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TopMain敬愛の果て
深々と椅子に腰かけてアイマスクをした彼の姿。昔から彼を知っている人は変わったというけれど、私にとってはいつまでも見慣れているままの彼で。緊張と高揚で僅かに胸の端がひりつくのを感じながら、肺いっぱいに息を吸い込んで一呼吸。

「お久しぶりです」

不思議と、表情や声音にあまり感情の揺れ動きが出ない性分だった。それが悪く影響することもあれば、今の時のように助けられることもある。私の口から出た平坦な声掛けに、クザンさんはアイマスクを指先でずらして視線を上げた。

「…あら、名前」
「お変わりなく」
「……そうねェ。お前もあんま変わんないみてェだな」
「あんま?」

特にこれと言って自分の変わったところが思いつかなかったためクザンさんの言葉を復唱すると、気怠げに体を起こしたクザンさんが船の進行方向を見つめる。

「ちょっとばかし綺麗になったんじゃないの」
「……」
「……お前が怒ってないのはさすがに分かんだけど、反応ぐらいは欲しいわけよ」
「すみません、驚いていました」
「…いや、もはや懐かしいわこの感じ」

小さく笑ったクザンさんに胸をなでおろす。久々の再会で開口一番、まさかそのような浮いた台詞を投げかけられるとは夢にも思っておらず、完全にフリーズしてしまったことを反省する。これくらい、何か適当に言葉を返せばよかったのに。体の内は変に熱を持ってしまったが、まあ表にはきっと出ていないから問題はないだろう。

「今回の任務、私がご一緒させていただきます」
「へー、そりゃ珍しい」
「…そうですね、クザン大将に同行するのは久々です」
「楽させてもらうわ」
「滅相もない。過信されても困りますので」
「過信て…、お前の実力はおれが一番分かってるつもりだけど」

それは…、と言葉に詰まったところでクザンさんがのそりと立ち上がる。「ま、何はともあれよろしく」と私の肩を叩いて、クザンさんは船内へと入っていった。…先ほどの言葉は、そのまま良い意味に受け取ってしまっていいのだろうか。いや、それで浮かれすぎるのも問題だ。過不足なく、適切に、実力を把握されている。そういうことだろう。落ち着きがなくなりそうだった心を押さえつけて納得させていると、視界の端をちらつく残像のクザンさんが「まじめ、」と呆れたように呟いた気がした。

クザンさんと合流が無事済んだので、自分の部下やクザンさんの軍艦に乗っていた海兵たちに挨拶や指示出しをしていると、バタバタと焦りが滲んだ足音が響く。

「名前准将!」
「はい、なんでしょう」

張り詰めた声に呼ばれて振り向くと、部下の一人が少し緊迫した様子で西の方角を指さす。

「進路方向に海賊船を発見いたしました!」
「海賊旗は確認しましたか?」
「はっ、この海賊団かと思われます」

私に報告する前に調べたのか、準備よく差し出された手配書を受け取って礼を述べる。目が合った写真は、いつだかに会議にかけられていた見知った顔で、ああと頷いた。

「最近額を上げてきているルーキーですね」
「…お前、全部把握してんの」
「当たり前のことかと」

船内でコーヒーを淹れていたのか、いつの間にかコーヒーカップ片手に戻ってきていたクザンさんにそう返すと、わざとらしく首を傾げられる。

「もしかしておれ怒られてる?」
「まさか。クザン大将にそういった期待はしてませんので」
「…今初めて今度手配書に目通そうかなって気になったわ」
「それは、よかったです」

別に侮辱したわけでもなく、ただ今までの経験上の事実を述べただけなのだが、クザンさんには何やら刺さったらしい。素直な感想を述べるとクザンさんはこれ以上何も言えなかったのか、ひらりと手を振った。

「んじゃ、後は任せた」
「了解です。…クザン大将」
「ん?」
「私が片付けている間に、本部に連絡を入れておいていただけると。先ほどセンゴク元帥からお叱りの通信が私の方にありましたので」
「……ハイ」

クザンさんは大人しく返事をして電伝虫を探しに向かったようだった。海賊掃討に関してはもとよりクザンさんの手を煩わせるまでもない案件だ。報告の通話が滞らないように少し静かに沈めなければな、と思いつつ手袋をはめ直した。

***

今回の任務は世界貴族の小規模の集まりが行われる島の安全確保と、護衛。クザンさんがため息ばかりつきたくなる気持ちは痛いほど分かった。集会にもっともらしい理由は一応つけられているものの、中身はお気楽パーティーとなんら変わりがない。それに繰り出される海軍のやるせなさと言ったら、言葉にならないものであった。こんなことに最高戦力の大将が引っ張り出されるのだ、たまったものじゃない。

「ほんと、海軍も別に暇じゃねェんだけどな」
「歯車に組み込まれる者である以上避けられないもの、でしょうか」
「……そーねェ…」

クザンさんは深く椅子に沈むと、やるせなさそうに空を見上げた。その瞳は、どこか遠く。クザンさんが海軍である理由は昔から近くにいて何よりも理解していたが、それが海軍に縛る理由にはならないと気づいたのはいつからだろう。正義を掲げた背中は確かに目の前に存在するのに、風にさらわれてあっという間にいなくなってしまいそうで。
根拠のない不安が、私の足を絡めとる。こんな空想で不安になっている余裕など、私には許されるものではないのに。眩しい日の光に目を細めてまた浅い眠りにつこうとしているクザンさんを見下ろして、どこか引きつった喉を開く。

「……組織だからこそ、ずっと信じ続けられたものもある…とは思います」
「…どしたの、急に」

私の突飛な発言にうとうとしていたクザンさんがぱちりと目を開ける。うまく誤魔化す自信がなくて、咄嗟に視線を逸らした私は「…すみません」とバツ悪く呟くほかなかった。
クザンさんは私が落とした沈黙にしばし身を委ね、それを荒らすわけでもなくゆったりと口を開いた。

「まァ…、おれも大事にしたいものくらいあるから」
「え?」
「海軍に」

クザンさんの声は、昔から確かな重みをくれる。私はいつもそれにひどく安心してしまうのだ。こんな面倒くさい部下、クザンさんは何故ずっと置いてくれるのだろう。大きく揺れる心をせめてみっともなく表に出さないように、私はぴっと姿勢を正した。
クザンさんは調子を取り戻した私を見て目元を緩めると、丸めていた体をぐっと伸ばして大きく息を吐き出す。

「ま、こんな仕事とっとと終わらせて呑みにでも行こうや」
「私がクザン大将の介抱をしなくて済むのでしたら、喜んで」
「…そ〜んなに迷惑かけた記憶ねェんだけど…」
「そうですか」
「……ごめんて」
「いえ、いつものことですから」

クザンさんが肩身狭そうにする姿に思わず笑みをこぼすと、クザンさんが「あ」と口を開けて私をじっと見つめる。何か顔についたりでもしているのかと、その気まずさに一歩後ずさる。

「吉兆の証?」
「…何がでしょうか」
「お前の笑顔。滅多に見れるもんじゃねェから」
「そんな、神聖化されると笑えなくなります」
「なんで」

笑えば?とクザンさんはくつくつ愉し気に喉を鳴らす。大変な気恥ずかしさを抱えながら、それでもどうリアクションをしたらいいかわからず目を閉じて心頭滅却していると、不意に「名前」と名を呼ばれる。反射で瞼を上げてクザンさんを見つめると、クザンさんは先ほどまでの笑みを湛えながら空を指差した。

「シケ、来るぞ」
「え」

そういうのはもっと、早く言ってくれ。言われた瞬間、長年の海兵生活で染みついた瞬発力が足を動かしていた。多くの部下に届くように声を張って指示をする私の横目には、天候に似合わずのんびりとするクザンさんがいた。


敬愛の果て (1/2)


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