に、率直にテンテンは告げた。無茶の理由を並べてもすべて言い訳のようになりそうだ。
ただ、何故今になって聞くのだろう……と純粋に疑問が浮かんでくる。確かに、山の危険区域にまで迎えに来たことは、ネジにとっても命懸けであったのだろうけど。
真一文字に結ばれた唇は、一向に綻ぶ様子がなく、テンテンは眉を曇らせる。
生きていればいいって、言ってたよね──。そう思わず漏らした言葉を、聞き逃すはずはなく。ネジの手が欄干から離れた。
「……“いつも”心配している。……知らなかったか」
直ぐ側に呼吸を寄せて。風の音を一瞬だけ止めた。里の喧騒も遠くなる。
心配性と揶揄されたことをそのまま返そう。片腕の中にそっと仕舞われて、きっとその意味を知る。
テンテンは多分、分かっていない。あの時テンテンと離れたことを今も悔やんでいるのは、ネジの方だということ。責めるつもりなど、寸分もない。
おずおずと、ネジの忍服の端を摘む指先に、気づいて、ネジは抱擁する腕を緩めた。
視線が交わらないようにして、呼吸が離れていく。それに合わせて、急速に周囲の音が戻ってくる。まるで何も起こっていないかのように、だが何かが変わりはじめていた。指先をネジへと伸ばした小さな意思は、ネジの想いを知ろうとしたのだ。
「まだ風に当たりたいのなら……先に戻るが」
感情を潜めた、穏やかな声音がテンテンの意識を揺らして、茶色の瞳は静かな深みを湛えてネジを見つめる。無闇に踏み入ってこない、不器用なこの距離感にこわばりが解けていった。近くでも、遠すぎることもなく、ずっとすぐそこにある。ネジに掛けられた指先が、そっと外された。
「そうね……もう少しここにいるわ」
彼方にとける薄雲に視線を投げて、心得たようにテンテンは唇に笑みを乗せる。差し出された配慮を素直に受け取って、欄干に凭れた腕に顔を乗せる。目覚めたら病院のベッドの上だった。どこにも行き場がなかった空虚な気持ちを、流し去ってくれるように。寛いだ様の丸い背中に、ネジは目を注いで、ひそやかに息を吐いた。
「明日また来る」
この瞬間に溶け込む最大限の配慮で、約束を添えて。
(了)
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