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TopMain沈黙の愛
「未熟者ではございますが、よろしくお願いいたします」

三つ指をついて挨拶をすると、少し固い声音が降り注ぐ。

「ああ、よろしく頼む」

頭を上げると、文次郎さまはむっつりとした表情をしていて、第一印象で何か不快な思いをさせたのではないかと焦ったものだ。後から考えればそれが文次郎さまの普通の顔で、確かにちょっと緊張していたかもしれないから、それで表情が強張っていたのだろう。

「微力ながら、文次郎さまをお支えできるよう頑張ります」
「頼んだ。…おれも、おまえを支えられるよう励もう」
「文次郎さまが、私を?」
「…それが夫婦ってものだろ」

至極当然のように言い切った文次郎さまに面食らって、でもその一言で文次郎さまの人となりが分かったようで、私は思わずその場で笑ってしまったのだった。この日、私は文次郎さまと夫婦になった。


特段お互いが望んだ婚姻関係ではなかった。私の父と文次郎さまが勤めている城が同じことから、文次郎さまは此度の縁談を上司に持ちかけられたのだ。無論、断るという選択肢はあってないようなものであるそれは、お互いの意志を他所に話が進んでいった。
私は今更嫌だと泣きわめくような年頃でもなかったし、今まで不自由なく育ててくれた父のためになるならばと思っていたが、棚からぼたもちというかなんというか。蓋を開けてみれば文次郎さまはずっとずっと素敵な殿方で、私は自分の運の良さを心底噛み締めた。

「今戻った」
「お帰りなさいませ」

一週間ぶりの文次郎さまの帰宅。帰ってくるなり渡された包みと甘い香りに、その意図を察する。

「気になさらなくていいと、この前も申しましたのに」
「いや……」
「同僚の方に、もっと夫らしくしろとでも言われましたか?文次郎さまは十分素敵な旦那さまですよ」
「……」
「とにかく、今後土産は不要です。文次郎さまが無事に帰ってきてくれるのが、一番嬉しいですから」

すっかり黙りこんでしまった文次郎さまに、今しがた淹れたお茶を差し出す。小さく礼を言ってから受け取った文次郎さまは、湯呑に口を付けてから少々気まずそうに口を開いた。

「何か…不便していることはないか」
「特にはございません」
「…周りの者と上手くいっていなかったり」
「城下は顔なじみばかりですし、問題ありませんよ」
「おれが居ない間に何か、あったり…」
「全く」

いよいよ頭を抱えだした文次郎さまに、悪いことをしてしまった気分になる。本当に思い当たる困り事はなく、文次郎さまに安心してもらうために述べたのが何やら逆効果だったようだ。どうしたらいいか分からずおろおろしてしまい、とにかく弁明をしなければと文次郎さまの顔を窺う。

「あの、文次郎さま」
「…なんだ」
「文次郎さまはとても仕事に熱心な方だと父から聞いています。私はそんな文次郎さまの邪魔をせずに、力になりたいと思っております。だから、どうぞ私のことなどお気になさらず仕事に打ち込んでください。私はまあ箱入り娘ではありますが…、人よりそこそこ図太い自信があります。繊細な娘だと思って気にかけていただく必要はありませんので」

一つも無理をして繕っているつもりはなかった。私の申し立てに呆気に取られていた文次郎さまはしばらくしてようやく飲み込んだようで、私を見つめる表情がすっと引き締まる。

「…確かに、おれはおまえを見くびっていたらしい。改める」
「はい」
「だが、無理はするなよ。限界値を超して励むのはバカのやることだ」
「は、はい」

多少心当たりがあった私は返事に詰まってしまいそうになったが、文次郎さまの信頼を得るためにしっかりと頷く。文次郎さまは「よし」とテキパキした声で応えると、一息ついてお茶をすすった。
私たちはまだ夫婦になって日が浅い。お互いに知らないことが多すぎる。その上で一つずつ踏みしめるように、こうして距離を近づけていけることが何よりも嬉しかった。
気色悪いなどと思われないように緩む頬を叱咤していると、文次郎さまがぱちぱちと音を立てている火鉢を見つめながら、どこか遠い目をした。

「…おれは、恵まれすぎた結婚をしたのかもな」
「え?」

はっと顔を上げると、横目でこちらに視線を向けた文次郎さまと目が合う。その柔らかさに、反射的に感極まってしまった私は、薄く膜の張った涙を乾かすために自身も火鉢へと体を向けた。そう思っているのは私もだと、言い返せるだけの器量はまだ私にはなかった。


沈黙の愛 1話


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