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TopMainあなたと、未来
張り詰めた声なのに、どうにも温かさが残る声が印象的だった。きりりとしたつり目がちの瞳は鋭い印象を与えるはずなのに、どうしてこんなに優しさが隠し切れないのだろう。

「御前さま、彼のこと教えてくださいませんか…?」
「彼?…留三郎のこと?」

御前さまに珍しく、呆けた声で御前さまは答える。私がこくりと頷くと、数拍置いて顔色を変えた御前さまは「なんてこと」と崩れ落ちるように畳に手をついた。今度は私がその反応に呆気にとられていると、キッと視線を鋭くした御前さまがわなわなと震える。

「こんなに癪なことはないわ。あなたまで留三郎にとられてしまうなんて」
「え?と、とられる?」
「なんなのあの男は!」

私、訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか。御前さまは奥の者しかいないときは比較的表情豊かな人だが、これほどまでに取り乱すのは珍しい。忌々し気に吐き捨てた後、御前さまは私をじいっと見つめてやがて冷静さを取り戻したように居住まいを正した。

「……あれは優秀な忍びよ。よくできる男でね、更に性格まで良いときて、殿も大のお気に入りなの」
「まあ」
「安心なさい、未婚よ。全く浮いた話が無くて殿が気にしはじめる始末なんだから」

こんなことを訊いた時点で隠そうだなんて気はなかったが、直球に切り込まれて気恥ずかしさに目線を逸らす。御前さまはそんな私の様子を揶揄るわけでもなく、至極つまらなそうに目を細めて息をついた。
落ち着いて今までの文脈を辿ってみると、憎めないほど優秀な留三郎さんが殿の信頼まで掻っ攫っていくのがとても腹立たしい、ということだろうか。なるほど、御前さまらしい。その上、身近な私までとなると、それはもう面白くないのだろう。

「でも…そう、名前が留三郎を…」
「う…いや、その…少しお話しできたらいいなあと思っただけですから…」
「あら、ここまできてそうはいかないわ。大丈夫、振られたらわたくしが留三郎をいじめる大義名分が手に入るわ。任せなさい」
「ご、御前さま……」

嬉々として意地悪な笑みを浮かべる御前さまに、苦笑いを浮かべる。私がきっぱりと振られて傷心な姿を見せようものなら、本当に実行に移しそうなのだこの方は。御前さまは私の頬を白魚のような手でするりと撫でると、また少し不機嫌そうな顔を見せて唇を尖らせた。

「わたくしのかわいい名前をとるのよ。幸せにしなきゃ、許さないわ」

御前さまは、身の回りに置いている侍女をこよなく信頼し、愛してくれている。うわべだけじゃなく、本当にそうなのだと常に思い知らせてくれる。仕える身としてはこれ以上に無い喜びだ。
面白くないと口では言っても、私の幸せを願って背を押してくれる。やはり私はどんなことがあってもこの方の傍にいたいと、目の前の綺麗な顔がむすくれるのを見ながら思った。


「あの、よければ今度お茶でも!」

野暮用で奥の御殿にいらした留三郎さんをぼうっと見送りそうになったところ、御前さまに急かされてその背を追いかける。慌てて追いついたところで、自己紹介もままならないまま勢いに任せてそう言うと、ぽかんと留三郎さんは開いた口が塞がらないようだった。

「も、申し訳ありません!私、侍女の名前と申します。いつもその、御前さまの横でお見かけしてて…」
「名前、さん……ええと、おれはしがない忍者ですよ。武士ではありませんし…」
「存じております。…忍者では、私とお茶は無理でしょうか…」

我ながら振り返ってみるとずるい訊き方をしたものだ。思ったより強引な私に留三郎さんも驚いたようで「いえ、そんなことは…」と条件反射のように口から零していた。だがきっと、留三郎さん相手ならあの訊き方で正解だったのだろう。

留三郎さんは話してみてから印象が変わるということは全くなく、思った通りの優しい人だった。周りにあるものを凄く大事にしていて、優秀な忍者であろうとしていて、だからこそ色々なものから距離を置きたがる、少し不器用な人だとも思った。
私は別に、百戦錬磨の女でもないし、男性に対して強気に迫れるような女でもなかったはずなのだが、留三郎さんにやんわりと距離を取られようとするたび、強く手を引いて止めてしまっていた。私のわがままを押し付けているだけでしかないが、独りにしたくなかった。たくさんの幸せに囲まれて、笑っていてほしいと思った。それを一緒に築けるのが私であればいいと、思ってしまった。

そんな私に根負けしたのか、留三郎さんは私にやさしく口づけてくれた。一生守る、と誓ってくれた。これ以上にないほど幸せだった日々に、更に幸せが宿ることになる。

「ややが、いるようです」

まだ膨らみ始めてもいないお腹をさすって留三郎さんにそう言うと、また開いた口が塞がらないようだった。今となっては間抜けに見えるその顔に笑って、私は留三郎さんの手を取り腹まで誘導する。手を重ね合わせて腹にあてると、留三郎さんが「そうか…」とじんわり呟いた。

「…ありがとう」
「え?」
「また、こんな…まだ幸せになれるのかってくらい、幸せだ」
「そんなの…私も一緒です。留三郎さんがいてくれるから、すっごく幸せです」

留三郎さんは私の手を絡めとると、眉を下げて困ったように笑う。

「おれは、忍者として殿に仕える以上、大切なものを増やしてはいけないと思っていた」
「大切なものが増えていくのが人生の醍醐味ではありませんか」
「醍醐味…、そうだな、そうかもしれない」

不器用で優しい人だから、色々と考えてしまうのだと思う。それでも、留三郎さんにも好きに手を伸ばす権利があるのだと、理解ってほしかった。今、綻ぶように微笑む留三郎さんを見て、私の願いはようやく果たされたのだと思い知る。

「もし、大切なものを失うことになったとしても私は、幸せだったことが幸せだと思いたいです」
「おまえは……強いな。あと、生きるのが上手い」
「なんですかそれ」

世渡りが上手いならまだしも、生きるのが上手いだなんて表現、聞いたことがない。だが、なんとなく言いたいことも伝わるようで、くすくすと笑いながら留三郎さんの肩に頭を預ける。

「おれはおまえと出会って、生きるのが下手だったことに気づかされたよ」
「確かに、留三郎さんは少し不器用ですね」
「改めて他人から言われると…落ち込むな」
「あら、大丈夫ですよ。そういうところひっくるめて愛してますから」

留三郎さんは小さく吹き出すと、私の手をぎゅっと握りながら「敵わん」と春風に溶かすようにぼやいた。それがなんだかくすぐったくて、誇らしいようで、口元がむずむずとする。

「名前、何にしましょう」
「ゆっくり悩めばいいさ、まだ時間はある」
「そうですね…、ああそうだわ、御前さまにも報告しないと」
「はは、ものすごく喜びそうだな」
「前から私のややを抱きたいって仰っていましたからね、ふふ」

やがてうららかな陽にまどろみ始めて、私はうっすらと夢を見た。私と、ややと、留三郎さんと、御前さま。みんながぐるりとややを囲んで、笑顔と話し声に溢れた空間。きっとそれは梅の香が運んだ、遠くない風景。


あなたと、未来 3話


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